第64回:幼稚化する社会(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

子どものケンカ外交

 なんだか子どものケンカじみてきた。韓国国会議長の「首相か天皇が元慰安婦の方の手を握って、ひとこと謝罪すれば済む話だ」という発言を巡っての日韓両国政府のやりとりだ。

 河野太郎外相「韓国側には、厳しく抗議した」
 康京和(カンギョンファ)韓国外相「日本からの抗議は受けていない」
 河野外相「くり返し抗議した」
 康外相「会談でそれについての話は出なかった」

 これが、正式な日韓外相会談後の両者のコメントなのだから呆れる。「言った」「言わない」の、ほとんどガキのケンカではないか。政治の劣化が、こんなところにも見てとれる。
 外交も含めて、政治そのものが「幼稚化」しているのだ。

まるでマンガのようなゴマすり

 でも、そんなのはまだいいほうかもしれない。
 安倍首相が、「トランプ大統領を『ノーベル平和賞』の候補に推薦した」というニュースには、ぼくはほんとうに腰を抜かしそうになったよ。トランプ大統領って、まさに「平和の対極」にいる人物じゃないか。
 イラン核合意からの離脱、続いて中距離核戦力(INF)全廃条約からの離脱、米イスラエル大使館の移転、ロシア疑惑、メキシコ国境の壁建設、移民への不当な言動、排外主義と自国優先主義、兵器売り込み(死の商人)、女性差別、フェイク&虚偽発言、マスメディアへの圧力……。これらがトランプ氏の最近の政策だ。どこが「平和賞」に値するの?
 要するに、安倍晋三氏にとってトランプ氏は大事な親分であり、その親分が喜んでくれるなら“足の裏でも舐めちゃう”ってことだろう。
 最近は、安倍首相もとんと言及しなくなった「拉致問題」だが、自分では何もできないから、最後の頼みの綱のトランプ氏にすがるしかない。米朝首脳会談で、もし拉致問題に少しでも明るい兆しが見えれば、安倍首相はそれを自分の手柄にするつもりだろう。だから、せっせとトランプ親分にゴマをすりまくるというわけだ。
 まるで「ドラえもん」のマンガだ。ジャイアンにゴマをするスネ夫とそっくり。政治の「幼稚化」だ。
 しかし、こんな幼稚な政治を目の前で見せられる国民にしたら、たまったもんじゃないよ、ホントに。

国会審議は小学生のケンカか

 国会審議を見ていると、つくづく政治の「幼稚化」を感じる。まともに議論が噛み合わない。
 「野党の質問がダメだからだ」と、安倍支持者たちは言う。しかし、それは違う。閣僚たちも官僚も、まともに質問に答えようとしないし、焦点人物の国会招致には自民党が応じようとしない。さらに、平気でウソをつきまくる。議論が噛み合わないのは当たり前だ。
 安倍首相がその典型だ。ウソを連発して恥じることがない。
 ぼくは何度か「日本憲政史上において、これほど『ウソつき』と名指しされた首相がいただろうか?」と書いた。
 「ウソつき」というのは言葉を武器とする政治家にとっては最悪の罵倒だろう。それをこれほど投げつけられても、恬として恥じない政治家、それが安倍晋三である。だが、ウソつきと呼ばれて平気なわけでもないらしい。
 例えば、2月13日の衆院予算委員会。
 安倍首相は少し前の講演で、「自衛隊員の子どもが、お父さんは憲法違反なの、と涙ぐんで言った。そんなことをなくすためにも、憲法を改正しなければならない」という、まことに珍妙なリクツをひり出した。
 「それは実話なのか?」と国会で質問されると、顔を真っ赤にして逆上、「じゃあ、アタクシがウソを言っているというんですか! それは非常に無礼な話ですよっ!」とまくし立てた。
 質問者の本多平直議員(立憲民主党)が「私は一言もウソなんて言っていませんよ」と困惑するほどのキレっぷり。「ウソつき」と言われていることを自覚しているからこその逆上だったのだろう。
 しかもよく考えれば、この質問の前提が「地方自治体の6割が自衛官募集に非協力的」という、安倍自身のフェイク(というより、やっぱりウソ)発言がきっかけだった。イタイところをつかれると逆ギレ。こんなありさまじゃ、国会でまともな議論ができるわけがない。
 「それホント?」
 「ボクをウソつきって言うのか、コノヤロー」
 「ウソつきなんてひとことも言ってないじゃん」
 「バカバカ、お前のかあさんデベソ」

