1961年、三重と奈良の県境の小さな村で起きた「名張毒ぶどう酒事件」。村の懇親会でふるまわれたぶどう酒に毒が混入していたことにより5人が死亡。「犯人」として逮捕された村人の一人・奥西勝さんは無実を主張し、一審は無罪だったものの二審で死刑判決を受け、40年以上も再審を求め続けた末に、「死刑囚」のまま獄中で病死しました。今も多くの謎に包まれるこの事件を追ったドキュメンタリー映画『眠る村』が現在、全国で公開されています。制作は、これまでにもテレビや映画で何度もこの事件を取り上げてきた東海テレビ放送。なぜ事件を追い続けてきたのか、数々のドキュメンタリー作品を制作する上での思いは──。本作のプロデューサーである阿武野勝彦さんにお話をうかがいました。
「名張毒ぶどう酒事件」と東海テレビ
──「名張毒ぶどう酒事件」をテーマにしたドキュメンタリー映画『眠る村』が全国公開中です。阿武野さんたち東海テレビ放送は、これまでにもこの事件を扱ったドキュメンタリー番組や映画を何度も制作されてきましたね。
映画『眠る村』(C)東海テレビ放送
阿武野 1987年に放映した番組「証言〜調査報道・名張毒ぶどう酒事件〜」が最初です。これは、奥西さんの死刑判決の後、「どうもこの事件はおかしいんじゃないか」と考えた門脇康郎カメラマン──報道とは違うスタジオカメラマンだったのですが──が、10年ほどこつこつ自分で取材を重ねて、その集大成としてつくった番組でした。
ただ、その後、東海テレビとしては、「証言」に続く番組をつくることができず、ずいぶん長いこと放置してしまったんです。
──それが、取材に動くきっかけになったのは……。
阿武野 2005年に、名古屋高裁が再審開始決定を出したことです。科学技術の発達もあって、死刑判決の根拠とされた証拠の信憑性が揺らぎ、開かずの扉と思われていた再審への扉が開いた。これは大きな節目になる、今やらなくてはと考え、齊藤潤一ディレクターに「名張毒ぶどう酒事件をテーマに番組をつくってほしい」と声をかけました。
──そこから映画『約束』(齊藤潤一監督)など、いくつもの番組・映画が生まれたわけですね。今回の作品では、実際に事件を知る村人たちに直接話を聞いているのが非常に印象的でした。中には、奥西さんが逮捕された後にそれまでの証言内容を大きく覆し、結果として死刑判決を後押しすることになった人もいますね。
阿武野 何か犯罪やトラブルが起こったときに、なんとなく口裏を合わせてしまう、結果として真実はなかなか表に出てこないということがありがちです。私たち「日本の社会」のひとつの特徴なのかもしれない……。「名張毒ぶどう酒事件」を見ていると、いまの社会のあり方についても考えさせられますね。
──ただ、村の人たちにとっては事件は決して「語りたい」ことではなかったと思うのですが、取材はスムーズに進んだのでしょうか。
阿武野 取材を担当したのは共同監督の一人、鎌田麗香ですが、何度も村に通って、徐々に徐々に村人との距離を詰めていったようです。「なんだ、また来てんのか」「またか」と、それを繰り返すことでしか距離は縮まりません。
たとえば、かつて証言を覆した一人である村人が、農作業をしながら「俺を撮ってもらっちゃ困るぞ」と言う場面がありますけど、そう言いながらも彼は撮られていることをちゃんと認識していて、最後には車に同乗している。あれは取材者と取材対象者の間の、時間をかけて醸成された関係性がなければ撮れないシーンだし、ある意味「無駄」と思えるほど時間をかけて、ゆっくりゆっくり取材をすることで人は口を開くこともあるということだと思います。
映画『眠る村』(C)東海テレビ放送
村人たちもまた、事件の被害者だった
──取材映像を見て、どう感じられましたか。
阿武野 すごく驚きましたね。たとえば偽証した村人の一人について、私は正直なところ悪い印象をもっていたんです。村に平穏を取り戻すために奥西さんに罪をかぶせ、そのことをずっと黙っていたのではないか、という思いがあって。
でも、映像を見ていると、彼もまた否応もなく、「名張毒ぶどう酒事件」というものを抱えて生きて来ざるを得なかったんだな、と思えました。すでに晩年を迎えている彼の人生に思いを馳せたら、奥西さんへの思いとはまた別のところで、何か胸を締め付けられるような気持ちになりました。
