第222回:突然の「安倍発言」、闘いは次のステージへ

 凄いことを考えるもんだ。よくこんな手を思いつくもんだ、と唸ってしまった。5月3日の安倍発言だ。憲法改正を求める集会にビデオメッセージを寄せ、「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と明言した。改憲項目として、9条1項、2項を残したまま、自衛隊の存在を明記した条文を追加すること。高等教育の無償化を定めた条文の新設を挙げた。「施行70年・憲法記念日」は大変なことになってしまった。

 この直後、5月5日(金)にTBSに行った。「サンデーモーニング」(5月7日放送)の収録だった。1週間ほど前から決まっていた。改憲ムードがある中で、どう思うか。長い間、改憲運動をやってきたのに、何故、今、改憲に反対するのか。そのへんの心境の変化を喋ってほしいと言う。最近出した『憲法が危ない!』(祥伝社新書)を中心にして話してくれと言う。でも突然の「安倍発言」だ。質問はどうしても、そこに行く。収録の時は、局の人が次々と質問をする。それに僕が答える。鋭い質問もあり、質問者が途中で替わる。結構ハードだった。でも、5月7日の本番では、僕が話している部分だけが流れる。質問のところは省いている。僕が一人で講演しているようだ。収録は1時間以上に及んだ。「でも本番では5分か10分しか時間がありませんので……」と言う。その通りだった。

 僕の本について、そして、なぜ改憲は危ないか、について話す予定だったが、どうしても「安倍発言」の方にばかり質問がいく。僕も戸惑った。どう考えていいのか分からなかった。「すごいことを考えつきますね」と言っていたら、「感心ばかりしてないで、コメントして下さい」と言われた。でも、自民党の人も含めて皆、驚き、戸惑っているのだと思う。

 9条を素直に読む限り、軍隊は持てない。戦争はできない。それで「平和憲法」と言われてきた。この理念は守りたい、平和は守りたい、そういう人々の思いは大きい。と同時に自衛隊も必要だ。9条の1項だけは残し、2項を変える。平和を守るために最低限度の武力は持つ、というかたちで自衛隊を明記しようというのが自民党の改憲案だったはずだ。今でもそうなっている。

 でも、もちろんこれは「9条改正」になる。それでは、国民の反対も起きるだろう。「平和憲法の9条は守りたい」という国民の気持ち。自衛隊は必要だし、憲法に明記したいという自民党や保守派の思い。その矛盾するものに、どう折り合いをつけるか。それが問題だった。それに皆、ずっと苦しんできた。ところが安倍さんは、「じゃ、自衛隊は第3項にして付け加えればいいだろう」と言い出したのだ。本来あり得ない話だ。でも、ケロリとして言う。「そんな手があったのか」と皆、驚く。「どうだ、これは誰も反対できないだろう」と安倍さんは得意顔だ。

 しかし、そんなこと、誰の発想なのだろう。日本会議の発想と思ったがどうも違うようだ。彼らはそんなセコイことは考えない。正々堂々と議論し、9条改正をしたいと言っているし。他の大臣のアドバイスか。いや、本人の思いつきのようだ。改憲ムードが高まっているのに、今ひとつ前進しない。このことに焦ったのだろう。北朝鮮は挑発をし、アメリカは戦争も辞さない構えだ。又も朝鮮戦争が起きるかもしれない。日本だけが「平和憲法」の下でボーっとしていていいのか。千載一遇のチャンスだと思っているようだ。だから、この危機を煽り、それで改憲の機運を盛り上げようとした。戦争を〈悪用〉しようとしたのだ。たしかに自衛隊は必要だ。でも、アメリカと一緒になって戦争するのは嫌だ。9条の理念は守りたい。そう思い、気持ちが乱れている人が多いのだ。その乱れた気持ちを、そのまま認めようというのが、安倍試案だ。公明も維新も反対できないだろう。9条はそのまま認めるんだから。護憲派の人々も文句はないだろう、という理屈だ。

 9条1項、2項はそのままで、第3項として自衛隊を明記する。これじゃ、相対立するし、相矛盾する。そんな条文をつくってどうするんだ。意味がないと思うかもしれないが、安倍さんは「大いに意味がある」と思ってるのだろう。〈憲法改正をした〉という事実だけは残る。それだけでいいんだ。そして又、何年か後に「やっぱりスッキリしないね」「ちょっと矛盾する条文だ」となった時に、スッキリと変えたらいい。そんな心づもりなのだ。

 とにかく焦っている。どこでもいいから、クサビを打ってみたい。改憲をした、という証拠を残したいのだ。

 安倍さんはいい手を思いついたと満足かもしれないが、すぐに馬脚をあらわす。こんなセコイ手法はそう何度も通用しない。だって、ちょうど10年前にも同じようなセコイことを考え、発表していた。憲法改正手続きを定めた96条を「衆参両院議員の三分の二以上の賛成」から「過半数」へと改正をする方針を表明した。これには、改憲論者からも「‟裏口入学“のようなものだ」と批判されて、尻すぼみとなった。スポーツの試合に出る前に、自分に都合よくルールを変えるようなものだ。これじゃ、仲間うちだって反対するだろう。一人ひとりが誇りをもち、堂々と胸の張れる国にしよう、ということで改正しようとしているのに、全く誇りを持てない。セコイ方法でルールを変えようとしている。これじゃ国民にも見放される。

 又、「2020年前までに」と時間を区切ったこともおかしい。「東京オリンピックまでに」ということか。でも、オリンピックと関係はない。冷静な改憲論議ならば堂々とやったらいい。でも、それには自信がないから、こんなかたちでルールを変えたり、奇手をつかった思い付きに頼ろうとしている。そんなことを考えるよりも、やることは一杯あるだろうと思ってしまう。

 嫌なかたちで改憲論議が進み、暴走している。これに危機感を持つ人々は多いはずだ。国立公文書館で開かれていた「誕生・日本国憲法」の特別展はものすごい人だった。憲法とは何か、どうあるべきかをじっくりと考えたいと思う人たちが、詰めかけたのだと思う。又、岩波書店から出た『私にとっての憲法』も素晴らしい。53人が語っている。危機感・不安感にかられて書いたようだ。これなどはマガジン9がやるべきだったと思う。今までのノウハウもあるし、もっと力強く「マガ9運動」を展開してほしい。微力だが、僕もそのために協力したいと思っている。この闘いも、次のステージに入る。

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鈴木邦男
すずき くにお:1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」