第430回:私が「死にたい」と言ってた頃〜座間の9人殺害事件を受けて〜の巻(雨宮処凛)

第430回:私が「死にたい」と言ってた頃〜座間の9人殺害事件を受けて〜

 11月9日、共同通信の取材で神奈川県座間市のアパートを訪れた(記事は配信されているので読める方はぜひ)。

 9人の遺体が発見された、あのアパートである。

 線路沿いのアパートは若者が好みそうな小綺麗な建物で、通りを隔てた場所には花やお菓子や蓋を開けたペットボトルのジュースなどが供えられていた。線路のわきには一面のススキが風になびいていて、近所の猫がそれにじゃれついていた。秋晴れの、のどかな午後。しかし、アパートに張り巡らされた警察の黄色い規制線と、2階の外廊下を覆うブルーシートが、ここが事件現場であることを伝えていた。

 20代の頃、私は自殺系・自傷系サイトのオフ会にたびたび参加していた。2000年頃、ネットが普及し始めたばかりの時期の話だ。参加者の多くが10代、20代の女性。居酒屋で数十人がわいわい語る光景は、端から見たらただの若者の飲み会に見えたと思う。だけど、ほとんどの参加者の手首にはリストカットの生々しい傷跡があり、中には二の腕や太もも、果ては全身にまで傷が及んでいる人もいた。だけど、みんなの顔は一様に明るかった。

 ネットの登場により、生まれて初めて自分以外の「死にたい人」と出会えた興奮を、誰もが口にした。学校や職場の友人には絶対引かれるから、口が避けても「死にたい」なんて言えない。だから普段は必死で元気な自分を演じている。だけどそうすればするほど、死にたい気持ちは募っていく――。多くの人が、そう口にした。そして合言葉のように「うちら、生きづらさ系だよね」と言い合っては笑った。

 そんな繋がりの中、惨めでカッコ悪くて弱い自分を晒し合えるかけがえのない友を得た人もいれば、その後、自ら命を絶った人もいた。オーバードーズ(薬の過剰摂取)を繰り返していたことで心臓が弱り、自殺か事故かわからない形で亡くなった人もいれば、オーバードーズの果てに、吐瀉物を喉に詰まらせて窒息死した人もいた。オフ会に参加する頃には大分おさまっていたものの、私も10代からリストカットを繰り返していたし、オーバードーズで胃洗浄を受けたこともあった。

 その頃の気持ちを説明しろと言われると、今でもとても困る。一番辛かったのは、フリーターと無職を繰り返していた20代前半の頃だ。いつも先が見えなくて、経済的にも追いつめられていた。死にたい思いはあったけれど、死にたいほど辛いということをわかってほしいという気持ちも、もちろんあった。だけど常にいろんなことに追いつめられていて、自分でも何がどうしてどんなふうに苦しいのか、冷静に分析したり説明できるほどの冷静さなんてとっくに失っていて、いろんな生きづらさをこじらせまくっていて、口に出るのは「死にたい」の一言だった。自分には生きる資格がないと思っていたし、生きていることが迷惑なのだと思っていた。器用に生きることができない自分を常に責めていた一方で、周りも、自分を取り囲む社会も漠然と恨んでいた。

 「地獄」と言われる胃洗浄をしたことで、それ以来、オーバードーズはしていなかったけれど、オフ会に参加する人たちの多くはオーバードーズを繰り返していた。彼女たちの中には、死ぬためではなく、「寝逃げ」するためにするのだと言う人がいて驚いたのを覚えている。辛い現実から強制的に意識をシャットダウンし、人生を「早送り」するために薬をたくさん飲んでひたすら寝続ける。リストカットをすることで心の痛みを身体の痛みに置き換えて誤魔化し、精神科から処方された薬を大量に飲んで「寝逃げ」することで、なんとかやり過ごす。そうやって「生き延びて」いる人たちが、多くいた。

 彼女たちの死にたい背景には、様々なことがあった。親からの虐待を語る人もいたし、子どもの頃からのいじめの後遺症に苦しむ人もいた。正社員として入った会社がブラックで、恐ろしいほどのノルマと長時間労働で心も身体も壊された人もいたし、就職氷河期の中、「100社落ちる」ような経験をした人もいた。職場でのいじめによってうつとなり、退職した人もいた。失業から一人暮らしを維持できなくなり実家に戻り、連日、うつなどに理解のない親から「いつまでもダラダラしてないで早く働け」と責められ、親子間の対立が深刻な状況になっている人も多くいた。私が20代前半の頃(90年代後半)に働いていたキャバクラの同僚にも手首に傷がある子は何人かいたし、コンビニに行けば若い店員の手首に傷があることも珍しくなかった。

