第18回:「イマドキの若い者たち」にエールを(岩下結)

迫る年の瀬、気もそぞろな12月

 ついに師走です。認めたくなくても仕方ない。残り1カ月弱、できることをするしかありません。平常心、平常心……。
 どのくらい需要があるかわかりませんが、いちおうクリスマス商戦にあやかろうと、お店の正面の島台をそれっぽくしてみました。お子さんはもちろん、大人のプレゼントにもおすすめの本がいろいろありますよ。
 中央の島台はオープン時から絵本のディスプレイ棚にしています。雰囲気が明るくなりますし、初めての本屋に入る心理的ハードルを少しでも下げたいので。小さいお子さんを連れたお母さんにも、ちょっとした息抜きの場として使ってほしいですし。
 幼子を連れていると、大人っぽいカフェとか、静けさを求められそうな場に入るのを躊躇してしまいがちですよね。中には小学生以下を入店NGにしているようなお店もあり、それはそれでお店ごとのポリシーだと思いますが、少なくともうちはそういうお店じゃないですよ、というのが見た目の雰囲気でも伝わればいいなと思います。

チビッコの来店を歓迎する恐竜たち

 お店を始めて意外だったことのひとつは、想像したよりもずっと幅広い世代のお客さんが来てくれていることです。日本社会全体と同じく、ここ日野にも高齢化の波が押し寄せているはずですが、近所に大学の寮があり、子育て世代の入居する建て売り住宅が多いことなどもあるかもしれません。
 日によって傾向がまったく違うのも面白いところで、ある日は平均年齢80歳前後くらいのお年寄りばかりだったり、別の日はなぜか20代30代が立て続けに来店したりもします。
 そんな中でも、大学生をはじめとした若い人たちのことを今回は書いてみます。

よりまし堂に来てくれる若者たち

 市民運動界隈にいると、「若い人の参加が少ない」というのは永遠の課題です。僕がローカルの市民運動と接点を持ち始めたのは2015年の安保法制の前後からですが、そこから10年経た現在も、活動の中心は団塊世代かそれ以上、しかもほとんど変わらない顔ぶれ。当時はまだ「若手」枠に入っていた僕もすでに中年となり、その下の世代はほとんど開拓できてないというのが実情です。おそらく、どこの地域でもそんな感じではないでしょうか。
 会議などで繰り返し「若い世代に参加してもらうには……」というのが話題になるので、なんとなく若者を代弁しなくてはいけないような気になり、「今の若者はお金も時間の余裕もないんですよ」「学生は課題やバイトで忙しいし、奨学金を背負ってる人もいるし」「社会人も、子育てや家事責任があると夜の会議には出にくいですし……」と、なかば諦め口調で返すのがパターンでした。

 ところが、よりまし堂には意外なほど若いお客さんが来てくれています。もちろん、お店の利用と市民運動への参加を同列には語れませんが、中には常連と呼べる頻度で来てくれる方もいて、彼らとは政治や社会の話もけっこうできるのです。少なくとも、過去に地元で活動していた中では、ほぼ出会えなかった世代と接点を持つことができています。
 先に書いた通り、近隣に大学や学生寮がある一方、周辺には体育会系御用達のガッツリした食堂かシニア向けの飲み屋しかなく、若い人が食べたりお茶したりできる場所が少ないのも一因かもしれません。オープン間もない頃、近くの大学の先生がゼミの懇親会に使ってくれたり、フィールドワーク先として学生に紹介してくれたりしたのも、きっかけになっています。
 最初は純粋に食事のため、あるいはパソコン作業のできるカフェとして来店したのでも、気さくに話しかける小川さんに引き出され、だんだんと自分の出身地や大学の勉強の話をしてくれるようになります。そして、将来への夢や不安、今の社会に思うことを語ってくれることもあります。
 そんな中から、6月に開催した生理用品の無償配布を考えるイベントが生まれたり、映画『宝島』から沖縄の基地問題に話が広がったり。8月に開催した原爆小頭症の写真展やトークイベントに協力してくれた地元大学の卒業生たちも、ときどき来ては長時間おしゃべりをしていってくれます。

