第74回:もし、あなたの周りにネット右翼がいるなら…(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

大騒ぎが報道じゃない!

 ようやく「令和大騒動」が一段落したと思ったら、今度はトランプ大統領来日で浮かれまくっている安倍政権と、それを何の批判もなく大騒ぎで伝えるマスメディア。大騒ぎで伝えることが「報道」だと勘違いしているジャーナリズムなんか、ただの「抜け殻」だよ。
 その抜け殻が伝える“ニュース”は、ひたすらトランプ氏のご機嫌取りする安倍首相のいじましい姿だ。
 ゴルフ、相撲観戦、炉端焼き、宮中晩餐会、自衛艦訪問…。安倍外交って、ここまでしなくちゃならないものなのか。悲しくなるほどの情けなさ。見ているほうが恥ずかしい。
 しかも、相撲観戦では、これまでの「日本の伝統」とかいうものを、これでもかと踏みにじり、枡席には、安倍友の右翼著名人がゾロゾロ。それをまたも“NHKニュース”が「トランプ大統領と握手する一般客」と伝える。岩田明子記者の仲良し右翼評論家ばっかりだったのに、しらばっくれていやがる。

あ~あぁ ヤンなっちゃった…

 最近の政治家たちの質の悪さは、それに輪をかけて情けない。いまさら「政治の劣化」などと言っても虚しいだけだが、こうもひどいのが続くとやっぱりきちんと怒らなきゃと思う。

 丸山穂高議員の北方領土でのご乱行。
 長谷川豊(候補者?)の最悪差別発言。
 白須賀貴樹文科政務官の自動車事故とデタラメな言い訳。
 さらには山尾志桜里議員の国会への無届け訪米。

 かつて一世を風靡したウクレレ漫談の牧伸二さんなら「あ~あぁ ヤンなっちゃった、あ~あ~あ 驚いた」と嘆くことだろう。
 このうち、丸山&長谷川両氏の場合は、根っこに「ヘイト」がある。丸山氏はロシアという国への偏見と平和を訴える人たちへの嫌悪、長谷川氏(ホントはこの両者に“氏”なんてつけたくない気分だが)に至っては被差別部落というものへの常軌を逸した無理解と差別。
 両者とも、どう考えてもヘイトである。
 ホダカは病院へ逃げ込んで委員会での釈明もせぬままだし、ユタカについて参院選での公認を決めていた維新は「当面の公認停止」だという。なぜ「公認取り消し」じゃないのか? もしかして、ほとぼりが冷めたら「再公認」するつもりなのか?
 それにしても維新という党は、なぜこんなにもタチの悪いクズばかり集めてくるのだろうか。まさか、自民党でさえ拾えなかった人たちの「落穂拾い」でもあるまいに。

カネと共に去りぬ

 話は変わるが、幻冬舎の見城徹社長のケースにも、ヘイトの臭いを感じてしまう。
 見城社長は「売れれば勝ち」を、編集上の最高の価値観にしてしまったらしい。だから、百田尚樹氏がいたるところでどれほどヘイト発言を繰り返そうと、ベストセラー作家として崇め奉るのだろう。
 百田氏を批判してきた津原泰水氏を「売れない作家」とこき下ろしたのは、まさに「売れる」「売れない」という2分法の価値判断による。その意味で、見城氏は「儲かる」という理由で、ベストセラー作家のヘイト発言を容認してしまったのだ。今回の騒動の裏側に、ヘイト問題が見え隠れしていると、ぼくが思うのはそういうことだ。
 かつて見城氏にも、“反骨の編集者”と呼ばれていた時期があった。ぼくも、子どもたちの集まる場所づくりをしていた保坂展人氏の取材に行った時に、見城氏のその一端に接したことがある。
 しかしその“反骨”は、〈カネと共に去りぬ〉であったわけだ。
 見城氏は “百田ヘイト”を容認した。安倍首相と仲良くなるわけだ。上から下まで、いまやいたるところにヘイト言説が蔓延している。なにせ、安倍政権自体がそういう人たちに支えられているようなものだから、蔓延に歯止めをかけるのは容易じゃない。

