障害のある人の「自立生活」とはどういうことでしょうか? それは、食事や入浴を一人ですることでもなく、自分でお金を稼ぐことでもありません。ヘルパーの介助を受けても、障害年金の給付を受けてもいい。本人が住みたい場所に住み、生活上のあれこれ(食事、家事、外出等々)を自分で選び、自分で決定しながら暮らすことが自立生活です。
1960年代にアメリカで始まった「自立生活運動」(Independent Living Movement)は、障害のある当事者たちが声をあげ、道路や建物のバリアフリー化、障害者差別の払拭などを実現してきました。そのムーブメントは世界に広がり、今では各国に「自立生活センター」が設けられています。自立生活センターは、障害のある人が自立生活をするためのサービスを提供する事業体であり、自立生活運動を行う運動体でもあります。
現在制作中の映画『アウト オブ フレーム』は、こうした「自立生活運動の現在」を追ったドキュメンタリー作品です。監督は、これが初の作品となる田中悠輝さん。制作支援者として、マガ9に何度も登場いただいている今村登さん(自立生活センターSTEPえどがわ代表)がかかわっています。お二人に、作品に込めた思いを聞きました。
ホームレス支援をへて、障害者の自立生活運動を知った
――現在制作中のドキュメンタリー映画『アウト オブ フレーム』は、障害者の自立生活を記録しています。自立生活とは、障害のある人が地域に住み、本人が主体となって生活上の意思決定をしながら暮らすこと。日本では、障害のある人の多くが親元か入所施設での暮らしを余儀なくされていましたが、当事者による自立生活運動の甲斐あって、近年、自立生活を送る人たちが増えてきました。田中悠輝監督が撮影を始めたきっかけは、自立生活運動をしてきた今村登さんの一言だったそうですね。
田中 「俺たちの姿を撮ってほしい」というようなことを言われました。
今村 実際にそう言ったかどうかは定かではないんだけれど(笑)。アメリカに『Lives Worth Living(生きるに値する生活)』という自立生活運動の記録映画があって、「いつかそういう映画を作りたいね」と仲間内で話していたんです。それで、僕から田中君に声をかけました。
もともと田中君とは2016年にあるイベントで知り合って、僕たちのSTEPえどがわでスポットのヘルパーとして入ってもらうようになりました。介助しながら長時間一緒にいるから、「記録として撮っておいてくれないか」とお願いしました。その少し前に、田中君がぶんぶんフィルムズ(代表・鎌仲ひとみさん)のスタッフになったと聞いたのも、依頼した理由の一つです。
田中悠輝さん
田中 ぶんぶんフィルムズには事務局担当として入っていて、映画作りはほぼ素人でした。それで、『アウト オブ フレーム』は鎌仲さんにプロデューサーでついてもらい、撮影・編集・構成はベテランの辻井潔さんに加わってもらいました。技術的なことは、鎌仲さんや辻井さんから丁寧に指導していただきました。
――ちょうどいいタイミングだったわけですね。田中さんは、もともと障害者の自立生活運動に強い関心があったのでしょうか?
田中 直接、自立生活運動にかかわったことはなかったのですが、北九州市のNPO法人「抱樸」で野宿者(ホームレス)の支援をしていました。この2つは、運動の系譜として近いところがあるんです。野宿生活をせざるを得ない人たちは、軽度知的障害や精神疾患など、見た目にはわかりにくい障害のあることがとても多い。野宿者たちをどうサポートするかという課題と、障害者の自立生活をどう実現するかは似通っていました。自立生活運動はいわば野宿者支援運動の先達で、当事者が声をあげて自分たちの権利を取り戻していった背景があります。それって、すごく大事なことだと思うんです。
――抱樸には、どういういきさつでかかわったのですか?
田中 SEALDs(安保法制に反対する学生たちの団体)を創設した奥田愛基君が大学の2年後輩で、よく官邸前抗議後にクラブイベントで勉強会をしていました。彼のお父さんが抱樸の理事長の奥田知志さんで、北九州の実家にホームステイした時、「ホームレス支援に興味ないか? おもしろいよ」と声をかけてもらいました。確かにおもしろかったです。しんどかったですけれど(笑)。九州時代はほぼ全ての時間がホームレス支援で、深夜に警察から電話が来て、「路上生活の人を保護したんだけど、あなたの名刺を持っていたので連絡しました」ということもありました。それを大学卒業後の丸2年続けました。実家の都合で東京に帰って、これからどうしようかという時に今村さんと出会いました。
映画『アウト オブ フレーム』より。一番右が今村登さん
効率性より、本人が求めるやり方を尊重する介助
――『アウト オブ フレーム』の撮影はどのように進めていったのですか?
