衆議院選挙の結果は、惨憺たるものだった。
高市早苗という強権的で右翼的な指導者に、ブレーキをかけることのできる勢力が国会にいなくなったばかりか、アクセルばかりになってしまった。ほとんど一党独裁に近い。
正直、今後の成り行きを想像すると、恐怖を感じる。
しかし今回の選挙で、骨身に染みてわかったこともある。
高市自民党はなぜ異常なほど圧勝したのか、僕が考えたことを記しておく。
無党派層を動かした「大好き」という感情
高市首相は、タカ派である。軍事増強派である。総務大臣だったときには、政権に批判的なテレビ局に停波をちらつかせた、強権的な政治家である。そして同性婚や選択的夫婦別姓に反対する、家父長制的価値観の持ち主でもある。
こうしたことは、政治ウォッチャーには以前から知られていることだ。僕が彼女に抱いている印象は「権力を与えたら危険な人」である。
しかし、日本人の大半は、政治の世界を詳しくフォローしているわけではない。
彼らはたぶん、「女性初の首相」として高市氏にスポットライトが当たったときに、初めて彼女の存在を知った。しかも彼らは新聞などではなく、SNSなどを通じて、彼女に関する情報に接したはずだ。
SNSなどで打ち出された高市首相のイメージは、身近で気さくで、ちょっとはじけたところのある働き者の“バリキャリ姐さん”というキャラである。韓国の大統領とドラムスを叩き、イタリアの首相とセルフィーを撮った写真や動画は、SNSで盛んにシェアされた。
1月4日、ツイッターの高市早苗公式アカウントには、日記風の長文が投稿された。首相官邸への引越し作業と家事の合間に、北朝鮮によるミサイル発射や中国による台湾周辺軍事演習、トランプとの電話会談など、さまざまな課題に対処していることが、平易な文章で綴られている。
昨年12月29日(月)の総理公邸への引っ越し後は、段ボール箱の谷間で生活しながら、外出時に必要な物(バッグやアクセサリー)が入った箱を探し出す日々でしたが、今日1月4日(日)の明け方に、ついに段ボールの開封と片付けを終了しました。…
— 高市早苗 (@takaichi_sanae) January 4, 2026
それによると、“家”でのサナエは、夫のための食事作りや食器洗いなどの家事をこなす、いわば普通の“関西のおばちゃん”である。しかし一方で、サナエは小泉進次郎防衛相といった男性の部下たちに指示を出し、トランプその他の各国首脳と渡り合い、国際的な問題や事件に次々対処していくスーパーウーマンでもある。
おそらく広報・マーケティング担当が優れているのだろうが、僕はこの投稿を読んだとき、「やられたあ〜」と思った。公私のサナエ像のギャップに萌えて両目がハート印になる人が続出しても、無理はないと思ったからだ。英語で言う「likable」で「relatable」なキャラである。
実際、首相を応援し模倣する「サナ活」に夢中になる人たちが大量に出現し、一種のブームになってしまった。首相のイメージ戦略は、見事に成功したのである。
問題は、あのニコニコ顔の裏には、実は怖い顔が隠されていることである。
だが、その事実が人々に悟られぬうちに、いわばラブラブのハネムーン期間が続いているうちに、首相は解散総選挙に打って出た。そして野党を根こそぎ、なぎ倒したのである。
今や日本最大の政治勢力は、無党派層である。そして彼らを今回動かしたのは、「サナエ姐さんが大好き」という強い感情だった。
中道改革連合を結成し、ただでさえ弱体化した連合や創価学会の組織票をチマチマと数合わせしたところで、全く歯が立たなかった。
人間は感情の生き物である。
したがって政治を動かすのは、理性ではなく感情である。
いい悪いは別にして、そのことを、改めて痛感させられた。
若い世代や無党派層を動かせなくなった「護憲・平和」
選挙が始まる前に僕にとって衝撃的だったのは、存立危機事態についての首相答弁を支持する人が日本人の多数派を占めていたことだ。
毎日新聞が12月20・21日に行った世論調査で、首相は答弁を撤回すべきか尋ねたところ、「撤回する必要はない」と答えた人が67%を占め、「撤回すべきだ」と回答した人は11%にとどまった。
日中関係が危険なほど悪化し、中国からの観光客が激減するなど経済に悪影響が出ても、首相の支持率は落ちなかった。
それでわかったのは、日本の多数派は中国に反感を抱いていて、高市氏の強硬姿勢を「危険」というよりは「頼もしい」と感じたらしい、ということだ。
そして彼らにとって、自衛隊や軍拡は戦争を未然に防ぐ安心の要素であって、不安の要素ではない。だから選挙終盤、野党支援者の間でバズった「#ママ戦争を止めてくるわ」は多数派には響かなかった。たぶん「何をズレたことを言っているんだろう。軍拡は平和を守るためだろう」と思われたはずだ。
