第55回:生活保護費一日1000円窓口支給から2年、桐生市は生まれ変わったか?(小林美穂子)

 2023年11月、群馬県桐生市が生活保護利用者に一日1000円を窓口支給していた事件が世間に衝撃をもたらした。その一件を皮切りに、堰を切ったかのように桐生市による深刻な人権侵害、違法・不適切行為が溢れだしたのは過去に書いた通りだ。
 一日1000円の事件発覚直後、桐生市では市の職員から成る内部調査チームを立ち上げ(チームを率いた森山副市長はその後、新庁舎建設を巡る官製談合防止法違反及び加重収賄の罪で逮捕)、次いで外部の有識者による第三者委員会が設置された。民間では、私も末席を汚す有志の全国調査団(団長:井上英夫・金沢大学名誉教授)が結成され、第三者委員会と並行して、厳しく桐生市を追及し続けてきた。一方で2024年4月には原告3人が桐生市を相手取って国賠訴訟を起こし、それぞれの持ち場で激しい攻防を繰り広げてきたのだが……。問題発覚から2年。桐生市は変わったのだろうか?

改善したこと、されぬこと

 小春日和となった12月7日、全国に散らばる調査団の面々が桐生市文化会館に集結した。この日、「桐生市の生活保護行政は生まれ変わることができるのか?」というタイトルで中間報告会が行われることになっていたからだ。
 報告会では吉永純(あつし)氏(花園大学教授)が「桐生市生活保護違法行政の到達点と課題、国賠の法的問題からの報告」と題した基調講演で、調査団が桐生市に提出した要望書に対する市の回答の評価を解説した。
 再発防止策については高い期待を寄せるものの、その一方で、生活保護利用者の認印を大量(1948本)に保管、無断使用していた件について、市が「利便性のために行った」と回答していることについては「利便性どころか刑事事件に相当する可能性がある」と厳しく非難した。
 過去に申請権の侵害についての原因究明についても「第三者委員会の報告書以上の究明は困難」との回答であったし、金銭管理団体との不透明な関係についても「実態の把握は困難」という姿勢のままであること、また、犯罪性の悪質さが深刻な「扶養届の偽装」によるカラ認定や保護廃止についても「これからは気を付けます!」みたいな回答しかなく、原因を究明する気配は微塵もない。
 つまり、「これからはちゃんとやるので、過去のヤバい案件については不問にしてほしい」と言っている印象を受ける。それって、真摯に反省する人の態度だろうか。
 過去10年間、公務員が違法な手段さえ使って生活困窮した市民をバッサバッサと切り捨ててきたのだ。それって不問にできることなのだろうか? 納得できないし、悔しさが残るが、評価できる点もあった。

国賠訴訟は和解成立!

 3人の原告が桐生市を相手取った国家賠償請求訴訟は、1年半もの裁判と協議を経て、先月和解が成立した。
 桐生市は、生活扶助費の一部不支給、ハローワークでの求職活動を条件とした支給や扶養届に基づく収入の有無を確認せずに保護費を減額し続けていたことを違法・不適切と認めて謝罪し、今後は基本姿勢を改め、保護利用権・申請権の侵害を再発させないと誓約している。司法手続きを経た和解条項であるため、決して軽視はできない重い和解内容となっていると、吉永氏は高く評価した。
 具体的な再発防止策として、市は今月内に「生活保護健全化計画」を策定し、来年3月末までに外部監視機関を設置することを挙げている。「それが実現すれば他自治体に比較しても画期的な組織になるのではないか」と吉永氏は続けた。今月内に完成する健全化計画を注視したい。