 彼ら・彼女らとの会話から垣間見える考えや問題意識は、僕自身の若い頃に比べても、総じてとても健全だと感じます。まあ、よりまし堂にわざわざ寄り付くような若者は、その時点で平均より「意識高い」系の可能性はあり、同世代の中でも決して多数派ではないのでしょうが……。
 Z世代という括り方が妥当かはわかりませんが、彼らの世代で特に感性の鋭い人たちは、今の社会の危機を真剣に受け止め、積極的に学んだり行動したりしようとしている――それも過去のように借り物の理論を振りかざすのではなく、あくまで自分を主語にしながら。そういう印象を受けます。

 そんな若い人たちが、たまたま同じタイミングで複数来てくれると、ついお節介心を発揮して、つながってもらいたくなります。互いに自己紹介しあううちに同じ大学の卒業生とわかったり、留学生やワーキングホリデーで来ている方と日本の学生さんが、言葉を教えっこしようとなってLINE交換していたりもします。
 よりまし堂はなぜかお客さんにも多言語ユーザーが多く、周囲の大人も混ざって英語や中国語、韓国語チャンポンのおしゃべりに展開することも(こういう時いちばんついていけないのが僕です。語学がひとつも身につかなかったことが悔やまれる……)。
 どうも、普通の飲食店に比べて、ここでは「互いに干渉してはならない」という心理的な防衛ラインが緩むみたいです。もちろん、望んでいない人に強要しないよう気をつけていますし、お客さんどうしでもバウンダリーを超える振る舞いがあれば、それとなく介入するようにはしていますが。
 実際のところ若い彼らがどう思っているかは聞いてみないとわかりませんが、たびたび来店してくれる人は、少なくとも嫌ではないということかなと解釈しています。彼ら自身も、同世代ばかりが集まるキャンパスとは違った「社会」との接点をここで感じているのではないでしょうか。
 成長途上のある時期、そういう他者との接触を求める心理は時代を問わずあるような気がします。たとえば、かつては学生寮に「寮母さん」みたいな人がいて、お腹をすかせた若者に食事を作ってくれる傍ら、彼らの身の上を聞いたり、生活のあれこれを気にかけてくれたりしていたのでしょう。
 そうした疑似家族のような存在が、親元を離れて暮らす不安や寂しさを軽減しながら、社会への信頼を育ててくれていたはず。小川さんとの会話を聞いていると、そんな関係が思い浮かびます。

思い出の商店街

 そんな若い人たちの姿を見ていて、自分の学生時代を思い出しました。
 信州の田舎から東京へ出てきて、最初に住んだのは府中市と国立市の境目あたりの北山町というところでした。どの町の中心部からも離れていて、車がすれ違えないような細い路地の中に、小さな商店街がありました。
 商店街といっても八百屋と肉屋が一軒ずつ、あとはクリーニング店や写真館(まだフィルム時代でした)があるくらい。当時すでに珍しかった銭湯も近くにありました。住んでいたアパートの大家さんは酒屋を営む優しい老夫婦で、家賃を(現金で!)払いにいくたびに「持ってきな」と缶ジュースをくれたものです。
 一人暮らしが初めての僕には、そうした商店の人と会話しながら買い物する経験が新鮮でした。過疎地の故郷では当時すでに個人店はほとんどなく、車で行く大型スーパーでの買い物が当たり前でした。なので、肉屋でコロッケをおまけしてもらったり、八百屋で野菜の料理法を教えてもらったりといった経験が、純粋に楽しかったのです。東京で最初に暮らしたのがそんな町だったことは、一人暮らしの不安や孤独を和らげ、ここでやっていけるという自信を持たせてくれた気がします。
 いま、あの町に商店はどのくらい残っているんだろう。たまに思い出しては気になりますが、当然ながら、すでに四半世紀も前のこと。当時の店主さんたちは全員引退しているでしょう。
 車ですぐ行ける距離なのですが、なんとなく知りたくないような、思い出として取っておきたいような気持ちで足が向かずにいます。10年ほど前に一度だけ訪ねたことがあり、ご健在だった大家さんご夫婦に娘の顔を見せることができました。あの時もっとお話ししておけばよかったな……と少しの後悔もあります。
 当時と社会環境や経験は大きく違うとはいえ、親元を離れ自立していく過程で、そんなふうに家族と他人の中間のような「自分を気にかけてくれる人」の存在が支えになることは、今の若者にとっても同じではないかと思います。

