第481回:ペットと安楽死〜消えつつある命と向き合い、考え悩んだ一ヶ月〜の巻(雨宮処凛)

 この大型連休を、あなたはどのように過ごしただろうか。

 私はなんだかぼーっと過ごした。3月末に猫のつくしが余命一ヶ月の宣告を受け、介護のために予定をあけていた連休。だけどつくしは4月なかばに死んでしまって、ぽっかりと空いた日々を、つくしを思い出したり泣いたり、残された猫のぱぴを抱きしめてやっぱり泣いたりしながら過ごした。

 連休はじめには、初めて渋谷のレインボープライドのパレードにも行った。本当に多くの人が参加していた。みんな笑顔で、みんなが「ハッピープライド!」と声を掛け合いながらハイタッチしていた。パレードの感想は、さすが歴史あるパレード、というものだったけれど、もうひとつ、参加してわかったことがある。それは「世の中には『ハッピープライド』と言いながらハイタッチできる人とできない人がいる」という厳然たる事実で、自分は後者だということに改めて気づかされた。頑張ってやってみようとしてなんとか手をかざしても、私だけスルーされたりして、自分が「卑屈の星」からやってきたことを久々に再確認したのだった。

 さて、そんなふうに地味に過ごしたゴールデンウィーク。私はとにかく10連休が怖かった。それはやはりつくしが余命宣告を受けていたからで、「何かあった時、病院が休みだったらどうしよう」と長らく気を揉んでいたのだ。しかし、つくしがかかっていた病院は連休中も休まず診療していることを知り、心の底から安堵した。が、先に書いた通り、つくしは連休前に死んでしまった。

 余命宣告を受け、わずか2週間あまりのことだった。

 「リンパ腫かもしれない」と言われたのが3月22日。余命宣告を受けたのが3月末。そして4月なかば、あっという間に愛しい愛しいつくしは旅立ってしまった。

 今振り返って、思う。

 これほどに、「命」について考えた一ヶ月はなかったと。

 思えば最初の数日は、「治ってほしい」「早く元どおりに元気になってほしい」とばかり祈っていた。歩く時にもふらつき、弱々しくなっていく姿を見て、「なんて残酷な光景だろう」とただただ錯乱しながら泣いた。だけど数日も経つと、その思いは「ただ生きていてくれればそれでいい」に変わった。

 その頃から、毎日のように、家族が入院している友人とメールするようになった。友人の家族も、命が危ない状態と聞いていた。「今日は食べた」「ウンチが出た」「気分が良さそう」「食欲が昨日よりはあるみたい」。そんなことで一喜一憂する日々が始まり、病む家族を持つ人はこういう世界で生き、そして日々、本当にささやかなことで喜んだり落ち込んだりしているのだと知った。それまでと、世界がまったく違って見えた。

 自分の生活も、根底から変わった。自力でほとんど食べられなくなったつくしに1日5回の強制給餌をしていたから、4時間以上の外出はできなくなった。よって、遠出する仕事は延期してもらった。それまで当たり前にしていた一泊の仕事や、取材や打ち合わせのあとの編集者の人との食事なんかが途端に「別世界のこと」になった。

 出かけると、いつも「もうそろそろ帰ってつくしにご飯を食べさせないと」とそわそわしていた。だけど、全然苦じゃなかった。こうすることでつくしが生きてくれるなら、こういう生活があと10年続いてもちっとも構わないと思った。とにかく、生きていてほしかった。

 私の生活において、それまで一番大きな部分を占めていたのは仕事だった。だけどあの一ヶ月、最優先だったのはつくしのことだった。社会問題や政治のことなんかよりも、「つくしがどんなものだったら食べてくれるか」が日々の最優先課題になって、毎日毎日、つくしがまだ食べたことのない猫のご飯やおやつを買った。だけど全然食べてくれなくて、そうして試しに試した果てに、あるスーパーのまぐろだったら食べてくれることを発見した。毎日毎日、電車に乗ってそのスーパーに行き、まぐろを買うのは幸せな時間だった。

