第453回:「小田原ジャンパー事件」、その後〜「誰もやりたがらない仕事」から、「もっともやりがいのある仕事」へ。の巻(雨宮処凛)

 歴史的な、記念すべき集会だった。

 その日、何人もからそんな声をかけられた。私もまったく同じ思いだった。貧困問題にかかわり始めてから12年。こんな日が来るなんて、望んではいたけど「無理だろう」となかば諦めてもいた。

 その「記念すべき」集会とは、7月14日に開催された「生活保護行政は変えられる! 〜小田原市などの取り組みから〜」。

 昨年1月、小田原市の生活保護ケースワーカーらが「保護なめんな」などと書かれたジャンパーを着用していたことが大きく報じられ、批判を浴びた。この連載(第403回)でも書いたように、私は「生活保護問題対策全国会議」の一員として2017年1月24日、小田原市に申し入れをし、再発防止のための意見交換をした。

 07年、生活保護を打ち切られた男性が市の職員をカッターで切りつけるという事件が起きたことを機に、「モチベーションをあげるため」などの理由で作られたジャンパー。ジャンパーだけでなくマグカップなどの「関連グッズ」も作られ、それが10年間、特に問題ともならずに放置されており、昨年1月の報道によって全国に知られたというのが経緯だ。

 生活保護利用者への、差別と偏見を象徴するような出来事。しかもそれを、生活保護利用者を支える立場の市職員がやっていたという衝撃。

 しかし、そこからの小田原市の対応は早かった。なぜ、このようなことが起きたのかという検証と改善方策をまとめるため、すぐに「生活保護行政のあり方検討会」が立ち上げられる。座長は井手英策氏。検討会のメンバーには4人の有識者が選ばれたのだが、特筆すべきはその中に元生活保護利用者の和久井みちる氏が入っていたことだ。「私たちのことを私たち抜きに決めないで」とは障害者運動の有名なスローガンだが、貧困問題では求めつつもなかなか実現していないことだった。しかし、この検討会では「当事者の声」が反映される仕組みが作られたのだ。

 そうして昨年2月28日には第一回目の会合が開催され、3月までに4回の会合が開催される。私も2回目の会合を傍聴に訪れたが(一般の人やマスコミにも開かれているというのも重要)、市にとっては耳の痛いだろう話が委員たちから率直に述べられる光景に、小田原市の「本気」を感じた。4月には検討会の話し合いを経ての報告書が出され、ジャンパー問題だけでなく、生活保護行政全体の改革が進んでいく。

 この日の集会では、その小田原市の健康福祉部 福祉政策課 総務係長の塚田崇さん、企画部 企画政策課 企画政策係長の加藤和永さんがパネラーとして登場し、「その後」のことについて話してくれた。

 2人の話を聞きながら、「ジャンパー問題をきっかけとして、小田原市は本当に変わってきているのだ」と何度も胸が熱くなった。

 例えば、改善のため「最優先で取り組んだこと」のひとつに、ケースワーカーの増員がある。ジャンパー問題のようなことが起きる背景には、現場の余裕のなさがある。十分な人手とノウハウがあれば、おそらく職員が切りつけられるような事件が起きても、もっと違った対応になっていたはずだ。しかし、日々の業務に忙殺される中、手っ取り早く職員のモチベーションを上げるためにあのようなジャンパーが作られたのだろう。

 全国各地では水際作戦 (保護を受けられる人をなんだかんだ理由をつけて申請させずに帰す)も日常的に起きているわけだが、その背景には、やはり現場の職員が圧倒的に不足しているという現実がある。ちなみに、都市部では一人のワーカーで80世帯を担当することが標準とされているが、この数を大幅に上回る世帯を担当しているワーカーはザラにいる。私としては一人あたり80世帯でも「多すぎる」と思うが、このようなオーバーワーク状態になってしまうと当然「丁寧な支援」などできはしない。

 この辺りは小田原市も同様で、やはり一人あたり90を超える世帯を担当していた。小田原市ではまず、このあたりの基本的なことの見直しが行われ、ケースワーカーが増員されたのだ。その結果、16年度にはケースワーカー一人当たりの世帯数が91.3世帯だったのが17年度には81.1世帯に。18年度も81.6世帯。また、社会福祉士の資格を持つワーカーも、16年度には2人だったのが18年度には6人まで増やされた。

 一方、これまでの小田原市では、生活保護の申請から決定までの日数が他の自治体より長くかかっていたのだが、これも大幅に短縮。16年度には14日以内の決定が3割以下だったのだが、17年度には約9割が14日以内の決定となっている。

