選挙が終わって
早いもので、総選挙から2週間以上が経ちました。
マガジン9の読者のみなさんは、もう選挙の総括や分析は聞くのもうんざり、という方も多いでしょう。僕もご多分に漏れず、いわゆる「高市鬱」状態でしばらく過ごしました。
なので、選挙結果について、あるいはその原因について、何か書こうというつもりはありません。しかし、この空前の「一強」国会――数だけ見ればもはや一党独裁に近い――が、今後の日本をどの方向に動かすのかを考えると、無視してやり過ごすこともできません。
高市さんはこの選挙結果をてこに「国論を二分するような政策」を進めるそうです。早くも殺傷能力のある武器輸出の解禁やスパイ防止法といった話が動きだし、続くのは国旗損壊罪、非核三原則の見直し……右翼のファンタジーがすべて実現する夢の国ですかここは? 当然、最後に待ち受けるのは憲法改正でしょう。
そもそも、国会の圧倒的多数議席を得ているのに、さらに「国論を二分」する政策をあえてやるという。手間暇かけた合意形成や少数派の説得などするつもりは毛頭なく、弱体化した護憲派や野党の抵抗なんか無視して突っ切るぞ! という宣言ですよね。
そんな高市さんのお手本は安倍晋三でしょう。10年前、全国で連日のように行われた反安保のデモを無視して、安保関連法を強行採決した成功体験。あのカタルシスを自分も味わいたい。しかも、志半ばで凶弾に倒れた先輩の遺志を継ぐというヒロイックな物語として(今「きょうだん」と打って「教団」と変換されたのはきっと偶然です)。
国の根幹たる憲法を、個人的なパッションでいじられたら、たまったものじゃありませんが、高市さん個人だけでなく、この数年主流から追いやられてきた自民党旧安倍派、そして取り巻きの極右インフルエンサーたち、みんながこの物語に陶酔しているみたいです。
正直、サナエちゃんの笑顔に投票したつもりの有権者の大部分は、そんな物語に積極的に賛同してはいないんじゃないかと思うのですが……。「みなさん私を信任してくれたんですよね?」と言われれば、なんとなくその方向に流れてしまうのでしょうか。
投票日当日の外看板
こんな時だからこそ店を開ける
そんな暗い未来を予感しながら、選挙の翌日も店を開けました。
前日に積もった雪がまだ残り、キッチンの小川さんは前日まで山口県の長生炭鉱に行っていて、飛行機の遅れで夜遅くに帰京したところです。
いっそ臨時休業にしましょうか? と前日LINEでやりとりしていたのですが、結局普通にオープンすることにしました。きっと今日だからこそ、店に来て話したい人がいるだろうと思ったからです。
予想の通り、昼すぎからお客さんが来始め、夜まで客足が途切れませんでした。ベテランの活動家もいれば、近くの大学の学生さんも。話題はどうしても選挙結果になります。でも不思議なことに、数人で話していると、話の中身は暗くても絶望感100%にはならないものです。
「この店があってよかった」「また明日から生きていこうと思える」と言ってくれる方もいました。
夕方、小さなお子さんをだっこしたお母さんが来店。最近近くに越してきて、初めて店に来てくれたそうです。たまたまお店にいた学生さんたちが子ども好きで、一緒に遊んでくれている間、お母さんはワインで束の間ひと息つけたようでした。
よちよち歩きで走り回るチビッコの姿を眺めながら、ここだけが別次元の空間のような、不思議な気持ちがしました。絶望しそうな人たちのためにと店を開けましたが、誰よりも癒しと励ましをもらっていたのは僕たち自身だったようです。
セーファースペースからシェルターへ?
去年の参院選のあたりから、小川さんと僕は冗談まじりに、「いざとなったら、ここをみんなのシェルターにして立てこもろうね」なんて話していました。
あり得ないと思いたいですが、アメリカ各地でICE(移民税関捜査局)が無法な暴力を振るっている現実を考えると、日本で同じことが絶対に起きないと言い切れるでしょうか。……と書いたそばから、茨城県が「不法就労」外国人の通報に報奨金を出すというニュースが入ってきました。現実は空想よりもいつも先を行っています。
とはいえ、立てこもると言っても、僕たちに何ができるとも思えませんが、不安を感じている誰かが「ここなら安全」と思えるだけでも十分意味はあるはずです。
本屋はセーファースペース(安全な場所)であるべきだ。
本屋として反差別の姿勢を明確に宣言した本屋lighthouse(千葉市幕張)にならって、よりまし堂もその言葉を開業時からのポリシーとしてきました。
本屋がセーファースペースであるということの意味は、第一義的には、特定の人を排除するような差別的な本を置かないことや、店の構造や運営においてもできるだけ包摂的であることを目指し、お客さんの心理的安全性を確保するということになるでしょう。
でも、もしかしたら今後、物理的な暴力からの安全を保障する場としても必要とされる日が来るかもしれない……。杞憂であることを願いますが、すでに世界は想像もしなかったことが起こる時代に突入しています。アメリカ大統領が国連に代わる「平和評議会」を勝手に創設して、自分が「終身議長」の座につくだなんて、ちゃちな近未来SFでさえ描かなかったディストピアです。
店内に貼ったポスターに書き添えた「宣言」
「あったことをなかったことにする」力への抵抗
数々のディストピア小説の中で、書物は権力にとって危険な存在として弾圧されました。直接的に権力者を批判する言論のツールであるからというだけでなく、書物が持つ「事実の記録」という機能こそが、独裁者には無視できない危険だからではないでしょうか。オーウェルの『一九八四年』では、過去の記録を政府に都合よく書き換える「真理省」が存在しました。
