第748回:山本太郎氏の議員辞職。の巻(雨宮処凛)

撮影・井上治

 1月21日、れいわ新選組代表の山本太郎氏が、参議院議員を辞職した。

 あまりにも突然の、そして衝撃の辞職だった。理由は健康問題。多発性骨髄腫の「一歩手前」の状態で、これから活休に入るという。

 一報を聞いて、目の前が暗くなった。同時に、「来る時が来てしまったか」という思いも抱いた。そう、山本太郎氏を見ていた人であれば、いつかこんな日が来ることを心のどこかで予想していたのではないか。

 ある日、脳の血管が切れて倒れるとか、重い病気が発覚するとか、最悪、突然倒れて還らぬ人になるとか。彼を見ていた人の多くがそう思うほどにリミッターを振り切り、常に前のめりの全力疾走だった。

 思えば2011年3月、原発事故が起きて以降、心身が休まる時などなかったのではないか。

 その2年後の13年には初当選で参議院議員に。

 私は「山本太郎議員誕生」を応援していた一人として、成り行きでそのまま貧困問題などについてレクチャーするようになり、国会質問作りなどに関わらせてもらったり、多くの専門家を紹介したりなどしてきた。

 最初は無所属で一人だったものの、14年には「生活の党」に合流。それをきっかけに「生活の党」は「生活の党と山本太郎となかまたち」というフザけたものになったわけだが、今思うと小沢一郎氏、よく了承したな……と遠い目になる。

 そうして19年、「れいわ新選組」を立ち上げ。

 参院選を前にして、毎日のようにコンビニ店主や派遣労働者兼シングルマザー、重度障害者などの当事者たちが候補者として発表される様子は「アベンジャーズのよう」と評され、その注目度の高さは「れいわ現象」と呼ばれた。

 19年夏の参院選ではALSの舩後靖彦さんと重度障害がある木村英子さんが「特定枠」で当選。自身は落選しながらも史上最多の99万票を獲得と、常に「憲政史上初」という伝説を生み出し続けた。

 このように、たった一人の人間がここまでできるのかと目を見張るような働きぶりだったのだが、その一方、この国の与党である自民党議員の中には、「オールゼロ議員」が少なくないという事実がある。

 オールゼロとは、議員立法ゼロ、国会質問ゼロ、質問主意書ゼロの議員。現在、自民党議員は衆参合わせて300人ほどいるわけだが、あなたはそのうちの何人の顔と名前がわかるだろう?

 以前、私は国会内で大量の自民党議員を見る機会があったのだが、ほとんどが顔も名前も見たことも聞いたこともないおじさんで驚いた。私たちが知っている自民党議員は、300人のうちのごくごく一部なのだ。それ以外の二百数十人がなぜ知名度ゼロかと言えば、国会での目立った活動もなく、キラリと光る質問もなく、「この人と言えばこのイシュー」というような問題意識も実績もないという、ないない尽くしゆえだろう。

 おそらくメインの活動は次の選挙に当選するため自らの「就活」で、そのために地元の運動会で焼きそばを食べたり冠婚葬祭で地元のおじさんに顔を売ったりしている人たち。国会議事堂で安らかな眠りにつく人たち。

 そんな議員に莫大な歳費が支払われ、飛行機代や新幹線代がタダだと思うと「頼むから自分の就活以外のことをしろ」と心底憤慨するが、では山本太郎の働き振りはどうか。

 私の手元に、山本太郎氏の「仕事ぶり」についてのデータがある。22年の参院選で応援スピーチをした時に使ったものだ。

 例えば13年、参議院議員となってからの6年間の仕事ぶりは、国会質問180回、質問主意書112通、牛歩11回。

 22年、再び当選して以降のデータは手元にないが、こちらも合わせると相当のものだろう。

 また、れいわが国会に送り込んだ木村英子さんの国会質問により、東海道、北陸、東北、西九州、山形新幹線で車椅子席が1〜2席から4〜6席に増設。多目的トイレの設置基準も変わった。

 舩後さんは国会質問で障害がある子どもの教育について多く取り上げ、また22年に当選した天畠大輔さんは立候補しただけで政権放送のルールを変えた。医療事故によって一度は脳死状態と告げられた当事者である彼の活躍は、多くの人に勇気を与え続けている。もちろん、それ以外の議員たちの活躍も皆さんが知る通りだ。

 一方、辞職を告げる動画によると、これまでの街宣は607回、消費税廃止デモは122回、おしゃべり会は437回。

 その合間に多くの被災地に足を運び、この10年ほど年末年始は炊き出しの現場を周り、強制排除などがあればホームレスの人々が暮らす公園にも駆けつけてきた。

 こりゃ身体が悲鳴をあげて当然だと、つくづく思う。

 しかしそうやって走り続けた結果、れいわには13人の国会議員と、全国に60人を超える地方議員が誕生している。

 が、ここまでの重圧は並のものではなかっただろう。

 太郎氏からは、常に「何がなんでも国会に、政治に関心を持たせてやる!」という迫力を感じていた。太郎氏が議員になったことによって、確実に、国会議員や候補者のスピーチのレベルは上がった。

