第20回:本屋の自由と幸福について(岩下結)

なぜいま総選挙?

 気づけば1月ももう残りわずか。2026年が12分の1終わってしまいました。
 「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」。冬休み明けの始業式で校長先生が使いがちな定番フレーズですが、実際この季節、気づくとあっという間に日が経っています。あ、もうすぐ確定申告……。
 そんな忙しい時期にわざわざ! 血税800億円もかけて!! 物価対策はじめ優先すべき政策の実行を遅らせてまで!! 「国民の信を問う」と勝手な解散を仕掛ける総理大臣、迷惑の極みでしかありません。豪雪に見舞われている北陸を始め、自治体職員の悲鳴が聞こえて来そうです。
 そもそもあなた、就任以来「信を問う」ほどの何かをしましたか? 「働いて×5」と言いながら、ゆすり屋トランプと空母の上でウェーイしてみたり、台湾有事発言で火のないところに火をつけながら被害者ぶってみたり、ありもしない「外国人問題」を言い募って排外主義者にお墨付きを与えたりしただけではないですか。
 ……すいません、ちょっと落ち着きます。ごくり(水を飲む)。

よりましな「男性性」を考えるイベント

 国内外のあまりに酷い政治に腹が立って、前説からいきなり筆が暴走してしまいました。書こうと思っていたのは違うテーマです。
 まずは、先日よりまし堂で開催したトークイベントの話。
 1月18日、杉田俊介さんと星野俊樹さんの対談イベントを開催しました。題して「僕らはどんな“中年男性”をめざすのか?〜氷河期世代meets男性学」。
 このイベント、過去のイベントの中でも特に、僕自身が楽しみにしていたものでした。
 杉田さんは、2000年代初頭に『フリーターにとって「自由」とは何か』(人文書院)でデビュー、雑誌「フリーターズフリー」の立ち上げなど、労働と社会運動、障害者福祉、文芸批評を横断して鋭い思考を発信してきた批評家です。僕は20代の頃から、杉田さんの発信を常に参照点のように思ってきました。
 星野俊樹さんは元小学校教師で、昨年、単著『とびこえる教室』(時事通信出版局)を出版したのを機に、ジェンダー教育の実践家として発信・講演など精力的に活動されています。
 ともに世代も近く、フェミニズムに強い影響を受けつつマジョリティ側の「男性」としてどうそれを受け止め返すかを真摯に考えてきたお二人を、ぜひお引き合わせしたいと企画しました。
 SNSで告知を始めるとすぐに反応がありましたが、なぜか当初は女性(らしきお名前)からの申し込みが多く、当事者である男性が少数派の会場になってしまうのでは……と危ぶみましたが、お店に来るお客さんを積極的にお誘いした結果、半数以上が男性となりました。ほっ。

星野俊樹さん(左)と杉田俊介さん(右)

