第13回:日本はこれでいいのですか? その②(姜誠)

政治的対立をむやみにエスカレートさせない

 徴用工問題で日韓関係が揺れています。
 徴用工への補償問題は「1965年の日韓基本条約と請求権協定ですべて解決ずみ」とする日本の反発は激しく、批判の大合唱が起こっています。
 政治的な対立だけならまだしも、日本側の怒りは韓国のアイドルグループにも注がれているように見えます。防弾少年団のメンバーが原爆Tシャツを着用したとして、テレビ局などに執拗な抗議が相次ぎ、防弾少年団は予定した音楽番組への出演を取りやめなくてはなりませんでした。

 つい先日、私用で韓国の光州市に行きました。その時に市内の大型書店をのぞいたのですが、ベストセラー棚は日本の小説で埋め尽くされていました。1位の『誓約』(薬丸岳著)をはじめ、日本小説がベスト20に12冊も入っていたのです。とくに東野圭吾作品は5冊もランクインする人気ぶりでした。書店員に聞くと、『誓約』は日本でも7万部を売るヒット作ですが、韓国での売れ行きはさらにすさまじく、20万部を超えるベストセラーになっているとのことでした。
 ただ、いまのところ、韓国で徴用工問題での日本政府の対応を理由に、「日本小説を書店に置くな!」という抗議の動きはなく、ホッと胸を撫で下ろしています。もし、そんなことが起これば、日韓の対立はいっそう険悪になってしまいます。

 日韓の文化交流は歴史問題や領土問題で日韓関係が悪化した時も、双方の交流や協働を担保するクッション役のような役割を果たしてきました。文化交流を通じた相手国への共感が寛容さと想像力を生み出し、むきだしの政治的対立を和らげてきたのです。
 日韓関係にきしみが出ている時にこそ、文化交流は大切となります。防弾少年団とその所属プロダクションはすでに原爆Tシャツ着用の非を認めて謝罪声明を出していますが、日本の人々、とくに被爆者が納得するまでは何度でも勇気と誠実さをもってお詫びしてほしいと思います。

 そして、わたしたち日韓に暮らす人々は政治的な対立を別のシーン――たとえば、今回のように日韓の芸能シーンに持ち込むようなことはやめた方がいいと思います。政治的対立をむやみにエスカレートさせない節度と分別をわたしたちは発揮すべきなのです。

日本が譲れないワケ

 徴用工に賠償を命じる韓国大法院の判決以来、日本政府による猛抗議が続いています。安倍政権にすれば、とっくに解決ずみの問題を蒸し返す韓国は国際的な約束を守らない国と、怒り心頭なのでしょう。
 とくに徴用工については慰安婦、被爆者、サハリン抑留被害者などとは違い、請求権協定でも言及部分があり、2005年には当時のノ・ムヒョン政権が徴用工への補償は韓国政府が自ら行うと決定しています。
 韓国大法院の判決が実行に移されることになれば、あらためて被害者個人の請求権が問われることになり、日本側は新たな賠償責任を負うはめにもなりかねません。

 また、この大法院判決は今後の北朝鮮との交渉にも大きな影響を与えます。02年に当時の小泉首相と故金正日委員長が署名したピョンヤン宣言には日本が経済協力をする代わりに、植民地支配による請求権は相互に放棄すると明記されています。そして、この宣言はいまでも有効というのが日本、北朝鮮の立場です。
 北朝鮮にも数十万名のも元徴用工がいます。日韓請求権協定で請求権は完全に解決したとされていたにもかかわらず、韓国の徴用工が補償されるのなら、自分たちもピョンヤン宣言とは関係なしに、日本企業に損害賠償を請求できると考える人がいてもおかしくありません。
 もし、北朝鮮の徴用工が集団で日本企業を提訴することになれば、それは安倍政権にとっては悪夢でしょう。北朝鮮側に対日交渉で強力なカードを一枚持たれることになり、拉致問題の解決を優先したい安倍政権にダメージとなります。
 それだけに、そうそうたやすく大法院の判決を認めるわけにはいかず、その怒りが文政権への猛抗議となって現われているのでしょう。

過去清算の是非を問いかけたい韓国

 ただ、韓国側にもなかなか譲れないワケがあります。
 日韓基本条約について、韓国の人々は内心では鉛を飲み込まされたような重苦しさを感じてきました。過去の植民地支配に対する日本の責任があいまいにすまされてしまったためです。植民地支配が正当なのか、不法なのか、それすらも決着がついていません。
 とはいえ、隣国であり、経済大国でもある日本といつまでも国交関係を持たないわけにはいきません。しかも65年当時の朴チョンヒ政権は軍事独裁政権で、経済難克服のために日本からの資金導入を急いでいました。だから、このままでは植民地支配の責任があいまいにされると危惧しても、なかなか抗議の声を上げることが難しかったのです。また、日本も韓国側の事情をよくわかっていて、経済協力金、独立祝賀金名目でお金を払うことで交渉をすませようとしました。
 このような経緯から、はたして日韓正常化のプロセスは「正義」にかなうものだったのか? 多くの韓国人がそう自問自答しているのです。わたしもそのひとりです。

