太田光さんの何が悪いの?
驚いたなあ、爆笑問題の太田光さんが炎上している……。でもぼくは、この件に関してだけは太田さんを支持し、応援する。
だって、何が悪いの?
まあ、みなさんはほとんど知っていると思うけれど、例のTBSテレビの選挙特番での、太田さんの質問とそれに対する高市さんの返答のことである。ぼくは直接見てはいないけれど、「なんだか凄いことになっているよ」と知人に聞かされて、その場面を検索して見てみたのだ。
どうってことのない質問だし、高市さんの返答には「そんなことにもきちんと答えられないのか、よくそれで首相が務まるよな」と思ったのだ。まあ、普通の感覚ならそう思って当然だろう。けれど、実際は違った。SNSが凄いことになっている。太田批判(というより罵詈罵倒悪口雑言の類い)が殺到して炎上状態。
おかしな世の中だなあ……と。ぼくは首を傾げた。
太田さんは「公約が実現できなかったらどう責任を取るんですか?」という極めてまともな質問を口にしただけ。普通(?)の首相なら、「公約を実現できるように全力を尽くします」とか「これだけの支持をいただいたのだから、公約実現に向けて努力するのがわたくしの役目、それがわたくしの責任の取り方です」と言えば済んだことだ。
ところが例の「高市語法」が飛び出す。
「すごい意地悪」「意地悪やなあ」である。これが一国の宰相の口から飛び出したのだから、そりゃ、開いた口が塞がらないのは国民のほうだ。聞いた太田さんだってどう反応していいのか分からなかったに違いない。
かつて、とんがった番組があった…
かつて日本テレビで「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」という番組があった。2006年~2010年の4年間にわたって人気を博した、ちょっと形を変えた“政治バラエティショー”だった。
なにしろ扱うテーマがかなりとんがっていた。(ウィキペディア参照)
「インターネットを免許制にします」
「アメリカには今後1円も払いません、米軍には出ていってもらいます」
「戦争はもちろん、一切の武力行使を放棄します」
「中国と北朝鮮に迷惑料を請求し責任者を逮捕します」
「2020年オリンピックが終わるまで消費税は上げません」
こんなテーマで、出演した著名人たちが賛成・反対・保留に別れてバトルを展開するという番組だった。面白いので、ぼくもけっこう見ていた。
いま考えると、すごいテーマ設定だと思う。こんなテーマを考えたのはむろん番組スタッフだが、実はかなり太田さんの意見も加わっていた。
ぼくがそんな裏話を知っているのには、多少のわけがある。実は、ぼくは『憲法九条を世界遺産に』(太田光・中沢新一共著、集英社新書、2006年8月17日初版発行)という本の編集を担当していて、太田さんとは面識があったのだ。
当時の太田さんのテレビでの“孤軍奮闘”ぶりはなかなかのものだった。その新書のまえがき「対談のまえに」で、中沢さんは次のように書いている。
(略)このところ、テレビの中の太田君が、真っ正面から日本人の直面している深刻な諸問題を取り上げて、それにラジカルな論評を加えている姿を、よく見かけるようになった。ここまでテレビでやって大丈夫なのかな、お笑いの立場でこんなことを発言すると、またぞろ面倒なことを言い出したがっている人たちの格好の標的になっちゃうぞ、とときどき心配にもなった。しかしそれ以上に、僕たちがそれを言葉に出して語らなければならないはずなのに、臆病のためか怠惰なためか声高になるのを避けている重大な事柄を、彼が必死になって語ろうとしている姿に、僕は深く心を打たれたのである。
そのとき僕のなかに、「共同戦線を張らなくっちゃ」という、懐かしい発想がむくむくとわきあがってきた。最前線にたったひとりで躍り出て、背後にひとりの援護射撃もない状態で、太田君はラッパを吹いているのである。(略)
これが当時の太田光さんの立ち位置だった。
援軍に駆けつけた中沢さんは、本書の中で宮沢賢治や日本国憲法の“珍品”たる由縁、武士道、ドン・キホーテ、ネイティブ・アメリカンの思想……などを駆使して「日本国憲法第9条」の特異性を、太田さんとともに語りつくし書き尽くした。
この新書は当時、かなりの話題となって35万部ほどを売り上げた。若い層の反応がとてもよかったのは、当時の太田さんの人気にもよるものだったろう。
