2016年のマガ9鼎談「女性の生きづらさ、男性の生きづらさ」で、日本社会においてセクシャルハラスメントやジェンダー問題を言及することの難しさを語っていた雨宮処凛さん。それから2年、このテーマに正面から向き合った著書『女子という呪い』(集英社クリエイティブ)を上梓しました。一方、男性のジェンダー問題を考えるウェブ連載「桃山商事の『先生、“男らしさ”って本当に必要ですか?』」などで発信を続けてきた清田隆之さん。初めての顔合わせとなるほぼ同世代のお二人に、これらの問題への関心をもったきっかけや、日本における#MeToo 運動について、またサブカル時代の女性の人権について語っていただきました。
女子の「恋バナ」を聞くという仕事
編集部 清田さんはマガ9読者にもはじめまして、ということで、自己紹介を簡単にお願いします。まずは、清田さんが代表になっている「桃山商事」って何をやってるところなんでしょうか?
清田 商社のようなややこしい名前ですが……これは人々の恋バナ、いわば恋愛の悩みとか愚痴ですね、それを聞き集めるという活動を行っているユニットです。もともとは大学の女友達を相手に遊び半分で始めたものですが、「複数の男子で女子のお悩みを聞く」というスタイルが珍しかったのか、口コミで友達以外からも依頼が来るようになり、段々と真面目なサークル活動になっていきまして。それで卒業後も活動が続き、今年で17年目になりました。恋バナを聞かせてもらった人は1000人を越えました。
雨宮 そもそもなぜ女性の話を聞くことになったんでしょう。清田さんの個人史と何か関係があるのでしょうか?
清田 中高一貫の男子校で6年過ごしたことが大きかったと思います。体育会系のマッチョな学校だったんです。教師の体罰は普通にあったし、校則も厳しくて、クラスでは男同士のホモソーシャル的な同調圧力も強かった。クラスの中でいかに過激ないたずらをしかけられるかとか、マクドナルドでハンバーガーをどれだけいっぱい食べられるかとか、そういうチキンレース的なコミュニケーションが日々繰り広げられている世界だったんです。そんな“女子不在”の環境の中で、女性を悪気なく「モノ扱い」する感性もすくすくと育っていきました。小学校や中学校の卒業アルバムを持ち寄り、女子の写真をみんなで見ては点数をつけるとか、エロ本を回し読みするとか。女子のことは外見でしか判断できず、ひたすら性の対象でしかありませんでした。
その一方で、ぼくは子どもの頃から病弱でビビりで泣き虫だったこともあり、母親からもよく「あんたは男らしくない」といわれていました。当時流行った『ドラゴンボール』や『スラムダンク』みたいな少年漫画より、『ちびまる子ちゃん』や『BANANA FISH』みたいなポップでかわいいものが好きで、自分の男性性にはずっと違和感をかかえていました。それがなぜかコテコテの男子校に入ってしまって、そこに適応しようという気持ちと、合わないなあという本音と、その両極に引き裂かれていました。自分の男性性の成り立ちを振り返ってみると、「男らしくない地盤に男らしさのビルを建ててきた」という構造になっているように思います。
雨宮 マッチョなものに対する違和感と過剰適応がごっちゃになっていたんですね。
女性の体のこと、何にも知らなかった
清田 そんな男子校時代を過ごした後、一浪して早稲田大学の文学部に進学したら、こんどは周りは女子ばっかり。これまでリアルな女子とは接触がなかったので、何を話していいのやら全く分からず内心恐怖の日々でしたが、男子が少なかったからか、クラスの女子から「男子の意見を聞きたい」と恋愛相談を持ちかけられるようになりまして、それが桃山商事の活動につながりました。
編集部 清田さんはジェンダー的な話題についても発信されていますが、そうやって女性たちの話を聞くうちにジェンダーについて考えるようになった、ということでしょうか。
清田 そうですね。学生時代はジェンダーの意味もよくわかっていなかったレベルで、桃山商事の活動を続ける中で少しずつ問題意識が芽生えていったという感じです。女性たちの恋バナを聞いていると、我々男は女の人のことを本当に何も知らないのでは…と痛感させられることが多々あります。
たとえば「生理」の話題が出てきても、最初は「毎月一回やってくるお腹が痛くなる日」くらいの理解しかなかった。だから、「セックスを拒んだら彼氏が不機嫌になった」みたいな話を聞いても、つい男性側に同情的になってしまっていたんです。でも、生理というのは腹痛うんぬんだけの話ではなく、体のサイクルのことであり、心身に変化が生じるとか、妊娠の不安がつきまとうとか、周囲の無理解によって苦しみが増大するとか、いろいろ複雑なものを含んでいることが少しずつわかってきた。それで、ネットラジオの番組で「男子が知らない月経のはなし」という企画を立て、月経の仕組みとか歴史とか本を読んで勉強したり、女子たちから男子の無理解に関する困りごとを聞き集めたりして、とにかくまずは「知ること」から始めようと努めました。自分自身、無知ゆえにいろいろと恋人に嫌な思いをさせてたんだな…ということに気づき、ガーンってなったのを覚えています。
雨宮 少なくない男性は、女性の体についてまったく理解がないと常々思っていましたが、無理解以前にただ単に無知なのかも。熊本地震のとき、「被災地に生理用品を送るなら、避妊具も送れ」という男性の意見があったと聞いたときには唖然としました。彼らの頭の中ではそのふたつが同列なんですかね。また「現代の女性は空調の効いた快適な職場で働いているんだから、生理なんてどうってことないだろう」と口にする男性がいたり、女が怒っていると、「ああ、生理中なんだな」とか、なんでも生理のせいにしてしまう男性もいます。