 そこに大法院の判決です。この判決によって、韓国政府からも日本政府からも相手にされずにきた徴用工――被害当事者である個人に、初めてスポットライトが当たったのです。
 しかも、この判決は徴用工の損害賠償請求は請求権協定の対象に含まれていないと断言しています。日本政府はかねがね請求権協定における請求権とは、植民地支配によって生じた被害に対する賠償請求ではなく、韓国が日本から独立したことによる「領土の分離・分割」によって生じた債務・債権などの「財政上・民事上」の請求権を意味すると主張してきました。
 であるならば、植民地支配下での日本企業の不当な行為によって被害を受けた徴用工の請求権は、日韓請求権協定の対象として解決したとは言えず、その権利については徴用工個人の賠償請求権どころか、韓国政府も協定によって放棄したと認める外交保護権も消滅していないと大法院は判断したのです。

 この理屈ならば、請求権交渉のプロセスで、日韓両政府によって置き去りにされてきた弱い立場の個人にも救済の手が差し伸べられることになります。しかも、それは同時に日韓両政府にもう一度、36年間に及ぶ植民地支配の過去清算のやり方が適当だったのか、問いかけることにもつながります。だからこそ、韓国側も日本政府から「国際法に照らしてもありえない暴挙」と猛抗議を受けても、すぐには同意できないのです。

現状は日韓政府とも協定順守

 ただ、徴用工問題は複雑です。その歴史的経緯をたどるだけでも、かなりの根気と時間が必要です。請求権協定によって日韓相互が放棄したとされる外交保護権についても、いまだに正確に理解されているとは言えません。
 それだけに今後、韓国で同じような徴用工に賠償を命じる判決が続出すれば、日韓関係はますますこじれかねません。そこで複雑な徴用工問題をすっきりさせるために欠かせない視点を紹介したいと思います。
 日本でも韓国でも徴用工問題を国家間の対立としてとらえるケースが目立ちます。でも、本当にそうでしょうか?
 冷静に見るならば、元徴用工が起こした裁判は被害を受けた個人が私企業を相手取った民事裁判です。日本政府も韓国政府もそこには関与していません。
 また、賠償すべきとの判断を下したのは韓国の大法院で、韓国政府ではありません、現状では韓国政府は徴用工の訴えをサポートするような動きを見せておらず、日本政府との約束通り、外交保護権を行使していません。安倍首相や河野外相は韓国政府に怒っていますが、文政権は請求権協定の枠内で互いに外交保護権を放棄したという日韓政府の合意を順守しているのです。

 なのに、徴用工問題がまるで日韓政府の対立のように語られるのは理解に苦しみます。本来なら、文句を言う相手は韓国の大法院でしょう。
 まずいなと思ったシーンがあります。大法院の判決直後、河野外相が駐日韓国大使を呼び出し、抗議をしました。日本側の怒りを韓国政府や国際社会にアピールしたかったのでしょうが、これは逆効果になると思いました。
 韓国も三権分立しています。そうである以上、行政は司法の判断は尊重しなくてはなりません。いくら韓国を叱っても、文政権は「はい、そうですか」とは動けないのです。
 このシーンは日本政府が韓国政府に対して、「大法院の判決を何とかしろ!」と司法介入を迫ったシーンと受け取られても仕方がないシーンでした。それで韓国から反発が起きれば、政府だけでなく、民間を巻き込んだ売り言葉に買い言葉のケンカになりかねません。
 よくよく考えれば、司法が行政を困らせる判決を下すことは民主主義社会では当たり前のことで、日本政府は水面下で韓国政府と接触して要求を伝えるという手もあったはずです。河野外相の行動はいささか軽率だったと考えます。

徴用工問題解決に欠かせない視点

 こうした混乱にならないためには、徴用工問題を日本政府VS韓国政府のバトルと理解しないことです。それよりも、個人VS日韓両政府と考えるとわかりやすい。
 徴用工は日韓交渉のプロセスで、日韓両政府の合意により一方的に個人の請求権を消滅させられたのです。今回の徴用工裁判は個人が私企業を訴える形になっていますが、その深層には勝手に請求権を消滅させた日韓両政府に対する元徴用工の告発・抗議も込められているのです。
 人権侵害のような個人への被害はできるだけ救済しようというのが、新しい国際人権の潮流です。徴用工裁判を日本VS韓国の構図でとらえると、ナショナリズムに囚われてしまい、徴用工のことなど目に入らなくなります。それでは徴用工はふたたび日韓の狭間に埋もれて、いつまでたっても人権侵害を回復できません。
 いま日韓に暮らすわたしたちに必要なのは、国家間の取り決めによって一方的に人権を侵害された個人を救済することではないでしょうか? そこにはナショナリティや民族も関係ありません。
 相手が日本人だろうが、韓国人だろうが、弱い立場の個人に寄り添うこと――。
 そのためにも徴用工裁判を日本VS韓国でなく、個人VS日韓両政府の構図で理解することが求められるのです。

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姜誠
かん・そん:1957年山口県生まれ(在日コリアン三世)。ルポライター、コリア国際学園監事。1980年早稲田大学教育学部卒業。2002年サッカーワールドカップ外国人ボランティア共同世話人、定住外国人ボランティア円卓会議共同世話人、2004~05年度文化庁文化芸術アドバイザー(日韓交流担当)などを歴任。2003年『越境人たち 六月の祭り』で開高健ノンフィクション賞優秀賞受賞。主な著書に『竹島とナショナリズム』『5グラムの攻防戦』『パチンコと兵器とチマチョゴリ』『またがりビトのすすめ―「外国人」をやっていると見えること』など。TBSラジオ「荒川強啓 デイ・キャッチ!」にて韓国ニュースを担当。