いま開かれている第197回国会は、来週月曜日(12月10日)に会期末を迎えます。平成期最後の臨時国会となったわけですが、国会の組織、運営、機能のいずれを取っても劣化が続き、この悪状態のまま、新時代の転換を迎えることになります。劣化の原因の一つは、与党側の圧力で繰り広げられる“慣例破り”にあります。往々にして野党(少数会派)の審議権を侵し、混乱が一度始まると“審議手続全体の瑕疵”という話にまで至ってしまい、容易に回復しないからです。2018年も、この件を避けて通れません。
繰り返された、2017年の“慣例破り”
振り返れば、2017年最後の回(第126回)は、「2017年国会を象徴する、8回の“慣例破り”」と題して、
①法案審議を「先入先出」で行う慣例の破棄
②政府参考人の招致を、全会一致で決めるという慣例の破棄
③政府参考人の招致は、その都度、委員会で決するという慣例の破棄
④参議院でも、②③がまとめて行われたこと
⑤参議院で、「中間報告」という異例の審議打切りが行われたこと
⑥衆議院、参議院が同日、同一人物の証人喚問を行ったこと
⑦党首討論が一度も行われなかったこと
⑧委員会における質疑時間の配分が、与党側に手厚く変更されたこと
を指摘しました。
①から⑤までは、共謀罪法案をめぐってなされた慣例破りです。さすがの与党も、これはやり過ぎと思ったのか、2018年に入ってからは一度も行われませんでした。当然といえば当然です。
⑥は、2017年3月23日の午前・午後、衆参の予算委員会で籠池康博氏(当時・学校法人森友学園理事長)の証人喚問が行われた件です。この点は2018年も繰り返されており、3月27日の午前・午後、衆参の予算委員会で佐川宣寿・前国税庁長官の証人喚問が行われています。以前にも指摘しましたが、疑惑追及の効率性、合理性を考えると、実施日を替え、証人そのものを替えることをしないと、質・量ともに掘下げ不足のまま終わってしまいます。現に、森友問題はフェードアウト状態にあります。
⑦の党首討論ですが、2018年は一度だけ、5月30日に行われました。元々は週1回の「定例」を念頭に制度化されたものですが、今やその開催自体が与野党の交渉案件になっていること自体、制度の形骸化を反映しています。
⑧の質疑時間の配分変更ですが、衆参ともにその後遺症が残っています。この点は野党側が強く問題意識を持って、早々に改める必要があります。
2018年の慣例破りは、「外国人材拡大法案」で起こった
2018年も、次の2件の慣例破りが認められました。
第一に、衆議院側の話ですが、臨時国会で総理が衆参の委員会に出席し、答弁する法案(実務上「重要広範議案」と呼ばれます)の指定が無かったことです。衆議院の慣例では、内閣が提出する法案のうち、通常国会では4本、臨時国会では2本、与野党の合意の下で重要広範議案に指定することになっているのですが、この臨時国会では一切、指定がありませんでした。この点について、私は直接、衆議院の事務局に電話で確認しています。
外国人材拡大法案が重要広範議案の指定を受けるべきだったことは、法案の重要度から見て、誰の目にも明らかなことです。指定されなかったことで、安倍総理は衆議院法務委員会での法案審査に一度も出席せず、答弁責任を免れているのです。与党側は、11月26日(月)に予算委員会の集中審議(「内外の諸情勢」がテーマで、全閣僚が出席)を行い、その中で関係する質疑を受けて必要な答弁を行っているという言い分でしょうが、集中審議では新たな在留資格だけが論戦の対象となったわけではなく、単なる言い逃れに過ぎません。
重要広範議案の指定を免れたことは、17時間15分という法案審査の時間(@衆議院法務委員会)にも表れています。数多の慣例破りの下で進行した2017年の共謀罪法案の審査でさえ、36時間15分に達しています。この半分にも満たないのです。
本稿を書いている12月3日時点では明らかではありませんが、6日の参議院法務委員会(定例日)に安倍総理が出席し、答弁することで与野党が合意できるかどうかがカギです。出席が確約されれば、参議院はかろうじてその面目を保つということになるでしょう(もちろん、法案採決の条件として、与野党の取引材料になってもいけないのですが)。
第二は、定例日以外に、委員会を開催したことです。
衆議院法務委員会の定例日は慣例上、火、水、金の週3日となっています。しかし、先に示した11月26日(月)は定例日でないにもかかわらず、予算委員会の終了後、外国人材拡大法案の修正案の説明と質疑のために、委員会が開かれました。
ただでさえ与野党間で対立している法案の扱いをめぐって、野党側が定例日以外の曜日の開催を了とするわけはありません。このときは、葉梨法務委員長の「職権」で開催を決めていますが、あの共謀罪法案の審査の過程でさえ、定例日外の開催は無かったことを考えれば、今回はいかに日程ありきで事が運んでいたか、本当によく分かります。
慣例を破ってもいい場合は?
国、地方を問わず、議会の慣例は当然、尊重されなければなりません。しかし、形式的、硬直的にそれを踏襲するだけでは、新たなニーズに対応できなくなってしまいます。時として慣例とは異なる行いをしなければならない場面も出てきます。
この意味での慣例破りは、与野党問わず、全党会派の合意がある上で許されます。多数派も少数派も、それぞれの立場を超え、利益を捨てて、新たなルールについてお互いに納得している場合です。この間、主に自民党が押し付けてきた慣例破りは、多数派の意向だけを汲むものであり、到底容認できません。言い換えれば、選挙の結果、自分たちが野党(少数派)に転じた後に、多数派時代に無理やり敷いた慣例に苦しむだけのことなのです。この点の想像さえ覚束ないのは、民主主義に対する余程の不勉強の故か、無謀な傲慢さの表れ以外に考えられません。
2018年の後半は、国会改革がしばしばテーマとなりました。しかし残念なことに、「紙ごみ削減」にのみ話が集中してしまって、肝心要の組織、運営、機能の見直しについて何の成果も上がっていません。10月下旬には、衆議院の高市議院運営委員長が勇み足な提案をしようとして、野党から総反発を受け、円満な協議ができる環境を潰したこともありました。一度破られた慣例を元に戻すのは、容易なことではありません。年明け早々、平成最後の通常国会が召集される見通しですが、国会の組織、運営、機能の面から、慣例を再確認するプロセスがどこかで必要です。慣例は、破るためにあるのではありません。破られた慣例は、自然と元には戻りません。
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昨年に引き続き、「知識・情報&オピニオンimidas」(集英社)に寄稿しました。
→自民党「改憲シフト」のリアリズム ~安倍三選…それでも、やっぱり憲法改正論議は進まない
ぜひ、ご高覧ください。