田中 今村さんがアメリカやコスタリカに出張する際に同行して、自立生活センターの国際交流の様子を撮りました。それと、大阪にある3つの自立生活センターに通って、実際に自立生活をしている方の日常を撮っています。介助を受けながら自分らしく地域で暮らす場面だけでなく、体調を崩して入院したり、時にヘルパーと行き違いになったりする場面も含めて撮らせてもらいました。撮影に協力して下さった方々は、当然「もっとかっこいいところを映してほしい」とおっしゃるのですが、葛藤があってこそ日常が輝くと思うので、丁寧に説明して理解を得ました。
それと、撮影をしながらコーディネーターさんの業務に興味がわきました。当事者とヘルパーの関係を調整する役割で、それがけっこう高度な作業なのです。障害のある人とヘルパーは「一対一」の関係になりやすく、お互いに息が詰まる場合があります。ヘルパーとして働く人のバックグラウンドは色々で、僕みたいに問題を抱えた若者もいて、当事者も大変なんです。こじれた若者を使わなきゃならないから(笑)。そこにコーディネーターが入って対話を促します。
今村 自立生活センターが提供している介助は、当事者に寄り添っていくことを重視しています。例えば料理一つとっても、ヘルパーは「こうしたらもっといいのに」と思っても、それを前面に出さず、あくまで本人のやり方を尊重します。「え、ここでこの調味料を入れちゃう?」とか思っても、本人がそうしたいならそうする。でも、ずっと同じように料理をしてどうしても美味しくならない場合は「ちょっとこうしてみませんかね?」と言ってみるわけですが、タイミングや言い方によっては「ヘルパーを替えて欲しい!」という事態になります。そういう時にコーディネーターが入って、双方の言い分を聞いて「まあまあ」と取り持つんですよ。
田中 大阪の自立生活センターのコーディネーターさんの一人は「ヘルパーに求められるのは、障害のある当事者の日常を一緒に生きること。ヘルパーのキャリアやステップアップは関係ない」とおっしゃっていました。よく考えてみれば当たり前のことですが、それを言えちゃうのはすごいなと思いました。僕自身も気をつけなくては。
映画『アウト オブ フレーム』より
――そうした自立生活運動の内部事情は、なかなか知る機会がないので興味深いです。ほかに映画の見所は?
田中 これから自立生活を始めようとしている方の困難を、重点的に撮影しました。先天的に脳性まひと知的障害がある18歳の少年が登場するのですが、彼はずっと施設暮らしで、社会でさまざまな経験をする機会が奪われてきました。自立生活をするには、どのくらい介助者が入ってどう補完するか、みんなで検討している場面があります。ほかに、中途で高次脳機能障害を負った男性や、知的障害と精神障害がある女性が、それぞれ自立生活を始める様子を撮らせてもらっています。
自立とは「助けて」と言えること、他者に依存できること
――登場するのは身体障害のある人とは限らないのですね。
今村 自立生活運動は、支援対象を車いすユーザーに限定しているわけではありませんからね。クロスディスアビリティー(多様な障害)といって、どんな障害でも支援することになっています。ただ、自立生活センターのスタッフは車いすを使用している肢体不自由の人が多いので、どうしても彼らが目立ちます。それと、全障害を対象にするようになったのはここ数年のことで、各自立生活センターが試行錯誤している段階です。
田中 取材をするなかで、知的障害や精神障害の利用者が増えているけれど、ノウハウがなくて大変だという話を聞きました。
田中さん(左)と今村さん
今村 そうですね。何が難しいかというと、自立生活運動は「自己選択・自己決定・自己責任」という3つのキーワードで自立を定義づけてきた経緯があります。肢体不自由の人なら、自分の手脚は動かないけれど、自分で何をどうしたいか決めて、自分でヘルパーに指示を出すことが自立だ、という考え方です。
じゃあ、知的障害のために言葉で表現できない人はどうなるのか? 僕らとしては、本人が発するイエス・ノーや、好き・嫌いのシグナルを、接する側がちゃんと読み取ることで自立できると言ってきました。ただ、これは言うは易く行うは難しで、現場はけっこう大変です。
だから、最近はもう一つのキーワードをプラスして、「依存できること」も自立の要件だという考え方をしています。安冨歩さん(東京大学東洋文化研究所教授)の言葉を引用させてもらっているのですが、安冨さんは「助けて」と言えることが自立だとしています。それがなかなか言えない一言なのですが。
田中 「助けて」という言葉は、きっと助けてもらえるだろうという期待感があって初めて言えますよね。今の日本社会はそういう期待感がないなと、前々から思っていました。
よく「困ったらだれかに相談しよう」とは言われますが、僕自身、相談ってなかなかできなかった。でも、自立生活センターの取材をしていたら、若いヘルパーが「ここに来たら本当に相談に乗ってもらえるし、色々フォローもしてもらえる」と言っていたんです。その人は、企業勤めで疲れてヘルパーに転身したのですが、来てみて「こんな場所があるんだ」と驚いたそうです。
