「移民政策反対」「日本政府に殺される」「NO! 移民政策」「SAVE JAPANESE」
10月26日、新宿東口にはそんなプラカードと日の丸を手にした人々が集まり、「移民反対」の声を上げていた。
今にも雨が降り出しそうな寒い中集まっていたのは、100人はゆうに超える人たち(私が行った時点で)。時間が経つにつれ、日の丸を持った人はどんどん増えていく。日の丸の上に突き出すプラカードにはチャーリー・カーク氏の顔写真とともに「日本はまだ間に合う」「日本は日本のままであるべきです」という言葉。
この日、全国各地で「移民政策反対デモ」が行われた。
―――という原稿を書くことになるなんて、数年前には想像もしていなかった。
いや、1年前だって想像してなかったし、なんなら今年の5月まで、これほどこの国で「移民」という言葉を見聞きするようになるなんて、思ってもいなかった。
しかし、あっという間に「移民政策反対」の声は日本中に広がっている。その広がりは、東日本大震災後の脱原発デモを彷彿とさせるほどだ。これまでのヘイトデモなどとは明らかに違い、参加者は多様で多彩、女性の姿も目立つ上、子連れで参加する人もいる。
そんなデモがこの日、東京や大阪、愛知、福岡だけでなく、愛媛や千葉や山形や埼玉や栃木、茨城、群馬、北海道などで呼び掛けられて開催されたのだ。各地の動画を見ると、どこも相当の人が集まっているのがわかる。同日の自民党本部前など、雨天だというのに終わりが見えないほど人の列がどこまでも続いていた。
全体像は掴めないものの、「移民反対」というムーブメントがこれだけの機動力を持って、ある種「草の根」的に広まっている事実に、ただただ打ちのめされている。
地域によっては1000人以上が参加し、全国合わせると少なくとも数千人、もしくは万単位の人が「移民反対」でこうして集まったのだ。
脱原発デモがよく開催されている頃、デモ見知り(デモで顔見知りになった人)とよく話していたことがある。それは、一人のデモ参加者の背景には同じ思いの人が10人はいる、という話。なんだかゴキブリ1匹見つけたら10匹いると思え的な論法だが、それにあてはめると、カジュアルに外国人に拒絶の思いを抱く人の裾野の広さに気が遠くなる。
思えば30年近く前の1990年代後半、私は右翼団体にいたわけだが、そのあり方は今の移民反対デモの参加者たちとまったく違った。それだけではない。日本の立ち位置も、あまりにも変わってしまった。
例えば当時の私には、「ヤバいことしてる」という自覚がはっきりとあり、後ろ暗い思いを常に抱えていた。
しかし、今のデモ隊からそんな後ろ暗さは見えない。逆に見えるのはカジュアルさであり、同時にスピーチなどからはある種の正義感や使命感や切実さも垣間見える。「このままでは日本が乗っ取られる」「侵略される」という不安に基づくものだ。
90年代後半、右翼にいた私には、そんな不安は皆無だった。バブルは崩壊しても日本はまだまだ豊かで、ジャパンアズナンバーワン的な空気や一億総中流という神話が生きていた。アジア諸国は日本の脅威ではまったくなく、また私のいた団体ははっきりと「反米」を打ち出し、外国人犯罪と言えば米軍の犯罪だった。ある意味、アジアはほぼ眼中に入っていなかったのだ。
しかし、この30年で日本の立ち位置はあまりにも変化した。中国にGDPを抜かれ韓国に平均賃金を抜かれ、円安のこの国はアジアの観光客にとっても「安い国」となった。
報道によると、日本のGDPは来年インドに抜かれる見通しだという。
移民反対デモがあった日、週刊金曜日8月1日号に掲載された崔善愛さんの「子どもたちへ」という原稿を読み直した。参院選について書かれたもので、何度でも読み返そうと保存しておいたのだ。
崔さんは自宅ポストに「日本人ファースト 参政党」と書かれたチラシが入っていたことに触れ、以下のように書く。
