「ああ、またか。またこの手合いか……」
新聞に掲載された週刊誌の広告が目に入り、朝から心底ウンザリしてしまった。
週刊新潮である。
〈「生活保護」申請増加で年金生活者がバカを見る〉という見出しの下には高市首相の顔写真。そして小見出しが続く。〈▶受給者200万人の過半数は高齢世帯 ▶都心の「炊き出し」で記者が見た意外な光景▶「医療費負担」で大きな差が…▶4兆円に迫る支給総額で日本の社会保障は崩壊寸前〉
ああ、いやだ、いやだ。ギリギリのラインで生活している人たちに「あいつらの方が得していますぜ」と耳打ちして、あたかも生活保護利用者が国の財政を圧迫しているかのような印象に誘導し、世間に攻撃対象を暗示しているのだろう。なんていやらしいのだろう。そんな記事を読むのも不快になることは目に見えているが、読まずに判断するのはフェアではない。不承不承、雑誌を購入した。
外国人差別から舌の根も乾かぬうちに
週刊新潮は7月に外国にルーツのある人に対する差別的な連載コラムを掲載して問題になった。文中で名指しされた作家の深沢潮氏はじめ、大勢の作家たちや法律家、学術界からの抗議が相次ぎ、新潮側はホームページ上に謝罪文を掲載したが、問題となったコラムの内容の検証をしたとは言い難く、深沢氏は新潮社との出版契約を解消する事態になった。
問題が発覚したのち、新潮社は簡潔な謝罪文をホームページ上に掲載、その最後に「人権デューデリジェンスの観点を従来以上に強化し、社内の体制を整えてまいります」と書いている。
人権デューデリジェンス(Human Rights Due Diligence)とは、つまり企業の社会的責任における人権配慮の責務のことだそうで、外務省の資料によれば、人権への悪影響の特定、評価をし、悪影響の結果を、全関連部門や全社的プロセスに組み入れ、悪影響を予防し軽減するための適切な措置を取ることだそう。新潮社のデューデリジェンスは、従来以上に強化されたのだろうか。記事の内容を見ていこう。
対立構造の不毛
「コロナ禍以降、物価高の世相を反映するかの如く、保護を申請する人は増加を続けている。その実態を探ると、年金納付者がバカを見るような状況になっていて……」というリード文のあと、都内の炊き出し現場を取材した文面から始まる。
最近流行りのヘイトやバッシング扇動は、100%デマというわけではなく、真実にデマや怪しい情報を紛れ込ませるのが特徴だ。この記事も、炊き出し現場の説明やインタビュー回答にとりたてて問題はない。コロナ禍以降、炊き出し利用者が増加の一途を辿っているのは周知の事実だし、ホームレス状態の人よりも、家があるのに困窮している人の割合が増えているのも事実。それには当然、理由があって、少ない年金額しか受給できない年金受給者も、2013年から生活保護基準額を引き下げられた生活保護利用者も、最近の物価高騰に生活が成り立たなくなっているからだ。決してどちらかが得をしているわけではなく、どちらも困窮している。
記事は2013年~15年の間に生活保護費が最大1割削減されたことにも言及しているが、それについてコメントしている「社会部デスク」が、一体どこの社会部デスクなのかは明記されていない。全体的にしつこいほどに年金受給者より生活保護利用者が得をしていると強調されていて嫌な感じだ。たとえば、以下の生活保護制度の説明。
23区内に住み国民年金で月5万円前後の収入があると、生活保護の受給金額は8万円前後。それとは別に医療費が無料で、税金や保険料も免除など手厚い保護を受けられる
ちなみに東京23区在住の単身者で、年金収入がゼロ円の場合、年齢や地域により違いはあるものの、生活扶助と住宅扶助(家賃5.37万の場合)の合計は13万程度である。
上記の例は、年金が5万円あるために、最低生活費とされる金額に足りない分の8万円前後が生活保護費として支給される。そこには住宅扶助も含まれるので、仮にこの単身者が5万円の家賃のアパートに住んでいたとしたら、生活に使えるのは7万円~8万円。そこから食費や光熱費、携帯代金を支払うことを考えれば相当な節約を強いられることくらい想像に難くない。
冬でもシャワー、炊き出しで食費を浮かす
実際、記事には少ない年金を生活保護で補って生活をしている人のインタビューも盛り込まれており、壁が薄くて騒音が気になる六畳一間で、光熱費節約のために冬でもシャワーで済ませ、炊き出しを回って食費を節約している様子が書かれている。
食事も節約し、お風呂も我慢するその金額で、税金や保険料や医療費など捻出できるはずもなく、憲法が定める「健康で文化的な最低限度の生活」を守るためには税金、保険料が免除され、医療費が支給される必要がある。それは、ことさらに「手厚い」などと言われるようなものではない。「生存」を支えるために最低限必要なものを保障しているだけの話だ。昨今の物価や光熱費の高騰を考えれば、現在の保護基準額は憲法が定める「健康で文化的な最低限度の生活」を営むのも難しくなっている。
説明不足か、故意のミスリードか
記事には生活保護と年金を併用している方のケースが紹介されているが、首を傾げてしまう個所もあった。
「年金が月5万円。板橋区で月8万円ほどの生活保護を受給し、月収は13万円程度。家賃は月2万円」という方のケースだ。
生活保護は年金や就労収入が最低生活費に届かない場合に不足分だけ支給される仕組みだ。板橋区の家賃扶助の上限は53,700円だが、これはあくまで上限なので、家賃2万円の場合は2万円しか支給されない。生活扶助は年齢にもよるが7万円台で、この方のケースの場合、最低生活費とされる額は約9万円になるはず。年金収入が5万円あるため、生活保護として支給される額は約4万円にしかならないだろう。記事には8万の保護費を受給とあるが4万円もの差額はなんだろう?