──みんな、おそらくはそれぞれ懸命に日常を積み重ねてこられた方たちなんですよね。
阿武野 誰も悪い顔はしていないですよね。「奥西以外に犯人はいない」と言い切る一方で、「そんな撮影ばっかりしてないで、こっちに来て餅あぶって食え」って呼んでくれるおばあちゃんがいたり。
以前、奥西さんの弁護団長である鈴木泉弁護士が、「村人もまた被害者なんだ」というコメントを出されていたのですが、そのことを改めて実感しました。警察が初動を間違えたこと、そして裁判所が過ちを認めて改めなかったことが、いかに大きな罪なのかと思います。
映画『眠る村』(C)東海テレビ放送
──本作の中でも描かれていますが、これだけ証拠の信憑性に疑いが出たりして、冤罪の可能性が明らかに高まっているのに、なぜ裁判所は再審開始を認めないのだろう、と不思議になります。
阿武野 再審という制度自体が、本質的にはこの国には存在しないんだな、と思います。奥西さんもそうでしたが、袴田事件(※)についても、再審を始めず司法としては白黒つけずに袴田さんが亡くなるのを待っているんじゃないか、死刑囚のままにしてしまおうという意図を感じます。司法という「組織」にはいくらでも時間があるけれど、個人には限られた時間しかありません。個人の時間軸で組織の時間軸には絶対に勝てない、そこを巧みに利用している感じがしますよね。
※袴田事件…1966年に静岡県清水市(当時)で起こった強盗殺人放火事件。犯人として逮捕され、死刑判決を受けた袴田巌さんは無実を訴え、再審を求め続けてきた。2014年に静岡地裁で死刑の執行停止と再審開始が決定され、袴田さんは東京拘置所から釈放されるが、検察は即時抗告。18年6月、東京高裁は地裁決定を取り消し、再審請求を棄却した
──本作では、再審開始決定を出した裁判官や、それを取り消した裁判官、再審請求を棄却した裁判官の顔も、大きく映し出されますね。
阿武野 これは裁判所という総体ではなくて、一人の裁判官として「あなた」が判断したことなんですよと画面に焼き付けたいという思いがありました。憲法第76条第3項には「裁判官は、憲法や法律に拘束されるほかは、良心に従って独立して各事件について判断する存在」だと書かれています。あなたたちは、この事件についてそれを履行する重い責任があるのだ、と。
それにしても、制作者の勝手な気持ちなのかもしれませんが、再審開始を決定した裁判官の顔と、開始決定取り消しや請求棄却をする裁判官の顔は、不思議なほど違って見えます。「眠る村」というタイトルに絡めて言えば、裁判所という「村」が一番「眠って」いるのではないか、と思えてなりません。
──奥西さんの死から2年以上が経った今も、妹さんが請求人となって死後再審請求が続けられていますね。
阿武野 妹さんも高齢で、残された時間はどんどん少なくなってきています。死後再審の請求ができるのは親族のみですから、その後をつなげる人はもういないでしょう。なんとか、妹さんが請求人として頑張っている間に再審が認められてほしい、と思います。
映画『眠る村』(C)東海テレビ放送
通常のニュースでは見えてこない場面を見せたい
──さて、阿武野さんは名張毒ぶどう酒事件以外にも、さまざまなテーマでドキュメンタリー作品をプロデュースされてきました。光市母子殺人事件(※)を弁護団サイドから描いた「光と影」、暴力団の日常にカメラを向けた『ヤクザと憲法』など、賛否の分かれそうなテーマも多く扱われています。
※光市母子殺人事件…1999年に山口県光市で起こった母子殺人事件。当時18歳の少年が逮捕され、最高裁で死刑判決が確定した(現在、再審請求中)
阿武野 根っこにあるのは、自分自身の中にもある「熱狂しやすさ」への疑念ですね。何か大きな事件などが起きたときに、わーっと社会が熱狂する、その勢いの中に飲まれていって、自分自身もその片棒を担いでしまう、みたいな。自分がそういうことをやりがちな人間だというのを自覚しているからこそ、それはちょっと待って、と思うんです。
そこから、テレビ局で記者として働き出したときに、事件の関係者に殺到して取材して、ささっと原稿を書いて放送して、という仕事パターンに疑いを持つようになったんです。もっと簡単に言えば「インタビューをしている自分の顔」がとても嫌な人相をしていると感じたんです。
──「自分の顔」ですか?
