牧原依里さんに聞いた:手話で生きるという選択肢を。知られていない、すぐ隣にある「ろう者の世界」

一緒に映画を作るはずだった、ろう者の友人・ヴァンサンが突然命を絶ってから10年。「ろう者の存在を知らせたい」という遺志を継いだレティシア・カートン監督によるドキュメンタリー映画『ヴァンサンへの手紙』が日本で公開されます。アップリンクとともに共同配給を担うのは、アート・ドキュメンタリー映画『LISTEN リッスン』(2016)の監督であり、ろう者の牧原依里さん。「この映画は私の人生そのものだった」と話す牧原さんに、その理由や作品への思いを伺いました。

「この映画は私の人生そのものだった」

――ドキュメンタリー映画『ヴァンサンへの手紙』は、聴者のレティシア・カートン監督が、ろう者の友人・ヴァンサンを亡くしたことをきっかけに制作した映画です。どうして牧原さんは、この映画を日本で配給したいと思ったのでしょうか?

牧原 この映画と出会ったのは、2017年に立ち上げた「東京ろう映画祭」での上映作品を探していたときでした。これまでも、ろう者の世界を描いた映画はありましたが、この作品はろう者の言葉にできない思いを引き出し、複雑なろう者の世界をありのままに映しています。私自身、作品に共感する部分が多く、とても感動しました。映画祭だけでなく日本中の人に見てほしいと思って配給を決めたんです。

 ろう者というのは聴者に対してトラウマのようなものを持っていて、「私たちをどう見ているんだろう」と身構えてしまうところがあります。でも、レティシア監督はその壁を乗り越えてろう者の世界に入っていった。レティシア監督だからこの作品が撮れたんじゃないかと思います。ろう者にとっては近すぎてなかなか客観的に捉えることが難しい事柄を、聴者である強みを生かして、適切な距離感と視点をもって撮っていると感じました。

友人ヴァンサンとの思い出を語る、レティシア・カートン監督(C)Kaléo Films

ヴァンサンの死は私にとって大きな衝撃だった。彼は多くのろう者と同じように口話教育を受け、聞こえないことを否定され、苦しんでいた。また、手話やろう文化、ろう者の世界との出会いが遅かったため、自分自身が何者なのか分かっていなかった。ろう者は障害者ではない。彼らは違う文化を持っているだけで、私たちと同じように生活している。問題なのは、彼らの存在を無視する社会である。私がこの映画で描いているのは、手話と出会えて、手話を言語として話せる人たち。映画界でも少数派の彼らに発言権を与えたいと思った。(レティシア・カートン監督・映画パンフレットより)

――物語の主軸は「親友の死」ですが、不思議と暗い印象は受けませんでした。むしろ手話の世界の豊かさがとても印象に残ります。手話は口話を「補うもの」ではなく、表情まで含めて複雑な表現が可能なひとつの言語だということを初めて知りました。

牧原 そうなんです。手話を聴者が話す言葉に対応させたものだと誤解している人が多いのですが、そうではありません。手話には音声言語にはない独自の文法のようなものがあり、さまざまなものを表現できます。それは世界共通で手話の魅力です。このことを何度も説明しても、なかなか分かってもらえません。ですから『ヴァンサンへの手紙』を観た聴者から、「手話って豊かな言語なんだ」「芸術も表現できるんだ」と言われると本当にうれしいです。

手話がある=文化があるということ

――映画のなかで、「ろうコミュニティ」「ろう文化」という言い方が何度も出てきますが、これは聴者にはなかなか捉えづらいもののように思います。

牧原 ろう者というのは、ほかの障害とは少し違う特徴があると思うんです。それは独特の言語をもつコミュニティを形成しているということです。手話は、世界的にも言語として認められています。「言語がある」=「文化が生まれる」ということですよね。たとえば、同じ日本人であっても、聴者の考え方とろう者の考え方が同じかというと、そうではありません。私自身、聴文化でのカルチャーショックをたくさん経験してきました。不思議に思うかもしれませんが、聴者の家族のもとで育っても「聴者の親とは文化が違う」と話すろう者は多いです。

 なんて言うんでしょうか……、ろう者同士はすぐにお互いに踏み込めるようなところがあります。たとえば「年はいくつなの?」とか、そんなことをよく知らない相手に聞いたとしても、ろう者のコミュニティのなかでは失礼ではないんです。だから、聴者と話しているときに「そういうのは失礼だよ」と言われて、「え、そうなの?」と驚くみたいなことを、たくさん経験しました。そういう経験を積み重ねて、私は「聴者の文化はこういうものなのか」と身につけてきました。「ろう文化」を言葉で説明するのは難しいのですが、ぜひろう者の世界に入って体感してみてほしいです。

――映画ではろう者の「孤独」について取り上げています。牧原さんは、大学時代に手話サークルに入ったときの経験について「ひとりでいるよりずっと孤独だった」と書かれていましたが、そのときのことを教えてもらえますか?