 口をとんがらせて質問相手を野次る安倍首相や麻生財務相の光景は、もう国会のアホな風物詩だ。小学低学年の学級崩壊の様子みたい。
 あーあ、ヤンなっちゃった、あーあ、驚いた(牧伸二)である。

記者会見の異様な光景

 国会だけではなく、記者会見の場だって似たようなものだ。
 菅義偉官房長官の記者会見がその典型だ。東京新聞の望月衣塑子記者が鋭く突っ込むと、菅官房長官は木で鼻をくくったような答えで逃げる。
 例えばこんな具合だ。
 「…という報道がありますが、それについて政府はどう考えますか?」
 「報道した社に聞いてください」
 報道内容を政府がどうとらえているのかを聞きただしているのに、まったく答えになっていない。記者会見の意味を自ら否定するもの。これでは何のための会見か分からない。
 その上、数秒ごとに上村秀紀報道室長という小役人が「早く質問してくださ~い」「質問は簡潔にお願いしま~す」とマヌケな声を張り上げ、望月記者の質問を邪魔する。さらにそれだけでは足りず、安倍官邸は東京新聞に対し申し入れ書を送付した。
 これはどういうことか。
 望月記者は、辺野古の土砂投入に禁止されているはずの赤土が混入しているのではないかと質問した。それに対し官邸は、赤土混入は事実無根であり、「特定記者の事実誤認による度重なる質問は深刻な問題」として、明らかに望月記者を排除しにかかったのだ。
 だが、ニュースで流れた土砂投入の場面を見れば、真っ赤な土が投入されているのは一目瞭然。違うと言うのなら、沖縄県による調査を認めればいいのだが、政府(防衛省)は、沖縄県の要求を拒否し続けている。
 つまり、ウソを指摘されたから、安倍官邸が逆ギレした、という構図だ。前述の、安倍首相の国会審議での逆切れ状態が、そのまま官邸にも蔓延しているということだ。
 間違いを指摘されれば、答えは棚上げにして逆上する。これを「幼稚化」と言わずして、どう表現すればいいのか?

幼稚化が支える安倍支持率

 政治(≒国会)がこうであれば、当然ながら社会も幼稚化する。偉い(んなワケはないが)政治家たちがあんなことをやっているんだから、オレもやったってかまわないだろう…という気分である。

 子どもを産んじゃいけないような幼稚な親たちがいる。子どもは親を選べない。虐待や育児放棄がこれほど多発する社会は、大人の「幼稚化」を示しているとしか思えない。
 「子どもが泣き止まないから、頭にきて殴った」? それ、大の大人の言うことか!

 さらには、多くのコンビニや飲食店でのアルバイトの若者たちによる悪ふざけ。それを動画に撮ってSNSに投稿する、という事例が増えている。これなども「幼稚化現象」のひとつの表れだろう。
 多分、かつてもこんなバカな真似をする連中はいただろう。しかし、それは仲間内のうっぷん晴らしで終わっていた。ところが、SNSの爆発的な普及により、それがあっという間に拡散される事態となった。
 つまり、かつてはあり得なかった「幼稚化の公然化」「幼稚化の拡散」である。しかも、それをマスメディアが「バイトテロ」と名付けたため「幼稚化の言語化」がなされた。
 言葉を与えられれば、事態は拡大する。いままで表面化しなかった事実が次々に明るみに出る。「バイトテロ」も、状況に悪乗りした連中が、オレもオレもと出てきたのだ。
 背景には低賃金の雇用形態への不満がある、という指摘もある。それはもっともだが、本来ならば、その不満は、労組への訴えや会社への要求という形をとるのが真っ当なはずだ。けれどもそうは進まず、悪ふざけでの発散で終わってしまう。これもまた、「思考の幼稚化」というべきだろう。

 社会全体が、幼稚化してきている。
 なるほど、これほどの疑惑まみれ、スキャンダル続出にもかかわらず、安倍支持率が40%ほどを保ち続けているのは、こんな「社会の幼稚化」に支えられているからなのかもしれない。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。