第745回:今年は「貧困問題」に関わって20周年〜20年で様変わりした現場の風景。の巻(雨宮処凛)

Photo : Masaki Kamei

 2026年が始まった。

 今年は何を隠そう、私が貧困問題に関わり始めて20年という、自分史的には記念の年である。

 2006年、フリーター労組のメーデー(その名も「プレカリアートの企みのために」)に参加し、そのトークにて当時の私が追いかけていた「生きづらさ」の問題の根本に過剰な市場原理主義や競争社会があると気付かされ、そのまま参加したデモでデモ隊の若者たちが「生きさせろ!」「月収12万じゃ生きてけないぞ!」「結婚も出産も考えられないぞ!」と叫ぶ姿に頭をぶん殴られたような衝撃を受けた20年前。

 その瞬間から猛烈に取材を始めて書いた『生きさせろ! 難民化する若者たち』は07年に出版され、その頃には私は「活動家」と呼ばれるようになり、同年、「反貧困ネットワーク」の副代表となっていた(現在は世話人)。

 ちなみに06年の私は31歳。まだまだ自分たちは若く可能性に満ちており、しかし就職氷河期で不安定雇用となった人が多いわけだから、雇用を安定させてほしい、そうすれば結婚や出産に前向きになる人も多いはず、それは少子化に喘ぐこの国にとってもいいことだ――というようなことを訴えた。

 社会にとっても税収にとってもいいことずくめなのだから、政治が気づいてくれさえすれば、すぐに改善されると思ってた。これまでの10年ほどは辛酸を舐めてきたものの、自分たちの世代の苦境はこれで終わると思ってた。

 しかし、「ロスジェネ」という言葉が生まれ、「ネットカフェ難民」が流行語大賞にノミネートされ、氷河期世代の非正規化・貧困化が社会問題になっても政治は少しも変わらず、ロスジェネの苦境は続いた。

 33歳の時には秋葉原無差別殺傷事件が起き、リーマンショックがあり、年越し派遣村が開催された。

 民主党への政権交代があったのはその翌年、09年だ。「派遣村」村長だった湯浅誠氏が内閣府参与になったり、私も厚労省のナショナルミニマム研究会の委員となったりし、「外から訴える」のではなく「中から提言して変える」ことができるかも、という絶好のチャンスが訪れた。

 しかし、その2年後、この国は東日本大震災と原発事故という未曾有の危機に見舞われる。貧困問題の優先順位は当然下がり、12年、再びの政権交代で自民党が復活。それにより、これまで開いていた「政治への扉」はすべてが固く閉ざされた。

 そんな震災前年の2010年、私は35歳を迎えている。その時に気になったのは、政府が掲げる「若者支援」の若者の定義は多くが「35歳まで」だったこと。しかし、その年を過ぎてもアルバイトや派遣で生きる同世代の多さに「国はこの現実が見えていないのでは」という不安に駆られた。

 40歳になる頃には、非正規のままだった同世代の多くから「今までなんとか正社員になろうと頑張ってきたけれど、もう何をどうやっても完全に無理だとわかったので諦めた」という声を聞いた。同時期、結婚や家庭を持つことを諦める声も多く耳にした。

 そうして今年、私は51歳になる。

 その間、「失われた10年」は20年となり30年となり、今や40年に突入しようとしている。

 この20年、自分としてはできる限り声をあげてきたつもりだ。が、目の前にあるのは、20年分歳を取った同世代の姿と、何ひとつ改善していないという現実だ。それどころか、ここ最近は「悪化の速度」がより増しているとさえ感じる。

 ここで20年前と今を比較すると、20年前、1600万人ほどだった非正規雇用で働く人は2100万人超と500万人以上増加。20年前、30%台の前半だった非正規雇用率は今や4割弱に。そうしてこの国の所得の中央値は下がり続け、90年代なかばと比較して今や約200万円もダウンしている。

 そんなこの20年、多くの言葉が登場した。

 ざっと振り返っても、ネットカフェ難民、日雇い派遣、ワーキングプア、偽装請負、違法派遣、なんちゃって正社員、非正規公務員、奨学金問題、ブラック企業、女性の貧困、子どもの貧困、シングルマザーの貧困、高齢者の貧困、名ばかり管理職、官製ワーキングプアなどなど。