牧原 大学に入ったときに、友達をつくりたくて手話のサークルに入ったんです。だけど、そこに来ている聴者の人たちは、ろう者と話したいとか、ろう者の手話を身につけたいという興味で参加しているわけではありませんでした。手話は仲間づくりの手段でしかなくて、私がサークルの集まりにいるときでも、聴者同士で手話ではなく声でしゃべっていました。

 最初、「これはなんだろう」と思いながらも我慢していました。私は小2までろう学校に通いましたが、小3から高校までは普通校に通っていて、クラスでろう者は私一人でした。だから、我慢することに慣れていたんです。「仕方ない」と思い込んで、無意識に我慢してきたんですよね。でも、ここは手話サークルだし、「違うんじゃないの?」って思い始めたんです。2年くらいしてから「私が目の前にいるのに、なんで手話を使わないの?」と言って号泣してしまいました。でも、みんなはポカンとしているだけでした。

 それで、サークルに通うのをやめました。なかには、私と話すために一生懸命手話を覚えようとしてくれた人もいたのですが、たくさんの人といても「分からない一人」であることに孤独感がありました。そこにいるくらいなら一人でいたほうがマシだと思ったんです。

手話通訳を介して、インタビューに答える牧原さん

「聞こえないだけで、みんなと同じ」は本当?

――みんなが話している間、牧原さんは内容を理解できないままじっと我慢していたんですね。

牧原 その通りです。「わからないから手話を使って欲しい」と何度言っても変わりませんでした。あと、いまでもはっきり覚えているのですが、サークルにいたある男性から「耳が聞こえないだけで、他はみんなと違わないよね」と言われたこともあります。私は「いや、そうではない」と言って、ちょっとケンカになりました。

 もし、その人がろう者と聴者の違いをはっきりと知ったうえで言ったのなら、その言葉には重みがあると思います。だけど、その彼は、私が前を歩いているのに、後ろから声で呼ぶような人でした。違いをわかろうともしないで、ただ表面だけで「みんなと同じ」と言っているように感じて「それは違う」と思ったんです。

――普通校では「我慢するのは仕方ない」と思っていたそうですが、振り返ってみて当時のことをどう感じますか?

牧原 自分でも「とても我慢強かったな」と今になって思います。大学生になってから、全国のろうの学生が集まって活動する「全国ろう学生懇談会」に入ったんです。そこでさまざまなろう者と出会って視野が広がりました。手話という共通言語があることで、自分の意見を自由に出せる喜びを初めて感じました。そこから積極的に活動するようになり、考え方も変わったのです。もっと早くにこうした環境に出会えていたら、と思います。

ろう学校では、きれいに発声できる子が「優秀」

――その手話ですが、世界的にろう教育において手話を使うことが禁じられ、口話法(※)を強いられてきたという歴史はあまり知られていません。1880年の国際ろう教育会議を受けて手話による教育が禁止され、口話法が採用されましたが、手話の価値が再認識されてこの決定が却下されたのは2010年のことです。牧原さん自身もろう学校では口話教育を受けたのでしょうか?

牧原 はい。いまは日本でもバイリンガル教育(手話・日本語)を受けられる学校がありますが、私の小さいときは口話教育がまだ根強くありました。私は両親がろう者なので、手話は生まれたときから身近にありましたが、小2まで通っていたろう学校では手話を使ってはいけないという雰囲気がありました。

 授業中も先生の口の動きを読みとらなくてはいけないし、声でコミュニケーションをとらなければいけませんでした。きれいに発声できる子が優秀、という考え方がありました。だから、小3のときに聴者の通う普通校に転校したときには「やっと声の練習から解放された」と思いました。

※口話法:補聴器などによって残存聴力を活用し、口の動きを見ることで相手の言葉を読み取り、発声練習を通じて音声言語による会話ができるように指導する教育方法

映画ではバイリンガル学校の授業風景も紹介(C)Kaléo Films

――ろう学校から普通校に転校されたのは、どうしてですか?

