第478回:6.1キロのいのち。の巻(雨宮処凛)

 この原稿を書いている3月27日は、うちの猫・つくし(オス)の誕生日。2019年の今日、つくしは14歳を迎える。人間にすると70代。だけど元気いっぱいだった。ほんの少し前までは。

 つくしは今、もう長くないかもしれない状態で、一週間前まで普通にご飯を食べ、走っていたのに今、足腰は急激に弱り、歩くこともままならない。ふらふらし、時々へたりこみながらでないとトイレに行くこともできない。一年前には9キロあった体重は今や6.1キロまで減り、身体中の筋肉がなくなってしまったように全身がぐにゃぐにゃしている。

 「腫瘍があるかもしれない」と病院で言われたのは22日。

 今年に入ってからずっと、つくしは体調を崩していた。下痢と嘔吐を繰り返していたのだ。もちろん病院に連れていった。何度も。検査をし、点滴をし、薬を処方され、もらった薬を飲んでいる間は症状が収まる。が、薬をやめた途端、ぶり返す。そのたび病院に行く、を繰り返し、3月はじめにはやっと「膵炎」と診断された。その頃には症状もだいぶ落ち着いていた。しかし、先週なかば、突然ご飯を食べなくなり、気がつけば身体はびっくりするほど痩せていて、慌てて病院に連れていき、「腫瘍の可能性」と言われたのだ。

 検査をしたものの、結果が出るまでには2週間近くかかるとのこと。しかし、つくしの衰弱ぶりを見るととても待っていられず、月曜日、自宅からかなり遠いものの、大きな病院に駆け込んだ。

 今もまだ、正確な検査結果待ちだ。

 ただ、つくしの足腰は弱り、ほとんど自分で食べられず、病院で教えてもらった強制給餌を一日5回している。そのたびにつくしは全身で嫌がり、しかし、以前はびっくりするほど強かったその力が、芯が抜けてしまったように弱々しくなっているのを感じるたびに、気が遠くなりそうになる。でも、心を鬼にしてつくしの口にご飯を入れる。こういう時、一人暮らしの心細さが突き刺さる。

 つくしがかかっている可能性のあるガンは、治療をしなければ一ヶ月で命を失ってしまうという。

 22日からの5日間は、ただただ地獄だった。

 どうしてもっと早く大きな病院に行かなかったのか自分を責め、自分に怒り、つくしの病気の可能性を否定し、日に日に痩せて小さくなっていくつくしを抱きしめてただ号泣し、もう一匹の猫・ぱぴちゃん(15歳・メス)はそんな私を見て驚いて情緒不安定になってつくしに唸るようになり、もうとにかくなんでもするからつくしの命だけは助けてくださいと、そのためにはどんなものに魂を売っても構わないと全方向、全世界、全宇宙の神や仏や神社仏閣その他森羅万象からインディーズ系神様にまで祈り、自分の寿命の何年かをつくしに与える方法はないかと本気で考え、そのうちにつくしなんていう天使猫と出会ってしまったことそのものを後悔し、どうにかして自分の脳からつくしの記憶だけを消去できないものかと考え、電車の中でも道を歩いていても突然涙が溢れて止まらずに不審者がられ、だけど「猫の前ではいつも通りにしていろ」と猫に詳しい友人に教えてもらってできるだけ普通を装い、でも気を緩めると常に泣き叫んでしまいそうで、とにかく春めいた気候も、桜が満開なことも、街が浮かれ気分なことも何もかもが恨めしくて、そうして一日に何度もつくしに「置いていかないで!」と抱きつきそうになり、いっそのことつくしと心中できたらどんなに楽だろう、とまで考えた。

 それほどに、14年一緒に暮らしたつくしは私にとって大きな存在で、05年の5月5日こどもの日にペットショップから生後1ヶ月ちょっとで私のもとにやってきたつくしは、猫とか癒しとか天使とかそんな言葉をとうに超えた存在であり続けてきた。こういう仕事をしていると日々いろいろと嫌なこともあるけれど、「まぁ、家に帰ればつくしがいるからいいか」「つくしのお腹に顔埋めてモフれば大抵のことはどうでもよくなるから気にしなくていいや」と思えた。とにかく、私がなんとか今まで生きてこられたことのかなりの部分をつくしが支えていたのである。

