第66回:あの時、あなたはどこで何をしていましたか?(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

忘れられない恐怖

 また3月11日がやって来た。あの日から8年。
 日は過ぎ去る、ぼくはとどまる(アポリネール『ミラボー橋』)。

 あの日のことは、ぼくは忘れない。そして、あの日から続いた凄まじい恐怖を、ぼくは忘れない。

 かつて、ぼくは『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』というブックレットを上梓した(「マガジン9」ブックレット、2011年7月16日発行)。
 その中の「思いだしたくもない『まえがき』」に、こんなことを書いた。

 思いだしたくもない。
 だが、記憶はグチャグチャながら、鮮明だ。
 あの日、僕は自分の机で原稿を書いていた。すごい揺れだった。そして、長かった。中腰になって、机の縁につかまった。一瞬、机の下に潜り込もうかと思った。カッコ悪いからやめた。
 後で考えてみれば、そこは自分ひとり、誰も見ていない。カッコいいも悪いもない。でも、そのときは確かにそう思ったのだ。頭が混乱するというのは、そういうことだろう。
 すぐにテレビをつけた。テレビも大混乱。しかし、やがて東北地方がものすごい揺れだったことが分かった。
 東北か。
 僕の実家は秋田だ。実はつい数日前まで、僕は秋田にいた。3月1日に姉から「母危篤」の知らせを受け、2日に帰省した。4日、老母が亡くなった。死に目にはあえた……。
 6日に、兄姉弟と近くの親戚だけの、ほんのささやかな葬儀をした。そして、東京へ戻って数日後の11日、壮絶な大地震だった。

 秋田の姉とは、その夜、なんとか連絡がついた。ものすごい揺れだったが、ともかく家族3人、無事だった。ホッ。ふるさとの駅で別れた仙台に住む弟とは、なかなか連絡が取れない。埼玉に帰った兄からも、しきりに心配の電話が入る。彼は秋田とも仙台とも連絡がつかないと言う。秋田は心配ない、でも、仙台は僕にも様子が分からない、としか答えようがない。
 弟と、かろうじて携帯がつながったのは、翌12日の夕方。彼の家族3人は無事だった。しかし、家は少々壊れ、電気ガス水道はすべて止まったままだという。もっと詳しい様子を聞きたかったが、携帯はすぐに途切れた。でも、とりあえず家族は無事。それだけでもホッ。弟の家はやや高台にあるので、津波の被害はない。

 とにかく身内の無事は確認できたが、11日の夜から、僕は不安で眠れなくなった。原発だ。
 その夜は、ほぼ一晩中テレビにかじりついていた。カミさんが泣きそうな顔で、僕のそばにくっついている。いつもは11時に寝てしまうカミさんに、僕の不安が乗り移った。
 そして、不安は的中した。
 原発が……。
(略)
 菅直人首相は5月6日、ようやく「浜岡原発の“一時”停止」を中部電力に要請した。
 「総理大臣が要請すれば止まる」ことを、中電側も認めざるを得なかった。グズグズと「株主様」を言い訳に抵抗したが、ついに9日になって「浜岡停止」を受け入れた。
 残念ながら、浜岡停止は「安全対策が完全と認められるまで」という前提つきだが、それでも世界一危険な原発と呼ばれる浜岡原発が停止したことを、僕はとりあえず評価する。
 2〜3年後と中電が言う再開を、人々の力で阻止すればいいのだ。その猶予期間をぼくらは得たのだ。その間に、もっともっと学べばいい。そう思う。
(略)
 5月12日、1号機の水が完全に漏出し空焚き状態になっていることが判明した。これは“完全なメルトダウン”であり、ついには再臨界という究極の事故を引き起こす可能性すらある、ということだ。17日になって、2号機3号機もメルトダウンしていたことを、東電はしぶしぶながら認めた。情報隠しの東京電力の“伝統”は、まるで変っていない。
 メルトダウンした核燃料を処理した例は、まだ世界にはない。それも3基同時のメルトダウンなど、世界中の誰も考えたことすらない。スリーマイルもチェルノブイリも“幸運なことに”1基だけの単独事故だったのだ。福島はいったいどうなるのか。
 日本は世界中止の中で、歴史上初の極めて困難で危険な「核処理」を行わなければならない。
 その経費がいくらになるかなど、神でも知るわけがない。原発電力が安価だ、というのも神話だった。神でさえ知らない“神話”だ。
 原発。
 これはとても、人間の手で制御できるようなものではなかった。それを、僕らは現在進行形でイヤというほど見せつけられている。
 故郷を追われた人たちは「いつ帰れるんですかっ!」と東電や政府に迫る。だが、多分、彼らはもう帰れないということを、心の奥では感じているだろう。それでも涙を流して「帰りたい」と叫ぶ姿。それを見てもなお、原発を推進しようとする人たちの心情を、僕は理解できない。
(略)
 ぼくの知り合いの若い女性は、「もう子どもを産みたくない」と言う。当然だと思う。本気で国が「少子化対策」とやらを行う気があるのなら、まず原発を止めなければならない。放射性物質が浮遊する国で、誰が子どもを産みたいものか。
 いずれ、この国は「ガン列島」と呼ばれるかもしれない。それが、いつになるかは分からないけれど……。
 原発との共存など、できるわけがない。(略)