牧原 家族全員がろう者なのですが、姉だけは難聴だったので普通校に通っていました。自分はろう学校だったので、姉に学校のことを聞いて「聴者の世界はどんな世界なんだろう?」と思っていたんです。テレビで電話をかけて話しているシーンを見ても「なぜ電話で話が通じるんだろう」と不思議でした。聴者と出会う機会があまりなかったので、聴者の世界を知りたかったんです。

 それに、当時のろう学校では教育内容、つまり学力が遅れていました。私が小2のときにまだ小1の内容をやっていたんです。学校では口話の練習がメインになるので、どうしても勉強が遅れてしまう。もっと勉強したいという思いがありました。

――転校先の普通校では、たとえば手話通訳がつくなど、ろう者の生徒が勉強できるような環境はあったのですか?

牧原 いいえ。そうした環境はなかったです。だから、塾に通って勉強は自力でなんとかしました。

――自力で……。日常生活でも手話通訳がつく機会はかなり限られていますし、「知る権利」が聴者と平等に保障されているのかという問題は大きいように感じます。牧原さんにとっては、やはり手話が第一言語なのでしょうか。

牧原 そうです。私はたまたま両親がろう者だったので、子どもの頃から手話で会話することが当たり前でした。手話でいろいろ考えて、さまざまな概念も手話で理解してきました。手話を覚えてから、日本語での読み書きを覚えたんです。でも、これは人によって違うと思います。ほかの人たちにとって何がいいのかはわかりません。手話と口話のどちらが優れているのかということよりも、本人が自分に合う手段を「選べる」ことが大事なんだと思います。

 私の場合は、ろう学校ではとにかく発声の練習で、声を出しなさいと言われました。でも、自分では声が聞こえないので、正しいのか間違っているのか分からないんです。一生懸命発声する度に、頭の中が白く霞みました。私の母もろう学校で同じように厳しい口話教育を受けたのですが、そのことで学校に対する恐怖心をもったと言います。そういう厳しい教育を受けても、母は第二言語としての日本語をきちんと身につけることができませんでした。

 普通校に転校したら口話の練習もなくなったし、口話が間違っていても筆談を通じて直してもらうことで、自然と日本語力が身につきました。ろう学校にいるときは文章を書くことが苦手でしたが、筆談が増えたことで、読み書きのリテラシーものびていきました。学校では手話は通じませんが、家に帰れば両親と手話で話せます。私の場合はそういった面でのストレスは少なかったと思います。

手話で生きるという選択肢も伝えてほしい

――いまはバイリンガル教育なども知られるようになりました。以前より選択肢が増えたと感じますか?

牧原 選択肢は増えたかもしれませんが、必要なサポートはまだ足りていないと感じています。たとえば、聴者はろう者についての知識がありません。生まれた子どもがろうだったら、聴者の親はショックを受けますよね。そして、「どうやって治せるだろうか」と、まずろうを「治す」方法を考えるわけです。医者から「治したいなら人工内耳(※)があるよ」と言われれば、それを受け入れてしまう。最近では、この人工内耳が増えたことで、手話を使わないという傾向がまた生まれてきています。

 人工内耳にしなくても手話で生きているろう者もいること、人工内耳をしながら手話を使う人もいること、そういった知識や選択肢をまず与えてほしいと思うのですが、そうではありません。いくつもの選択肢があることを知ってはじめて、聴者の親も「じゃあ、こうしよう」と考えることができるはずなのに、医者はすぐに「ろうを治そう」と人工内耳を勧めてしまうのです。

 いちばん大きな問題は、人工内耳をつけたろう者は発声練習を中心に行うので、手話を身につける機会をもてない場合があることです。そうすると、どの手段でも十分なコミュニケーションがとることができないまま育ってしまう可能性があります。聴者の親は「人工内耳をしたから大丈夫。声も出せる」と思うかもしれませんが、それは表面的な部分だけで、心からのコミュニケーションがとれているかどうかはわからない。そこをきちんとサポートするシステムが足りていません。

※人工内耳:手術で耳の奥に器具を埋め込み、さらに対外に器具を装着することで音をマイクで拾って耳内へ送信する技術。実質的には聴者と同じレベルまで聴力が達するには技術的に難しいと言われている。日本では2017年の1年間で1000例以上の手術が行われている

ろう者の団結を示す、パリからミラノへのデモ行進(C)Kaléo Films

――手話を知らずに育ったことで、青年期になってから自分のアイデンティティに悩むという話も聞きました。

牧原 私が知っているろう者のなかには、人工内耳を使うことを途中でやめた人もいます。手話と出会って「私はやっぱりろうだったんだ!」と気づいたという人もいました。でも、もしかしたら私が出会っていない人のなかには「人工内耳はいいよ。声も出せるし問題ないよ」と思っている人もいるかもしれません。どちらが正解だと言うのではありません。

 ただ、たとえば人工内耳をいれて口話を選んだとしますよね。そうだとしても、その子のルーツは「ろう」にあります。だから、手話を言語として知ること、声も出せるけど手話もあるという、2つの世界を知る機会を提供することが必要だと思います。

違いを含めて、ありのままを尊重する

――社会や家庭のなかでろう者が抱える孤独感を、どうしたらやわらげることができるのでしょうか?