 そんなつくしは「この猫から食欲をとったら何が残るだろう」というほどの食い意地のかたまりで、私のもとにきてから昨年まで、体重を増やし続けてきた。もちろんダイエットの努力はしていたものの、今回、あらゆる血液検査をしてもらった結果、つくしの数値はすべ正常値、このまま行けば長生きできたのだ。いや、できるのだ。

 性格はというと、とにかく人も猫も大好きで視界に入った人間は、誰彼構わず一目惚れ。工事に来たおじさんにも宅配便のお兄さんにもその他我が家にやってくる友人知人仕事相手含め、一目見た瞬間に大好きになってしまい、「ニャーン!」と突進してゴロゴロいって離れなくなるので、猫好きには喜ばれるものの、猫が苦手な人には驚かれ、迷惑がられる。そんなつくしを私はいつも「”誰でもよかった”の別バージョン」と呼んできた。よく、無差別殺人犯などが「殺すのは誰でもよかった」と口にするものの、つくしの場合、愛情を向ける相手が「誰でもよかった」なのだ。

 そんなつくしは猫も大好きで、つくしを迎えた頃に住んでいた家は、「近所の猫の溜まり場」と化していた。近所の飼い猫や地域猫たちがいつからかうちに遊びにくるようになっていたのだ。ぱぴちゃんは特に歓迎も拒絶もしなかったけれど、「近所の猫」が遊びに来てくれるようになって喜んだのはつくしだ。今も昔も完全室内飼いなので、よその猫と外で遊ぶことはできないけれど、遊びにきてくれた猫たちと家じゅうを走り回って遊んだ。時々、近所の猫がつくしのオモチャをくわえて帰ることがあったけれど、「自分の家の猫が猫オモチャを持って帰ってくる」ことに驚いた飼い主さんがうちに遊びに来ていることを知り、そこからご近所猫好きさんとの繋がりもできて、地域猫の活動なんかにもちょっと参加するようになった。地域猫が生んだ子猫を保護して里親に出すまでの間、うちで預かったこともある。

 そんな時、子猫の世話にもっとも奮闘していたのがつくしだ。ひとときも離れず遊んでやり、舐めてやり、とにかく世話を焼く。そんな子猫が猫風邪をひいていたことから、つくしも感染してしまって大変だったこともある。だけどとにかく気のいいやつで、人にも猫にも子猫にも優しく、猫特有の「シャーッ!!」を、私は14年間で2、3回しか聞いたことがない。とにかく「怒らない」猫、そしていつも機嫌がいい猫、それがつくしなのだ。

 そんなつくしが一度、「脱走」したことがある。窓を閉め忘れた夜、窓から外に出てしまったのだ。普段、私と一緒にハーネスをつけて近所を散歩することはあっても、たった一匹での外出は初めてである。朝起きて、窓が開いていること、つくしがいないことに気づき、顔面蒼白となって「づぐじーーーー!!!」と近所中に響く大声で叫んだところ、つくしは「ニャーン!!」と塀の上を小走りにこっちに向かってきた。その後ろには、近所の猫を5匹ほど連れて。その時の誇らしそうな、やんちゃな顔。

 こうして原稿を書いていると、つくしが病気だなんて、もう歩くこともままならないなんて、嘘みたいな気がしてくる。ただいつもの午後と変わらない静けさの部屋で書いていると、つくしもぱぴも普段通り寝ているだけの気がしてくる。だけどつくしは毎日いろんなことができなくなっていって、ベッドにのぼれなくなって、いつもジャンプしていた棚の上にものぼれなくなって、ベッドからの着地にも失敗して転んでしまうようになって、今は歩くときもふらふらしている。つくしが子猫の時、昨日食べられなかった量が食べられて、昨日飛び乗れなかった場所に乗れて、昨日仕留めることができなかったオモチャを仕留められるようになって、そういうものの逆を今、私は見ている。

 この5日間で、「元どおり元気になってほしい」「治ってほしい」という願いは、「ただ生きていてくれたらそれでいい」に変わった。お願いだから、一日でも、一分一秒でも長く、私の隣にいてほしい。

 そう思いながらも、数日後、検査結果が出たら本当は大した病気じゃなくて、こんなふうに泣いたり叫んだりこんな原稿書いたことがあとで「大げさだったね」って笑える日が来ることを、そんな奇跡を、どこかで信じている。

元気な頃のつくし

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。