389ページのなかなかに分厚い本を、一気に読んだ。
読みながら、何度も「これは日本のことじゃないのか?」と頭がクラクラした。
弱者への侮蔑。自己責任という言葉が覆い隠す制度の欠陥や政策の転換。不安定化する一方の雇用。失われる製造業などの働く場。荒廃する地方。低所得者が生活保護受給者をバッシングし、削られていくばかりの社会保障費。貧しい人々を野生動物のように観察し、さらし者にするメディア。公務員バッシング。潰される労働組合。あらゆる社会問題を「家族の崩壊」のせいにする政党。富む者は富み続け、持たざる者は更に貧困に追いやられていく社会。そして移民に向けられる悪意。30年間にわたる新自由主義政策の残酷すぎる「結果」。
これらはすべて、イギリスのことである。EU離脱が国民投票で決まったのが2016年。一方、今年6月の総選挙では労働党が大勝し、与党・保守党の議席が過半数割れを起こすという「大番狂わせ」が起きた。人々の不満や怒りが労働党の追い風となったわけだが、一体イギリスで何が起きているのか、それを教えてくれるのが『CHAVS チャヴ 弱者を敵視する社会』(オーウェン・ジョーンズ/海と月社)だ。
本のタイトルとなっている「チャヴ」とは何か。それは「急激に増加する粗野な下流階層」。「偽物のバーバリーなどを身につけた無職の若者を中心とする下流階級」というのがそのイメージで、多くがスーパーのレジ係やファストフード店員、清掃員として働いているという。読みながら、「チャヴ」とされた人々に向けられる悪意に苦しくなりつつも、どこか既視感を覚えた。
03年には「我々の村や町を占拠しつつある、イギリスのがさつな下流階級」という宣伝文句のウェブサイト「チャヴスカム」(スカムは人間のクズという意味)が開設。「くそみたいな公営住宅に住むくそ人間」といった書き込みもあれば、チャヴを見分けるための「職業リスト」がついた本まで出版されている。フィットネスジムには「チャヴ撃退術」なるクラスまであり、そんな「チャヴ・ヘイト」は特権階級の若者の間でも流行っているというのだ。以下、本書からの引用である。
「オックスフォードなどの大学では、中流階級の学生が、労働者階級の戯画をまねた扮装で『チャヴ・ボップ』ダンスパーティーを開く。その扮装者のなかには、イギリスで最高の特権階級に属するウィリアム王子の姿もあった。サンドハースト王立陸軍士官学校で開かれた、チャヴがテーマの仮装パーティーで、ウィリアム王子はだぶだぶの服に『金ピカのアクセサリー』、そして必須の『斜にかぶった野球帽』という恰好だった」
決して人種差別や同性愛者差別をしない人々が、堂々と繰り広げる「チャヴ・ヘイト」。そんなチャヴに対するイメージは、セックスや10代での出産、生活保護、無職、アルコール、ドラッグ、暴力、怠惰といったものばかりが強調され、偏見に満ちている。が、彼ら「白人労働者階級」は人種差別主義者の集まりなのだから、彼らを嫌っても許されるというロジックが成り立っているというのだ。
そうして「チャヴ」には、優生思想剥き出しの発言が政治家からも向けられる。
ある保守党議員は、「生活保護を受けている家庭で二人目――あるいは三人目でもかまわないが――の子どもが生まれたら強制的に不妊手術をするという提案にますます説得力が出てきている」と発言。そんな発言には多くの支持が集まり、「水道水に不妊薬を混ぜ、親になるのに『ふさわしい』人だけに解毒薬を与える」という案まで出る始末だ。
なぜ、このようなことが起きているのか。26歳(執筆当時)の著者は、歪んだイギリス社会に憤り、その背景を紐解いていく。辿り着いたのは、サッチャー政権による新自由主義政策の推進だ。「自己責任」の名のもとに、民営化と規制緩和を押し進め、貧富の差は恐ろしいほどに拡大。が、「階級」は「能力」で超えられると喧伝される。そうして社会保障費は削られていくが、「正面きっての福祉の縮小は政治的にまずいので、政府は生活保護受給者を責める策に打って出た」。そこで利用したのは、「子どもばかり産んで福祉制度を食い物にするだらしないシングルマザー」というタブロイド紙定番のイメージだ。こうして「チャヴ」バッシングは、実に政治的に使われていく。「福祉のたかり屋」を叩けば、低賃金労働者の支持が集まりやすい。