清田 ホントそうなんですよ……。「生理のときは不機嫌になる」とか、「生理前は女子もムラムラするらしい」とか、男社会に流布する非科学的な俗説をインストールしまくっていて、単なる無知よりもっと厄介かもしれません。もちろん知識を学んだところで女性の心と体について身体感覚で理解するのは難しいかもしれないけれど、勉強する、知ることで、少しは想像できるようになり、共感の糸口ぐらいはつかめるのではないかと個人的には思っています。
聞く力、心の内を言語化する力
雨宮 そもそも人の話をちゃんと聞くっていう男性、少ないですよね。聞き上手って女に求められる素養で、男のどうでもいい自慢話を、女が「すごい、さすが」って聞くというパターンが求められている。
清田 そうですよね。自分もかつては本当に人の話が聞けない人間だったんですが、桃山商事の活動を通じて大きく変化したなと感じるのが、「話を聞く」ということに関する意識です。というのも、男性には「プレゼンテーション」のことをコミュニケーションだと思い込んでる人が多いと思うんですよ。
雨宮 確かに男性って、自分の話ばかりするというか、自慢話とか偉そうなこと言ってやろうって、常に自分が主役みたいなとこ、ありますよね。
清田 「桃山商事」を始めた当初は、おもしろいことを言って女子を盛り上げようとか、鋭い意見を言って相手を説得してやろうとか、男同士の競い合いが発動し、「オレがオレが」になって相談者さんを置いてけぼりにしてしまうことが多かったんです。でも、当たり前ですがコミュニケーションは双方向的なものなので、自分が何かを主張する前に、まず相手の言葉に耳を傾け、それを受け止め、理解しないことには成立しませんよね。数々の失敗体験を通じ、そんな基本的なことを学んでいきました。
それともうひとつ、我々男性の特徴に「心の内を言葉にできない」というものがあると思います。つまり、思ったことや感じたことを言葉に出来ない。ガールズトークの文化や、心理描写の豊かな少女マンガなどに触れてきた女性に比べると、内面を言語化する力が圧倒的に乏しい。男同士って、仕事の話や話題のニュースなど、「自分の外側の話」は雄弁に語りますが、感情や感覚といった「自分の内側の話」について語り合う機会がほとんどない。自分の気持ちを相対化して言語化する訓練が積まれていないので、的確にアウトプットできず、結果としてすぐ不機嫌になるという…。
雨宮 「桃山商事」の著書『生き抜くための恋愛相談』にも書いてあって興味深かったのが、男が「不機嫌になる」のは、自分にとって「便利な手段」だからということ。その理由に「要望や要求が通る」「プライドが保てる」「相手が合わせてくれる」「優位にやり過ごせる」「気を遣ってもらえる」と書かれてあって、なるほど、と思いました。恋愛関係だけでなく、なぜ機嫌が悪いのかをちゃんと説明しないで、「俺の気持ちが分からないのか、早く忖度して俺様の機嫌を直せ」って感じで逆ギレする男性上司、あちこちにいますね。
このことで思い出したのが、かなり極端な例ですが、秋葉原無差別殺人事件をおこした加藤智大です。彼は小さい頃から自分の不満などを言葉で説明せず、行動で示してわかってもらおうとするという態度をとっていたそうです。それは母親からの影響らしいのですが、結局、不満を言葉にせずに行動で示すことが染み付いていた彼は、ネットのなりすましにムカついて、思い知らせてやろうと思ってあの事件を起こしたと言っている。トンデモない飛躍です。でも、自分が苦しいとか辛いとかをちゃんと言語化できないと、コミュニケーションもできないし、それが最悪、殺人にまでつながってしまう。無茶苦茶だけど、自分の気持ちを言語化する訓練ができていないって恐ろしいことです。だから「不機嫌になる」という都合のいいコミュニケーション手段は、もうやめませんか、と言いたいです。
清田 自分の内面を言語化できない例として、男性に恋バナを聞くと、何を言ってるのかさっぱりわからないことが多いんですよ。例えばあるカップルに、ひとつの出来事を双方から別々に振り返ってもらうというインタビューをしたことがあります。それはある大喧嘩のエピソードだったんですが、彼女側の語る話は、ことの成り行きから経過までよく分かるし、相手に言われた言葉、それを受けてどんな気持ちになったか、とにかく説明や描写が細かく、聞いているこちら側もクリアに理解できる。ところが彼氏の語る話は、状況も気持ちも見解もすべてがぼんやりしていて、よくわからない。「いや、何か彼女が怒っちゃったんですけど、謝ったら一応大丈夫になりました」って、本当にこれくらいで。おそらく、喧嘩の最中は「彼女の怒りが早く収まれ」ということしか考えてなかったのではないか(笑)。
さらにいうと、男性は身体感覚を経由した認識に乏しい印象があります。女性たちの思考の背景には、加齢や身体の変化、もっと言えば老いや死など、「有限性」みたいな感覚があることが多いのに対し、男性の思考はどこかふわふわしているというか、自分があたかも死なないし老いもしない「無限」の存在であるかのような感覚があるように感じます。健康を過信してるし、いいかげんなものを食ってるし、体のことに無頓着だしケアもしない。そんな中でたった2つだけ、異様とも思えるほど関心を抱いている問題があって、それはハゲとEDです。そこだけは身体感覚が異常に敏感になっていて、ケアにもとても熱心で。
編集部 ほんと、バランス悪いですね(笑)。
(その2へ続く)
清田隆之(きよた たかゆき)1980年生まれ。文筆業、恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表。これまで1000人以上の女性から恋の悩みを聞き、コラムやラジオで紹介。ウェブメディア「cakes」などで連載。著書に『生き抜くための恋愛相談』など。
雨宮処凛(あまみや かりん)1975年生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。マガジン9で「雨宮処凛がゆく!」連載中。