第381回:ぼくの、悲しい失敗(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 これはぼくのせつない失敗談です。思い返すとチクリと胸が痛くなるのですが、後悔を込めて記しておきます。

 小春日和の気持ちのいい休日、ぼくはちょいと遠出の散歩をした。
 隣町の国立市の多摩川河川敷に車を停めて、土手の上の遊歩道をぶらぶらと歩いていた。河川敷の運動場からは、少年少女のサッカーや野球での歓声が聞こえてくる。その子どもたちの元気な様子を横目で見ながら川風を楽しむ。
 ぽかぽか陽気の、穏やかな午後だった。

 土手の上の遊歩道、向こうから若者たちが8名ほど、こちらに向かって歩いてくる。どうもアジア系の外国人のようだ。男性ふたりにあとは女性たち。全員、20代前半くらいの若者たち。みんなキレイな格好をしている。すれ違おうとすると、リーダーらしきの青年が話しかけてきた。
 「すみません、ちょっとお聞きしていいですか?」
 流暢とは言い難いが、丁寧な日本語である。
 「はい、なんですか?」
 「あの、立川公園、どう行くのですか?」
 「えー? 立川公園……ねえ」
 考えてみたが、そんな名前の公園は思い浮かばない。
 「ごめんね、ぼくはこの辺の人じゃないから、ちょっと分からないなあ」
 「そうですか、すみませんでした」
 グループはぼくとは反対方向へ歩いて行った。ぼくはやや考えたが、やはり教えてあげようと思って追いかけた。だって、方向が違うんだ。
 「そっちは立川じゃないよ。国立へ向かっている。立川は逆方向だよ」
 「あ、そうですか、では、こっち、ですか?」
 青年はぼくが歩いている方向を指差した。
 うーむ、“立川公園”なんていう公園は知らないけれど、確かこの堤防道路の先、少し外れた辺りに、小川の流れに沿って1キロメートルほど続く、静かだけれど素敵な公園があったことを思い出した。公園というのなら、そこでも楽しめるんじゃないかと、ぼくは思った。
 「立川公園かどうか分からないけど、この先に素敵な公園があるよ。そこでよかったら連れてってあげるけど」
 「そうですか、ありがとうございます」
 そう言いながらリーダーは、仲間に「いいよね」(多分、そう言ったのだろう)。みんなは頷いている。ぼくは、散歩中だし別に行く宛なんかあるわけじゃない。その公園の入り口までグループを連れて行ってあげることにした。
 一緒に歩きながら「どこから来たの?」と訊いたら、リーダーは一瞬口ごもったけれど「はい、ミャンマーです」と言った。

 最近、ぼくがやっているデモクラシータイムス(市民ネットTV)の「著者に訊く」という番組で、『ミャンマー、優しい市民はなぜ武器を手にしたのか』(ホーム社発行、集英社発売)という本の著者・西方ちひろさんにインタビューしたばかりだったから、なんとなく彼が「ミャンマーです」という時に口ごもった理由が分かるような気がした。
 あの国の軍事政権、圧倒的な武力でもって国民を徹底的に弾圧している。たくさんの市民が殺された。国民の希望だったアウンサンスーチーさんは、もう長い間、自宅監禁中。様子はあまり伝わってこない。
 そんな状況だから、国名を口にすることに躊躇したのかもしれない。ぼくは当たり障りのないことを言った。
 「きみたちはお休みで、公園散歩なんだね」
 政治的な話題には触れるべきじゃないな。せっかくの彼らの楽しい休日なのだから、と思ったのだ。

 公園の入り口で、ぼくは言った。
 「この先はずっときれいな散歩道になっているから、きっと楽しいと思うよ」
 そう言ったら、みんな嬉しそうに口々に「ありがとうございます」と、分からない言葉で感謝の意(多分)を示してくれたのだ。
 ちょっとした親切心だったけれど、我ながら嬉しい気分になっていた。

 彼らと別れて、ぼくは日野橋をわたって多摩川の右岸の堤防道路をぶらぶら。かなりの距離を歩いて、石田大橋をわたり元の左岸へ戻る。そして、車を置いてある河川敷までのやや長めの散歩コース。
 若者たちと別れて、もう1時間近く経っていた。
 みんな、楽しんでくれたかなあ……と思いながら、ふと不安になった。彼らはなぜ、こんななんにもない土手の上を歩いていたのだろう? いったいどこへ行くつもりだったのだろうか。
 あることに気づいて、ぼくは「あっ!」と、思わず声をあげていた。

 「立川公園」と聞いて、ぼくはそれを固有名詞だと思い込んだ。そんな名称の公園には心当たりはなかったけれど、まあきれいな公園ならどこだっていいだろう、そう思って近所の公園に案内した。
 だけど、もしかして彼は「立川の公園」と言いたかったのではないか。
 そういえば一緒に歩きながら、「何しに行くの?」とぼくが尋ねたとき、彼は「コーヨーを見に……」と答えた。イントネーションが少し違ったので、その時は意味が分からなかったが、その「コーヨー」とは「紅葉」のことだったのかもしれない…。
 とすれば、目的地はぼくが案内した小さな公園などではなく、紅葉が有名な公園、ということになる。「立川公園」ではなく「立川にある公園」の意味だったのだ。立川にある有名な紅葉の美しい公園ということなら、それは間違いなく「昭和記念公園」だろう。ああ、ぼくはなんという間違いをしてしまったのか。

 親切のつもりで教えたが、まったく彼らの目的地とは違っていたのではないか。
 それなら、日野橋のそばにあるバス停に連れて行けばよかったのだ。そこからは、立川駅行きのバスが出ているはず。バスに乗って立川駅で降りて、昭和記念公園の場所を誰かに尋ねればみんな知っているはずだ。
 ああ、ぼくはなんて迂闊なことをしてしまったんだ。

 多分、彼らは久しぶりの休日に集まって、紅葉で有名な大きな公園へ観光に行くつもりだったのだろう。それがなぜか多摩川の堤防道路に迷い込んで、そこをぶらぶらしていた老人(ぼく)に出会ってしまい、道を聞いたのだ。
 いまさら追いかけても遅い。だってサヨナラしてからすでに1時間ほども経っている。彼らを見つけられる可能性はない。それにもう午後3時半を過ぎていた。これからでは、もし彼らが昭和記念公園に行き着けてもすぐに閉園だ。どうにもならない。
 彼らの仕事はなんなのか知らないけれど、せっかくの休日の楽しみを、ぼくの不用意な案内で台無しにしてしまったのではない。
 あの小さな公園でがっかりしてしまった彼らの姿が浮かんで、ぼくは悲しかった…。

 ごめんね。
 ぼくは決してきみたちを騙したわけじゃないよ。

 ああ、あのとき、なんで「昭和記念公園」」という言葉が浮かばなかったんだろう。ぼくだって何度も訪れている公園だし、イチョウ並木の美しい黄色が有名なことは、ぼくだって十分に知っていたんだ。

 歳をとるって寂しい。普通ならすぐに頭に浮かぶようなことが、なぜかすんなり出て来ない。後で、もしかしたらアレはこのことだったのではないか、などと唐突に思い出すことも多い。今回もそんな失敗だ。
 故国を離れて一生懸命に働いている若者たちの休日を、ぼくの誤った親切心が台無しにしてしまったかもしれない。
 そう思ったら、なんだか胸がきゅんとなるほど切なかった。

 でも後で調べたら、昭和記念公園はこの時期、ライトアップで夜間も開園していると知った。彼らがうまく辿り着けて、ライトアップされた素敵なイチョウ並木を満喫できたことを、ぼくは切に願った……。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。