第45回:「河」と広島(木内みどり)

 「河」
 広島の青春群像。
 平和運動の原点を照らす。
 四幕。
 1973年度 小野宮吉戯曲平和賞受賞
 あの名作「河」が30年ぶりに蘇る。
 2017年12月23・24日 /全4回公演。
 @広島市横川シネマ

 画家・四國五郎さんの息子さんである四國光さんから、この演劇の上演があると聞いて、即座に「観たい」とそう思い口走っていた。

 「こうしたい」「行きたい」「会いたい」「食べたい」と反射的に感じてそのように動いた結果、後悔したということがない。
 「~したい直感」は、信頼できる。

 観るのは迷わず、ラスト回、12月24日15時からのステージと決めた。ラッキーなことに、チケット完売寸前でなんとか席を確保してもらえた。
 当日、乗りこんだ新幹線車内で落ち着いて頭を切り替えた。

 「河」…。
 いったいどういう演劇なのか。

 詩人・峠三吉さんと天才画家・四國五郎さんを中心に活動されていた「反骨」の若者たちの事実を芝居にしたということだけで、詳しい情報は持っていない。
 だから、とりあえず、峠三吉『原爆詩集』をしっかり読んで客席に座ろうと思い、東京―広島間の新幹線車内で熟読した。

 文庫『原爆詩集』は、「あとがき」で解説を書いてらっしゃる詩人のアーサー・ビナードさんが扉にススっと「Arthur Binard アーサー・ビナード」とサインしてくださったもので、わたしの大切にしている一冊。
 今までも読んだことはあるけれど、数時間後には舞台上の「峠三吉さん」や「四國五郎さん」を目撃すると思うとグッと現実味を帯びてきて、感じるものが変容していく。

 まずは初めのページ。
 「序」として書かれた有名な有名な詩、

ちちをかえせ ははをかえせ

としよりをかえせ

こどもをかえせ

 この本はこの詩で始まると知っていた。が、改めて手にして気がついた。この詩集、実は、「序」の前のページにこんな短い一文があるのだった。

 1945年8月6日、広島に、9日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。

 この一文で、わたしの心はつかまれた。
 だって「全世界の原子爆弾を憎悪する人々」って、紛れもなくわたしもそのひとりだから。

 峠三吉さんは出版のあてもない中で、やっと、自費出版にこぎつけたこの時点でもう、後々のわたしのような者までをも心においてこの詩集を「捧げ」られていた…。

 読み続けた。

 8月6日
 死
 炎
 盲目

 目次を書き連ねるようだから遠慮しますが、それでも、書きたい。

 墓標
 呼びかけ
 その日はいつか
 希い

 四國光さんと広島駅で合流して横川シネマへ。
 チケット完売の劇場はいつだって独特の「気」に満ちている。スタッフもチケットを扱う方々も席に向かう人々も高揚している。控え室や袖で準備している出演者はさらになお独特の時間を過ごしているはず。

 客席でフォトジャーナリスト・那須圭子さんと会いうれしかった。大宅賞作家・堀川惠子さん、毎日放送プロデューサー・大牟田聡さん、画家・ガタロさん、お隣には四國光さん、幕が開くまでの音楽はバッハの無伴奏チェロソナタ…と、素敵な素敵な時間はもう、始まっている。

 やがて、暗くなり「河」が進行していきました。

 ほとんどの方が土曜日曜、仕事のお休みを稽古に当て、パートパートでの練習。全員揃っての通し稽古は、本番前のゲネプロ一回だったとか。

 進行するにつれてわたしの気分は高揚どころか深く静かに潜っていきました。
 事実・真実の重みが次から次へとわたしの中に堆積されていく。

 長い芝居の途中休憩、10分間。
 誰とも口をききたくないまま、柔らかい席に埋もれるようにして沈黙するしかなかった。

 ふた幕目が始まり、原爆投下された広島の中で大きな権力に逆らい争い抗った人々のその呼吸に自分の呼吸も同調してしまう。
 舞台上の人々の苦悩がわたしの苦悩になり、悲しみがわたしの悲しみになってしまう。
 新幹線の席で読みこんできた詩が次から次へと登場、展開していく。

 圧巻は、イッちゃん。
 市河睦子という役をやった中山涼子さんは、普段は時事通信社の記者さんだそう。彼女のおばあさまをモデルにした役をやってみないかという劇作者の故・土屋清氏夫人であり主演女優であり演出家でもある土屋時子さんが誘った時、即、やりたいと思ったそう。
 
 その後、舞台出演の実際がわかり出してからは腰が引けた時期もあったようだけれど、本番を前にして中山涼子さんの心はピタッと治ったのだと思う。
 見事だった。完璧だった。神がかっていた。