 お二人の対話は、予想どおり初対面と思えないほど噛み合い、1時間半はあっという間。トーク後半では、中年期を迎えた氷河期世代の男性たちが、どんなふうに良き生き方を見つけていくかという話になりました。
 この世代の共通体験とは、かつての「羽振りのいい日本」の時代を知らず、政治や社会運動への忌避感が強く、常に「勝ち組/負け組」の競争を強いられ、努力を怠ればホームレスや孤独死に陥るぞと脅され、国や社会には頼れないというニヒリズムと自己責任論を内面化させられてきた――といったところでしょうか。ことに、父親世代のように「一家の大黒柱」を担うだけの経済基盤を持てなかった男性たちは、焦燥感と自己否定感情を深く植え付けられたと思います。
 そんな剥奪感と被害者意識のあまり、女性や外国人、あるいは障害者など社会的弱者に矛先を向けてしまうことも(この世代だけではないにしても)残念ながら起きています。そういえば、安倍元首相を銃撃した山上徹也被告も同世代でした。宗教二世としての過酷な経験は、軽々しく世代論に還元はできませんが、やはり彼の中にも「社会も政治も、誰も自分を救ってはくれない」という絶望感が澱のように溜まっていたと、裁判での供述などから想像できます。
 そんなふうに溜め込んだ自己否定とルサンチマンを、脳内で作り上げた「外敵」や身近な弱者への暴力に転ずることなく、ほどほどの自己愛を身につけながら、中年から老年への道をどう歩んでいけばいいのか。そんな問いをめぐってお二人の対話は続きました。
 ひとつの道として杉田さんが口にしたのは、「幸福」という、いっけん平凡な言葉。社会的に評価されるような仕事や趣味でなくても、自分なりの喜びや偏愛の対象を持ち、それを大切にしながら人とつながっていく。それによって、周囲や自己を傷つけるような形ではない、セルフケアや他者とのフラットな関係性の築き方を男性も身につけていけるのではないか。杉田さんは、自分にとっては文章を書くことが、そういう幸福を見いだせる行為だと話されました。
 これは「好きなことを仕事に」というようなポジティブ言説とはやや違うはずです。公言されているように、杉田さんは数年前に鬱病の悪化で入院するほど深刻な状況を経験しました。鬱が悪化した状態では、文章を読んだり書いたりすることも難しい。書くことをずっと人生の中心に置いてきた杉田さんにとって、その絶望感は周囲の想像を絶するものだったはずです。
 そんな時期を経て、ようやく回復しつつあるなかで、書くことが「幸福」と言えることの重みを感じました。

信じられるコミュニティと「場」の効用

 イベント後は、よりまし堂恒例の食事つき交流会。この日は過去最多の参加人数になり、テーブルを囲んであちこちでおしゃべりが花開きました。
 何かのタイミングで、テーブルを離れた星野さんと立ち話になり、自然と先ほどの「幸福」の話に。料理やビールを囲み、常連さんも初対面の人たちも入り混じって会話に花を咲かせるのを見ながら、どちらが言うともなく「こういう場があって、楽しそうなみんなを見てるのが幸福ですよね」ということで一致しました。
 星野さんも僕も、若い頃はいろいろ試行錯誤もし(ブラック職場の経験も)、ようやく就いたそこそこ安定した仕事を40代半ばになって辞め、フリーランスになった時期もほぼ共通しています。客観的にみれば、中年期になってわざわざ不安定で先の保障のない道を選んだことになりますが、今のところ二人とも、その選択を後悔はしていません。
 それもやはり、自分にとっての「幸福」を基準に選んだからだと思います。納得できないことや、心を殺さなければ耐えられないようなことを我慢しないのは、幸福の最低条件ではないでしょうか。
 僕自身、この1年は「自分が楽しいと思えることだけをやって生活していけるか?」という実験のようなつもりでいました。世間から見ればささやかな規模ですが、我が家の家計や人生設計からすれば大きな賭けです。許容してくれている(たぶん……)家族には感謝しかありません。
 もちろん、いい大人ですから、ずっと楽しいことだけで生きていけるような夢想を抱いているわけではありません。生活には一定の経済的基盤がいるし、そこが不安定では精神的にも余裕を失っていくのは、この1年でも痛感しています。
 それでも、自分のしたいことや気持ちを、世間体や「常識」のために押し殺すのではなく、リスクも考慮したうえで、自分の決断でチャレンジする。「自己責任」とは本来そういう時に使う言葉だったはずです。そこには、強いられて選ぶのではない「自由」が存在します。逆にいうと、自由が伴わない自己責任論は他責のロジックでしかありません。
 若い頃は、自分が安定した職業につけるか、労働の世界で耐えていけるかということに強いプレッシャーを感じていました。えり好みせず、とにかく労働世界に適応すべし。そうでなければ先の保障はない……そういう脅しのような言説に取り囲まれて育った僕たちは、働くことに対する強迫観念があり、過労死やバーンアウト、パワハラ的な環境に耐えるあまりメンタルを病むといった不幸にもつながりがちです。
 自分が壊れる前に、理不尽な環境から離脱する判断ができるのは、生存に不可欠な「自由」のひとつだと思います。
 そういう自由を行使して新しい道を選んだ結果、信頼できる人たちとの新しい関係性が生まれ、場やコミュニティとして成長するのを目にしている……そんな手応えを、星野さんとも共有していた気がします。

