第77回:右であれ左であれ、わが祖国(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

DON’T SHOOT OUR KIDS!

 デモの力を再認識した。香港の若者たちのことである。いや、若者たちだけではなかった。その若者の親たちもまた、立ち上がったのだ。母親たちの掲げたプラカードには「子どもたちを撃つな!(DON’T SHOOT OUR KIDS!)」とあった。
 ぼくは、それを見て胸が熱くなった。

 香港での「逃亡犯条例改正案」に激しく抵抗する若者たちのデモは、6月9日には、なんと103万人(主催者発表)に達したという。
 香港の人口は約730万人といわれているから、およそ香港市民の7人にひとりはこのデモに参加したことになる。おびただしい人数が、香港立法議会前を埋め尽くし、それに対し官憲が催涙弾の水平射撃を行い、多くの負傷者が出た。
 なぜ、こんな大きなデモが巻き起こったのか。
 それは「容疑者を中国へ引き渡すことが可能な法案=逃亡犯条例改正案」を香港政府が強行しようとしたからである。
 むろん「中国での犯罪容疑者が香港に逃げ帰った場合、その者を中国へ引き渡すが、犯罪者に限るのだから一般市民には影響はない」と、香港の林鄭月娥行政長官は説明したけれど、その裏に、何が隠されているかを感じ取った若者たちの反発は強かった。
 日本政府だって同じだ。「安保関連法」や「特定秘密保護法」などの例に見れば分かるではないか。巷間言われるように、「権力は腐敗する。絶対権力は絶対に腐敗する」。
 怪しげな法案の内容を説明する際には、決まって本来の危ない意図を隠すのだ。だから、この「逃亡犯条例」は、中国政権に批判的な民主人士の犯罪をでっちあげて、中国へ引き渡してしまうのではないかという危惧を、若者たちは抱いたのである。
 この巨大なデモは、その意味では「民主主義を守れ!」という運動だった。さすがに、林鄭月娥長官も「この条例案はしばらく延期する」と発表せざるを得なくなったのだが、これにもすさまじいほどの反発が起きた。デモ参加者たちは「延期ではなく撤回せよ」と叫んだ。
 16日、ふたたび巨大デモが敢行され、香港中心部は抗議の意思を示す「黒い服」で埋め尽くされた。その数は9日のデモを上回り、なんと200万人を超えたといわれる。前述したように、香港の人口は約730万人。デモの巨大さが分かるだろう。今週の松本哉さんのコラムでもその様子をレポートしてくれているので、ぜひ読んでみてほしい。
 16日、ついに林鄭長官は「香港社会に大きな対立をもたらしてしまった。市民に深くお詫びする」とのコメントを発表したが、「撤回」については言及しなかった。独裁色を強める中国・習近平政権の強い意向が背景にあるのは間違いない。
 この対立は、中国政府がどこまで譲歩するかにかかっているのだが、いまの習近平政権を見ていると、譲歩の可能性は小さいだろう。大阪での「G20」が終わるまでは習氏も動かないだろうが、その後の展開がものすごく気になるところだ。
 あの「天安門事件」の再来にならなければいいのだが。

香港デモに同情的な右派

 日本では「デモで世の中は変わらない」と、知った風なことを言う人たちは多い。ことにネット右翼系の人たちは、これまで「デモはパヨクの煽動だ」などと、SNS上で言い続けてきた。ところが、今回の「香港デモ」に関しては、どうも様子が違う。
 右派系の人たちが、「香港デモ」に妙に同情的なのだ。これまでの「デモ嫌い」はどこへ行ったのか?
 その理由は、実は単純である。香港の若者たちが、ネット右翼が大嫌いな中国政府に対して反旗をひるがえしているからだ。つまり彼らのロジックは「敵の敵は味方」というもの。
 ぼくも、独裁臭が漂う現在の中国・習近平政権には大反対だ。彼の反民主主義的な強圧政治は、とても「左翼政権」などと呼べる代物ではないと思うからだ。その意味でも、若い「香港デモ」には胸がうたれるし、彼らを断固支持したい。

 だけど、それならば……言いたいことがある。
 強大で暴圧的な中央政権に抗う地方の住民たちを支持するという構図は、どこかで見たことはないのか、とぼくは言いたいのだ。
 そう、沖縄での辺野古米軍基地建設についての対立の構図だ。
 安倍政権の強権的な工事推進一点張りに対して、沖縄の人たちは、何度も何度も繰り返して「反対」の意志表示をした。
 各種の選挙では「基地建設反対」を掲げる候補者が勝ち続けているし、今年2月24日に実施された辺野古基地建設の賛否を問う「県民投票」では、投票率52.5%、そのうち基地建設反対が71.7%という圧倒的な民意を、県民は示したのではなかったか。

 中国政府という権力が「一国二制度」という香港の民主主義の最後の砦をなんとか葬ろうとしている姿は、少なくともぼくには「辺野古をめぐる沖縄の民意」を圧し潰そうとする安倍政権の姿にダブる。
 権力に抗う姿は同じだ。

民主主義に右も左もないはずだ

 ディストピア小説の極北『1984年』の著者ジョージ・オーウェルに『右であれ左であれ、わが祖国』という評論がある。ヒトラー独裁前後のドイツと革命直後のソヴィエト連邦、そしてはざまで揺れる祖国イギリスを見つめた評論だったと思う。
 ずいぶん昔に読んだもので、詳しい内容はもう憶えていないけれど、しかしこの不思議なタイトル『右であれ左であれ、わが祖国』は、なぜかずっとぼくの頭の隅に残っていた。

 いわゆる左右の溝は、SNSが隆盛になってから、日本ではことに激しくなったようで、「ネトウヨ」「パヨク」(ぼくはこのイヤな言葉を基本的には使わない。ほとんど「ネット右翼」「リベラル」などと表記している)と、まるで罵倒合戦の様相を呈している。
 しかし、いかにネット右翼を自認していても、今の日本で民主主義を完全否定するような人はそうはいまい。お互いに、どんなに批判し合っても「民主主義擁護」に異存はないはずだ。「右であれ左であれ、わが祖国」なのだ。
 であればこそ、香港のデモに共鳴する右派の人たちに、もう一度、沖縄の現況を知ってほしいと思う。

 強権発動で住民たちの意思を圧殺する中央政府の姿が、沖縄と香港では同じように見えませんか?

鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。