「成績よかったら、テストの後で男子に『女のくせに生意気だ』って言われる。東大に入ったら、『お前は女じゃない』って言われる。ちょっとわからないこと聞いたら、『これだから女は』って言われる。女であることが許されてない気がして、私、東大やめちゃったんです。悔しくて苦しくて。やめて、普通の女の人になろうと思いました。でも、普通の女になっても同じなんですよ。結局どこに行っても『子ども産め』と言われ、産んだら産んだで『育てろ』と言われ、『だけど家計はしっかり握れ、無駄遣いはするな』と。『誰の稼ぎで食ってんだ』とまで言われたことあります」
8月3日。東京医大新宿キャンパス前で、拡声器のマイクを握った女性が声を震わせながら言った。東京医大において、女性の受験者に対し、一律減点が行われていたという報道がなされたのはこの前日。女性は出産、子育てで現場を離れることが多いなどという理由から、長年、女子合格者を3割以下に抑えるための操作が行われていたというのだ。
「女だから」という理由だけで、目の前でシャッターを降ろされる。未来に続く道を閉ざされる。このことには大きな批判が集まり、この日、北原みのり氏などの呼びかけで、東京医大前で抗議アクションが行われたのだ。急な呼びかけに集まったのは100人以上。女性が圧倒的に多いが、男性の姿もある。みんなが手に掲げるのは、「下駄を脱がせろ」「女性差別を許さない」「あんた達はあんた達を信頼して選び、受験した女性達の努力や人生を踏みにじったんだよ」などのプラカード。
冒頭のスピーチをした女性は、「ここに来ることがなんの役に立つはかわからないけれど」駆けつけたことを話してくれた。彼女は東大を中退したものの、のちに入り直し、子育てしながら大学院まで進んで職を得たことを話すと、続けた。
「高卒ってものしかなかった私に力を与えてくれたのは、学問です。その学問を、娘にも授けたい。でも、こんな形で女性が点数引かれて、頑張って勉強したい子たちの未来を勝手に奪うこと、おかしいじゃないですか!」
「今なら『大学行けなかった』って泣いた母の気持ちがよくわかる。私も娘に、『女だからって言われて諦めることないよ』って言いたい。でも、社会がそれを許さないんじゃ困るんです」
あちこちから、啜り泣きとともに「そうだ!」という声が上がる。
この日、多くの女性が思いの丈を語った。
ニュースを知ってから「涙が止まらない」という編集者の女性は、「男性が下駄をはかされている」社会の中で、しかし「女性が頑張れば、そこに辿り着ければ、抜けば一緒のところに立てる」という思いがあったからこそ、やってこられたということを話した。が、今回の「女性に生まれただけで一律減点」。「ふざけんな!」と叫ぶと、みんなも怒りの声を口にした。
病院での仕事を終えて駆けつけたという看護師の宮子あずささんは、男性が高下駄を履かされる一方で、「私たちは両手両足を縛って海に投げ入れられ、泳げないから泳がせないと言われているわけです」と、この社会を表現した。出産や子育てで現場を離れる女性医師が多いのであれば、働き続けられる環境を整えることこそが、まずやるべきことなのは明白だ。その証拠に、諸外国では多くの女性医師が仕事を続けている。
百歩譲って、どうしても女性を3割にしたいなら、東京医大は大学のホームページにでも堂々と書いておけばよかったのだ。「我が校は、女性医師の出産、子育てを理由とした離職による医療現場の崩壊を防ぐため、入試において女性受験者の点数を一律減点しております」と。だけど、書かない。書いたらどうなるかわかっているから、書かない。
一方、今回の不正受験を受けて、怒りを表明する人が男女問わず多くいるものの、「そんなもんでしょ」と諦めモードの人もたくさんいる。私の中にも驚きはあったものの、「やっぱり」という思いもあった。また、「女性だから減点なんかひどい」と声を上げたことに対して、「いや、女はもともと得してるんだからこれくらい仕方ない」なんて声もある。
女は得してる。この言葉に、今までどれほど黙らされてきただろう。
だけど、「女だから得した」と心から思った記憶をよくよく探ってみると、特に思い浮かばないことに気づいた。が、「女は得してる」と思っている男性は、「女は、上司や社長など権力を持つ男性に気に入られる立場になれる」などと言う。しかし、「女だから」気に入られるなんて、多くの女性は望んでいないはずだ。そうではなくて、多くの女性が欲しいのは、正当な評価だろう。性別とか関係なく、当たり前の一人前としての扱いをしてほしい。じゃなきゃ、マトモな自信なんて持てない。そして、そんな構造的に植え付けられた「女の自信のなさ」を、男社会はうまく利用してきた気がするのだ。
「女が得してる」系の話では、伊藤詩織さんの話を持ち出す人もいる。そもそも、若い男性ジャーナリストであったら、年上で力のある女性ジャーナリストに仕事を紹介してもらうなどあり得ない話ではないのか、やはり若い女性だからこそ、そういう道が拓けたのではないか、だからこそ、女性の方がチャンスを掴みやすいのでは、という言い分だ。しかし、そもそも女性の多くは力を持つ立場にない。若いジャーナリストに仕事を斡旋できるような全権を握っている女性など、ほとんどいないのではないだろうか。