ネット右翼への特効薬「本」

 あなたの周りの近しい人にも、ミョーに考えをこじらせてしまったネット右翼のような方はいませんか?
 実は、そんな方への特効薬のような本を見つけたのだ。
 それが『歴史戦と思想戦―歴史問題の読み解き方』(山崎雅弘、集英社新書、920円+税)である。これが、かなり目からウロコ本なのだ。ちょっとタイトルが硬すぎてあまり手に取りやすいとは言えないけれど、読み始めるとぐいぐい引きこまれること請けあいだ(ホント、もう少し分かりやすいタイトルをつけてほしかったな、そこだけは残念)。
 まず著者は、「歴史戦」という言葉(産経新聞が火元のようだ)が、実は新しい概念ではなく、戦前日本(≒大日本帝国)の完全に破綻した論理の焼き直しに過ぎないと指摘する。
 つまり、戦前の日本は悪くない、あの戦争も平和のためだった、日本はアメリカとコミンテルンの謀略の犠牲者だと、戦前を美化する歴史修正主義。それを主張するための言葉が「歴史戦」だ。しかし実は、戦前日本の陸軍省軍事調査部が作成した『思想戦』という本と、産経新聞やそこに依拠した人たちの「歴史戦」がそっくりだということを明らかにしていくのだ。
 いまや、ヘイト本の代表格となった感のあるケント・ギルバート氏の本についても、その論理のおかしさを徹底的に暴いていく。ケント氏やそのお仲間がしきりに使う「反日」という言葉の意味も、実は、現在の日本ではなく、戦前の日本、すなわち大日本帝国だったとの指摘である。
 ケント氏その他が、リベラル派や護憲派に投げつける「反日」という罵声。実は「戦前日本」の言論や思想の自由を手ひどく弾圧したことへの批判なのに、それを戦後日本への批判とすり替えて、すべてをひとからげにして「反日」と片づけてしまうのだ。
 ケント氏らは「あの“大東亜戦争”は、当時のルーズベルト米大統領とコミンテルンの共謀によって、日本が否応なく巻き込まれたものだ」という日本擁護論を展開する。しかしここで言う「日本」は、先に説明したように、明らかに「戦前日本≒大日本帝国」のことだ。戦前の日本の在り方を批判する人たちを「反日」というのであれば、当時の米ルーズベルト大統領を口を極めて罵るケント氏は「反米」ということになってしまう。
 「ほう、ケント・ギルバートとは、実は『反米』だったんですか?」と、ネット右翼諸士に聞いてみるといい。彼らは目をシロクロさせるだろうな。

 実に簡単な図式だが、一度ネット右翼症候群をこじらせてしまった人たちには、この「戦前日本」と「戦後日本」の区別がつかない。そういうふうに産経新聞や「月刊Hanada」「月刊Will」に誘導されたのだから。
 ではなぜ、彼らは大日本帝国にそんなにシンパシーを抱くのか。それがこの本の、実は読みどころなのだ。権威に従うのが気持ちいいという人たちの一群は確かに存在する。
 それについて、著者は次のように書いている。

◆エーリッヒ・フロムが『自由からの逃走』で読み解いた「権威主義国の魅力」
 人間にとって、自由とは魅力的で必要なものだと一般的には信じられていますが、しかし過去の歴史を振り返れば、ある時代のある国に生きる国民が、せっかく獲得した自由を自らの意志で手放し、その代わりに、国民の自由を国家指導者が制約する「権威主義」の国家体制を選び取った事例も存在したことに気付きます。
 その典型例が、一九三〇年代前半のドイツでした。(略)

 第一次世界大戦に敗れ、当時もっとも民主的と言われた「ワイマール憲法」を手にしたものの、戦勝国から課せられた膨大な賠償金や屈辱的な内容の制限などで当時のドイツ国民は自尊心を失い、さらに大恐慌に直面し、経済的にもパンク状態。そこへ出てきたのが、ヒトラーと彼が主導する国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)だったのだ。
 過去の栄光にすがりたい国民は、ヒトラーのファシズムに「強い指導者=絶対的権威」をみた。閉塞状況にあり、将来に夢を見られない人たちにとって、強い権威に従うことは、思考停止のきわめて容易な道でもある。
 麻生太郎財務相が「ナチスに学べ」と言ったのは、こういう背景だ。

GHQによる洗脳?

 多くの右翼評論家たちが論じるのは、戦後の日本に対してGHQ(General Headquarters=連合国軍最高司令官総司令部)が行った洗脳作戦WGIP(War Guilt information Program)についてだ。
 このWGIPによって、かつての日本は戦争でひどいことをしたという「罪悪感」を日本人に植え付けた。その洗脳がいまだに尾を引いて、現在日本の教育にまで影響を及ぼしている。それを打破するための戦いというのが、彼らの主張する「歴史戦」だ。
 日本人はいまだにWGIPによる洗脳状態にあるという。これが「日本は悪いことをしたのだ」という意識のもとになり、日本を否定するような「反日」が生まれた、というわけだ。
 だが繰り返すが、ここでいう「反日」は、戦前日本への反省や批判であって、現在の日本国憲法下の日本ではないのだ。戦後日本の国民は、いまもなお「洗脳状態」にあるのだろうか?
 著者の山崎さんは、それについて簡単な言葉で一蹴する。

日本人は「七〇年以上も洗脳される」ほど知的能力が低い国民なのか

 ネット右翼諸兄諸姉が声高に叫ぶのは、日本人の優秀さや素晴らしさである。だが、GHQ統治から70年も経った今も洗脳状態から脱していないとすれば、彼らが言う「日本人の優秀さ」など、絵に描いた餅以下ということになってしまう。
 この本、簡単な言葉と論理で、いわゆる「歴史戦」のおかしさを、ネット右翼諸士の好きな言葉で言えば「論破」していくのだ。

 もし、あなたの周りにネット右翼的言辞を吐いて憚らない方がおられたら、ぜひこの本を薦めてほしい。多分、すっきりと夢から覚めるだろう。
 もっとも、読んでもらうのがとっても難しいだろうけれど…。
 
 
 

歴史戦と思想戦 ――歴史問題の読み解き方(集英社新書)

鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。