第456回:終戦の日、インドネシア人研修生に「推し」についての「いい話」を聞きバンギャ魂に火がつく。の巻(雨宮処凛)

 「平成最後」の終戦記念日を、あなたはどのように過ごしただろうか。
 私はアジア各国の人々と、文字通り歌って踊って遊んで過ごした。国籍は、インドネシア、台湾、韓国などなど。この日、高円寺であるライブイベントが開催されたためだ。おなじみの松本哉氏率いる「素人の乱」と、やはり高円寺の「SUB STORE」がコラボしてブチ上げた「死亡超人」なるライブ企画である。
 この日の目玉は、インドネシアで大人気だというバリのバンド「S.I.D」(Superman Is Dead)。なんとスタジアム級の大物バンドで、ライブには何万人もが押し寄せるのだという。

 どういう経緯でそんな有名バンドが高円寺の小さなライブハウスでライブをすることになったのか、そのあたりはもはや「高円寺の怪」というほかないが、他の出演バンドは「パンクロッカー労働組合」(日本)や、台湾の「共犯結構」など。これは面白いライブになるに違いないと高円寺ライブハウスのショーボートに駆けつけた瞬間、そこには異国の光景が広がっていた。
 ライブハウス前には、大勢のインドネシア人が座り込んでいる。しかもほとんど男性で、とにかく若い。20代とおぼしきインドネシア男性ばかりがショーボート前に詰めかけているのだ。

 この前日の飲み会で、「明日は日本中のインドネシア人が高円寺に集結するのでは」ということは耳にしていた。S.I.Dの人気はそれほど凄まじいらしく、普段はスタジアムでしか見られないようなバンドのライブがライブハウスという至近距離で観られるのだ。「もしかしたら会場に入りきれないくらいのインドネシア人が来るんじゃない?」「まさかー」。そんなふうに笑っていたものの、目の前の光景は、その「まさか」が決して大げさではなかったことを伝えていた。
 結局、ライブハウスには無事入れたものの、フロアは酸欠になりそうなほど超満員。あまりの混雑ぶりにクーラーも稼働しているのにほとんど意味をなしていない状態。その上、ここはインドネシアか、と見紛うほどにフロアにいるのはインドネシア人ばかり。一体、ここに来ているインドネシア人は普段何をしているんだろう? 学生? それとも日本で働いているのだろうか? そう思って、パンクロッカー労働組合のライブが終わったところで近くの若者に声をかけてみた。
「日本語できますか?」と聞くと、「できます」との答え。
「日本に住んでるんですか?」
 まだあどけなさの残る顔立ちの3人組にそう聞くと、みんなは頷いて、その中の一人が流暢な日本語で答えてくれた。
「はい、日本に住んでます。働いてます。私たち、研修生です」
 外国人研修生! 驚きつつも、会場の前の光景を見た瞬間、頭に浮かんだ言葉もそれだった。

 外国人研修生・実習生。名前は聞いたことがあると思う。途上国等への技能移転という名目で外国人を受け入れているものの、その実態は安い労働力として使っているだけではないかという批判が絶えない制度である。もちろん、すべてのケースがひどいわけではないが、私がこの問題について取材を始めた2000年代には、時給300円、「寮費」として高額な家賃を給料から差し引かれる、布団などにも「レンタル料」が発生して給料から差っ引かれる、仕事中のトイレの回数を制限されるなどの人権侵害がまかり通り、大きな問題となっていた(今も問題となっている)。日本語がわからない研修生・実習生に危険な作業をさせたことが原因で農機具で指を切断するなどの事故も多く起きており、過労死、過労自殺も起きている。が、逃げたくても、パスポートを取り上げられているので逃げられない。日本に来るために莫大な借金を背負っているので逃げられない。そんな研修生・実習生制度は国際社会からも「人身売買」と大きな批判を浴びてきたのだが、日本社会は「安い労働力」として彼らを必要とし続けてきた。研修生・実習生で多いのは中国、ベトナム、フィリピン、そしてインドネシアなど。