「太田光の私が総理…」には当時の政治家たちも競うように出演した。それほど“政治バラエティショー”としては注目を集めていた。むろん、テレビ局には批判や反対意見もそれなりに寄せられていたというけれど、現在のような「炎上状態」にはならなかった。当時の世の中は現在のように「分断」してはおらず、視聴者には反対意見も楽しむという余裕があったのだろう。太田さんが、長期政権で絶頂期にあった安倍晋三首相にも、臆せずに議論を挑んでいた姿さえ、ぼくの記憶に残っている。
この当時、もし現在のようなSNS状況があったとしても、まだ人々には「違いを楽しみ許容する」というゆとりがあったのだ。
現在では、上に挙げたようなテーマをテレビ局が設定するとはとても思えない。なによりも「炎上」を恐れるテレビ局にそんな勇気があるはずもないし、権力に忖度することを第一と心得る局上層部が、そんな番組を許すはずもない。
余裕なき時代…
ぼくはその本の編集をして以降、太田さんとの接触はない。やがて、時折テレビで見かける彼の言動が、ぼくの感覚とずれ始めているなと思うことが多くなった。けれど、彼のせめてもの意地が、今回の高市さんへの質問に現れていたと思った。
だが、現在のSNSの「サナ活」たちは、そんなやりとりを楽しむ余裕を完全になくしていた。ツイッター(X)上での太田さんへの罵倒は常軌を逸している。
「芸人ごときがこれから頑張ろうとする総理大臣の足を引っ張るような質問は許せない」というのが主な批判の力点だ。芸人だろうがタレントだろうがスポーツ選手だろうが、政治に意見を言うのは当然の権利だ。それを許さないというのが「サナ活」なら、その人たちは完全に間違っている!
太田さんほどではないが、ぼくのツイッターにだって罵詈雑言悪口雑言が殺到している。なにがなんだか分からない。すごいもんだよ(苦笑)。
例によって、「そんな質問をするほうが悪い」が圧倒的に多い。それではほとんど議論が成り立たない。そういえば、立憲(当時)の岡田克也議員の質問に高市氏が答えた「台湾有事発言」の際にも「しつこく質問した岡田が悪い」との批判がSNSを席巻した。まるで国会審議では、「サナエ」に厳しい(?)質問をするのはタブーだと言わんばかり。
ぼくのツイートへの面白い“いちゃもん”があった。大田さんの質問に関してである。
「オリンピック選手に向かってメダルを取れなかったらどう責任をとるのか、と質問しているようなもんだろ、バカかお前は」。
ぼくはこんな返答をした。
「首相の政策は国民の生活や安全にかかわってくるけれど、スポーツ選手の結果はそうではありません。首相とオリンピック選手を同じ土俵で語るのはおかしくないですか?」
するとこの人は自分の投稿を削除して、しかもぼくをブロックした。まあ、最初から議論するつもりはない。相手を罵倒するだけのいちゃもんコメント。そんなものに、こっちだってつき合っていられない。
太田さんは芸人だ。遠慮も配慮も忖度もあるだろう。その中で、大した問題にもなるはずのない質問を投げかけたら、すさまじいバッシングに遭った。
別にどうということのない質問だ。むしろ、高市さんの「すごい意地悪」「意地悪やなあ」との関西弁の返答のほうが異常なのだったのだ。
弔鐘が聞こえる……
外交上の他国首脳とのやりとりで「意地悪」などと言ったら、世界中が呆れて引っくり返るだろう。国会審議で野党議員の質問に「意地悪やなあ」と返したら、もはや国会は議論の場ではなくなる。でも高市首相ならやりかねない。
立憲の杉尾秀哉参院議員の質問に「私のことが信用できないというのなら、もう質問はなさらないでください」と、驚くべき開き直りをして会議室を凍りつかせた人だ。次はどんな詭弁(ヘリクツ)で答弁を避けるか分かったものじゃない。
予算委員長をこれまでは立憲の枝野幸男氏が務めていたが、その仕切りぶりに高市首相は「わたしにばっかり当てる」と不満を漏らしていた。つまり、答えたくない質問は他の閣僚や官僚に答えさせたいのだが、枝野氏が「わたしばかり指名して答弁を求める」というわけだ。だが野党議員の質問は「総理にお答えいただきたい」としている。それを避けて他の人に答えさせるというのは、安倍元首相がよく使った手だ。
高市氏は、さて、次はどんなヘリクツで答弁を拒否するのだろう?
圧勝のおかげで、質疑の華の場「予算委員会」も自民党の委員長に代わる。
もう高市首相は質問に真摯に答えることもなく、どこ吹く風の委員会になるだろう。
多分、国会審議もほとんど形ばかり。
先週も書いたけれど「大政翼賛会」の無風国会になってしまう。
まさに「国会、冬の時代」の到来だ。
民主主義の弔鐘が聞こえる…。
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