第31回:いま、日本の原発はどうなっているか?(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 異常な政治状況に目を奪われて、最近は原発についてあまり言及されることもなくなった。ぼくはそれでも、できる限り首相官邸前や国会議事堂前の原発反対デモに参加しているけれど、参加者数もかなり減少気味である。
 むろん、だからといって「原発再稼働賛成」の意見が増えたわけではなく、どんな世論調査でも「再稼働反対」が6割前後に達する。反原発の世論は決して衰えてはいないのだ。しかし、反対の具体的な動きがあまり可視化されないようであれば、安倍政権とそこに巣食う原子力ムラの面々は、「反原発運動は下火になった、再稼働のチャンスだ」とばかり、攻勢を仕掛けてくる。
 そうさせないためにも、最近の原発をめぐる状況を、少しまとめてみたいと思う。

問1 電力はまだ足りないのか?

 昨年夏の電力は十分に余っていたという。東京新聞の調査によれば、「昨夏の電力余力は震災前の原発分を上回っていた」という(3月8日付)。

 年間通じて最も電力が必要になる夏の発電状況について、電力の供給余力が昨年、東日本大震災前の二〇一〇年を大幅に上回っていたことが明らかになった。再生可能エネルギーが過去最大にまで拡大したほか節電が進み、震災前に稼働していた原発の合計分を大きく上回る電力の余裕が生まれたため。東京電力管内では厳寒となった今年一月下旬も、大手電力間で電力を融通し合う仕組みなどで電力不足を回避した。
 政府と電力業界は原発再稼働を急ぐが、原発がなくても十分な余力があることが裏付けられた形だ。(略)

 これを見れば、「原発がなければ電力不足に陥る」という原子力推進論者のリクツは、もうそろそろ通用しなくなっているのが分かる。実際、ぼくの家でさえ、LED電球への切り替えや、買い替え時がきた家電製品を省電力のものにしたことで電気代がかなり安くなっていることが確認できる。もう、電気をジャブジャブ使う時代ではないのだ(なお、我が家は電気を東電から他社へ乗り換え済み)。
 電力に十分な余力があると知りながら、なお原発再稼働を叫ぶのは、どこかに美味しい利権が絡んでいるとしか思えない。

問2 なぜ政府や電力会社は原発推進を止めないのか?

 電力会社は「使ってしまった金はなんとしてでもとり返す」という考えにとりつかれているようだ。止めてしまったほうが将来的には資金的にも健全なのだが、目先の経営状況改善にばかりとらわれて、未来を見通す経営戦略が立てられない。朝日新聞(3月8日付)に、こんな記事があった。
 「電力各社は、未稼働原発に5年で維持費を5兆円もつぎ込んでいる」というのだ。すでに5兆円を使ってしまった。このままでは、その5兆円は無駄になる。だから何としてでも再稼働したい。そういうリクツだ。朝日記事を引用する。

 原発を持つ電力会社10社のうち、稼動していない7社が「原子力発電費」として、原発の維持・管理に2012~16年度の5年間で5兆円超を支出していた。費用は主に電気料金で賄われている。電力各社は、再稼働すれば採算が取れると支出を続けるが、半数ほどの炉は再稼働の手続きに入っていない。(略)
 保守管理、警備などの人件費や委託費に加え、火力や水力では発生しない使用済み核燃料の再処理費や福島事故賠償に関する負担金がかかっている。(略)

 つまり、休止期間が長引けば長引くほど、かかる費用は膨らんでいく。しかも、この費用の中には、いまだにバックエンド費用(廃炉費や使用済み核燃料の最終処理費)などはきちんと計算されていない。どのくらいかかるのか、現段階では確定できないからだ。それらを含めれば、われわれの支払う電気料金は上がることはあっても、下がることはまったくない。いつまで住民に負担を押し付けるつもりなのだろうか。それについては政府も電力会社も、口をつぐんだままだ。
 54基あった原発のうち、すでに14基の廃炉は決まっている。現状で運転しているのは大飯3号機、川内2号機、高浜3、4号機など。なお、玄海3号機は3月27日に再稼働したばかりだったが、31日には「2次系配管に直系1センチの穴があき蒸気が漏れだした」として急遽、運転休止。この事故のため運転再開のめどは立っておらず、3号機に続いて再稼働予定だった4号機も見通しが立たなくなった。これが、巨額の保守管理費をかけてきた休止原発の現状なのだ。
 残りの30基以上の原発は、未だに規制委への再稼働のための審査申請さえできていない。そんないつ再稼働できるか予定すら立てられない原発であっても、保守管理は続けなければいけないし、費用は累積していく。
 最終的に、原発は各電力会社の巨大な「負の遺産」になることは間違いないのだが、現経営陣と原発推進の経産省は、自分たちの生きているうち再び事故が起きなければそれでいいと考えている。そうとしか思えない。将来の膨大な目もくらむような費用負担を、いったい誰が受け持つのか、誰も責任を持たない安倍政権と同じなのだ。

問3 再生可能エネルギーで電力供給は大丈夫なのか?

