第89回:ぼくの沖縄取材旅行(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 先週4日間、沖縄へ行ってきた。毎年1~2回は沖縄へ出かけるけれど、それは、1年間の自分へのプレゼントというような意味合いが大きい。けれど今回は、「デモクラシータイムス」という、ぼくも協力している市民ネットTV局の取材旅行である。
 ぼくとカメラパーソンとのふたり旅。なにしろ潤沢な資金がある地上波TVなどとは違い、半分は取材者の持ち出しみたいなもの。
 ともかく、沖縄の知り合いの伝手を辿って、さまざまな方との約束を取り付け、インタビューを行った。その中には、めったに外部取材なんか受けない、あの島袋文子おばあも含まれていた。
 文子おばあについては、よくご存じの方も多いだろうが、辺野古の米軍新基地建設への抗議運動の象徴のような存在だ。沖縄戦の悲惨な体験をもとに、絶対に新たな戦争の火種をつくらせてはいけないという信念を、揺るがず持ち続けているおばあ。
 ぼくらの面会は、文子おばあが心から信頼している三上智恵さん(映画監督)の紹介があったればこそ実現したもので、おばあのご自宅での撮影も許可していただいた。
 そこで、1時間半にわたって文子おばあの話を聞くことができた。

文子おばあに会えた! 感動した!

 それにしても、今年90歳の文子おばあの頭脳の明晰さにはほんとうに舌を巻いた。
 戦争に巻き込まれた文子おばあは、まともに学校へ通うこともできなかったので、文字もきちんとは読めなかった。戦後、結婚してご主人に少しだけ文字を教わり、あとは独学で身につけたという。
 ご主人は十数年前に他界し、いまはひとり暮らし。毎朝5時過ぎには起き、9時からは辺野古の抗議テントへ出かける。昼頃に帰宅して昼食と休憩…。そんな生活をずっと続けている。
 その中で、新聞を隅から隅まで読み通し、自分なりの考えを身につけていく。三上さんは「おかしなテレビのコメンテーターよりは、よっぽどまともな考えを持っていますよ。テレビは、おばあにコメンテーターを依頼すればいいのにね」と笑っていた。
 トランプ大統領の政策から安倍首相のダメさ加減、小泉進次郎氏の結婚と環境相への初入閣。彼の口先だけの言い分を見抜き、福島原発事故への対応ぶりに懸念を示す。自民党改憲案の危なさ、昭和天皇の沖縄への見解なども、見事なほどに理解している。
 マジで90歳? 聞きながらぼくは頷くばかりだったのだ。

 このインタビューも含めて、7人のインタビューを撮った。みんな思いのたけを語ってくれたので、けっこう長時間だ。これはかなりカットしなければならない。編集に頭を悩ますなあ。
 いずれ、近いうちに「デモタイの旅」(仮)として、オンエアする。もちろん、ぼくの旅だけではなく、他のスタッフも走り回っている。弱小市民ネットTV局の意地である。
 地上波では観られないユニークな“旅”や“インタビュー”が上がってくるはずだ。乞うご期待、である。

島袋文子おばあのステキな笑顔。おばあのご自宅にお邪魔しました…

なんと539キロを走破!

 今回は沖縄本島を走り回った。
 最北端の辺戸岬から「平和の礎」のある最南端の糸満市まで、レンタカーで走破した。むろん、辺野古や本部港、嘉手納基地や普天間飛行場、ほかにも多くの場所を訪れたので、4日間の走行距離は、レンタカー会社へ戻した時点で、なんと539キロに及んでいた。
 レンタカー会社の人が「すごい距離を走りましたねえ。どちらまで行ってらっしゃったんですか?」と驚いていた。
 「ハイウェイの狼」を自称する(?)ぼくのドライヴィング・テクニークもまだまだ衰えちゃいないらしい(爆笑)。

 現場へも行った。
 辺野古の浜とキャンプ・シュワブのゲート前のテント小屋にもお邪魔した。9月19日には、辺野古の浜からの「抗議船」への乗船許可をいただいていたのだが、なんとこの日は台風17号が接近。残念ながら抗議船の出航は見合わせとのことで、朝8時に頑張って浜に行ったのだが空振りに終わった。しかしその分、防衛局側も工事はできなかったわけだから、それはそれでいい。

機動隊を追い返した!