 だけど、最初の頃は食べられていたのがすぐに舐めることもできなくなり、そうして一切、受けつけなくなった。それでも私は、電車に乗ってまぐろを買いに行き続けた。今日は少し良くなって食べてくれるかもしれない、という願いをどうしても捨てられなくて。

 つくしの病気が発覚する少し前、メディアでは、人工透析を受けていた女性患者が亡くなったということが大きな話題になっていた。

 人工透析を中止する選択肢を示され、同意した結果亡くなったということだった。が、それが適正だったのかどうかが大きな議論を呼んでいた。さまざまなメディアでも、この報道に対する賛否の声が飛び交っていた。透析をしている人の「生きたい」という声、莫大な医療費がかかっているという人の声、人それぞれの「死生観」だという声、ただでさえ「周りに迷惑をかけ、医療費がかかっていて申し訳ない」と思いがちな患者に対して中止についての意思確認をすること自体が酷ではないかという声、誰もなりたくて病気になったのではないという声。話は時に、「治る見込みのない高齢者の延命治療」にまで及び、「どんな状態でも生き続けてほしい」というのは家族のエゴではないか、などの言葉も目にした。

 すべての言葉について、どう思えばいいのかわからなかった。なぜならその時、私はまさに消えゆく命と向き合っていたからで、毎日毎日、悩むことの連続だった。まずは1日5回の強制給餌。信頼する獣医から指示されたものだったが、この強制給餌にも賛否があることを知った。偶然開いた本のページにも、猫に強制給餌をして苦しませてしまったことへの後悔が綴られていた。

 シリンジで強制給餌するたびに、つくしは嫌がった。この子の苦痛を増やしているのではないか。毎日泣きそうになりながらも、心を鬼にして続けた。こうして生きていてほしいと苦しみを増やしているのは私のエゴではないかと葛藤しながら。

 もうひとつ、悩んでいたのは「安楽死」だ。

 治る見込みがないと知ってから、まず頭に浮かんだのはそれだった。もし今後、病状が進んでいってつくしがものすごく苦しんだりすることがあったら…。そうなったら、安楽死という選択もありだと思っていた。獣医さんにもその意思を伝え、その場合の段取りも聞いていた。

 安楽死。

 人間の安楽死、尊厳死について、これまで私はかなり懐疑的だった。特に法制化されることに対して。結局は、「安楽死」「尊厳死」という名目のもと、体よく医療費削減のために命が選別されるような事態につながってしまうのではないか、という懸念からだ。金持ちは生きられるけれど、貧乏人は生きられない社会。だから「安楽死」という言葉は、私にとってどこか警戒すべきものだった。

 だけど、つくしに対しては、「安楽死という可能性がある」ことにどこかでひどく救われていた。「猫 安楽死」と検索すると、数々の辛い闘病の経過と、飼い主の葛藤が詰まった重い重い言葉の数々と出会った。そんな文章を読みながら、つくしが苦しみ始める日が今日か今日かと怯えていた。結局、つくしは苦しむ姿を見せることなく、私が寝ている間に死んだ。「苦しまなくてよかった…」。それが冷たくなったつくしに触れた瞬間、思ったことだ。だけどもし、「これはもう安楽死させた方がいいのでは」と思うほどに苦痛が強くなっていたら。

 闘病中、もっとも考えたのはそのことだ。何度も何度も思い描いた。つくしを病院に連れていき、安楽死をさせる瞬間。その選択が私にできるのか。後悔しないのか。心を決めたと思っても、いざそうなった瞬間、私はそれを受け入れられるのか。今も答えは出ていない。だけど、「ゆくゆくは安楽死も視野に入れている」と告げると、「実はペットを安楽死させたことがある」と何人かが教えてくれた。長い付き合いの中、一度もそんな話をしたことがなかった人たちだった。人知れず、そんな辛い選択をしていたのだと驚いた。とにかく話してくれたことに感謝した。そう思うのは自分だけじゃないんだ、というだけで、どれほど救われただろう。

