先週アップした原稿に大きな反響を頂いた。これほど多くの人に読まれるなんてと驚きつつ、頂いたご意見をありがたく受け止めている。
そんな先週は国会が始まったわけだが、世間は「りくりゅう」ペアに夢中でそれどころではない様子だ。かくいう私自身も最初は「なに? とくりゅう?」などと思っていたのだが、演技を見たが最後、しっかり心を掴まれ、先週、日本に大量発生したニワカの一人となっている。
りくりゅうペア以外にも冬季オリンピック(ってことでいいんだよね?)では日本の選手が大活躍。テレビ画面にはこれでもか! というほどに若さと汗と涙が映し出され、そのすべてが前向きでキラキラと眩しく、みんなが弾けるほどの未来への可能性に満ちている。それらの映像はまさに「脳が喜ぶ」系のもの。こっちは見ているだけでなんの関係もないのにうっすらと気分が良いのはなぜだろう。普段「ニッポンすごい」系のものは敬遠しているというのに、衰退のこの国で生きる中年に、若い選手の活躍は「滋養」として染み渡る。
というか、若い頃はとてもじゃないけどこの手のものは直視できなかった。彼ら彼女らが眩しくて羨ましくて妬ましくて「どうせ私なんて……」と卑屈になるのに忙しかったからだ。中年が感動できるのは、自分と比較していちいち卑屈にならなくてもいいからなのだろう。
もうひとつ、先週多くの人に注目されたのは、千葉県市川市の動物園の子猿のパンチくん。母猿に育児放棄され、オランウータンのぬいぐるみを母代わりに抱える姿がバズり、動物園には多くの人が詰めかけている。そんなパンチくんが群れに溶け込もうとしている渦中のもろもろが、ここ最近常にバズりまくっている状態だ。
まぁ、こういう動物の子ども系のって定期的にあるよな……と思いつつ、深夜、TikTokを見ているとパンチくんの映像は大量に流れてくるわけで、「感動的な音楽とともに編集されたパンチくんの成長物語」に、気がつけば一人で泣いていたりする。そんな姿、誰かに見られたらアウトと思いつつ、自分でこうして書いて世界に恥を晒している。
そう、前回の原稿を書いたのは、私自身がまさにこういう日常を送っているからなのだ。
で、そういう「脳が喜ぶ」「いい感じの快楽物質が出る」「泣ける」「インスタントに感動できる」ショート動画に慣れきっている身からすると、「政治」というだけでもう、急激に気が滅入って拒絶感が日に日に大きくなっている。これはTikTokを見るようになってからの私の明確な変化だが、ショート動画溢れる現在、現代人ならば自覚があろうとなかろうと、同様の症状が発生している人は多いはずだ。
さて、そんな先週土曜日、部落解放研究第33回滋賀県集会で基調講演させて頂いたのだが、その場で「今年は人権三法から10年」ということを知った。
人権三法とは、障害者差別解消法、ヘイトスピーチ解消法、部落差別解消推進法。
10年前にこの3つの法律が施行された時のことは覚えている。特にヘイトスピーチ解消法は大きな話題となった。理念法であるなど課題は残ったものの、これを機に、この国の人権課題は大きく前進すると思っていた。それがどうだろう。残念ながらこの10年で、大きく後退しているではないか。特に昨年夏以降の後退が凄まじい。突如として「外国人叩き」が始まり、「外国人がのさばってる」などの言葉が、急激にカジュアルなものとなっていった。
10年前、この国で移民政策反対デモが全国で開催されることなど、いったい誰が予想しただろう。1年前の今頃の私だって、まったく予想していなかった。
さて、講演の前日の先週金曜には、高市総理の施政方針演説があった。
そこで高市総理は外国人問題に触れ、以下のように言っている。
「一部の外国人による違法行為やルールからの逸脱に対し、国民の皆様が不安や不公平感を感じる状況が生じていることに配慮しなければなりません」
「『国民の安全・安心のための不法滞在者ゼロプラン』を強力に推進します」