そんなふうに貧困層がバッシングされる一方で、富裕層の脱税が注目されることはない。
「社会保障費の不正受給による損失は年間約10億ポンド(約1450億円)と見られているが、公認会計士リチャード・マーフィーの綿密な調査によると、脱税による損失は毎年700億ポンド(約10兆1500億円)、不正受給の70倍だ」「非常に皮肉なことに、デューズベリー・ムーアのような地域で暮らす貧しい人々のほうが、彼らを攻撃する裕福なジャーナリストや政治家たちより、収入比でいえばより多くの税金を払っているのだ」
そんな現実に対して、著者は言う。
「だからこそ、攻撃の矛先を社会保障費詐欺から脱税に向けなければならない」と。
しかし、報われない人々の怒りは富裕層には向かわず、移民に向けられる。人種差別主義政党はさまざまな不平等を移民のせいにし、白人労働者階級を「迫害されたマイノリティ」と位置づける。そんな政党に、今まで投票に行ったことのない層までもが票を投じる。
そのような現実に対して、著者は書く。
「新しい階級にもとづく政治では、たとえば移民に対する反動を、無知や人種差別として片づけず、労働者階級の嘆きが無視されることへの不満が誤った方向に進んだものなのだ、と理解しなければならない。移民への反動を抑えたいなら、手頃な住宅や、安定した高賃金の仕事の不足といった、肌の色に関係なくすべての労働者階級の人々に影響する根本原因を認識し、解決することだ。
何よりの悲劇は、移民をスケープゴートにしたせいで、本当に責任を負うべきエリートたちが見逃されていることだ。労働者階級の人々の不満を真の責任者に向けることができれば、出自にかかわらず、彼らをひとつにまとめる純粋な機会が生まれるだろう。『脱税で毎年約700億ポンド(約10兆円)が国庫から失われているのに、それを白人労働者階級からの略奪と表現する人はいない』とジャーナリストのヨハン・ハリは言う。
『でも、どこかの貧しいソマリア人が生活のために盗みを働くと、略奪だと言われる。何百億もの略奪はおとがめなしなのに。社会の格差について、より健全で生産的な考え方は、白人労働者階級の人たちと移民が同じ側に立って、本当の意味で略奪を働いている企業や富裕層に立ち向かうことだ』」
そうして、著者は主張する。
「認識すべきことはさらにある。新しい階級政治は、いまやイギリスだけの現象ではない。億万長者のビジネスエリートたちがグローバル化したのであれば、労働者階級の人々もあとに続かなければならない。選挙にもとづく政府を人質にとって、多国籍企業が身代金を要求することができるのなら、その挑戦に立ち向かえるのは、強力で国際的な労働者たちだけだ。急成長するインドや中国の労働者と提携することで、イギリスの労働者は初めて、賃金や雇用条件の世界的な『底辺への競争』を食い止めることができる」
まさにプレカリアート世界連帯、である。
本書がイギリスで出版されたのは11年。この年の秋、アメリカでは「We are 99%」を掲げた「オキュパイ・ウォール・ストリート」が注目を集め、世界中にオキュパイが広がった。そんな年に出版された本書はイギリスのみならずアメリカやEU各国でたちまち評判となり世界的ベストセラーに。そしてこの7月、日本でも翻訳が出版されたという次第である。
先に、6月のイギリスの選挙で労働党が大勝したことに触れた。が、そのムーブメントには本書も一役買っていると言われているそうだ。
本書の帯には、「イギリスがたどった道は、日本がこれから歩む道」とある。
が、本書を読むと、「自己責任社会」の中、既に多くのことがこの国でも始まっていることがよくわかる。
本当の「敵」を見誤らないための、怒りの書。
イギリスの20代の若者が書いた本書に、大きな大きな勇気を貰った。