障害者加算と重度障害者加算があれば支給額が増えることはあり得るが、だとしたら、その情報は省くべきではないし、もし障害者加算を受けていないのだとしたら、計算は合わない。
支給金額に関する情報は、重要で基本的なことだ。板橋区と自治体名まで出すからにはもっと正確を期すべきだし、実際に受給している額より4万円もカサ増しして伝えれば、誤った情報を拡散するミスリードになり、バッシングにもつながりかねない。
残念すぎる有識者コメント
極めつけは記事の最後を飾る二人の識者コメントだった。炊き出しなどのレポートには雑な個所はあるものの、生活困窮者の苦しさをある程度リアルに伝える内容だったのに、見出しと同様、識者コメントで記事の本質がくっきりと浮かび上がる。
獨協大学国際教養学部の和田一郎氏
「(前半略)国民年金だけなら月々数万円ほどしか貰えず、そこから税金や保険料が差し引かれる。片や生活保護は実質的な受給額が明らかに多く優位性が高いのです」
そりゃそうだ。最低生活費を下回る年金受給者と、最低生活費を保障する生活保護利用者を比較したらそうなるに決まっている。だが、社会で最も生活が苦しい低年金高齢者と生活保護利用者を比較する意味ってなんなのか。年金が低すぎるのが問題なのではないのだろうか。
「明らかに多く優位性が高い」とされている生活保護費の生活扶助はたったの7万円程度であるのに、「明らかに」とか「優位性」という言葉を使えば、読み手は「生活保護利用者は得をしている」という印象を持つ。
和田氏のコメントは続く。〈今の日本で“年金を払うより生活保護を貰ったほうが得である”という考え方を持つ人が出るのは当然で、社会に分断が作り出されてしまっています〉として、「極端に言えば」と前置きしつつ、〈日本では年金や医療保険を払わなくても、“生活に困っている”といえば緊急的に生活保護が適用されます。〉と言っているのだが、そんなの要件を満たしていれば適用されるのは当たり前だ。飛躍するのはこのあとで、〈在留許可を受けた外国人にも裁量で適用されるので、“日本は甘すぎる”と批判する人もいて〉といきなり外国人の話になり、〈国が公平な制度を作らないと、世代や国籍などを巡る断絶が生じてしまいます〉としている。
そして、こうした分断や断絶を〈法体系や社会保障制度に公平性がないと、(略)労働意欲はわきません〉として、〈生活保護制度を納税者が納得できる形にしないと、年金を納めなくなる人も増えるのではないか〉と憂いている。
断絶をさせているのは誰か
このコメントをしている和田氏がかつて福祉事務所の生活保護ケースワーカーとして働いていた経歴を知り、深いため息をついた。
「生活に困っているといえば保護が適用される」と、あたかも貧困だと主張すれば審査もなく生活保護を利用できるかのような印象を与えるが、よく言う。生活保護を利用するには当然厳しい審査があり、資産は徹底的に調べられる。審査の上で制度の要件を満たしていれば適用されるのは当然であることくらい、ケースワーカーだったならご存じだろう。
その文章につなげて外国人の生活保護を並べ「日本は甘すぎる」とつなげるロジックは意味が分からない。日本人に対しても、外国人に対しても、日本の生活保護要件が甘いと言いたいのだろうか? 生活保護の要件を満たす人のうち、実際に利用している人がたった2割しかいない捕捉率の低さについて、知らないはずはあるまい。
外国人に関しては、既に多くの新聞が報道しているファクトチェックを当然読んでいると思うが、外国人の生活保護は準用措置で権利としては保障されていないため、甘くなどないし、一部政治家やSNSが騒ぎたてるように優遇されてもいない。元ケースワーカーならそれも知っているはず。世代や国籍をめぐる断絶が生じているのは、制度が不公平だからなどではなく、こうした恣意的なバッシングを煽る人がいるからだ。
モラルハザードの温床?
