普段は温和な学生の、信念がこもった作品
昨年、私が大学で担当するGlobalizing Japanese Pop Culture(グローバル化する日本のポップカルチャー)の授業にイラン人の学生がいた。彼は明らかにクラスメイトたちよりも年上だった。英語での会話にまだ少しためらいがあったようで、自分から手を挙げて発言することはあまりなかったけれど、温和な人柄で、グループワークでも問題なく、自分より一回りも若いクラスメイトたちと馴染んでいた。アニメや漫画が好きというわけではなく、日本のことをもっと知りたいからこの授業をとったのだと話してくれた。料理が好きで、妻が日本のとてもいい包丁をプレゼントしてくれたから日本の料理を作ってみたいのだとも言っていた。
私の教える授業の学生数は、どれも10人から多くても25人程度である。一方的な講義スタイルではなく、学生が主体的に学ぶプロセスを重視するアクティブ・ラーニングを取り入れた授業を行うので、毎学期、学生とは割合しっかりとした関係性を築き、最後の授業はちょっとした卒業式のような雰囲気にもなるほどである。そうして関係性を築いた学生の中には、その後も引き続き連絡をしてくれたり、すれ違えば挨拶してくれたり、中には私の別の授業をまた後の学期に受講しにくる学生もいる。逆に、授業が終わればもうそれですっかりおしまい、切れてしまう学生もいる。毎年100名以上の学生とこうして向き合うのだけれど、やはり中には特に印象に残る学生がいて、彼はそうしたうちの一人だ。
Globalizing Japanese Pop Cultureは、連載第1回でも紹介したように、日本のポップカルチャー事象を手がかりにした現代日本社会学の授業である。特撮やラーメン、アイドルなどを取り上げながら、核の言説、ナショナリズム、性差別など、現代日本に社会学的な考察を加えていく。それは、学期も後半に差しかかったころ、言論の自由についての回だった。そのイラン人の彼が、珍しくディスカッションで口を開いた。イラン現政権のもとで行われている悲惨な人権弾圧のこと、アーティストとしてそれに抗議する作品を制作しSNSに投稿したところイラン政府の目に止まってしまったこと、それにより、もしイランに帰れば自分は速攻死刑にされてしまうこと。あのいつもニコニコと穏やかな彼のイメージからは、にわかには想像ができないような、重く切迫した話だった。彼の信念とメッセージが込められた作品を見せてもらい、強く揺さぶられた。
これは彼が望んだことだっただろうか
5月、最後の授業が終わり、意外にもあっさりと教室を去ろうとする彼を追いかけて、これきりにしないで、いつでも連絡してくださいね、と声をかけた。「もちろん、もちろん!」とニコニコして別れた。
そのひと月後、6月にイスラエルによるイラン攻撃がはじまったとき、すぐに彼にEメールを書いた。返事はこなかった。世代的に学生たちはEメールをあまり使わない。さらに教師からのEメールには返信しない、そもそも読まないという学生も多く(それはそれで問題なのだが)、彼はもう少し上の世代ではあるけれど、何より夏休み中だったし、学生である以上そういうこともあるかなと思った。
この原稿を書く2日前、2026年2月28日にイスラエルとアメリカがイランを爆撃、イスラム最高指導者アリ・ハメネイが殺された。その作戦にあたり、小学校が爆撃され100人以上もの子どもが死亡、何百人という民間人が犠牲になった。また彼のことが気になりメールを書いた。アリ・ハメネイの死は、少なくとも彼の人生にとって一つの安心をもたらすことだろうと思う。同時に、これは彼の望んだことだっただろうかとも思えてならない。ハメネイ指導下のイランで弾圧され犠牲になった人たちのために彼は悲しみ、怒り、声をあげていた。こんなにもたくさんのイランの人々が殺されてしまったことに、彼が何も感じないわけがない。なにより、故郷に帰れなかった彼には、何年も会っていない家族や友達がいるはずなのだ。心配は尽きないだろう。
ハメネイの死を喜ぶイランの人々の報道を見て、ずっと彼のことを考えている。不正義に不正義が折り重なったこの複雑な現実の中で、人権と正義を求めていた彼が、こんなやり方でハメネイがいなくなってしまったことに、どう折り合いをつけるのだろうか。まだ返事は来ない。やはりEメールは見ないのかもしれない。どうかまだ大学に在籍しているように、バッタリ廊下で会えるように、祈るような気持ちで月曜日、新しい週を迎える。