生活保護件数がV字回復、しかし……

 つづいて立命館大学准教授の桜井啓太氏がデータを示しながら「桐生市の生活保護行政の分析」を解説した。

群馬県保護申請件数・開始件数推移:2008-2025

 グラフで見ると一目瞭然、事件が発覚した2年前までのグラフを見ると、2011年をピークに下降の一途を辿り、2021年度には申請件数が56件にまで落ち込んでいる。翌22年度は59件と相変わらず少ないままだが、検証が進み始めて変化が見え始めるのが23年度で申請件数が116件とほぼ倍に増え、更に24年度では226件と倍々に増加しているのだ。被保護者人員はこの2年ほどの間に537人から759人となった。
 特に24年度以降の保護件数の増加は、桐生市事件が社会的に注目され、国や県による監査の目が厳しくなったこと、第三者委員会の是正勧告があったことによって、それまで桐生市独自の違法・不適切のオンパレードだった「保護抑制政策」が(いまのところ)封印されたからだと考えられる。
 とりわけ保護抑制に狙い撃ちされやすく、実際に目立って保護件数が減っていた「母子」、「傷病」、「その他世帯」などの稼働年齢層が、ようやく制度にアクセスしやすくなり、追い返されたり、辞退届の強要などをされたりしなくなったからだと桜井氏は分析、「保護率、被保護人員、申請数ともに、見れば見るほど改善している。逆に言うと(これまで)違法・不適切な対応をしてきたことの表れ」であり、「改善傾向にあることは肯定的に評価した上で、みなさんで継続的に監視していく必要がある」と述べた。

 グラフを見る私の頭の中では、急降下を続ける飛行機があわやのところでブルーインパルス並みの急浮上をしていく、そんなイメージが浮かんでいた。
 とはいうものの、群馬県全体の保護率動向を鑑み、桐生市が2011年から始めた保護抑制をしなかった場合の保護率推計値(上のグラフ青線)は11.6‰であり、その域にはまだ遠く及んでいないので、正常化への道はまだ遠い。飛ぶべき高度から離れすぎてしまった桐生市は、元来あるべき位置に戻るのにも時間を要することになる。

「過去の被害は取り戻せない」

 基調講演をした吉永氏も、データ分析を行った桜井氏も、かつては福祉事務所のケースワーカーとして現場を経験した研究者である。
 現地の支援者や報道関係者たちが当事者から聴き取った証言を、現場を知り尽くした研究者や現場経験者が、その一人ひとりの証言を裏付けるために桐生市の資料を開示請求して集めた。それらの資料を、研究者、法律家、支援者や市議会議員で構成された調査団で検証し、発信した。被害者の声にエビデンスを重ねていく作業をしていくと、想像をはるかに超える異常な桐生市の生活保護運用が浮かび上がった。
 「こうして数字で見ると味気ないが、データは“声”。過去に受けられるはずなのに保護を受けられなかった人たちがこれだけいるということ。今、桐生市が良くなったからといって、過去の被害は取り戻せない」
 桜井氏は常に数字の向こう側に不利益を被った市民の姿を見ていた。私は数字がただの数字ではなく、人の形をしていることを改めて意識して、V字回復に緩みそうになっていた心を、警策でピシャリと打たれたような気持ちになって背筋を伸ばした。
 過去に生活保護の要件を満たしているのに申請にすら至らなかった人、罵倒され尊厳を踏みにじられた人、売却する必要のない家を売却させられた人、生活保護費を半額ほどしか支給されずに苦しんだ人、そんな人たちの過去の被害は回復できない。取り返しがつかないのだ。
 桐生市に残された選択肢は、桜井氏が最後に語ったように「桐生市が他自治体に誇れるような自治体になる」こと以外にないだろう。そんな日がくれば、被害者の深い傷も少しは癒えるのかもしれない。

右:吉永純氏(花園大学)左:桜井啓太氏(立命館大学)(撮影/村田結)

市民が動かした巨大な岩

 第三者委員会は1年間に渡って検証を行い、8回の会合を開いたが、私は傍聴していて桐生市の誠実さをほとんど感じなかった。どんなに市民の証言があっても、どんなに異常なデータと突きつけられても、市は過去10年間で生活保護率が半減した原因が申請抑制にあったことを頑として認めなかった。
 桐生市が誠実に対応しないため、調査団は追及を深め、厚労省にも何度も足を運んで申し入れをした。そして、調査団の一員であるつくろい東京ファンドの稲葉剛は、桐生市問題の参考人として国会の場で発言をし、「桐生市」という北関東の町の名が当時の首相や厚労大臣の口から発せられるほどになった。
 そこまで問題が大きくなると、県や国からも本気の監査が入る。マスメディアもずっと報道を続けた。その様子は被害者たちや実際に市の対応を目撃していた人たちに勇気を与え、第三者委員が終盤に募集した情報提供には、短期間であるにもかかわらず、100件もの声が集まり、ここにきて、ようやく、よーーーーーーやく、荒木市長が2025年の3月28日の第三者委員会の検証報告後に、過去の保護率半減の原因が「申請権の侵害」にあったことを認めたのだった。一日1000円発覚から、実に1年4カ月後のことである。
 そこから事態は改善に向けて動き出すので、それはそれで良かったと言いたいところであるが、同時にムカムカと腹も立つ。

