第479回:『僕にもできた! 国会議員』〜山本太郎の議員生活を振り返る。の巻(雨宮処凛)

 2019年4月9日、私が取材・構成を担当したある本が出版された。

 それは『僕にもできた! 国会議員』(筑摩書房)。参議院議員・山本太郎のこの6年間の議員生活を振り返ったものである。

 山本太郎氏が国会議員となったのは13年7月。その2年前、東日本大震災が起き、福島第一原発はレベル7の過酷事故を起こした。3・11で人生が大幅に変わった人は多いが、山本太郎氏も間違いなくその一人だろう。そうして原発事故について発言し、デモに参加するなど声を上げるようになった太郎氏が、あっという間に俳優としての仕事を干されてしまったのは多くの人が知る通りだ。そんな太郎氏は12年末、衆院選に出馬。しかし、落選。が、13年7月の参院選では見事当選を果たした。得票数66万6684票。無所属。新人。職業・俳優。この時、38歳だった山本太郎氏は現在、44歳となった。

 私が山本太郎氏と初めて会ったのは、衆院選に出馬する少し前。脱原発をテーマとしたイベントだった。

 もちろん、その存在は高校生の頃からテレビを通して知っていたし、3・11後の行動も見聞きし、その姿をデモなどで見かけることもあった。「活動家デビューしたての同世代」を、心強くも感じていたし、その前のめりっぷりに、どこか危うさも感じていた。

 しかし、12年の選挙も13年の選挙も応援した。荒削りだけれど、当選すれば「脱原発」を掲げて国会で大暴れしてくれるだろうと思ったし、太郎氏のような「空気を読まないバカ」(褒め言葉です笑)こそが、3・11後の大転換を迎えている日本の政治に不可欠だと思ったからである。

 だからこそ、13年に当選してからは、「製造物責任」(選挙を応援した一人としての責任)をまっとうするため、貧困問題についての専門家を紹介し、現場を案内したりもした。14年から、山本太郎氏を年末年始の越年炊き出しに毎年案内している様子はこの連載でも取り上げてきた通りだ。そうして、当選から6年。気がつけば、山本太郎氏は市民運動から登場した政治家として、もっとも弱い立場の人に寄り添い、現場に足を運び、謙虚に人々の話に耳を傾け、そしてびっくりするほど勉強熱心な政治家に「化け」ていたのである。

 特に15年の安保法制の際の国会質問は、何かが憑依したのではと思うほどに迫力満点で、すべての質問が冴えていた。当時の質問の数々を覚えている人も多いだろう。個人的には、太郎氏はあの頃から完全に違うフェーズに入った気がする。

 さて、この本ではそんな6年間を振り返っているのだが、まずは一章で「成果」についておさらいした。「山本太郎が国会議員になったからこそ実現したこと」だ。こういうことはなかなか報道もされないので知りようがない。また、本人が「自分がこれを成し遂げた!」と手柄のように語るとちょっとウザい。しかし、国会質問が事態を動かしたことは確実に、何度もあった。

 例えばそれは、18年の西日本豪雨の際、被災地に小型重機100台を入れることを国会質問で要請したらすぐに入ったという事実だったり、女性活躍推進法の付帯決議にDV、ストーカー問題を盛り込んだことだったりする。また、東京オリンピックを口実に野宿者を公園から追い出すような動きについては野宿者からレクチャーを受け、質問に立ち、実際に事態が動いている。それだけではない。入国管理局に収容されている外国人からのSOSに対して、一人の議員が動けばここまでは変えられる、という「実例」も示されている。

 また、私自身が多くの専門家を紹介して質問が作られた生活保護問題では、びっくりするような制度変更、運用の変更が何度も起きている。生活保護世帯の若者が「貧困の連鎖」に陥らないための画期的な制度変更が何度も行われていたのだ。

 続く二章では、「なぜ、小沢一郎と合流したのか?」というテーマで小沢氏にも話を聞いている。また、「なぜ、牛歩をしたのか?」という疑問にも迫った。山本太郎氏が「初めての牛歩」に踏み切った日の心境やその後、続々と「国会牛」が増えていった経緯、そして山本太郎氏が牛歩をした日、なぜか牛丼・松屋の株価が上がったという謎エピソードも紹介している。

 三章では、「今、改めて原発・被曝問題を語る」として、まるごと一章を使って原発・被曝について語ってもらった。

 これまで、国会でも原発、被曝の問題や避難者のみなし仮設追い出し問題など多くの質問をしてきた太郎氏。しかし、「原発・被曝」の分野では他で成果が上げられたようにはいかない。それほどにこの問題の「壁は厚い」と太郎氏は言う。一方で、原発・被曝の問題に関して、「風評被害」と言われることもある。この章では、率直に「傷つけないでください」という声に対して、太郎氏は長い長い文章を書いている。これだけでも、もう立ち読みでもいいのでぜひ、読んでほしい。あまりにも真摯な返答だからだ。