 「なんの仕事してるんですか?」
 3人組に聞くと、「メッキ」「溶接」「船」という答え。話しているとどんどん周りのインドネシア人も集まってきて、「自分も研修生だ」と告げる。横浜から来た人もいれば埼玉や茨城から来た人もいる。なんとわざわざ名古屋から駆けつけたという人もいた。みんなに年齢を聞くと、21〜26歳。キャップを斜めにかぶったり、サングラスをしたりとライブのためにオシャレしてきた若者たちだ。
 「S.I.D、好きなんですか?」
 そう聞くと、みんなが目を輝かせて大きく頷いた。
 「好き!」「大好き!」「カッコいい!」「インドネシアで一番人気!」
 陶酔したような目で口々に叫ぶ彼らの姿を見ていると、バンギャ(ヴィジュアル系ファンの総称)歴20年以上のババンギャの血が突如、騒いだ。
 そうして私は彼らに、スマホの写真を見せた。それは前日の夜、S.I.Dのメンバーと一緒に撮ったもの。「なんとかバー」(素人の乱の店)で飲んでいたら筋肉ムキムキで刺青だらけのガラの悪そうな異国の男がいて、「明日出るインドネシアのバンドだよ」と紹介され、その時はそんなに有名なバンドとは知らず「じゃあ写真撮ろー」と軽い感じで撮った一枚だ。

みんなに自慢した写真がこちら。S.I.Dのドラム(中央)と「素人の乱」の松本哉氏と。

 その写真を見せた瞬間、想像以上のどよめきが起こった。みんなは競って写真を覗き込み、「すごいすごい!」と大興奮! その上、「昨日の夜、一緒に飲んだ」と言うと(本当はただ同じ店に居合わせただけ)、彼らはもう引火しそうなテンションで「すごい!」「いいなー!」と叫び、私を尊敬のまなざしで見つめるではないか。フフ、自分は何もしてないのに尊敬されるこの快感…。

 さて、そうして始まったS.I.Dのライブは凄まじかった。SEが始まった瞬間、インドネシア人たちによる大合唱が始まり、そこからは阿波踊りとねぶた祭りと蘇民祭とケチャダンスが同時開催されているかのような大混乱。若者たちは有り余るエネルギーのすべてを注ぐようにシャウトし、拳を突き上げ、フロアで全身をぶつけ合いながら叫び、肩車され、中にはステージに向かってインドネシアの国旗を掲げる者もいる。
 みんなが汗だくになって、気がつけばライブは終わっていた。
 そうしてそれから、私たちは高円寺駅前の路上で輪になって乾杯した。路上飲みに参加したインドネシア人は数十人。みんな日本語が流暢だ。自己紹介もそこそこに、ライブの後の興奮で、みんなでずっとS.I.Dの話ばかりしていた。私もすっかりファンになり、「今日初めて観たけどすごいよかった!」と言うと、みんなは「ド新規」の私を心から歓迎してくれながら「YouTubeのこのライブ映像を観た方がいい」と動画を勧めてくれたりなど怒涛の「布教」をしかけてくる。日本のバンギャと行動がまったく同じだ。その上、「彼らはもう40歳くらいで、売れない時代が長く続いて、だけど突然売れだして」などなど「推し」についての「ちょっといい話」をしてくれたりもする。そんな「苦労話」とか聞かされると、本気で好きになっちゃうじゃないか・・・。国境も言葉も超えて、みんなの気持ちがひとつになる。そうしてコンビニで買った発泡酒と安ワインとチューハイなんかで何度も乾杯を繰り返して「S.I.Dの高円寺ライブの成功」を寿いでいたところ、なんと! ライブを終えたS.I.Dのベーシストが、私たちの駅前宴会に来てくれたではないか!

高円寺の駅前でインドネシア人たちと路上飲み会!