阿武野 そう。「こういうコメントを取りたい」と、相手にマイクを向けて自分の思い通りのことを言わせようとしている自分の顔ですね。それがたまたま他局の映像に写っていたのを見て、心底「嫌だなあ」と。ただ、じゃあどうしたらいいのかは、ずっと考え続けながらも分からずにいました。
それが一つ、大きな気づきを得ることになったのは「光と影」の撮影のときです。光市母子殺害事件のご遺族が、判決を聞くため裁判所にやってくる場面を撮ろうと、メディアが裁判所前に詰めかけていた。私たちも、これは重要なシーンだと考えていたので、普通ならなかなかないことですがカメラを4台出して取材に行っていました。そして、私と一カメラマンが、他のカメラの放列の反対側に回り、ご遺族の背中越しの撮影をしたんです。
それを後から見たときに、「ああ、これだ」と思いました。写っているのは、ご遺族の向こうにずらりと並ぶカメラの列。いわゆる「メディアスクラム」とそこから引き起こされる熱狂する世論が、そのワンカットにはっきりと収まっていた。必要なのはこういうことじゃないか、通常の取材では見えてこない場面、映らない構図を見せることができたら、それが豊かな社会につながっていく視点になるんじゃないかと感じたんです。
「光と影」より、光市母子殺害事件遺族の背中越しに、ずらりと並ぶカメラの列を撮影したショット(C)東海テレビ放送
──一つだけの視点にとどまらない、「違う見方」を提示するということでしょうか。
阿武野 当時、光市事件については、被害者遺族の視点からの情報だけで世論が沸騰して、被告は鬼畜だ、早く殺すべきだ、その鬼畜を弁護する弁護団も鬼畜だ、裁判などいらない、という声に満ちていました。その中で、「いや、何のために裁判があるの」というところまで引き戻すとともに、弁護団が何をしているのか克明に描き出してみようとしたのが「光と影」というドキュメンタリーです。
ものの見方は一様ではない、別の視点で見るとこういうふうに見えるよということを示さなくては、気づかないうちに一方的な熱狂の渦に巻き込まれていってしまう。それはとても怖いことじゃないかと思うんです。まさに「光と影」で、一つの角度から強い光を当てれば、影がそれだけ深く出てしまう。いろんな光の当て方、いろんなものの見方をすることが重要じゃないか、と。その意味で、あの背後からのワンカットは象徴的だったと思います。
──そうした「違う見方を示す」という姿勢があるからでしょうか、一部では、東海テレビのドキュメンタリーは「攻めている」などといった評も耳にします。どう思われますか。
阿武野 攻めてはいないですよ。攻めているというよりは、自分たちのドキュメンタリーのつくり方──自由にやろう、そしてあまり合理的に取材しようとは考えず、時間をかけてみんなで悩みながら作ろうという姿勢をむしろ守っているだけだと思います。
よく「際(きわ)を行ってる」「境界を行く」なんていう言われ方もするんですが、むしろ自分たちとしては、ドキュメンタリーとしては王道、真ん中を進んでいるつもりです。考えるべきは、取材の中で出会った発見や衝撃をどう盛り込んでいくかであって、批判されないように丸めて表現しなきゃなんてことは、考えないようにしています。
テレビって、本来びっくり箱みたいなものじゃないですか。箱を開けたら「うわ、びっくりした、こんなの見ちゃった」っていう発見や驚きがないとつまらない。そして、私たちは地方局ですから、地元の人たちに、地域に東海テレビがあることを誇りに思ってほしいんです。そのためにも、これからもこつこつドキュメンタリーをこしらえていきたいと思っています。
(構成/仲藤里美・写真/マガジン9)
『眠る村』(齊藤潤一・鎌田麗香監督)
東京・ポレポレ東中野、名古屋シネマテークにて公開中。 3/2(土)より大阪第七藝術劇場、京都シネマなど全国順次公開
公式ウェブサイト
http://www.nemuru-mura.com/
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阿武野勝彦(あぶの・かつひこ) 1959年生まれ。同志社大学文学部卒業、81年東海テレビ入社。アナウンサーを経てドキュメンタリー制作。主なディレクター作品に「村と戦争」(95年・放送文化基金賞優秀賞)、「約束〜日本一のダムが奪うもの〜」(07年・地方の時代映像祭グランプリ)など。プロデュース作品に「とうちゃんはエジソン」(03年・ギャラクシー大賞)、「裁判長のお弁当」(07年・同大賞)、「光と影〜光市母子殺害事件 弁護団の300日〜」(08年・日本民間放送連盟賞最優秀賞)など。劇場公開作は『平成ジレンマ』(10年)、『死刑弁護人』(12年)、『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』(12年)、『ホームレス理事長 退学球児再生計画』(13年)、『神宮希林 わたしの神様』(14年)、『ヤクザと憲法』(15年)、『人生フルーツ』(16年)でプロデューサー、『青空どろぼう』(10年)、『長良川ド根性』(12年)で共同監督を務める。個人賞として、日本記者クラブ賞(09年)、芸術選奨文部科学大臣賞(12年)、放送文化基金賞(16年)などを受賞。