牧原 手話が豊かな言語であること、手話を使っているろう者が不幸ではないということ、そして人間として普通に生きていること――そうした情報がきちんと社会に提供されていくことが大事だと思います。聴者の親が「子どもがろうで可哀そう」と悲しめば、子どもは「私は可哀そうなんだな」と思ってしまいます。そして孤独感をもつ。そうではなくて「文化は違っても、あなたはあなた。それでいいんだよ」と尊重することができれば、孤独感は解消されていくのではないのでしょうか。

 映画のなかで、聴者であるお父さんが、ろう者の子どもについて手話の先生に質問しているシーンがあります。そのお父さんは「私は自分の子どもを『ろう』として尊重したい」と言っていました。子どもをひとりの人間として見ているからこそ生まれる視点だと思いました。本当に素晴らしい言葉です。

 ろう者は、みなさんが思っているより周りにたくさんいます。でも、「何かしなくちゃいけない」と思ったり、無理につながろうとしたりしなくていい。ろう者の世界があると「知る」ことだけでも、自然と意識や見方が変わってくるはずです。

――社会の多数派が「スタンダード」を一方的に決めてしまうようなことは、ろう者、聴者の関係に限らず、さまざまなところで起きている問題と重なるように感じます。

牧原 レティシア監督とも話していたのですが、自分はマジョリティ側だと思っている人でも、マイノリティ側に立つことがあると思うんです。たとえば、女性であるというだけで、いまの社会ではマイノリティの立場に置かれることがあります。

 ろう者はマイノリティだと言われていますが、もし手話を使うろう者ばかりのなかに手話のできない聴者が入れば、そこでは聴者がマイノリティ、ろう者がマジョリティになります。立場というのは、状況によってどんどん入れ替わるものです。だから、自分はマジョリティだと思っていても、マイノリティの部分もあるかもしれないし、マイノリティの立場に置かれることもあるかもしれない。そのことに気づけば、もっとお互いに尊重できる世界になると感じます。

ヴァンサンの写真。この映画の原題訳は「ろう者の視点であなたに寄り添う」(C)Kaléo Films

理解できないなら、できなくてもいい。

――自分と違う相手をどう受け入れるのかというのは、いまの社会にとって大切なテーマですが、ご自身の経験から何が大事だと感じていますか?

牧原 合わせ過ぎないこと、合わさせ過ぎないこと。理解できないなら、できないでもいいと思うんです。共生に必要なのはお互いを尊重すること。でも、それが難しい。「ダイバーシティ」とか「多様性」という言葉が広まっていますが、ちょっと違うな、と思うときもあります。

 たとえば、車椅子を使っている人、目が見えない人、耳が聞こえない人など、みんなひとくくりに「障害」と呼びますよね。でも、本当はそれぞれに特性があって、世界が違いますよね。そして、それぞれのなかにも一人ずつの違いがあります。ともに暮らしていくためには、その「一人ひとり」を尊重すること、お互いを知ることが大事だと感じています。

 そのために必要なのは、支援とか福祉といった形式ばったものだけではなく、もっと自然な形でお互いを知ることができる場や機会だと思います。アートやエンターテインメントなど、映画を含めた芸術にはそういう力があります。『ヴァンサンへの手紙』も、ろう者の世界に興味のない人にぜひ見てほしい。「自分とは違う世界があるんだな」と、自分の知らない隣人について考えるきっかけにしてほしいです。

構成/中村未絵・写真/マガジン9編集部

『ヴァンサンへの手紙』
2018年10月13日(土)よりアップリンク渋谷ほか全国順次公開
公式サイト:http://uplink.co.jp/vincent/

まきはら・えり
聾の鳥プロダクション代表。ろう者。会社に勤める傍ら、映像製作に携わる。ろう者の“音楽”をテーマにしたアート・ドキュメンタリー映画『LISTEN リッスン』(2016)を雫境(DAKEI)と共同監督。第20回文化庁メディア芸術祭 アート部門 審査員推薦作品、第71回毎日映画コンクール ドキュメンタリー映画賞ノミネートなど高い評価を受ける。既存の映画が聴者による〈聴文化〉における受容を前提としていることから、ろう者当事者としての〈ろう文化〉の視点から問い返す映画表現を実践。2017年には東京ろう映画祭を立ち上げ、ろう・難聴当事者の人材育成と、ろう者と聴者が集う場のコミュニティづくりに努めている。

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