今回から、女性や子どもたちの問題をテーマに取材を続けるフリーランスライター・樋田敦子さんによる「子どもの権利」を考える短期連載がスタートします。
先生は私の意見を聞いてくれない
「先生に言っても無駄だと思いました。相手はいじめの被害者で、私はいじめの加害側の首謀者。その決めつけは、最初から最後まで変わりませんでした。グループの中で、いじめたりいじめられたりと構図は日々変わっているのに、本質を見ようともせず、私だけが一方的に悪いと言われ、仲の良かった友人でさえも去っていきました」
私が取材で出会った女性は、かつて自分が置かれていた小学校5年生当時の状況を振り返ってこのように説明した。
からかい、無視、SNSでの悪口──彼女自身もいじめを受けて明らかに苦しんでいたにもかかわらず、担任は「あなたが最初にいじめたんでしょ」と取り合ってくれなかったという。欠席が増え、やがて不登校になったが、学校側は「本人の問題」として処理した。
「自分の声を聞いてもらえる、意見をはっきり伝えよう」と考えた彼女の確信は見事に砕け散り、この時から希死念慮を抱くようになったという。
日本の社会では長らく、子どもは未熟だからこそ、大人が導いていくのは当然だとされた。「子どもは黙って聞いていればいい」「子どもは知らなくていい」「子どものくせに」と対話もせずに、子どもの意見を遮り、異議申し立ての機会を奪われてきた歴史がある。
コルチャックという医師
1991年、日本で1本の映画が公開された。『灰とダイヤモンド』などで知られるポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダ監督が「持てる才能と技術のすべてをつぎ込んだ」という『コルチャック先生』。ナチス占領下のポーランドでユダヤ人孤児の救済に奔走した小児科医で作家のヤヌシュ・コルチャックの物語だ。子どもの声に耳を傾けたこんな人道主義の大人がいたのか、というのが正直な感想で、ただただその偉大さに感動したのを覚えている。
このコルチャックこそが1989年に国連で採択された「子どもの権利条約(正式名称・児童の権利に関する条約)」の立役者なのである。条約策定の中心にいたポーランド人のアダム・ウォパトカは、第2次大戦中の自国で悲惨な状況に置かれていた子どもの歴史に目を向け、コルチャックの言葉に耳を傾けた。
「子どもは自分の必要と利害そして権利を有する自律的な人間であり、権利を持つ主体である」
「子どもはだんだんと人間になるわけではなく、既に人間である」
「今日という日を生きる子どもの権利を守っていかなければいけない」
これらの言葉が、子どもの権利条約の精神に盛り込まれたのだと言われている。
日本では1994年に批准された。子どもの権利条約は、世界中の18歳未満の子どもたちを主体として、すべての子どもの基本的人権を国際的に保障する条約だ。各国の政府に対して、すべての子どもの権利を実現するように指示している。
第3条には、子どものあらゆる行動について、子どもの最善の利益が最優先されなければならないことが規定されている。
当初、日本政府は子どもの権利は守られているとの立場をとっていた。児童福祉法、母子保健法、少年法、教育基本法などで子どもに関する法律がすでにあるとし、権利を保障する総合的な法律がない状態が続いた。これに対して国連子どもの権利委員会から、包括的な法律を採択するように勧告されていた。
その間にも少子化は進行し、児童虐待相談や不登校の件数の増加、子どもを取り巻く環境が深刻化していることから、2023年に包括的な権利保障法としてのこども基本法が施行された。
子どもの権利条約を批准している国は、196か国。アメリカは締結していないことを付け加えておく。
「子どもの権利」と聞くと、どこか遠い話だと感じる人は少なくないだろう。大人にとっては、国連の条約、理想論、あるいは「子どもを甘やかす考え方」。そんな印象が先に立つかもしれない。
しかし、子どもの声に耳を澄ませてきた筆者の立場から言えば、子どもの権利は理念ではなく、人権として守られるべきものだ。人が人間らしく幸福に生きるために、生まれながらにして持っている基本的な権利。それは日常の中で生死や尊厳を左右する、きわめて現実的な問題でもある。
そして、子どもの権利の基本的な考え方として、子どもは独立した人格の主体であること、子どもも大人と同じ「人」として人権があるということ、子どもの人生はあくまで子どもが主役であることを忘れてはならない。
余談だが、作家の落合恵子さんにインタビューし、ゲラをチェックしてもらったことがある。20年以上も前の話だ。その出版社では当時、子どもを「子供」と表記していた。
「子供の表記は何とかなりませんか。子どもでなく子供では、なんだか大人のお供みたいでいやだなあ」
子どもの人権に思いを馳せた言葉だった。
子どもの権利条約
子どもの権利条約は、子どもと大人の関係性を問い直すために生まれた。条約が示すのは、子どもは一人の人間として尊重される存在であるというごく当たり前の考えだ。その一般原則は4つある。
・差別の禁止(第2条)
・子どもの最善の利益の保障(第3条)
・生きる権利・育つ権利(第6条)
・子どもの意見表明権(第12条)
とりわけ重要なのが4つ目、子どもが自分に関わる事柄について意見を表明し、それが真剣に受け止められる権利である。
先述の、「いじめられている」と訴えたにもかかわらず、「いじめる側」と決めつけられて自分の言い分を聞き入れてもらえなかった女性のケースは、教師側に子どもの意見表明権を尊重する意識があれば、不登校につながることにはならなかったのではないか。
日本では意見表明権というと、「きちんとした意見を表明しなければいけない」と畏まる。しかし「子どもの権利条約」の意見表明権は、英文で下記のように書かれている。
“the right to express those views freely”
この「view」は、「opinion(意見)」とは異なり、「見方、感じ方」という意味なので、堅苦しいことはなく、自分が感じたことを周囲に言えばいいのである。
年齢や発達に応じて、説明され、選択肢が示され、意見を言っていいよと保障されること。その過程そのものが、子どもに「自分は尊重されている」という感覚を育てる。逆に、その経験を奪われ続けた子どもは、次第に沈黙を身につけていくようになるのだ。
子ども時代に尊重されなかったら
学校での指導、家庭でのしつけ、福祉や医療の現場での選択。そこには今も、「子どもの声を聞かないこと」が前提になっている場面が多くある。いじめによる不登校、教師による指導死など、問題が表面化したとき、大人は驚く。「あの子が、まさか」「そんなに追い詰められていたとは」。だが、子どもは何も突然変わったわけではない。声を上げる回路が閉ざされていただけなのだ。
いじめ、不登校、虐待、自傷、希死念慮、ヤングケアラー。これらは個々の問題として語られがちだが、共通しているのは「助けを求めることの困難さ」である。「言っても無駄」「どうせ分かってもらえない」。そう学習した子どもは、問題が深刻化するまで一人で抱え込む。そして大人は、結果だけを見て対応しようとする。
子ども時代に尊重されなかった経験は、大人になっても影を落とす。自分の感情が分からない、境界線を引けない、助けを求められない。そうした生きづらさは、決して個人の弱さではない。子どもの権利が軽んじられてきた社会の当然の帰結なのだ。
以前にもまして、子育ては保護者だけの責任ではなく、社会が子育てを担う必要のある時代になってきた。
次回からこの連載では、法律や制度の解説だけにとどまらず、子どもにかかわる現場で何が起きているのか、子どもの権利が守られたとき何が変わるのか、守られなかったときどんな傷が残るのかを、子どもたちの声や沈黙を手がかりに伝えていこうと思う。