その証拠に、選挙では中道だけでなく、共産、れいわ、社民も惨敗した。中道が安保法制を合憲としたから支持者が離れたのだとしたら、彼らの票が左派3党に流れてもよかったはずだが、そうはならなかった。
戦後民主主義的な「護憲・平和」は、中高年リベラル層だけに刺さるニッチな関心事となり、その点をいくら強く訴えても、もはや若い世代や無党派層を動かす争点にはなりえないのだと思う。
また、福島第一原発事故から時間が経って原発への恐怖は薄らぎ、辺野古はすでに既成事実化してしまった。そのため、これらも無党派層を動かす争点にはなりえない。
残念ながら、今回の選挙でそういうことが、かなりはっきりとしたような気がする。
線のこちら側
断っておくが、僕は今でも自衛隊は将来的には災害救助隊へ改組していくべきだと思っている。日本政府は、ジーン・シャープの理論に基づく非暴力の「市民的防衛」を安全保障政策として本気で研究すべきだとも考えている。
軍事力をいくら増強しても、GDPが日本の4〜5倍もある中国には絶対に勝てるわけがないし、かえって日中関係を緊張させて戦争の危険性が高まるだけだ。とくに緊張感の高い状況下、領海や領空の境界線付近で何らかの事故が起きたときに、それが戦争の端緒となることはよくあることだ。あえて緊張を緩めようとしない高市政権の下、そうしたアクシデンタルな戦争のリスクは、格段に高まっていくと思う。
また、原発は事故のリスクが大きすぎる上に経済合理性もない。増え続ける放射性廃棄物の処理方法もわからないのだから、当然、廃絶すべきである。辺野古基地の建設だって、今からでも引き返すべきだと思う。
しかし、選挙とは賛同者の数を競う“ゲーム”である。
以前本欄でも紹介したが、ユーゴスラヴィアのミロシェヴィッチ大統領を非暴力抵抗で失脚させたオトポール!の指導者スルジャ・ポポヴィッチ氏の言葉を、再び思い出す。
氏いわく、非暴力抵抗運動の唯一の武器は「人数」である。彼は運動の目標を定める際に、紙に1本の線を引いて検討したという。この「線」のこちら側には何人の人が味方し、参加してくれるか? そして相手側には何人が参加する? もしこちら側の人数が相手側の人数を圧倒するなら、運動は成功する。そうでなければ失敗だ。この原理は、選挙でも同じであろう。
そう考えたときに、「護憲・平和」や「原発」や「辺野古」を選挙のテーマにしても、線のこちら側に来てくれる人の数は、かなり限られてしまうのだと思う。こんなことをマガジン9に書かねばならぬのは、とても残念な状況だが、それが今回の選挙で突きつけられた現実のように感じている。
チームみらいの躍進で可視化された「新しいリベラル」
他方、チームみらいが衆院選初挑戦で11議席を獲得したことは、世間から盛んに不思議がられ、一部には陰謀論まで飛び出しているようだ。
しかし、みらいの躍進は、実は「新しいリベラル」の存在を強く裏づける結果なのではないかと、僕は分析している。
新しいリベラルとは、橋本努・金澤悠介両氏が行った大規模社会調査によって可視化された「隠れた多数派」だ。
彼らは大きな政府による福祉国家を目指すが、「護憲・平和」的論点には深くコミットしない。また、従来のリベラルが生活保護や年金といった「弱者支援」型の福祉政策を重視するのに対して、新しいリベラルは子育て支援や産業育成といった「成長支援」型の福祉政策を重んじる。いわゆる社会的投資である。詳しくは『新しいリベラル』(ちくま新書)を読んでほしい。
僕はAIを人類を滅ぼしかねない危険なテクノロジーだと思っているので、AI活用を前面に出したチームみらいには拒否感が強かったし、今でも違和感を持っている。
しかし彼らのマニフェストは、とても興味深いものである。というのも、彼らの理念や政策は、社会的投資を主眼とする新しいリベラルそのものだからである。
チームみらいの活動でさらに画期的なのは、政治とカネ問題を終わらせる「みらいまるみえ政治資金」として、自党のすべての収支を公開していることだ。1円単位で公開されているので、会計ソフトの内容が流出してしまったのではないかと誤解されかねないくらい、お金の流れが透明である。同党はテクノロジーで行政・政治改革をすると主張しているが、これにはかなりの説得力がある。こうした姿勢が、無党派層や若くて新しいリベラル層を惹きつけたのではないだろうか。