 世界の潮流が再生エネに向かっているのは間違いない。例えば、独と英のシンクタンクの調査によれば、EU(欧州連合)では2017年の風力やバイオマス発電、それに太陽光などの再生可能エネルギー発電が、初めて石炭火力発電を上回ったという。これにより、EU各国では温室効果ガスの主な発生源である化石燃料発電の段階的廃止へ舵を切り始めたという(毎日新聞2月17日による)。
 さらに、再生エネの発電コストが大幅に下がっているという報告がある。国際再生可能エネルギー機関(IRENA)の報告書によれば、2010年からの7年間で、世界平均では太陽光は73%、陸上風力も23%の下落だという。しかし、日本では太陽光発電コストは24円(2014年時点・1kw時当たり)であり、世界平均の約10円(2017年時点)と比較すると、その異常なほどの高さが明らかだ。送電網の利用などがEUなどと比べていかに開放されていないかが一目瞭然なのだ。(東京新聞2月17日による)
 日本は島国、日本列島は周囲を100%海に囲まれている。すなわち「洋上風力発電」には、世界中で最も適した国だといえる。遅ればせながら政府も、青森、秋田、佐賀、長崎の4県の沖合を、この洋上風力発電の促進地域に指定するという。現在の日本の風力発電量は330万kwだが、これを30年度までに1000万kwにまで増やす計画だという。だが、なぜたったの1000万kwなのか。これは原発約10基分に相当するが、経産省ですら、日本周辺の海上風力発電の可能量は約15億kwと試算しているのだ。日本政府の再生エネへの後ろ向きの姿勢がここにも見える。

問4 原発コストはやはり高いのか?

 原発輸出にも赤信号がともり始めた。それは建設コストの高騰による。もはや、原発を建設することすら困難になってきているのだ。
 日立製作所はイギリス西部のアングルシー島に建設予定の2基の原発について、英メイ首相に支援策を求めている。単純に言えば、原発の安全基準を満たすためには、予定事業費を大幅に超える費用が必要になったためである。当初は1.5~2兆円程度とされていたものが、東電福島原発事故以来、安全対策費が従来には比較できないほど高騰して、結局は3兆円ほどまで膨らんだという。このため日立は、メイ首相に英政府からの資金援助を要請。それが得られなければ、事業からの撤退も現実味を帯びる(朝日新聞5月3日による)。
 さらに、トルコへの原発輸出も暗礁に乗り上げている模様だ。
 ここでも、当初2兆円前後と見込んだ総事業費が、倍の4兆円以上に膨らんだというのだ。伊藤忠商事が三菱重工と組んで、この事業化の可否についての調査に加わっていたが、2015年に撤退。伊藤忠商事の岡藤正広社長は「費用が倍になっている。三菱重工は大変だと思う」と述べ、この計画が行き詰まる可能性を指摘したという(東京新聞5月3日による)。
 もはや他国への日本製原発の輸出が不可能になったということだろう。
 高騰は何も建設費だけに限らない。事実、かつては4~5千億円といわれていた日本の原発建設費だったが、いまや再稼働するための既存原発の安全対策の改修費が、2千~3千億円といわれるほどになってきている。つまり、原発自体がカネ喰い虫になってきているのだ。原発新設がほとんど限界に来ているのは、世界中どこでも同じなのだ。もし、安価な原発を造るというのであれば、それは過酷事故の呼び水になるだけだ。
 アベノミクスの重要な柱の1本であったはずの「原発輸出」は、ほとんど絵に描いた餅になってしまった。

問5 脱原発に向けての政治の動きはどうか?