 また、注目すべきは生活保護利用者や相談に来た人に渡される「保護のしおり」の改訂。「生活保護とは」という基本情報が書かれているもので、これがどのような作りになっているかで自治体の困窮者に対するまなざしが浮かび上がるという側面も持っているものだ。たとえば窓口に来る人には、高齢の人や障害がある人、教育の機会に恵まれなかった人も多い。よって、大きな文字でルビをふって作っている自治体もたくさんあるし、できるだけ平易な言葉を使うことが望ましいとされている。が、以前の小田原市のしおりは1ページ目から「他法・他施策の活用」「保護の要否」など役所の専門用語が並び、また「原則的に自家用車の運転はできません」などといった記述(実際は、仕事や通院に必要だったら車は持てる)や、「このような義務がある」「こういう場合は打ち切られる」など、申請に尻込みしかねない記述が続いていたのだ。そんなしおりについて、検討会の席で和久井氏は「今まで見た中で一番厳しく、かつわかりにくい」ことを指摘し、続けたのだった。

 「非常に苦しんで、困って困って辿り着いた市民の方に、『もう大丈夫ですよ、私たち小田原市役所のケースワーカーがあなたを応援しますよ』っていうメッセージがどこからも伝わってこないんですね。正直、私はこれを拝見した時に涙が出そうになりました。私が本当に困った時にこれを受け取ったら、『もういいや』って思ってしまうんじゃないかって」

 そんな指摘を受けた「保護のしおり」は全面的な見直しがなされ、すべての漢字にルビをふり、内容も格段にわかりやすいものとなった。

 この日の集会には、全国各地で生活保護の問題に取り組む人々が来ていたのだが、驚いたのはそんな小田原市の「保護のしおり」が、今や「お手本」として使われているということだ。例えば自分の自治体の「保護のしおり」がわかりづらい場合、職員に小田原のしおりを提示するなどして「こんなふうに作ったらいいのでは」とアドバイスしているというのだ。

 この動きには小田原市の職員の2人もびっくりすると同時に感激を隠せない様子だった。自分たちの進めてきた「改革」が、全国に広がっている。様々な経緯を経て改訂されたしおりが「こうあるべき見本」として扱われ、全国各地の自治体に紹介されている。「ジャンパー問題」というある意味で最悪の事態を経て、小田原は気づけば生活保護に関して全国のトップランナーとなるような自治体に変化しようとしているのだ。

 そんな「その後」の怒涛の展開を聞きながら思い出していたのは、ジャンパー問題が発覚した直後の市の記者会見だった。ジャンパー問題もショックだったが、それ以上に私はその会見で市の職員が口にした言葉に衝撃を受けた。それは生活保護の仕事について、「誰もやりたがらない、人気のない仕事」と言っていたことだ。生活保護を利用している人がこの言葉を聞いたら、どれほど傷つくだろう。こんな言葉、頼むから電波に乗せないでほしいと強く強く、思ったことを覚えている。

 しかしこの日、2人の職員の口からは生活保護の仕事について、何度も「誇るべき仕事」「もっともやりがいのある仕事」という言葉が聞かれた。その言葉に、嘘はないように思えた。と同時に、今まで自治体の人からもっとも聞きたかった言葉ってこれだよな、と思った。

 これまで、生活保護関連では、多くの自治体に申し入れをしてきた。

 12年、札幌市で生活保護を受けられず姉妹が餓死した事件が起きた際。同年、さいたま市で親子三人の餓死事件が起きた際。15年には利根川で一家心中事件が起きたことを受けて、深谷市の人々と話し合いの場を持った。私は参加できなかったものの、これまで多くの活動家や支援者が生活保護がらみの餓死事件や自殺、水際作戦などに関して、様々な自治体に申し入れを行ってきた。

 その中には、その後、職員たちに研修などが行われ、「良くなった」という話を聞くところもあれば「まったく変わっていない」というところもある。が、どこの自治体に行っても、ある一点では意見が一致した。それは「人手が足りない」ということだ。手厚い支援をしたくとも、ケースワーカーがオーバーワークでどうにも手が回らない。生活保護を利用する人が増えても、逆に人手が減らされていくような実態に、現場から悲鳴が上がっているのが現実だった。だからこそ、国に働きかけるべき、という点ではまったく意見が一致したのだ。そんな中で起きた、小田原ジャンパー事件。これは小田原市だけの問題ではまったくない。どこの自治体で起きていてもおかしくないことだった。この日、元ケースワーカーの人もそう指摘した。

 この集会を経て、あらためて気づいた。それは、自治体の人々と貧困問題にかかわる人々がこんなふうにオープンに語り合う関係をこそ、私は望んでいたのだと。

 一方で、この日知ったことで悲しい事実もあった。それは小田原でジャンパー事件が起きた際、市に寄せられた意見にはもちろん批判も多かったが、約半数が「よくやった」という意見だったということ。

 生活保護に関する偏見はやはり、根強い。

 しかし、変えられるということを確信した集会だった。

 はからずも、今週から生活保護のケースワーカーを主人公とした『健康で文化的な最低限度の生活』というドラマがフジテレビ系で始まる。同タイトルの漫画を原作としたもので、この漫画は緻密な取材に基づいている。

 今一度、誰もが無関係ではない「最後のセーフティネット」について、多くの人が考えるきっかけになりますように。そう祈っている。

シンポジウムにて。左から小田原市職員の加藤さん、塚田さん、私

雨宮処凛
あまみや・かりん:1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)、『自己責任社会の歩き方 生きるに値する世界のために』(七つ森書館)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。