 この文章を書いたのは、2011年5月末だった。だから、ぼくの不安と怒りと焦燥が、そのまま表れている。気恥ずかしいけれど、これはあの時の、ぼくの精一杯の気持ちだったのだ。
 ここに記したぼくの危惧は、いまでも残されたままだ。いや、関心が薄らいでしまった分だけ、状況はよけい悪化している、と言えるかもしれない。
 もう一度、あの時のことを思い返してほしい。あの時、そしてそれに続くあの不安の日々を、あなたはどこで過ごしていたのか? 何を考え、どうしようと思っていたのか?

ぼくたちは逃げようと真剣に思った…

 忘れ去られようとしている。だが、忘れてしまっていいのか。あなたは怯えなかったのか。そのときに住んでいた土地に、そのまま住み続けていいものかと、自らに問いかけたことはなかったか。

 ぼくは、原発が爆発したことを知った直後、本気で東京から逃げようと思ったのだった。カミさんと相談して定期預金を解約した。現金しか信用できないと思ったのだ。それを手に、もっと西へ避難しようと…。
 ある事情で、結局、現在の地に留まることを決意したが、それでもなるべく外には出ないようにした。家中の戸や窓は締め切った。食事はできるだけ缶詰主体。だが、水は困った。水だけはコンビニやスーパーで買い漁った。しかし、途中から諦めた。
 3月11日、あの恐怖がまざまざと甦る。

 チェルノブイリ原発事故は1986年4月26日。事故からすでに30年以上が過ぎたけれど、溶融核燃料(デブリ)の取り出しはまったく行われていない。というより、撤去そのものを諦めたといっていい。取り出して処理するのではなく、石棺で覆って放射能の放出を防ぐしか手の施しようがないということだ。
 コンクリートの石棺は経年劣化でボロボロになり、現在はスチール製のシェルターで石棺そのものを封じ込めるという作業を行った。だが、そのシェルター自体の耐用年数も数十年とされ、また同じことを繰り返さなければならないとされる。
 放射性物質の半減期はそれぞれ違うけれど、長いものでは万年単位だ。核廃棄物の貯蔵を描いた映画『100,000年後の安全』がそれを見事にとらえていた。
 チェルノブイリは、多分、人類が滅びるまで負の遺産として異様な姿をさらし続けるのだろう。

息をするのも切ない時代に…

 福島はどうするのか。デブリ撤去の目途など立っていない。最近、ようやくカメラがデブリらしきものの映像をとらえたに過ぎない。もし、デブリを搬出できたとして、それをどこでどう処理するのか。
 デブリ搬出は2050年以降になると、政府は言う。3基ものデブリをその期間で撤去できると考える研究者はほぼいない。
 そして、福島原発事故対応費用はいったいいくらかかるのか。民間シンクタンク「日本経済研究センター」の予測では最大81兆円と試算されているという(朝日新聞3月10日)。
 それでもなお、政府も財界も「再稼働」の旗を降ろさない。こいつらは、日本という国を潰しにかかっているとしか、ぼくには思えない。

 さらに心配なこともある。
 昨年から今年1月までの1年間の、福島原発からの放射性物質の放出量が、推計で前年と比べて2倍近くに跳ね上がっているというのだ。推計で昨年1月までの1年間の放出量が4億7100万ベクレルだったのに対し、今年1月までの1年間の放出量は9億3300万ベクレルだった。東電は、廃炉に伴うがれきの撤去や他の作業の際に、放射性物質を含むチリが舞い上がったからではないかとしているという(NHK3月8日)。
 こんな状況で「東京オリンピック」などと浮かれる気持ちになれる人たちは、ぼくとは違う神経をしているんだと思う。

 ぼくもカミさんも、もう高齢者の域に足を突っ込んでいるから、これから長い将来を考えることもない。けれど、若い世代はこんな世の中で生きていかなくてはならないのだ。
 どの状況を見てみても、とても「原発事故収束」などとは言えない。若い世代には、息をするのも切ない時代を生きさせたくはない。

鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。