星野さんと杉田さんの著書

本屋の楽しさはどこから来るのか

 オープン以来、いろいろなトラブルや浮き沈みも経験しましたが、イベントなど人が集まる時だけに限らず、通常営業の日でも、本屋の仕事がつまらないと感じたことは1日もありません(お客さんが全然来なくて焦る日はたくさんありますが)。これは痩せ我慢ではなく本当です。
 この連載でたびたび書いてきた通り、本屋の利益構造はとても脆弱です。というか、ここまで儲からないものを「商売」と呼べるのか(社会事業みたいなものに近いのでは?)とさえ思ってしまうこともあります。
 それでも、大勢の人が本屋で働くことをやめず、最近では数え切れないほどの個人書店が開業し、四苦八苦しながら営業を続けているのは、そこに特有の引力があるからでしょう。「役者とナントカは3日やったらやめられない」という俗説がありますが、本屋にもそれに近い性格があると思います。
 入荷した新しい本たちを眺め、すでに満杯の本棚のどこに置けば落ち着くだろうかと考える時間。お客さんがじっくりと棚を見てくれているのを見守る時間。ようやく選んだ本を手にレジに来てくれたお客さんと交わす会話。
 「ありがとうございました」「また来ます」
 そんな短いやりとりにも幸せを感じます。
 何がこんなに楽しいのか? と考えて、ごく当たり前のことに気づきました。
 よりまし堂の本は基本的にすべて自分で選書したものです。すべて読んだわけではないですが、著者やテーマや出版元、タイトルや装幀の雰囲気などなどから「きっといい本だろう」と思うからこそ仕入れています。だから、お客さんが棚から選ぶ本はどれも、僕がよさそうだと思った本なのです。
 たまにレジを打ちながら「いやあ、いい本を選ばれますねぇ」と言ってしまうこともあるのですが、僕がそう思う本しか最初から置いてないわけですから、考えてみれば当然なのかもしれません。逆に「こんな本は売れてほしくないのにな」と思う本(たとえばヘイト本)はもともと置いてないので、選ばれることもない。委託配本(連載第3回)のない小さな本屋だからこそでもあります。
 なんだか自画自賛というか、マッチポンプ的な話であることに気づいてしまいました。でも、これは他の商売にも共通する、単純な真理かもしれないと思います。
 自分が面白いと思ったものを、他の人も面白そうだと思ってくれる。
 自分が大切にしたいと思っている価値を、他の人も大切だと思ってくれる。
 その共感をモノの購買を通じて経験できるのは、シンプルながら強い喜びです。それによって得る金銭の多寡は、あまりそこには影響しません(経営的には重大ですが)。近年さかんな個人ZINEの出版や文学フリマの盛況も、同じような理由なのでしょう。
 互いに名前も過去も知らない誰かと、そんな一期一会の共感を交わせること。
 それが重なり、だんだんと相手の背景や関心がわかり、さらにはお客さんどうしの横のつながりも生まれ、そこがコミュニティになっていく。それを目の前で見られる楽しさは、なかなか他には代えがたいと思います。
 もしかすると、本屋を始めて得た最大の財産は、僕がこれから年をとっていっても残る、地域の知り合いや友達のネットワークなのかもしれません。退職後に地域で孤立することが心配な世のお父さんたちは、今からでも本屋を始めるといいかもしれませんよ(知らんけど)。

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杉田俊介・西井開・川口遼・天野諭『名著でひらく男性学 〈男〉のこれからを考える』(集英社新書)

フェミニズムや男性学の本は、近年ライトなものから専門書まで多数出版されている。男性自身が「男性性」を批判的に論じることがポピュラーになったのはポジティブな変化だと思える。本書はオンライン上でのトークイベントを本にしたもので、座談会形式のため読みやすく、同時に男性学やメンズリブの歴史をコンパクトにたどることができるので、最初の一冊としておすすめ。

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岩下結
いわした・ゆう:フリー編集者。19年勤めた出版社を2024年に退職。2025年春に京王線南平駅前(東京都日野市)に本屋カフェ「よりまし堂」を開業予定。