 加害者が権力を持つ場合の常だが、権力を持たない被害者の側は、被害を認めてもらうまでにどうしてここまで苦労を強いられなくてはならないのか?
 前代未聞の桐生市の生活保護行政は、当事者の証言なくして表ざたになることは決してなかったし、県ですら手が付けられない地獄のような保護運用は、今も、今後も続いていたことだろう。そんな権力による悪政にストップをかけたのは、まぎれもなく声を上げた一人ひとりの名もなき市民だった。上がった声をかき消されまいと、次々に上がる悲鳴のような声を報道が伝え続け、2年もの歳月がかかったとはいえ、桐生市を変わらざるを得ない状況に追い込んだ。

 「変えられるんですかねぇ。かつて声を上げた人はいたけど、みんな潰されましたよ。私は桐生は変わらないと思います」

 匿名を条件に証言してくれた方が諦めきったように繰り返した言葉を、私はこの2年間ずっと思い出し続けていた。それほどまでに被害を受けた市民は(業者も含めて)、福祉事務所に怯えていたし、諦めていた。私たちはその傷の深さを忘れてはいけないと思う。

「生まれ変わってほしいです」

 最後に、桐生市事件を世間に知らしめた一日1000円窓口支給の被害者であり、裁判を闘い抜いた原告が、裁判終結にあたり弁護団に託した言葉を紹介したい。

 裁判を起こしたのは、お金が目的ではなく、桐生市が生まれ変わってくれることを期待したからです。
 たまたま今回、事件になったため少しは改まったと思いますが、昔の人はずっと耐えていたのだと思います。
 今後、生活保護を利用する人が、自分の様な嫌な目にあわない様に、桐生市は生まれ変わって欲しいです。

 桐生市はこの言葉を真摯に受け止めてほしい。そして、12月中に策定するという「生活保護健全化5カ年計画」と、来年3月までに決定するとされる「外部視点での恒常的な監視組織」を作り、他自治体の模範になるような福祉事務所を作り上げていってほしいと切に願う。
 公権力は弱っている市民を叩きのめすためではなく、助けるために使うべきだ。それが仕事であり、使命のはずだ。言うまでもなく、法令順守は公務員のきほんの「き」なのだから、違法行為をしてまで市民を追い詰めた過去とも向き合ってほしい。被害を受けた市民が大量にいるのだ。今後改善すれば、過去は水に流せるなんて、そんな虫のいい話はないでしょう?

 本来あるべき姿からはまだまだ遠いにしても、桐生市をここまで改善させたきっかけとなったのは、3人の原告、市職員含む証言者の皆さん、そして多くの当事者を支え、彼らの声を可視化してくれた故・仲道宗弘司法書士である。心からの敬意と感謝を送る。To be continued.

*記事を読んで「いいな」と思ったら、ぜひカンパをお願いします!

       

小林美穂子
1968年生まれ。一般社団法人「つくろい東京ファンド」メンバー。支援を受けた人たちの居場所兼就労の場として設立された「カフェ潮の路」のコーディネーター(女将)。幼少期をアフリカ、インドネシアで過ごし、長じてニュージーランド、マレーシアで就労。ホテル業(NZ、マレーシア)→事務機器営業(マレーシア)→工業系通訳(栃木)→学生(上海)を経て、生活困窮者支援という、ちょっと変わった経歴の持ち主。空気は読まない。共著に『コロナ禍の東京を駆ける 緊急事態宣言下の困窮者支援日記』(岩波書店)。