イスラエルと米国がイラン相手に戦争を始めてしまった。いや、美輪明宏氏に倣って、「大量殺人を始めてしまった」と記述した方がよいかもしれない。なぜならあらゆる戦争の実態は、大量殺人にほかならないからである。
実際、米国のミサイルとみられる兵器でイランの女子学校が破壊され、175名が殺された。それを筆頭に、すでに夥しい数の人々が、この「戦争」で殺されつつある。米ニューヨーク・タイムズ紙によると、現時点で約17000の家、65の学校、14の医療機関が攻撃された。また、1100人以上の子供たちが死傷している。
もしこれが平時であれば、たった一人でも殺されたり、家や学校や医療機関が一軒でも破壊されれば、悲惨な事件として報じられ、社会の注目を浴びるはずだ。
つい最近、米国ミネアポリスで移民捜査官によってルネー・グッド氏やアレックス・プレッティ氏が殺害された際には、その様子が映し出された映像がSNSやマスメディアで盛んにシェアされ、詳細に分析・吟味され、米国社会に激しい議論が巻き起こった。
イランの女子学校で殺害された175名の一人ひとりには、グッド氏やプレッティ氏と同様、それぞれの喜怒哀楽や物語、人生があったはずである。しかし戦争という名の大量殺人の下では、殺された人の顔や人生は認知すらされず、ただの数字として扱われてしまう。殺した人の責任も問われなくなってしまう。
これほど不条理なことはない。だからこそ、戦争は何がなんでも避けなければならないのである。
インタービーイング(inter-being相互共存)
いずれにせよ、この大量殺人の影響で、ホルムズ海峡が事実上通行不能に陥った。世界の原油消費量の約20%がここを通過するため、原油価格が世界的に高騰しつつある。
現代の文明は、石油でできた石油文明である。
原油高騰の影響は、ガス代や電気代、ガソリン代の高騰にとどまらない。燃料費が高騰するということは、食料品、衣料品、家具、医薬品、生活用品など、あらゆる品物の輸送コストが値上がりするということだ。のみならず、プラスチック製品や洗剤、紙オムツやタイヤや化学肥料に至るまで、石油を原料とする品物自体の価格も軒並み上がるであろう。価格が上がるだけならまだマシで、戦争が長期化すれば、供給が止まってしまう事態すらありうる。
遠く離れた中東での殺し合いが、私たちの日常生活に大きな影響を及ぼす。
その事実に直面しながら、僕はヴェトナムの偉大な僧侶で「行動する仏教(Engaged Buddhism)」を提唱したティク・ナット・ハン師の「インタービーイング(inter-being/相互共存)」という造語を思い出している。
ナット・ハン師はインタービーイングのわかりやすい例として、しばしば「一枚の紙」を挙げる。手元にある一枚の紙ができるには、木がなければならない。木が育つには、雨が降らなければならない。雨が降るには、雲がなければならない。雲ができるには、川や海がなければならない。育った木を切る人も必要だし、その人が食べるパンや、その原料となる小麦も必要だ。木を切る人の両親や、そのまた両親もいなければならない。その他にも、太陽、土壌、時間、空間……。一枚の紙ができるには、一枚の紙以外のすべてのものが必要である。言い換えれば、一枚の紙には宇宙に存在するものすべてが詰まっていて、共存、インタービー(inter-be)しているわけだ。
「私たちが、あるいは、何かのものが、ただ自分だけで存在するということはありえないのです。私たちは、ほかのすべてのものとともに存在しているのです。一枚の紙がここにあるのは、ほかのあらゆるものがここにあるからなのです」(ティク・ナット・ハン『微笑みを生きる』(池田久代訳、春秋社))
他人を傷つけることは、自分を傷つけること
このような視点で世界を深く観るとき、「自己」と呼ばれる存在と「他者」と呼ばれる存在は、実は明確に分けることは不可能なのだと気づかされる。
空気を汚すことは、それを吸う自分の肺を汚すことである。水を汚すことは、それを飲む自分の身体を汚すことである。どこかにミサイルを打ち込むことは、自分の生きるこの世界を破壊することである。私がいるからあなたがいて、あなたがいるから私がいる。他人を傷つけることは、自分を傷つけることなのだ。
イランは米国であり、イスラエルであり、日本であり、世界である。イランの子どもたちを殺すことは、自分の子どもたちを殺すことである。
邪魔なものさえ排除すれば、問題は解決する。
洋の東西を問わず、政治家にも一般人にも、私たちにはそういう誤った考え方が染みついている。だから人類の歴史上、同じ過ちを何度も、何度も、繰り返してきた。
アフガニスタンへの“対テロ戦争”しかり。イラク戦争しかり。
邪魔なものさえ排除すれば、問題は解決するという思い込みのもと、それらの戦争、いや、大量殺人は行われてきた。
その結果、世界はどうなっただろうか? 大量殺人を始めた人たちが主張したように、世界はより平和で安全になっただろうか? それとも、より憎悪と暴力に満ちた危険な世界になっただろうか?
その答えは、私たちみんながすでに知っているはずである。
「安保法制」で日本が大量殺人に巻き込まれる危険性
ドナルド・トランプは14日、自身のSNSで、中国、フランス、日本、韓国、英国などを列挙し、ホルムズ海峡の封鎖で影響を受ける国々に、海峡へ軍艦を送ることをうながした。「チームとして協力してやるべきことだったし、これからもそうだ」と主張している。
トランプが「チーム」に相談することなく、国際法違反の大量殺人を勝手に始める以前は、石油タンカーは自由に通行できていて、いまのオイルショックも存在しなかった。今の危機を招いたのは、他ならぬトランプである。にもかかわらず、その尻拭いは他国がすべきだという。
高市早苗首相は、このいつもながらの理不尽な要求にニコニコ顔で応え、自衛隊を危険な戦闘地域へ送るのだろうか?
戦闘地域に自衛隊を送れば、当然、攻撃されることもあるだろう。攻撃されれば、おそらく応戦もすることになる。つまり僕の高市首相への問いは、「あなたは日本の若い自衛官たちに、イランの人々と殺し合うことを命令するのか?」という問いにほかならない。
問題は、故・安倍晋三首相が2015年に通した安保法制のせいで、以前のように、非戦を謳った日本国憲法や法律を理由に自衛隊の海外派遣を断りにくくなってしまったということである。
実際、高市内閣が現在の状況を安保法制に則って「存立危機事態」と認定するならば、法理上、自衛隊を派遣することは不可能ではない。
以前本欄にも書いたが、存立危機事態とは、「わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」として定義されている。
もちろん、現在の状況は存立危機事態には当たるはずがないし、日本政府も今のところそういう認識を示している。
しかし、明日19日の日米首脳会談で高市首相がトランプに圧力をかけられたら、いったいどうなるだろうか? 首相が心変わりせぬことを心から祈るが、実に危うい状況だと僕は感じている。
これまで何度も申し上げてきたように、安保法制は、日本が攻撃されたときだけでなく、他国が攻撃された際にも参戦することを可能にした法律である。そのため、日本が大量殺人に巻き込まれる可能性を高めてしまった。日本の安全を守るためという名目で制定された法律だが、真逆の効果が起きていると言わざるをえない。
やはり安保法制は廃止せねばならないと、改めて思う。