そういえば、こんなニュースも見ました。高市さんが過去に公式サイト上で書いていたコラムの記録から「高市さんが消費税減税を自分の悲願だと言ったのは嘘」と裏付けた記事が報じられると、高市さんのサイトからコラムがすべて消えてしまった。
全削除というのはある意味わかりやすい(稚拙な)対応ですが、もっと器用な権力者なら、それとわからないようにニュアンスを書き変えるとか、よりスマートな手法もとれたでしょう。
しかし、ウェブ上の記事と違い、印刷された書物を改ざんするのは容易ではありません。読者の手にわたった本を回収して書き換えることはできませんし、国会図書館などのアーカイブにも保存されます。それらを照合すれば、過去の発言をいくら否定しても、事実として証明されるはずです(今後、真理省が生まれない限りは)。
町の本屋は、国会図書館のように大規模なアーカイブではありませんが、そこに置かれた本の集合によって最大公約数的な「現在の世界」を表現しています。それぞれの本は個別の存在でありつつ、無数の参考文献や先行研究、それらのベースとなる知識や文化の壮大な網の目の一部です。
世界の事実を記録し、事実に基づいてより世界への理解を深めようとする営みを構成するのが一冊一冊の本だと考えるなら、それらを書庫に死蔵させることなく、生きた知識として新陳代謝させながら、新しい読者と出会える場を提供するのが本屋の社会的な役割だといえそうです。
別言すれば、「あったこと」を「なかったこと」にさせないために本があり、本屋があると言えるのではないでしょうか。権力者が「なかったこと」にしたい事実の中でも最たるものは、この国が犯した最大の過ちである戦争でしょう。そして、その悔悟の象徴であり、次の戦争への歯止めでもある平和憲法が「改ざん」のターゲットになることも自然の成り行きです。
自分たちの「根っこ」をケアする
またまた、つい話が大きな方に転がってしまいました。
お店の日常に戻れば、選挙の翌日以降も、客足は増えも途絶えもせず、日々は穏やかに過ぎています。お客さんたちも、それぞれに不安や失望を口にし、泣いたり笑ったりした後は、少し落ち着きを取り戻した表情で帰っていかれます。日常は続くし、そこでこれから何をするかが大事なのでしょう。
そんな折、いまの僕たちの気持ちにしっくり来そうな雑誌が入荷しました。京都の市民有志によって発行されている「根っこマガジン」。もともとは安保法制に反対する活動の中で知り合った、年齢も職業もさまざまな5人の女性が作っているそうです。ZINEやミニコミ誌と呼ぶのは相応しくないほど、デザインも構成も内容も丁寧に作られています。2020年の創刊から現在までに4号が刊行されていて、各号のテーマは「政治」「自治」「働く」「議会」。肩肘張らず、生活者の目線で政治を考えようというスタンスが見えます。こんなふうに「普通の人」が政治を語ってもいいんじゃない? という軽やかなメッセージが伝わってくる雑誌です。
『根っこマガジン』の表紙
2月22日、よりまし堂ではトークイベント「私のからだと私の自由 Part2」がありました。ゲストは社会科教師の平井美津子さんとSRHRアクティビストの福田和子さん。世代も専門も異なるお二人ですが、前回10月に開催したイベントで意気投合し、お客さんからも時間が足りなかったのでぜひ続編を! と熱い声をいただき2度目の開催となりました。
4カ月の間に激変した政治状況を受けて、これからの日本がどうなるのか、憲法や民主主義を守れるのかといった重い話題が中心でしたが、お2人の人柄もあって場の空気は明るいものでした。終了後の交流会も賑やかに夜まで続き、みなさん「元気をもらいました!」と笑顔で帰っていかれました。
かつてないほどの危機的状況だからこそ、仲間と励ましあえるリアルな場が今ほど必要とされている時はないと感じます。SNS上で相互批判や自己批判ばかり続けていても疲弊するだけですし。
今後、バックラッシュの大波にさらされても、根をしっかり張っていれば踏ん張れる。枝や葉を失っても、根っこが残っていれば次の季節には新たに芽吹く。各自が地に足をつけ、重心を低くして受け止める構えと同時に、仲間と腕を組みあい、ばらばらに流されないようにする。おいしいものを食べ、よく眠って休息をとることも大事です。
そして、次の世代に残せる種を守ること。全国で無数に生まれている小さな本屋は、シェルターと同時に、タイムカプセルの役割も果たすのかもしれません。
悲観なのか楽観なのか、自分でもわかりませんが、そんなことを考えています。
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川内有緒(著)一之瀬ちひろ(写真)『ロッコク・キッチン』(講談社)
戦争と並び、この国の権力者が「なかったこと」にしたい記憶のひとつが「第二の敗戦」とも呼ばれた福島原発事故だろう。著者は映像作家の友人らと共に、浜通りを貫く国道6号線(ロッコク)沿いに通い、そこに生きる人々から「食」を主題にしたエッセイを募る。垣間見えるのは、失われた郷土の暮らしだけでなく、震災後に移住した人や海外ルーツの新住民の目に映る福島、放射性物質という矛盾を抱えたまま粛々と進む「復興」事業――。ひとつの物語に回収されない断片を断片のままに収集した、取材者の誠実さに裏打ちされたノンフィクション。同名の映画も今月から公開中。