 主な野党は「原発ゼロ」に向かっている。立憲民主党、共産党、自由党、社民党の野党4党は共同で3月9日、「原発ゼロ基本法案」を衆議院に提出した。この法案の前文を引用しよう。

 我が国は、今次の大戦において、原子爆弾の投下により未曾有の参加を被ったが、昭和三十年の原子力基本法の制定以来、原子力の平和利用の名の下に原子力発電を推進してきた。(略)
 発電に要する経費が安価である、二酸化炭素を排出しない、核燃料サイクルによりエネルギーを無限に得られる等の主張は、原子力発電に関する諸問題から国民の目をそらし、殊更に強調された原子力発電の安全性は、日本の原子力発電所で事故は発生しないとの安全神話を生み出した。
 しかし、平成二十三年三月十一日に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う東京電力福島第一原子力発電所の事故は、原子力発電に依存する経済社会の構造に抜本的な改革を迫るものとなった。(略)
 こうした現実に直面した今日、我々は、これまでの国の原子力政策が誤りであったことを認め、これに協力して日本の経済社会を支えてきた地域の経済の発展を促進しつつ、全ての実用発電用原子炉等を速やかに停止し、および計画的かつ効率的に廃止するとともに、電気の需要量の削減及び再生可能エネルギー電気の供給量の増加によりエネルギーの需給構造を転換し、持続可能な社会を実現する責務がある。
 原発廃止・エネルギー転換の実現は、未来への希望である。(略)
 ここに、原発廃止・エネルギー転換を実現するための改革を総合的かつ計画的に推進するため、この法律を制定する。

 なかなか格調高い前文である。この宣言が実現できれば、この国にひとつの未来が開けるかもしれない。具体的な法案の内容としては、次のようなもの。

 ①国が責任をもってエネルギー転換を実現する
 ②速やかな全原発の停止を効率的かつ計画的に行う。
 ③法施行後5年以内に、全原発の廃炉を決定する。
 ③再生可能エネルギーを、2030年までに40%以上にする。

 年限を切るなど、かなり踏み込んだものになっている。これを速やかに実現できれば、再エネの普及も加速度的に進展するだろう。だが、旧希望の党や民進党は「この法案はやや急ぎ過ぎている」などとして、野党の共同提案には乗らなかった。5月8日に結成されたばかりの「国民民主党」は、原発容認派もかなり含まれていることから、すんなりと「原発ゼロ法案」に賛成はしないだろう。むろん、自民公明の与党は、いまだに原発推進の旗を降ろしてはいない。
 そういう意味では、残念ながらこの法案の実現には大きな壁がある。市民の運動が後押しするしかない。

問6 政府はどう考えているのか?

 安倍政権は、あくまで「原発は重要な基幹電源である」として、原発維持政策を進める構えだ。
 4月26日に、経済産業省の審議会による内容が明らかになった。これは政府の「エネルギー基本計画」の基になるものだが、そこには「2030年度の総発電量に占める原発比率を20~22%とする」と記されており、一方「再生エネは22~24%」との数値目標であった。なにしろ、いまだに「原発の発電コストは安い」という、ほとんどカビの生えた理屈にしがみつく人たちがこの審議会の委員の多数を占めているのだから、この結果は審議する前から分かっていた。これを基に、安倍政権のエネルギー政策は決定される。
 問3で述べたように、世界の発電の潮流は、再生可能エネルギーに向けて滔々と流れているというのに、日本は完全に取り残されてしまっている。

「日本病」の症状が現れ始めた…

 かつて「イギリス病」という言葉が流行ったことがある。世界の先進国の模範であったイギリスが1970年代頃から経済不況を脱することができず、次第に先進諸国から取り残されていったということを、皮肉を込めて言った言葉だったが、いまや日本こそが「日本病」と呼ばれそうな気配である。
 アベミクスの失敗は格差社会をつくり、社会保障削減や高齢者医療の負担増、さらには生活保護の切り下げなど、人々の暮らしには停滞感が漂っている。その中で、新しい産業構造を見通すこともできず、旧態依然とした政策にしがみつく。その典型が原発を含むエネルギー政策であり、叫ぶのはたかだか「クール・ジャパン」などとアニメやファッションなどの個人才能への傾倒のみ。これでは新しい国家像など安倍内閣には望むべくもない。
 その上、国の中枢を占める首相官邸は、お友だち優遇の「首相案件」と勝手し放題の「妻案件」でメチャクチャだ。さらに行政機構は、高級官僚たちの見るも無残な崩壊ぶり。
 そろそろ、この国をリセットしなければ「日本病」の深淵に堕ちかねない。

 何とかしようよ!

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。