 突然の「神降臨」に、みんなは信じられないという顔で恐る恐る立ち上がり、口々に「エカ…」「エカ!」(確かエカという名前だった)と言いながら近づいていく。中には混乱して、「ここ、片付けなくていいですか!」と、路上の缶ビールや紙コップを片付けようとする者もいる。「エカ」に失礼だと思ったのだろうか。そうして数十人は立ち上がるとごくごく静かにエカに近づき、そこで厳粛な様子で始まったのが、エカを囲んでの撮影会だった。みんなが順番にスマホでエカとの自撮りを撮り、握手する。騒ぐ者はなく、ただただ静かに時間が流れる。その静けさが、かえってみんなのメンバーへのリスペクトを伝えている。みんながみんな、少年のように目を輝かせ、エカを憧れのまなざしで見つめている。

 S.I.Dは、それほど有名で売れているバンドでありながら、インドネシアの再開発に反対し、反対運動を牽引するような存在なのだという。彼らの曲にも、そんなメッセージが込められているという。スタジアム級の動員を誇りながら、社会的なメッセージを発するバンド。20代の若者たちを熱狂させる、40代の男たち。そういうバンドが日本にあるかと問われれば、私はとっさに答えることができない。もしかしたらいるのかもしれないけれど、すぐには浮かばない。
 全員と笑顔で撮影を終えると、エカはマネージャーらしき人と高円寺の雑踏に消えていった。気がつけば、終電の時間が迫っている。俺、大宮。俺、茨城。みんなが口々に言って帰っていく。

 その後ろ姿を見ながら、私の中の「研修生」のイメージはすっかり更新されていた。これまで、私の中での彼ら彼女らはある意味、どこかで「かわいそう」な存在だった。支援すべき、必要があれば保護すべき対象で、実際に一緒に反貧困運動をやっている人からは、過酷すぎる群馬の研修先から逃げ出して埼玉でホームレス状態となった外国人研修生を保護した、なんて話を耳にすることもあった。そんな彼ら彼女らの一人一人の趣味とか好きな音楽とか、一番大切にしているものなんて、恥ずかしながら考えたこともなかった。
 だけど、当然、彼らも大好きなバンドに熱狂して、メンバーの前では目をキラキラさせて、ライブでははしゃいで騒いで汗だくになって、そんな「普通の若者」なのだ。
 そんな時間を共有できたことが、嬉しかった。支援する、されるなんて出会いではなくて、一緒に遊ぶ相手として出会えたことが嬉しかった。同じ音楽で、一緒に盛り上がったことがたまらなく嬉しかった。

S.I.Dのベーシスト・エカが路上宴会に降臨!! 始まった撮影会。

 今、この国では多くの場所で外国人が働いている。コンビニや各種サービス業をはじめとして、研修生・実習生として農業や漁業、縫製や金属加工、食品製造、介護などの分野で多くの外国人が働いている。そんなこの国では同時に排外主義も台頭していて、だけど、いろんなデモで掲げられるプラカードの言葉通り、私たちはすでに一緒に生きている。
 しかし、多くの日本人は彼らとの交流はない。それはものすごく、もったいないことだと思う。もっともっと交流して、知り合って、友人になってしまえば、きっとこの国の空気は劇的に変わる。

  73年前のこの日、2000万人を超えるアジアの人々、そして300万人を超える日本人の命が犠牲となった戦争が終結した。
 そんな節目の日を、私はこんなふうに過ごした。台湾のバンド「共犯結構」は、ライブの終盤「Forオキナワ」という歌を歌った。客席には、インドネシア人、台湾人、日本人、韓国人、その他いろんな国の人たちがいた。いろんな国籍の人たちが、ひとつの音楽で一緒に騒ぎ、踊った。そして夜遅くまで、いろんな国の人たちと話した。
 あの日会った研修生たちが日本にいるうちに、あの日以上のいい思い出をたくさん作れますように。
 そして、こんな奇跡のような1日を出現させてしまう音楽の力って、やっぱりすごいな、と改めて思ったのだった。

8月15日、「死亡超人」が開催された高円寺ショーボートで。

雨宮処凛
あまみや・かりん:1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)、『自己責任社会の歩き方 生きるに値する世界のために』(七つ森書館)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。