 本部港へも行った。
 ここは、山城博治さんを先頭に、米軍や機動隊と対峙している場所だ。中央のメディアではほとんど報じられていないから、なぜそんなことになったのかを、少しだけ説明しよう。
 本部港からほど近い伊江島に、米軍のヘリコプター訓練場がある。だから米軍は本部港から船を出し、ヘリの訓練に利用しようと目論んだのだ。これに市民たちが猛烈に反発したのが発端。
 公共の港を軍事目的に使用させることは許せない、というわけだ。そこに本部港の港湾労働者たちも同調。市民労働者の共闘が実現した。

本部港前でデモをする市民と港湾労働者のみなさん、約80名

 9月17日には、米軍が大きなボートを陸上輸送して本部港に降ろそうとした。それを守るために機動隊まで出動してきた。しかし、市民労働者たちは座り込んで抵抗。
 そのさ中、市民側が米軍車輌にナンバープレートが付けられていない不審車を多数発見、違反車ではないかと警察に厳重抗議した。これには機動隊側も強硬手段に出るわけにもいかず、対峙は長時間に及んだが、結局、機動隊も米軍もすごすごと引き上げるしかなかった。
 これは抗議側の非暴力の勝利であった。
 ぼくらは、17日に沖縄に着いたので、残念ながらこの対峙の現場に遭遇することができなかったが、翌18日に本部港に赴いた。そこで元気な山城博治さんにも出会うことができたし、意気揚々とデモをする市民のみなさんの姿を撮影することもできた。

 ジャーナリストや那覇市議(あの翁長雄志前沖縄県知事の次男)、抗議する人々など、多くの人の意見を聞いた。これらは「沖縄の声」(仮)として、現在編集中。他に「沖縄・ディープな観光案内」(仮)も用意しつつある。
 ほかの「デモタイの旅」との絡みもあるので、オンエア予定日はまだ決まらないが、近いうちに…とだけお伝えします。
 楽しみにお待ちください。

本部港で、元気に演説中の山城博治さん

こぼれ話…

 さて、無駄話をひとつ。
 ぼくらの帰りの搭乗予定の飛行機は、20日午後3時50分発。ところが台風17号が突如発生。航空会社のHPには「搭乗機の飛行停止もしくは到着予定地の変更もあり得ることをご承知ください」というような文言が表示されていた。
 21日には最接近で、ほぼ欠航は確実ということなので、どうしても20日中には帰らなければならない。2日間も延泊するような余裕もないし、カメラパーソンは翌21日に別の仕事を抱えていた。そこで慌てて午前8時に空港へ。早い便への変更をするつもりだったのだが、考えることはみな同じ。どの便も満席だった。
 エイヤッ!と、清水の舞台から飛び降りるつもりで、でも恐る恐る「ちなみにファーストクラスは?」と聞いてみたのだが、これも満席。ガッカリしたような、ホッとしたような…(苦笑)。
 ともあれ、もはや空港にいても仕方がない。覚悟を決めて最南端の平和祈念公園へ、一旦は諦めた南部戦跡の撮影に向かった。強い雨が急に降ったり、かと思うと日差しが戻ってきたり。さすがに台風襲来直前、天候はめまぐるしく変わった。

 まあ願いが通じたのか1時間以上も遅れたけれど、搭乗機は何とか無事に飛び立ったのであります。
 しかし、羽田に着いてからが、また一苦労。ぼくは出張や旅の帰りには、いつもリムジンバスを利用する。これだと、空港からもよりの調布駅まで直行。座っていけるし楽なのだ。ところがこの日はなぜか、高速道路が大渋滞。いつもなら1時間もかからない調布まで、なんと2時間半以上。那覇→羽田よりも羽田→自宅のほうが遠かった…(再苦笑)。
 しかもしかも「ラグビー・ワールドカップ」が味の素スタジアムで行われていたため、調布駅周辺は大混雑。グタグタに疲れていたから、せめて自宅までタクシーで帰ろうと思ったが、これがまた大渋滞。
 ははは…。ホント、疲れた。まざまざと自分の年齢を味わわされた結末でした…(再々苦笑)。

 

鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。