 街頭でマイクを握り、政治家らしくないカジュアルな普段着で、時に涙を浮かべ、嗚咽を堪えながらのスピーチ。そのひとつが、19年の神戸の街頭でのものだ。

 「自信を奪われてるだけですよ。自分は生きてていいのかって……。生きててくれよ! 死にたくなるような世の中やめたいんですよ!
 1年間で2万人くらい、ひと死んでますよね。自殺で。異常ですよ。戦争も紛争も起こってないのに。なんでこんな状況にされなアカンの? 生活安定していたらこんなことになる? 働き方にもっと余裕あったとしたら、こんなことになる? 自分が生きてていいんだ、自分が存在してていいんだっていう世界になってたら、こんなことになる?
 これ変えられるんですよ。どうやって? 政治で。どうしてか? 死にたくなるような世の中を作ってきたのは政治なんですよ。だったら、やりましょうよ。死にたくならないどころか、生きててよかったって思える社会を、政治を通して作ってみよう。その先頭に立ちたいんですよ。やらしてもらえませんか?」(『「れいわ現象」の正体』(牧内昇平著)より)

 今書きながら、これを見た時の目頭が熱くなった感覚をはっきりと思い出す。ロスジェネをはじめ、この国で決して「恵まれている」といえない人々が、太郎氏の言葉に涙した。ずっとずっと政治から見捨てられ、ともすれば選挙も行かなかったような層を、山本太郎は動かした。

 そんな太郎氏が消費税の減税・廃止を言い出した時には他の政党をはじめとして、誰もが鼻で笑った。しかし、今となっては多くの政党の看板政策となり、この衆院選の大きな争点にもなっているのは周知の通りだ。

 私には、太郎氏が国会議員になってからの13年間、ずっと思っていたことがある。

 それは、すべての国会議員が山本太郎と同じ熱量であれば、いろんなことが大きく変わるのに、もっとスピード感を持ってこの国を変えられるのにということだ。

 もちろん、熱量を持って悪い方向に変えられてはたまらないが、せめてすべての国会議員が太郎氏のように街頭に立ち、有権者の質問をガチで受けるような対話を月に一度でもしていたら。「今、人々が何に困り、何を求めているか」が肌感覚でわかるのではないか。そしてそれは、政治家としてもっとも重要なことではないのだろうか。

 さて、そんな太郎氏の政治活動の中でも、見ていてもっともつらかったのは、牛歩だ。

 私は幾度か生で見たが、傍聴席で見ているだけなのに、胃に穴が空きそうなほど、吐きそうなほどの重圧を感じた。飛び交う怒号、嘲笑。まるで公開処刑を見ているようで、「もうやめて!」と叫びたくなるほどだった。

 山本太郎氏について、私は『僕にもできた! 国会議員』という本で取材・構成を担当したことがある。議員になって6年目という時期だ。以下、この本の「あとがき」からの一部引用だ。

 「あれから、6年。『原発事故への怒り』で気持ちばかりが前のめりだった山本太郎は、びっくりするほど勉強熱心で、謙虚に人々の声に耳を傾ける政治家に『化けた』。
 そんな山本太郎の6年間を振り返る取材は、とにかく楽しいものだった。
 何しろ都内の公園で野宿をする人にテント小屋の前でインタビューしたかと思ったら、その数日後には議員会館で小沢一郎氏にインタビュー。脱被曝デモの打ち上げで取材した際には、原発事故によって人生を狂わされた人々の話に、みんなでただただ涙を流した。泣くことしかできなかった。ホームレス、被災者、避難者、DV被害者支援をする女性、被災地支援に駆け回る人、生活保護問題に取り組む弁護士、イラク支援を続ける人や戦場ジャーナリスト、入管収容所にいる外国人、経済学者、憲法学者など本書に登場する人はあまりにも多岐にわたる。それがなんとも山本太郎らしいではないか」

 また別の太郎氏の本に、私は以下のコメントを寄せている。

 「世界を変えるのは、いつの時代も『空気を読まないバカ』である!」

 太郎氏の国会質問でもっとも覚えているのは、安保法制に関して、イラク戦争下の米軍のメチャクチャな交戦規定を問うたものだ。

 当時の安倍総理大臣に「アメリカに、民間人の殺戮をやめろと言えますか?」と突きつけた太郎氏の言葉を覚えている人も多いだろう。一連の質問には、「イラク・ファルージャの光景が浮かんだ」などの感想が多く寄せられていた。あの時の山本太郎は、間違いなく、神がかっていた。

 15年前、原発が爆発しなければ決して生まれなかった国会議員。そして安保法制に、たった一人で牛歩した議員。

 この衆院選で、多くの野党議員が原発や安保に対する意見を変えたのとはあまりにも対照的だ。

 一方、自民党の候補予定者には裏金議員が37人も含まれるという。

 辞職を告げる動画の中で、太郎氏は、いつも「今日が最後の日」だと思ってやってきたと語っている。

 それを聞いて、背筋が伸びるような、もっと言えば、喉元にナイフを突きつけられたような気持ちになった。お前は日々、そんな覚悟で生きているのかと。

 ここからは、太郎氏から何かを受け取った一人ひとりの番だ。

 太郎さん、本当に、お疲れさまでした。まずはゆっくり休んでください。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:1975年、北海道生まれ。作家。反貧困ネットワーク世話人。フリーターなどを経て2000年、自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版/ちくま文庫)でデビュー。06年からは貧困問題に取り組み、『生きさせろ! 難民化する若者たち』(07年、太田出版/ちくま文庫)は日本ジャーナリスト会議のJCJ賞を受賞。著書に『学校では教えてくれない生活保護』『難民・移民のわたしたち これからの「共生」ガイド』(河出書房新社)など50冊以上。24年に出版した『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)がベストセラーに。