もう一人の識者、経済評論家でエコノミストの門倉貴史氏はこんなことをコメントして
いる。
- 生活保護費で財政負担が大きいのは医療費で年間約2兆円
- その医療費が無料になっているので必要以上に医療サービスを受けるモラルハザードの温床になり得る
- 不公平感を是正するため、生活保護受給者も医療費の5%程度を自己負担にするなど、不必要な医療費の抑制を制度的に図るべき
医療扶助費が生活保護費全体の半分を占めているのは、確かにそうだ。
生活保護利用者のほぼ8割が高齢者や障害をお持ちの方で占められることを考えれば、医療の必要性が高まるのは当たり前のことだ。生活保護に至るまで経済的に余裕がなく、長い間、受診や治療を控えていた方などは症状が悪化していることも多く、回復にも時間がかかる。生活保護制度は生存権を保障する制度なので、経済的な理由で適切な医療を受けられない人が出ないよう設計されている。
門倉氏はそれを、あたかも無料なのをいいことに生活保護利用者が過剰な医療サービスを受けているかのように書いているが、全然違う。むしろ、問題があるとしたら、生活保護利用者に過剰に医療を受けさせる医療機関の方だ。こちらはかねがね問題になっている。
私自身、身寄りのない高齢者が必要とは思えない検査や開腹手術を施され、本人はまったく理解していなかったケースを知っている。介入したらあっさり手術の予定が撤回されたケースもあった。
社会保障制度は崩壊寸前か
社会保障制度が崩壊寸前なのは法体系や社会保障制度の公平性が欠けるからなのだろうか?
年金が少なすぎるのが問題ならば、その年金制度を改善して生きられるようにするのが筋ではないだろうか。なぜ、最低ラインの生活保護制度をいじることを提案しているのか。先にコメントしていた和田氏が提唱する「納税者が納得できる形」とは、どんな形だと言いたいのだろう。
偏見に満ちた情報をもとに、社会の周縁に追いやられ、爪に火を点すように暮らす年金生活者と生活保護利用者を比較して「どっちが得か」などと対立を煽るのは悪質だ。当事者の人権のみならず、生存権を脅かす有害なバッシング扇動で印象操作ともいえる。
長年納めても、人ひとりが生きるに足る年金も支給できないのなら、不足分は生活保護費で補うしかない。低年金の高齢者だけでなく、働いても収入が最低生活費に届かないすべての年齢層の人々が、権利としての生活保護制度を利用するべきなのだ。
最低生活費とは、それ以下の生活はさせないと国が定めた基準であり、その仕組みが生活保護制度だ。人の命に係わる制度を壊そうとするな。
記事は最後に、少子化が進んで保険料収入は増える見込みがないため、社会保障制度は崩壊寸前で国民の中に生じる不公平感が大きくなるばかりと、記者が雑に、漠然としたイメージとしての不安を煽り、「汗水流した者がバカを見る。そんな荒んだ世相の変化が着実に進んでいる」と片山さつき氏が憑依したかのような言葉でまとめている。
生活保護利用者の総数は、人口の1.6%ほど。利用資格がある人のうち、実際に利用しているのはたったの2割程度だ。悪いのは制度でも生活保護利用者でもない。
元々この記事は「年金vs生活保護」がテーマだったのだろう。生活保護利用者が増加すると社会保障が崩壊すると言いたがる人には聞きたいのだが、なぜ国民年金は暮らせないほど少額なのか、生活保護を利用したのちも炊き出し巡りをして節約しなくてはならないのはなぜなのか。そして、なぜこれほどまでに貧困と格差が拡大しているのか教えてもらいたい。決して生活保護利用者のせいではない、それだけは確かだ。
今後も物価や光熱費の高騰は続き、人々の生活はますます苦しくなるだろう。新潮社は苦しい生活をしている者同士を比較し、バッシングを煽って弱い者いじめをするのではなく、人権デューデリジェンスを強化して、社会問題の根源を問い、命を守る発信をしてほしいと切に願う。