その上、詩織さんはそれでなんの得もしていないどころか、性暴力の被害者になってしまった。そしてそのことを訴えれば、日本にいられないほどの二次被害に晒され、現在は海外生活だ。これのどこが「得」なのだろう。もし、仕事を紹介すると言われて会った日に被害に遭っていなくとも、「自分が仕事を紹介してやった」と恩を着せ、その後延々と関係を迫られる、などはよくある話だ。これもちっとも「得」ではない。そしてこういった一つひとつのことが、女性の自信を奪っていく。自分の実力を認めてくれたわけではなく、そういうことだったのか。やはり、自分にはその程度の価値しかないのか、と。そういうことが嫌で女を捨ててるふりをすれば、「女捨ててるキャラ」に対してのセクハラや残酷ないじりが待っている。
「でも私は、女ってやっぱり得してると思います☆」
私だって、そんなふうに言えばオッサン社会にうけることくらい知っている。「女という立場で男女平等などを否定する女」がどれほどもてはやされるか、杉田水脈議員の名前を出すまでもなく知っている。杉田議員までいかなくとも、今回の事件を受けて、東京医大を擁護するような発言をする女性医師がいることも知っている。
だけど、そんなふうに現状を肯定してしまえば、権力を持ったオッサンたちはそれを真に受けて問題は「なかったこと」にされるだろう。「やれやれ、やっぱり一部のヒステリーなフェミ女が騒いでただけか」と嘲笑されて終わるだろう。それを繰り返してきた果てにあるのが、この現状なのだ。不正受験で未来を奪われた女性たちの話は、過去の悲惨な話ではなく、現在の話なのだ。男社会に過剰適応することで自己防衛する女性たちの気持ちもわからないではないが、そのために女性全体に不利益が及ぶことを私はよしとしない。それに、こんな社会は変わっていくと信じている気持ちもある。信じていなければ、もう諦めて黙っているだろう。
そんな東京医大の受験料は、6万円。この日は、不正に落とされた女性たちにせめて受験料を返還せよ、という訴えもなされた。また、東京医大は「女性研究者支援事業」として、国から8000万円の補助金を受けているのだという。このことと女子を一律減点してきた不正受験を東京医大はどう説明するのだろう。
さて、そんな東京医大前の抗議から2日後の8月5日、渋谷ハチ公前で開催された、杉田議員のLGBT差別に反対するアクションに駆けつけた。
猛暑の炎天下、集まった人々たちが掲げるのは「生産性で差別をするな」「沈黙は死」「人権を軽んじる政党はいらない」など。「反・生産」と大きく書かれた旗もある。7月27日、杉田議員の寄稿に抗議して自民党本部前には5000人が集まったわけだが、杉田議員には指導がなされただけで、「生産性がない」という言葉を撤回も謝罪もしていないことについて疑問を持つ人たちが集まったのだ。
「私たちは生産性のために生きてるわけでもないし、同性愛は趣味なんかじゃない!」
22歳のレズビアンのなとせさんの叫びを皮切りに、台湾のゲイ男性や活動家など、様々な背景を持つ人たちがスピーチする。セクシャルマイノリティの子どもの自殺率が高いことについて。差別を受けても、うまくやり過ごしてしまうことが身についていることについて。マイクを握った多くの人が東京医大の問題にも触れ、そして何人かが、杉田議員の記事について「正直、驚かなかった」と口にした。
「なぜなら、ずっと差別され続けてきたから。声を上げても無視され続けてきたからです」
レズビアンの活動家、土屋ゆきさんは、そう言うと続けた。
「だけど、こんな尊厳を貶められるようなこと、慣れていいと思いますか? こんなこと、慣れてはいけません!」
その言葉に、大きな拍手が起こった。
子どもを産まなければ「生産性がない」と言われる一方で、妊娠、出産する可能性があるからと女性が医師の道から排除される。杉田議員のLGBTの原稿と、東京医大の問題は一直線に繋がっている。そしてそんな問題が、100年前の出来事としてではなく、今、起こっていることになんだか絶望しそうになる。
だけどこの日、希望ももらった。それはフリーランスエディター/ライターの宇田川しいさんの発言。
「この件でひとつはっきりしたこと。それは、デモは政治を動かせるんだということです。自民党の対応は十分とは言えませんが、それでも声明を引き出すことができたのは抗議活動のおかげです。もう、黙っているのはやめましょう」
その通りで、7月27日、自民党本部前に5000人が集まらなければ、自民党は声明も出さず、杉田議員への指導もせず、ただ「忘れられる」のを待っていただけだろう。しかし、多くの人が集まり、声を上げたことで、事態は確実に動いたのだ。
1994年、日本で初めてレズビアンゲイパレードが開催された時のことを振り返って、土屋ゆきさんはこう言った。
「94年は、みんなマスクをしてサングラスをしていた。今は、ほとんどの人が顔を出しています。この流れを止めてはいけない」
絶望的で、時代が逆戻りしたようなことばかりだけど、少しずつ、変わってきたこともある。それは、多くの人が声を上げてきたからだ。そうやって獲得してきたのだ。
「沈黙は死」というプラカードの言葉を、今、噛み締めている。