「特に、短期滞在者の来日に関して、電子渡航認証制度『JESTA』を創設する法案を提出します。これにより、我が国にとって好ましくない外国人の入国を防ぐとともに、問題ない来日客の入国手続きの円滑化を図ります」
いろいろ突っ込みたいが、まず最初の「国民の皆様が不安や不公平感を感じる状況が生じている」ということについて。
この「不安や不公平感」って、政治が、もっというと自民党が煽っている部分もかなり大きいと思うのだが。特に高市総理が自民党総裁選で奈良の鹿を外国人が蹴り上げている的な発言をしたり、自民党が参院選で「違法外国人ゼロ」を掲げたことはどれほどこの国の排外的な空気に「お墨付き」を与えたことだろう。
それを棚に上げてどの口が? と思う一方、「不安や不公平感を感じる状況」というざっくりとした「雰囲気」みたいなものを根拠として、明らかに管理と排除の方向へ舵が切られることへの疑問も感じる。
国は1月23日、「外国人の受入れ・秩序ある共生のための総合的対応策」を発表したが、ここでも「国民が感じている不安や不公平感」に対処する必要が打ち出されている。が、前年比でこれだけ不安を感じている人が増えている、などのデータなどはどこにも示されていない。完全に、「今がチャンス」とばかりに排外的な空気に乗っかっているのだ。
そして「不法滞在者ゼロプラン」を「強力に推進」するということについて。
「不法滞在者ゼロプラン」がどれほど問題を抱えているかについては、この連載でも何度も書いてきた通りだ(第743回など)。特に問題視されているのはふたつ。
ひとつめは強制送還された中に難民申請中の人がいることで、難民申請中の人は強制送還しないというのが国際的なルールである。
もうひとつは、強制送還された中に、日本生まれ、あるいは幼少期に日本に来た子どもが含まれているということ。
母語は日本語で日本で教育を受け、進路や将来についても日本でのビジョンを持っていた子どもが、「親の出身地」というだけで言葉もわからず知り合いもおらず行ったこともなくルールもわからない国に「送還」される。これはあまりに酷ではないかというものだ。
「強力に推し進める」というのであれば、高市総理は専門家らによってずっと指摘されているこの二点に対してどう答えるのだろう。
もうひとつ、「我が国にとって好ましくない外国人」という言葉について。
久々のパワーワードが来たわけだが、法務省や入管庁あたりではよく用いられるものである。もちろん、麻薬やテロなどに関わる人は当然「好ましくない」わけだが、今後、この「好ましくない」という言葉は恣意的に使われていくと思う。
なぜなら現時点でさえ、「ルールを守らない外国人」が語られる時、意図的に刑法違反と入管法違反とルール違反を混同するようなやり方が散見されるからだ(ゼロプランなどはまさにその手法が使われている)。
刑法に違反していることとオーバーステイなど入管法に違反していること、そしてゴミ出しなどルール違反をしていることは当然だがまったく別次元の問題である。しかし、意図的にこれらを混同するような議論はこれから増えていくと思うので注意してほしい。
ちなみに刑法犯に占める不法滞在者の割合は0.25%だということも付け加えておきたい。
さて、この「我が国にとって好ましくない」という言葉だが、このような表現を許していたら、外国人に限らず、「我が国にとって好ましくない日本人」だって簡単に排除されていくだろう。
すでにそのようなことは起きつつある。例えば1月末、ひきこもりや貧困などの課題を抱える人を支えるための「共生交付金」が2026年度から最大7割カットされるということが報じられたのだが、まさに同じことではないのか。
「外国人と共生なんか無理」と言っていたら、そうでなくとも「排除」されていくのだ。「好ましくない」日本人、「日本に貢献できない日本人」などがまるで「非国民」かのように切り捨てられていくのだ。
と、書いていて絶望的な気持ちになってきたが、こうして気づいた一つひとつのことを記録しておくことが大切だと思っている。