 さて、四章では経済政策について存分に語り、松尾匡、朴勝俊氏との対談も収録している。「山本太郎の経済政策に興味がある」という声は最近多く聞くが、その基礎の基礎から、現状分析、どうやって格差と貧困が深刻化した中で人々の生活を底上げしていくかの方策が詰まっている。取材をしながらも初めて知ることだらけで、「いつの間にこんな勉強してたの?」と驚愕した。

 続く五章では公募した質問に答え、六章では憲法学者の木村草太氏との対談。また、七章では「山本太郎と愉快ななかまたち」ということで、事務所スタッフを紹介している。あのレベルの国会質問を作るチームはいったいどんなメンツなの? シンクタンクくらいのブレーンがいるんじゃないの? そんな疑問を多くの人が持っているわけだが、それは読んでのお楽しみ。

 昨年からそんな山本太郎氏の6年間を本人のみならず様々な人を取材して振り返りつつ、構成していたのだが、その作業はとにかく楽しいものだった。

 何しろ取材先のバリエーションがどうかしているのだ。

 一番最初のインタビュー場所は、都内の公園だった。そこで野宿をする人にテント小屋の前でインタビューしたのだ。その人は、太郎氏にオリンピックを口実にした野宿者追い出しについてもろもろのレクチャーをした人である。そんなふうに野外でインタビューしたかと思ったら、その数日後には議員会館で小沢一郎氏にインタビュー。はたまた脱被曝デモの打ち上げで福島の人に取材した際には、原発事故によって人生を狂わされた人たちの話に、ただただ涙を流すことしかできなかった。

 このように、本書に登場する人は、ホームレス、被災者、避難者、DV被害者支援をする人、被災地支援に駆け回る人、生活保護問題に取り組む弁護士、イラク支援を続ける人や戦場ジャーナリスト、入管収容所にいる外国人、経済学者、憲法学者などあまりにも多岐にわたる。それがなんとも山本太郎らしいではないか。

 ちなみに本文で入れたくても入れられなかったエピソードとして書いておきたいのは、太郎氏が小泉進次郎氏の事務所を訪れた際、「居留守を使われた」というものである。あの二人の関係性を象徴するエピソードではないか。私がもし進次郎氏だったら、同じことをするかもしれない。だって、かかわるとメンド臭そうなんだもん。そして同業者に「かかわるとメンド臭そう」と思われる政治家は、大抵の場合、庶民の味方である。

 本書の中で好きなエピソードはたくさんあるが、「序章」の太郎氏の言葉は、何度読み返してもグッと来る。以下、引用だ。

 「何が自分を駆り立てているか? 『今日で最後にしよう』と思ってるからかもしれないですね。
 例えば質問を作る時とか、しんどいじゃないですか。テキトーにやればいいんですけどそれが無理なので、とにかく時間がかかる。連日深夜まで。もちろん省庁への通告は早い時間にやってますよ。どんなストーリー展開にするのかに苦労する。
 そんな時、これが最後の舞台だ、と思ってやってます。
 昔、舞台をやってる時、本当に苦しかったんですよ。毎日毎日吐くほど緊張するし、毎日毎日やらないといけない。そういう中で思いついたのが、今日舞台に立ったら終わりにしよう、って考え方。舞台が終わった時、ほんとにやめたかったらやめたらいいと。でもだいたい終わった後はすっきりしてるんですよね(笑)。だからすごい苦しかったとしても、本当に嫌だったらやめればいいと。これが最後の舞台、今日一日頑張ろうという感じでやってます。最後だから、一生懸命やる。
 たまに夜中の3時頃までかかって国会質問の原稿を作ってると、もう、議員会館に誰もいないんですよ。そんな時、トイレ行くのに廊下歩きながら、なんかこの仕事、好きなのかもしれんな、とたまに考えたりします」

 本書には、このように太郎氏の「仕事に対する心構え」も多く登場する。どうやって、牛歩の間、「心を折られずに」いられるか、また、永田町の中、なぜ孤軍奮闘の闘いを続けられるのか、その原動力についてなどなど。

 世界を変えるのは、いつの時代も「空気を読まないバカ」である。

 ぜひ、手にとってみてほしい。


『僕にもできた! 国会議員』(筑摩書房/1400円+税)

国会議事堂の方向もわからない。
専門家の講義を受けても何が問題かもわからない。
そんな山本太郎が猛烈に学び、時に総理に挑み、時に牛歩し、災害対策、生活保護etc.
数々の成果を上げるまでの大冒険!
(ちなみに表紙イラストは私が描きました 笑)

目次
まえがき
序章 議員になってからを振り返る
第一章 山本太郎にもできた! 意外な「成果」の数々
第二章 なぜ、小沢一郎氏と合流したのか? そしてなぜ、牛歩をしたのか?
第三章 山本太郎、今、改めて原発・被曝問題を語る
第四章 山本太郎、経済政策を語る
第五章 山本太郎が皆さんからの質問に答えます
第六章 木村草太氏と憲法を語る
第七章 山本太郎と愉快ななかまたち 事務所スタッフ紹介
あとがき

雨宮処凛
あまみや・かりん:1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)、『自己責任社会の歩き方 生きるに値する世界のために』(七つ森書館)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。