自立生活センターは、障害のある当事者たちが自ら求め、自ら声をあげてできたものです。この映画を通じて多様な当事者たちの姿を見た人が、それぞれ「ここがおかしい」「こうしてほしい」と声をあげたくなるんじゃないかな、と期待しています。
映画『アウト オブ フレーム』より
今村 助けてと言えて依存し合える社会って、多様性を認める社会なんですよね。そこから、障害があっても排除されない社会になる。障害のある人が暮らしやすい社会は、だれにとっても暮らしやすい社会です。だから、自立生活運動がもっと広がっていけば、戦争も少なくなって、世界平和が達成できると僕は思っているんです。武器にお金を使うより、障害者にお金を使った方が平和になる(笑)。
「障害者はかわいそうであってほしい」への対抗
――いわゆる“感動ポルノ”のように、障害のある人が努力している姿をクローズアップして感動を煽る映画とはまったく違いますね。
田中 障害のある人に対する社会の決めつけって、めちゃくちゃ多いんですよね。かわいそうでいてほしい、ひたむきであってほしい、みたいな。それに対抗する答えを映したいと思いました。というのも、以前、今村さんに福祉制度について教わっていたとき、ハッとすることがあったんです。「障害福祉は、福祉全般のなかでは比較的手厚いですね」と僕が言ったら、今村さんは「必要だからもらっているのであって、手厚くはない。みんな、障害者はかわいそうな存在であってほしいんでしょう」と言われて。自分も無意識のうちにそう思っていたかもしれないと気づきました。だから、障害のある人に対する勝手な枠組みを作らないで、ありのままの姿を見せる映画にしようと考えました。
今村 人によっては羨ましいと思うかもしれないね。『アウト オブ フレーム』に登場する当事者たちは、障害そのものに着目すれば大変そうかもしれないけれど、肩肘はらずに、自由にありのままを生きている。こんな風に生きたいと思う人は、けっこういるんじゃないかな。
僕自身は、29歳でけがをして車いすユーザーになったけれど、障害がなかった頃に戻りたいとは思わない。別に前がすごくイヤだったわけじゃないし、手脚のしびれや痛みはない方が楽だけれど、今の方が断然おもしろいんですよね。自立生活運動をしていると、人種や国境を超えて、色んな国の人と仲良くなれます。国や宗教、政治的スタンスは違うけれど、受けてきた差別や抑圧は似通っている。だから、それぞれの多様性を認め合いながら、すぐ仲良くなれるんです。
左から鎌仲ひとみさん、今村さん、田中さん、神奈川の自立生活センター「CIL自立の魂」代表・磯部浩司さん
――『アウト オブ フレーム』というタイトルに込めた思いを聞かせて下さい。
田中 障害のある人が施設や親元から出て地域で暮らすという意味であると同時に、社会に固定化された枠から出ていくという意味でもあります。決めつけのない社会がいいな、と。
今村 自立生活運動は、突き詰めるとインクルーシブ(包摂)社会を作っていく運動です。今、各自立生活センターがそれを体現しようとしています。人間はもともとみんな違うから好き嫌いはあるだろうけれど、それでも付き合っていくと、なんだかおもしろいことに気づく。なかなか難しい課題も多いのですが、諦めずに進みたいですね。
(構成/越膳綾子・写真/マガジン9編集部)
https://readyfor.jp/projects/out-of-frame
▷完成予定日:2019年4月
▷上映予定日:2019年9月
▷上映場所:東京の劇場を皮切りに全国の劇場で上映
▷上映時間:90分
▷主な出演者:平下耕三 渕上賢治 大橋グレース愛喜恵 川崎悠司 他
▷撮影場所:東京、大阪、アメリカ、ネパール、コスタリカ
たなか・ゆうき1991年東京都生まれ。明治学院大学国際学部卒業。2013年から福岡県北九州市の認定NPO法人抱樸(ほうぼく)で野宿者支援にかかわる。2015年に東京に戻る。翌年4月STEPえどがわで重度訪問介護従業養成研修を修了し、ヘルパーとして働く。同年6月鎌仲ひとみさん率いる「ぶんぶんフィルムズ」のスタッフとなる。その後、『アウト オブ フレーム』の撮影開始。2017年から認定NPO法人自立生活サポートセンター・もやいでコーディネーターとして勤務。2018年から日本初の市民(NPO)バンク「未来バンク」理事就任。実父は環境活動家の田中優さん。
いまむら・のぼる1964年長野県生まれ。1993年に不慮の事故で頸髄を損傷し、四肢体幹麻痺の重度障害のある身となる。2002年に仲間とNPO法人自立生活センターSTEPえどがわを設立、2016年より代表。現在、全国自立生活センター協議会(JIL)副代表、DPI日本会議事務局次長等を兼任。障害者の自立生活運動を通じて見えてきた問題を切り口に、他の分野の問題点との共通点を見出し、他(多)分野の人々とのつながりを作っていく活動も手掛けている。2014年の渡米以降、日米で協力し世界中の自立生活センターのネットワーク作りにも従事し、2017年のWIN(World Independent living center Network)設立に寄与した。