 注目を集めたはいいものの、あっという間に消費され、忘れられていった言葉もある。生き残っているものもあるにはあるが、派遣村の頃と比べて、この国の人々の貧困への関心は決して高いとは言えない。事態はより深刻になっているにもかかわらず、この社会は貧困に「慣れて」しまったように感じる。

 さて、この年末年始、私は例年通り、都内や神奈川の炊き出しや困窮者支援の現場を回った。

 12月30日に訪れた横浜・寿町の炊き出しでは、582食の雑炊が1時間弱でなくなった。

 大晦日に行った池袋・TENOHASIの炊き出しでは、400食の幕の内弁当に長蛇の列ができていた。

 元日には、反貧困ネットワーク主催の「元旦大人食堂」で相談員をした。ここには約250人が訪れた。

 みんなが楽しく過ごす年末年始、何日にも渡って野宿生活を強いられていたという人の相談を受けた。夜は寒くてとても寝られず、歩きまわるしかないのでもう足が限界、と疲れ果てた様子で呟く年下の人の姿にただただ言葉を失った。

 すべての現場で、年末年始の食事にも事欠く人々が寒空の下、震えていた。

 そんな場で、「あ、私、来年、貧困問題始めて20年だ」と気づき、改めて驚愕した。何も変わっていないどころか、よりひどくなっているじゃないか、と。

 この20年間で変わったことは多くあるが、もっとも変わったのは炊き出しなどの光景だろう。

 20年前、困窮者支援の現場に来るのは圧倒的に中高年の男性だった。

 例えば08〜09年の年明けにかけて6日間にわたり開催された「年越し派遣村」。派遣切りなどに遭い、職も住まいも所持金も失ってあの場を訪れたのは505人で、女性はわずか5人だった。また、平均年齢は定かでないものの、見た感じでは50〜60代の中高年男性がもっとも多く、30代は数えるくらいしかいなかった。

 それが今、炊き出しや相談会の現場には女性の姿が当たり前にある。単身の若い母親もいれば、都内の炊き出しを巡って家族の食料を調達しているという女性もいる。

 同時に、性別問わず当事者の平均年齢はぐっと若返った。10代こそ珍しいが20代30代で住まいをなくし、ネットカフェ生活という例はもはや当たり前。支援団体に来る相談の半数が10〜30代という月もある。また、女性の相談が半数を占める月もある。

 20年前、家族福祉や企業福祉の中でギリギリ守られていた若い世代や女性たちが、その後ろ盾を一斉に失った。社会から、若者や女性を守る「余力」が奪われた。20年かけて、この社会は少しずつ、だけど確実に傷んできた。

 そうして20年前に比べて、日本は本当に貧しくなった。

 以前は第2位だったGDPが中国、ドイツに抜かれて4位となり、今年はインドに抜かれて5位となる見通しだという。

 平均賃金はとっくの昔に韓国に抜かれ、24年の一人当たりの名目GDPはOECD加盟国中24位と過去最低に。

 そんなこの国では、昨年の参院選以降、パンドラの箱が開いたように排外主義が渦巻いている。

 いったい、2026年はどんな年になるのだろう。

 と、この原稿を書いている1月3日、アメリカがベネズエラを攻撃、大統領夫妻が米軍に拘束されたというニュースが飛び込んできた。

 新年そうそう先が思いやられることしかないが、黙っていたらどんどん状況は悪化するばかりなので、微力ながら、今年も声をあげていきたい。

 新年そうそうですが、私が世話人をつとめる反貧困ネットワークでは、支援の継続が危ぶまれている状態です。特に日本の福祉の対象とならない外国人の方々の支援を続けるために、寄付を募っています。
 関心を持って頂けましたら、ぜひ支えて頂けますと幸いです。
https://congrant.com/project/antipovertynetwork/20740

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雨宮処凛
あまみや・かりん:1975年、北海道生まれ。作家。反貧困ネットワーク世話人。フリーターなどを経て2000年、自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版/ちくま文庫)でデビュー。06年からは貧困問題に取り組み、『生きさせろ! 難民化する若者たち』(07年、太田出版/ちくま文庫)は日本ジャーナリスト会議のJCJ賞を受賞。著書に『学校では教えてくれない生活保護』『難民・移民のわたしたち これからの「共生」ガイド』(河出書房新社)など50冊以上。24年に出版した『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)がベストセラーに。