 どのセリフもひとことひとことが全員の心に響いて響いて。
 客席のあちこちから嗚咽の声さえ聴こえてきた。

 素晴らしい時間が流れて「劇」の時間が終わり、拍手喝采の時間がすんでも、わたしは打ち沈んだまま。客席に取り残された気分だった。
 誰かと「よかったですね」「すばらしかったですね」と言い合う気力もなかった。

 打ち上げ会場に誘っていただいて参加した。
 長い長い困難な稽古と準備にみなさん疲れ果ててる。けれども、公演の大成功を実感してどの方も弾けて喜びを爆発していらした。そのしあわせな充実感の渦にまきこまれてわたしまでたのしかった。

 中山涼子さんに感想を聞かれた。
 すらすら返事ができた。素晴らしかった。見事だった。
 地球全てが自分のその両の手の中にあるって実感しませんでした?

 涼子さんが静かに二度、うなずいた。

 これを機に女優さんの道へという話もあるそうですけど、わたしはお勧めしません。
 今晩のようなことは努力して勝ち取れるものじゃないからです。今後二度とあり得ないようなことが今夜のあなたに起こった、そのことを宝物にして、今のお仕事の中に生かしていくほうがいいと思います。

 こうして書くとなんてエラそうなことを言いやがるって感じだけれどw、本気の感想でした。

 制作された池田正彦さん、演出主演された土屋時子さんに大きな尊敬の拍手を送ります。

***

 翌朝、ひとりで長い散歩をしました。
 1945年8月6日朝8時15分、広島中心部に落とされた原子爆弾。
 72年後の今、歩き回ることでなにを感じとれるのか。

 いつかやってみたかった散歩。
 7時30分にホテルを出て歩きはじめました。

 相生橋を渡る。みなさん日常の朝を迎えて歩いたり走ったりしている。路面電車やバス、自転車、自動車、または、子犬を連れて散歩中の方も。
 わたしはこういう光景の中にとけ込んで気ままに歩くのが好きだ。

 この頃使えるようになったiPhoneでLiveしながら歩く。
 もうそろそろ8時15分近い頃かなと感じた時に時計台が大きな音を立てる。
 そうなんだ、広島では毎朝8時15分の時報があるんだ。

 元安川を挟んで向こう岸の原爆ドームに向かって、峠三吉さんの詩「八月六日」を朗読した。2時間近く歩いているうち、だんだん腹立たしくなっていった。

 昨日見学した原爆資料館では、40年以上見学者に強烈な印象を与えてきた等身大の展示物が2017年4月25日に撤去されたと知ったし、『原爆詩集』の峠三吉さんのコーナーがないことにも驚き、原爆や戦争反対のためだけに絵を描いた天才画家・四國五郎さんの絵も詩も一枚も展示されておらず、被爆者のその後10年を記録した写真集『ピカドン』の写真家・福島菊次郎さんの写真も一枚も展示されていないし、コーナーもない!

 2002年8月に開館された「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」にはさらに驚いた。
 素晴らしい建築物だけれど、「原爆の惨禍を全世界の人々に知らせ、その体験を後代に継承するための施設」とのことなのに、館内のコンピューターで「四國五郎」「峠 三吉」「福島菊次郎」と検索してもなにひとつ出てこなかった。

 その一生を「原爆の惨禍を全世界の人々に知らせ」るために生きたこの3人の偉大な人々を無視してるなんて。広島市やこの国はこの大切な3人を歴史から消そうとしている…と書いたら過ぎるでしょうか?

 Twitter Liveしたので、お時間のある方は観てください(ただし、30分くらいありますw。デジタルなwebマガジンだからアーカイブに残りさえすれば、いつの日か偏屈でへそ曲がりの頑固者、わたしのような人が見てくれる…かもしれないと夢見て載せておきます)。

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木内みどり
木内みどり(きうち みどり):女優。’65年劇団四季に入団。初主演ドラマ「日本の幸福」(’67/NTV)、「安ベエの海」(’69/TBS)、「いちばん星」(’77/NHK)、「看護婦日記」(’83/TBS)など多数出演。映画は、三島由紀夫原作『潮騒』(’71/森谷司郎)、『死の棘』(’90/小栗康平)、『大病人』(’93/伊丹十三)、『陽だまりの彼女』(’14/三木孝浩)、『0.5ミリ』(’14/安藤桃子)など話題作に出演。コミカルなキャラクターから重厚感あふれる役柄まで幅広く演じている。3・11以降、脱原発集会の司会などを引き受け積極的に活動。twitterでも発信中→水野木内みどり@kiuchi_midori