理解できない判決
ちょっと前だが、愕然とするような判決についての記事があった。憶えておられるだろうか? 各紙が報じていたが、その中から毎日新聞の記事(3月13日付)を見てみる。
飲酒によって意識がもうろうとなっていた女性に性的暴行をしたとして、準強姦罪に問われた福岡市博多区の会社役員の男性(44)に対し、福岡地裁久留米支部は12日、無罪(求刑・懲役4年)を言い渡した。
西崎健児裁判長は「女性が拒否できない状態にあったことは認められるが、被告がそのことを認識していたと認められない」と述べた。
男性は2017年2月5日、福岡市の飲食店で当時22歳の女性が飲酒で深酔いして抵抗できない状況にある中、性的暴行をした、として起訴された。
判決で西崎裁判長は、「女性はテキーラなどを数回一気飲みさせられ、嘔吐しても眠り込んでおり、抵抗できない状態だった」と認定、そのうえで、女性が目を開けたり、何度か声を出したりしたことなどから、「女性が許容している、と被告が誤信してしまうような状況にあった」と判断した。
いやはや、これをどう解釈したらいいんだろうか?
ぼくは記事を目にした時、悪い冗談ではないかと思い、何度も読み返したほどだった。その後、他紙にも同じ裁判の記事が載っていたのでそれらを確認。他の記事もこれと同様な内容だったことから、この裁判長、マジでこんな判決を出したものと分かった。
これが犯罪でないとしたら、どんなケースが性犯罪として処罰されるのだろう? 本気でコイツ(裁判長のことだ!)、頭がおかしいんじゃないかと思う。
「テキーラを数回一気飲みさせられ」「嘔吐し眠り込んでいて」「抵抗できない状態」だった女性に性行為に及んだ男が無罪だとしたら、酒さえ飲ませれば(いや、クスリを使ってだって)、何をやったって許されるってことじゃないか。
最近、こんな猥褻事件が増えてきているような気がして仕方ない。
「猥褻度」上昇のきっかけは…
そのもっとも有名なのが、元TBS記者で安倍ベッタリだった山口敬之氏のケースだ。
2015年のことだったが、伊藤詩織さんが山口氏にレイプされたとして警察に被害届を出した。高輪署の捜査員は逮捕状まで持って山口氏を待ち構えていたのだが、結局、逮捕は見送られた。実は「上からの指示」があったからだという。そして、その指示を出したのが当時の警視庁刑事部長の中村格氏だったことも分かっている。
むろん、中村格氏が安倍官邸と密接な関係を持っていたことは明らかになっている。安倍ベッタリの記者であれば、権力の庇護によって逮捕さえ免れるというわけだ。
この辺りから、どうもこの国の「猥褻度」は急上昇したのではないか。ぼくにはそう思えるのだ。
酔って意識がもうろうとした女性に性的暴行を加える。それが犯罪でないとすれば、そもそも性犯罪など成立しない。例えば、刑法177条(強制性交罪)178条(準強制性交罪)はこういう条項だ。
177条 13歳以上の者に対し、暴行又は脅迫を用いて性交、肛門性交又は口腔性交をした者は、強制性交の罪とし、5年以上の有期懲役に処する。
178条 人の心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ、又は心身を喪失させ、もしくは抗拒不能にさせて、性交等をした者は、前条の例による。
つまり、伊藤詩織さんが提出した被害届には、タクシー運転手の証言、ホテルの防犯カメラの映像、下着から検出された山口氏の体液のDNA鑑定などがあり、この178条に完全に一致するのだ。
伊藤さんが酔ってほとんど“心神喪失”状態だったことは、防犯カメラやタクシー運転手の証言でほぼ確認されている。条文の趣旨からして「準強制性交罪」は免れまい。だが、山口氏は逮捕されなかったし、その後の検察審査会も「不起訴相当」という納得いかない結論を出した。
それ以上に、ぼくが薄気味悪いと感じるのは、のちに山口氏が右派テレビや右派雑誌などで、得々とその時の様子を語っている恥のなさだ。自分の性嗜好を公の場で語ることに、何の躊躇もないのか? 酔っぱらって自分がヤッタことを自慢げに喋りまくるスケベ親父と、いったいどこが違うのか?
この国の「猥褻度」の急上昇にリッパに寄与したのが、山口氏とそれをかばった「上の方々」であったことは間違いない。
警官も新聞記者も「猥褻度」アップに協力?
警官らがしでかしたこんなイヤな“事件”もあった。
2014年に、大阪府警の元警察官や当時箕面署の巡査部長だった男ら5人が知人女性を集団レイプしたのだが、これがなぜか不起訴とされた。不起訴の理由が、5人の「女性の抵抗が弱まったので同意があったと思った」という弁解を認めたためという。
女性は検察審査会に「不起訴は不当」と申し立てた。
検察が、仲間(?)の警官の不祥事をなんとかうやむやのまま片づけようとした、とは思いたくないが、そう考えるしか理由が見つからない。これにはさすがに検察審査会が「不起訴不当」としたという。
他にも、さまざまな“猥褻事件”が報じられている。
最近も、神奈川県警の巡査部長が“痴漢容疑”で書類送検。この男、「1年半ほど前から月1度くらい、痴漢をやっていた。埼京線は痴漢が多いと聞き、自分もできると思った」などと供述したという。呆れてものも言えない。他にも神奈川県警の警官の猥褻行為が摘発されている。
取り締まる側の警官がこんなありさまだし、さらに検察がそれを不起訴にするとなれば、もうどうしようもない。
ところが、マスメディアだって同じようなもの?
読売新聞記者が、3月1日に富山市内で開かれた報道各社の親睦会で、他社の女性記者に執拗にセクハラ行為に及んだとして、読売新聞社はこの記者を懲戒処分にしたという。
体を触りまくるやら、スケベな言葉を連発するやら。
イヤハヤ…である。
日本は「美しい国」なのか?
これらは氷山の一角だとぼくは思う。
昨年8月に発覚した、あの財務省福田事務次官の女性記者に対するセクハラ事件の顛末を考えてみれば、この国の「猥褻度」が分かろうというものだ。あの“事件”を、なんとかうやむやにしようとしたのは、当事者でもあったはずの麻生太郎財務大臣をはじめとする自民党の面々ではなかったか。
「ハニートラップ」だの「体を使ってのスクープ狙い」などと、女性記者を貶めて事務次官を守ろうとした一連の動きこそ、政治家たちの質の「劣化」を示していたのだ。
安倍晋三氏は「美しい国へ」などと言う。
だが、実体はそうだろうか?
猥褻事件の多発は、安倍氏の言葉を裏切っている。