一方、同党のマニフェストでは、憲法については「国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を堅持する」とさらりと触れてあるだけだ。福祉政策や成長政策、政治資金の透明化などに対する熱心さに比べて、正直、熱量は低い。安野貴博代表は記者会見で、憲法9条に関する自らの「私見」として、「現実と憲法の食い違いが、憲法が尊重される状況を害している。見直しは一定程度必要だ」と述べる一方で、改憲案を具体的に「党として検討する段階ではない」ともしている。彼らにとってのプライオリティではないのだろう。「護憲・平和」的論点には深くコミットしないという、新しいリベラルの特徴と付合する。
この点についての姿勢が曖昧なせいか、チームみらいは右からも左からも“敵認定”されている。ところが、そういう敵対的な空気の中、みらいはそもそも他党を批判したり、敵を作ったりしない方針である。事実、彼らは「わたしたちの価値観」として、次のように謳っている。
「私たちは、誰かをおとしめない。他の政党も政治家も、日本の未来をつくる仲間。協力できる箇所を探し、一緒に進みます」
「私たちは、分断を煽らない。感情ではなく、データと事実で語ります。批判より提案を。分断より解決を」
「私たちは、何事も決めつけない。正解はひとつじゃない。多様な声に耳を傾け、より良い答えがあれば、柔軟に改善します」
「レイジベイト」と怒りのエネルギー
皆さんは「レイジベイト」という言葉を聞いたことがあるだろうか。SNS上でわざと人々を怒らせ、炎上させることで拡散させ、コメント数や再生数などを稼ぐ「怒りのエサ」のことを指す。
実際、他人に影響を与えて動かしたい人間にとって、怒りは便利なツールである。人は怒ると、とてつもないエネルギーを出すからだ。
恥ずかしいことだが、ヴィパッサナー瞑想を本格的に実践する前の僕も、よく怒りを使ってSNSに投稿していた。投稿する際、文章に自分の怒りをうまく乗せることができると、シェアやリツイートの数がグンと伸びる。すると思わず快感が生じるので、さらに怒りを使うようになる。そうして言葉や表現がエスカレートしていく。
瞑想を始めて投稿に怒りを乗せなくなってから、僕のフォロワーはどんどん減っていった。シェアやリツイートの数も、以前は数千に上ることも普通だったが、今は平均すると一桁か二桁になった。逆に言うとそのくらい、怒りには大きなエネルギーがある。
怒りのエネルギーは、火のエネルギーである。人は怒ると、まずは自分自身を燃やす。そしてそれに接する他人も燃やしてしまう。最初はマッチの炎のように小さかった怒りも、次々に延焼していけば、大火事になる。
怒りのこうした性質は、社会運動や政治運動を行う人間にとっては、ある意味でとても都合がよい。怒りを使えば、人々を理性的に説得する努力をしなくても、勝手に運動が広がってくれるからである。
問題は、怒りのエネルギーは破壊のエネルギーで、無軌道かつ制御不能だということである。自分自身だけでなく、他人や社会を破壊してしまう。敵を作って罵り合い、人々の怒りに火をつけることでエネルギーを調達する政治・言論の手法は、結局は憎悪を撒き散らし、社会を分断し、荒廃させてしまう。
トランプが米国大統領に2回も当選したのは、彼が分断と対立を煽って、人々の怒りのエネルギーを自らのエネルギーにしてきたからだ。しかしそのために、米国だけでなく、世界はいったいどうなったか。僕らはいま、現在進行中でその過酷な現実を生きている。
もちろん、建設的で理性的な批判は、政治に必要不可欠である。権力者の権力の使い方を批判的に検証し、監視することも絶対に必要だ。僕は批判そのものをダメだと言っているわけではない。
しかし、批判するのに怒りを使う必要はない。相手の人格を否定し、おとしめる必要もない。敵認定する必要もない。
こう書くと、たぶん怒りを帯びた非難が飛んでくるのであろう。しかし、そうした社会の雰囲気は、皮肉にも、多様性を尊重し異論が自由に言えることを価値とするリベラリズムの理念とは、真逆のように思える。
みらいの静かな躍進は、対立や分断を煽らなくても、政党が支持を集めることが可能だということを示している。そしてSNSや国会での泥試合にうんざりしている人が増えていて、彼らの共感を呼んでいることを、示唆しているのではないだろうか。
そういう意味では、中道改革連合が掲げた中道主義の理念は、決して悪くはなかった。だがいかんせん、今まで罵り合戦をしてきた歴史があるので、説得力がなかった。
今後中道という政党を続けていくのかどうかはわからないが、続けるにしろ別れるにしろ、今回、重鎮たちが軒並み落選したことを、むしろ世代交代と刷新のチャンスとしていくしかないのではないだろうか。