次世代への「御恩送り」

 よりまし堂の名物(?)「若者応援ペイフォワードチケット」は、300円分の食事券を大人が先払いしてチケットとしてプールし、25歳以下の人が自由に利用できるシステムです。始めたきっかけはお客様からの提案でした。クラウドファンディングのお礼に差し上げたドリンク券を「10枚買うから、お店に来た若い人に使ってもらって」と申し出てくれたのでした。
 始めた当初は、購入する大人のほうが多くてチケットが溜まる一方になってしまっていましたが、若いお客さんが来るたびにアピールし続けた結果、最近は順調に消化されています。この仕組みも、金銭的なサポートの形をとりつつ、伝えたいのは「あなたたちは、ここで歓迎されているよ」というメッセージなんだろうと思います。
 ちなみに、こうしたペイフォワードの仕組みは海外では珍しくないようですが、最近だと韓国のキャンドルデモ等で、著名なアーティストやそのファンたちが現地のカフェやデリバリーに飲み物や食べ物を大量注文し、デモ参加者に振る舞うというカルチャーが定着しているようです。商業的な枠組みを社会的連帯に利用する、こういうセンスが日本の市民社会にももっとほしいですね。

 ともあれ、こうしてあの手この手で若い人たちにエールを送るのは、僕たち自身が上の世代から多くのものを受け取ってきた実感があるからだと思います(逆に、望ましくないものもたくさん受け取ってしまっていると思いますが……)。
 「御恩送り」という言葉があるように、自分たちが受け取ったものを別の形で次世代に引き渡していくことで、社会は健全に新陳代謝ができるはず。偏見や決めつけに基づく世代間対立は不毛だし、偽の問題設定でしかありません。そもそも、我々の世代が残すさまざまな負の遺産(気候問題にせよ原発にせよ、劣化した政治や社会にせよ)を引き受けるのは彼らしかいないのですから、少しくらいの支援はして当然だと思います。
 個人化した現代を生きる若い人たちの孤独が少しでも和らぐなら、年長者のちょっとしたお節介も(押し売りにならない程度なら)時にはあっていいのではないでしょうか。それが必要な時に立ち寄れる場があるということが、彼らの記憶の片隅に残るだけでもいいと思います。

【よりまし堂のイベントご案内】

◆『子どもでいられなかったわたしたちへ』刊行記念
高岡里衣さん×田中悠美子さん「ヤングケアラー 「わたし」の語りから社会へ」
2025年12月13日(土)15:00〜16:30
詳細・予約 https://yorimashido.stores.jp/items/690f0b6c27d5b222facf9f2a

◆『男性解放批評序説』刊行記念
杉田俊介さん×星野俊樹さん「僕らはどんな“中年男性”をめざすのか?〜氷河期世代meets男性学」
2026年1月18日(日)15:00〜16:30
詳細・予約 https://yorimashido.stores.jp/items/69113e36f1aad5d1030f76f7
↑ お店によく来る大学生にこのイベントの話をしたところ、「僕の父さんも氷河期世代です」と言われたのがこの冬いちばんのショックでした……。

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サイトウマド作『怪獣を解剖する』(上下巻、KADOKAWA)
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784047384217
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784047384224

コミックはあまり詳しくないのですが、最近読んだ中でダントツに面白かったのでお店でも推し中。とある地方の島に上陸した巨大生物の死骸をめぐり、研究者や特務隊員、技術利用を目論む企業、被災した住民などが、それぞれの思惑を持ちながら解体作業に従事する。SFというよりはどことなくほのぼのしたお仕事マンガの趣ながら、端々に自然科学の知見やジェンダー視点が織り込まれ、3・11を想起させる描写も多い。ゴジラが原爆の申し子だとしたら、死骸となっても独自の生態系として二次災害を生み出し続ける怪獣「トウキョウ」は原子力災害の象徴なのかもしれない。

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岩下結
いわした・ゆう:フリー編集者。19年勤めた出版社を2024年に退職。2025年春に京王線南平駅前(東京都日野市)に本屋カフェ「よりまし堂」を開業予定。