 医療費についても、考えさせられた。

 つくしはリンパ腫だったから、手術はできなかった。抗がん剤しか選択肢は残っていなかった。しかし、リンパ腫という確定診断も出ていなかった。おそらくそうだけれど、抗がん剤治療を始めるには、お腹を開いて組織を検査する必要があるということだった。また、脳にも病気がいっているということで、脳のMRIをするかどうかも聞かれた。しかし、どちらも全身麻酔が必要で、もうそれに耐えられる体力は残っていないと思われた。全身麻酔をしたら、おそらく二度と目覚めないと思ったのだ。だからつくしは抗がん剤治療をせず、ステロイドと抗生剤と吐き気止めを死ぬまで飲み続けた。

 そんな中で、保険がきかない猫の医療費についても考えた。聞くと、MRIが一回12万円。また、抗がん剤も月に12万円ほどかかるという。お金に余裕がないと、とても出せない額だろう(もちろん病院によって違いがあると思う)。ちなみに、つくしは太っていたことから、8歳くらいからいろんな獣医に「糖尿病になるかも」と言われていた。もしなったら、どれほど高額な医療費がかかるか、ということも強調されていた。大学の学費くらいかかる、と言う人もいた。

 もし、つくしが余命一ヶ月ではなくて、莫大にお金がかかる慢性疾患だとしたら、私は先に書いたように、つくしに「ずっと生きてほしい」と思えただろうか。もしくは、私が人生で一番お金に困っていた時期だったとしたら? そんなことも、考えた。

 移植についても考えた。

 それはつくしが亡くなり、もう一匹のぱぴを猫ドッグに連れていった時のこと。腎臓の数値が少し悪いという話から、猫の腎臓移植の話になった。現実的にそれをするという話ではなく、こういうケースがある、という話題でだ。滅多にないけれど、猫の中にも腎臓移植をする子がいるという。本当に一部の大学病院のみでやっているそうだ。その場合、ドナーとなるのはこのままでは殺処分という猫。その猫から腎臓をひとつもらう代わりに、飼い主は、その猫の面倒を一生みるのだという。

 そんな話を知人にすると、驚きつつも、「人間だったら、先進国の子どもが途上国の子どもの臓器もらって、親はその途上国の子の面倒を一生みるっていうことですね」と言った。そういうことなのだろう。もちろん、人間と動物を同列に語ることはできない。だけど移植の話を聞いた時から、私はこれをどう受け止めればいいのだろう、ともやもやしている。もし、つくしがそのことで「生きられる」と言われたら、一体私はどうしただろう、多くの愛猫家はどうするのだろう、と。

 とにかくつくしの看取りを通して、「命」について、頭が沸騰するくらいに考えた。そうしてこれほどに猫を愛でている一方で、牛や豚や鳥の肉を当たり前のように食べているという現実もある。

 人工透析をしている人の中には、移植を待ちながら亡くなる人も多くいる。一方で、長谷川豊氏のブログのように「自業自得」と言ったり、医療費のことばかり強調したりする人もいる。「日本は少子高齢化で財源不足なんだから命の選別をするのは仕方ない」というような言説がうっすらと市民権を獲得しつつある一方で、「生産性がない」とされた人の命を軽く見る風潮もまたある。

 いずれ、そういうことがまとめて「安楽死」「尊厳死」の法制化とセットにされていったら、という「最悪の予想」が危惧のまま終わってほしいという思いもある。そんな中、皆保険制度のないペットは飼い主の所得によって残酷なほどに生死が分かれるような現実もある。それ以前に、この国では犬や猫の殺処分が続いている。

 命について、考え続けた一ヶ月。

 もう手の施しようのない状態だったつくしの医療費は、検査費を除くと悲しいほどに安かった。毎日買っていた、まぐろをネギトロ用にしたものも298円で、だけどどんなに高額なお刺身よりも、つくしはそれが好きだった。

 そして今、つくしの骨壷に飾る花を買うことくらいしかしてあげられることがないのが、すごく、寂しい。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。