 90年代後半から00年代にかけて、リストカットに関する書籍は多く出版され、社会問題になったりもしていた。その背景には、「生きるハードル」が90年代に一気に上がったこともあるように思う。バブルが崩壊し、就職氷河期は深刻化し、リストラの嵐が吹き荒れる中で労働環境は過酷になり、非正規化も進み、それまでの「学校を出たらとりあえず就職する。就職さえすれば、周りは認めてくれる」という構図はあっさり崩壊していた。

 就職などをしなくても生きられる「隙間」はこの社会からどんどん奪われ、企業社会は「どんなに長時間労働をしても倒れない強靭な肉体とどんなパワハラを受けても病まない強靭な精神を持った即戦力」しか必要としなくなり、その上、プレゼン能力とコミュニケーション能力と生産性の高い人間以外はいらない、という露骨なメッセージを発し始めた。ちょっと不器用だったり引っ込み思案だったりする人間の行き場が、軒並みなくなり始めた頃。そしてその「生きるハードル」は、今に至るまで上がり続けている。

 03年には、インターネットで一緒に死んでくれる相手を募って自殺する「ネット心中」が多く発生し、連鎖した。その翌年には男女7人の集団自殺が大きな話題となり、05年、ネット自殺の死者は91人にまで達した。ネット心中は、私にとって「底が抜けた」ような事件だった。生きるために繋がるのではなく、死ぬための、ほんの一瞬の「連帯」。

 そういえば99年、初めてイラクを訪れた際、帰国してすぐに「死にたい」という知人と話したことがある。「イラクハイ」だった私は「イラクでは劣化ウラン弾の影響でがんになった子どもがたくさんいて、だけど経済制裁で病院に薬もなくて、子どもが毎日たくさん死んでたんだよ」と話した。だけどそんな話は当然「死にたい」彼女には1ミリも響かず、「ふーん」と聞き流されて終わった。私はひどく自分を恥じた。「遠い国ではこんなにたくさんの子どもたちが死んでいる」なんて、「お前は恵まれているんだから死にたいなんて贅沢だ」という言葉と同義だ。自分が一番死にたい時、そんな言葉を言われてもひとつも響かないどころか説教された気分になったに決まってる。それなのに、そんな言葉を口にした自分が恥ずかしかったのだ。

 「生きていればいいことがある」「親や周りの人の気持ちになってみろ」。そんな言葉も同じくらい響かなかった。そんな通り一遍の言葉より、「自分も死にたい」という言葉が沁みる夜がある。「死にたい」でしか繋がれない瞬間が、誰の人生にもきっとある。だけど、必死で伸ばした手を誰が握り返してくれるのか、そこまではわからない。そうして今回、最悪の事態となってしまった。

 「死にたい」人をターゲットとした事件は、05年と07年にも起きている。どちらも自殺サイトで知り合った相手を殺害したというケースだ。犯人の一人には既に死刑が執行されている。

 「実際に死にたいと思っている人はいなかった」。今回の事件の容疑者はそう供述している。

 事件を受けて、自殺を仄めかすネットへの書き込みの削除や通報を求める声もある。政府の関係閣僚会議では、自殺に関する不適切なサイトや書き込みへの対策強化について検討されるという。

 だけど、多くの人が指摘しているように、「死にたい」は、貴重なSOSだ。普段から、リアルな関係で弱音を吐けていれば、それが当たり前のことだったら、こんな事件は起きなかった。禁止されるべきは「『死にたい』という書き込み」ではなく、弱音を禁ずるような圧力ではないのか。

 20代、30代の死因の1位はもうずーっと前から「自殺」だ。そして08年からは、11年をのぞき、15〜39歳の死因の1位が自殺である。先進国の中では突出して高い数字で、私たちは若い世代がもっとも自殺で死にやすい国に生きている。

 リストカットやオーバードーズをし、「死にたい」と散々言ってきた私が生き延びられたのは、自分と同じように「死にたい」人たちとたくさん出会ったからだ。

 今だって、死にたいと思う瞬間はある。これからだって、そんなことは無数にあるだろう。だけど、私が「死にたい」と口にすれば引かずに聞いてくれる人たちがいる安心感があるからこそ、生きていられる。

 「死にたい」と言っていいし、弱いまま生きていい。弱音を吐いてもいいし、何もできなくてもダメでもいい。

 そんなメッセージが、どうか誰かに届きますように。そう思いながら、書いている。

第430回:私が「死にたい」と言ってた頃〜座間の9人殺害事件を受けて〜

座間のアパートの前に供えられたお花など

*記事を読んで「いいな」と思ったら、ぜひカンパをお願いします!

       

雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。