第69回:仲間が挑戦をするぞ!(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

「マガ9」事務局長が政治の場へ

 わおっ、ビックリしたな、もう!!である。
 そりゃ驚くよ。だって、仲のいい友人が、突然「私、4月の統一地方選挙にチャレンジするつもりです」と言うんだから、一般ピープルのぼくとしては、ホントにたまげてしまったんですよ(たまげる=魂消える=秋田弁で「びっくりする」という意味です)。
 これ、身近で起きた最近の話。
 実は、このウェブサイト「マガジン9」の編集長&事務局長を務めてくれていた塚田壽子(つかだひさこ)さんのこと。身内に“さん付け”はおかしいけれど、実は一旦、「マガ9」から身を退くことになったので、これからは塚田さんと書く。

 「マガジン9」が産声を上げたのは2005年3月のことだった。だから、すでに丸14年が過ぎたわけだ。その間、年3回の「合併号」のほかは1回の休刊もなく、ウェブ上の週刊誌として発行を続けてきた。それを、編集と事務の裏方として支え続けてきてくれたのが塚田さんだったのだ。彼女なくして現在の「マガ9」は考えられない。
 その塚田さんが、なんと統一地方選の「東京都豊島区議会選挙」にチャレンジしちゃうというのだから、ぼくは腰を抜かすほど驚いてしまった、というわけなのである。

 ぼくらが集った「マガジン9」は、当初「マガジン9条」と名乗った。とにかく「我が日本国憲法9条の精神を絶対に譲らない」という、その一点で集まった人たちで始めたからだ。しかし世の中、そう単純ではない。集まった人たちのさまざまな想いや興味は、それこそさまざまに広がっていった。だから「9条」のみにこだわるのではなく、いろんなテーマを取り上げていこう、ということになって「マガジン9」と改名した。
 その先頭を切ったのが、塚田壽子さんだったのだ。
 塚田さんは、ときに貧困問題を語り、女性の地位について考え、原発事故に怒り、表現や思想の自由に取り組んだ。中でも、彼女がもっとも大事にしていたのは「日本国憲法第25条」だった。

第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
② 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 人間のもっとも根源的な権利を定めたこの25条を、塚田さんは何より大切だと思った。そして、それを実現するためにどんなことをすればいいかを「マガ9」の編集の傍ら、ずっと考え続けてきたようなのだ。

塚田さんの考え方は…

 塚田さんは、こんなふうに言う。

 いままで長い間、一生懸命に「マガ9」で考え方を表現してきたけど、それが多くの人たちに伝わっているのかどうか、とてももどかしい。このごろは読者の顔が見えなくなってしまったような気がして、悩んだことも多かったのです。それに、いろんな選挙では、私たちの訴えにもかかわらず、改憲を目指す安倍政権が何度も勝ってしまう。これでいいのかと、本気で悩み始めていたのです。
 そんなとき、私が住んでいる豊島区で地域政党「生活者ネットワーク」の活動に出会いました。この政治グループは、常日頃から、食の問題、子育ての悩み、暮らしの安全、女性問題や社会保障の現状、それに草の根の政治…などを語り合い実践してきたといいます。
 私はそこで、地域からの発想、草の根の政治、孤立する弱者を救う政治といったものがいかに大切かを実感したのです。
 私が考えてきたことを、ほんとうに地域から訴えていける政治、そういう発想もあるのではないかと思ったわけです。
 「生活者ネットワーク」は、東京の各自治体に議員を送り出しています。市民のネットワーク運動は全国に広がっており、議員は市民の代理人として地方議会に声を届けています。議員も交代制にしています。
 豊島区は、現在の生活者ネットワーク議員(代理人)が2期目で、ちょうど交代時期でした。そこで、後任選びを始めたところでした。私も後任選びの会議に出席したのですが、なかなか候補者が決まりません。
 私は、会社勤めの経験もあり、社会や憲法の問題を扱う「マガ9」の編集にも関わってきました。そんなところに目をつけられたらしく、白羽の矢を立てられることになったのです。

 とまあ、塚田さんご本人の言葉によれば、経緯はざっとこのようなものだ。
 生活者ネットワークは、根本的に「憲法9条は守る」というし、ほかの目標も塚田さんの考え方とは合致したという。悩みに悩んだ結果、塚田さんはついにオファーを受けることを決意した。

草の根から、中央政治への異議申し立てを

 さて、本音を言えば、困ったのは「マガ9」である。
 最初に書いたように、塚田さんは「マガ9を代表する顔」でもあった。編集者としては取材から執筆、事務局として資金管理、事務雑用、執筆者や取材相手への連絡と謝礼・原稿料の支払い、デザイナーたちとの打ち合わせなど。さらには「マガ9学校」という講演会やシンポジウムの人選から会場設営、司会まで、実に多様な仕事をこなしてきてくれていた。有名になった「怒れる女子会」は、まさに塚田さんの発想によるものだった。
 その彼女が「マガ9」から抜けてしまう。これは困った! 実際、編集部は一時パニックに陥ったほどだ。
 しかし、最終的には「マガ9」としては、塚田さんの転身を温かく受け入れることを決めた。「マガ9」で表現してきたことを、具体的に、塚田さんが地域政治の場で実現させていく。それも「マガ9」でのこれまでの活動がもたらした果実ではないか。
 塚田さんは、後任の事務局長に「下北半島プロジェクト」で出会った友人の田村久美子さんを推薦してくれた。田村(もう身内なので呼び捨てだぞ・笑)が引き受けてくれたことで、事務局は今まで通りスムーズに動いている。
 それに、「新ボランティア募集」の呼びかけに何人かの方が応じてくれて、編集会議も以前より活性化してきた。ある意味で、塚田さんの決意が起爆剤になったのかもしれない。

 こうなった以上、ぼくは、塚田さんを絶対に応援する。新しい世界で「マガ9」での経験を生かし、草の根からの「平和への提言」をぜひ行ってほしい。
 東京の小金井市や小平市などの議会が「沖縄の辺野古工事停止を求める意見書」を議決している。「安倍強権政治」への叛旗といえよう。地方からの中央政治への異議申し立てが全国規模で広がれば、いかにプチ独裁の安倍首相とはいえ、必ず動揺するはずだ。

 最後に断っておくが、この文章は、「マガ9」を代表するものではない。「マガ9」は、特定の組織や政党とはこれまで一線を画してきたし、これからもその一線を踏み越えることはしないと思う。
 だからこれは、あくまでぼく個人としての、塚田ひさこさんの活躍に心から期待しているという意見表明である。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。