「自分の韓国名を表札に出しているが大丈夫だろうか、ともかく早く選挙が終わってほしい、こんな虐待のような時間ははやく過ぎ去ってほしい」
崔さんは日本で生まれ育った。「しかし、どんなにここが故郷だと言おうと、法的には『外国人』扱い」。そんな崔さんは、1年ほど前に見たある光景を書く。
自宅前を小学校高学年の男の子が3人で下校していたのだが、一人が「お前、日本人じゃないだろう。なんで俺たちと一緒に帰ろうとするんだ、あっち行け」と口にしたのだ。言われた子は無言のまま、来た道を戻り始めたという。崔さんはあとを追ったが、見失ってしまった。そんな文章は、以下のように締め括られる。
「『日本人ファースト』の嵐が吹く今このとき、ルーツを知られると嫌われる、いじめられる、とおびえる子どもたちがいる。だからわたしは韓国名の表札を出しておこう。日本人ではなくても、ここに住んでいる人がいるということを子どもたちに知らせるために」
もうひとつ、最近読んだもので心が痛んだのは、しんぶん赤旗日曜版の10月19日号に掲載された記事。
「在日クルド人と共に」代表理事の温井立央さんがクルド人差別について語っているのだが、その一節に胸が痛くなった。
「参院選後、外国人全体への差別意識がいちだんと社会に広がったと感じています。埼玉県内の中学校では、友だち同士の会話のなかで、相手を『それってクルドじゃん』と、『クルド』を差別的に使うことも起きています」
「日本人ファースト」という言葉で排外的な空気が広まって以降、この国ではこのようなことだけでなく、実際の制度運用が変更されることも起きている。
6月末には、博士課程の学生への生活支援に留学生も含まれることが問題視され日本人限定になり、10月なかばには、高校無償化から外国人学校が除外されることが報道された。
私もあなたも、選んで日本に生まれたわけじゃないし、進んで日本人になったわけじゃない。移民反対デモに参加している人だって当然、同じだ。そして世界中の、どの国・地域の人だって一緒だ。
先に紹介した原稿で、崔さんは、参院選の結果を見た感想として、「これは『始まり』なのだとわかった」と書いている。
そう、「日本人ファースト」をきっかけに、パンドラの箱が開いたのだ。そこから「移民政策反対デモ」が全国で開催されるまで、わずか4カ月。
そんな中、高市政権は高い支持率を打ち出し、18-39歳の若い世代では支持率8割という数字も報じられている。
強い日本や強い国家観を打ち出し、「世界の真ん中で咲き誇る日本」という言葉が、自信をなくしたこの国の人々に染みるのだろうか。
28日にはそんな高市氏とトランプ大統領が会談したわけだが、トランプ就任以降のアメリカでは、移民への厳しい取り締まりが続いている。
「不法移民」の摘発に1日3000人のノルマが課せられているとも報じられ、6月には取り締まりに抗議したデモ隊に州兵が派遣される。8月には留学生や報道関係者へのビザ発給を厳しくするという発表があり、9月にはアメリカの韓国企業で「不法就労」の疑いで500人近くが拘束。その中にはビザを取得している日本人も3人含まれていた。
トランプ大統領は、自らに否定的な報道をする放送局の放送免許取り消しを示唆したり、反ファシズム運動「アンティファ」を国内テロ組織に認定し、捜査や解体を進めるよう関係機関に命じる大統領令を発出してもいる。
さて、日本はそんなトランプ政権のアメリカに追随し、同じような道を辿るのだろうか。
なんだか現実が崩れるスピードが早すぎて、言葉も思考もまったく追いついていないのが今の正直な実感だ。
それだけではない。いったいいつまで私は、こんなふうに書いたり発信したりできるのだろう、と割と真剣に考え始めている。
だけど、続けられる限りは続けていかなければ。そう自分に言い聞かせている。



