第92回:あらためて「東京オリンピック」反対論(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

小出版社の志

 かつて、ぼくの本『目覚めたら、戦争。』を出してくれた出版社から、1冊の本が送られてきた。『オリンピックの終わりの始まり』(谷口源太郎、コモンズ、1800円+税)という本である。
 この「コモンズ」という出版社は、素晴らしい志を持った会社で、少部数だけれど社会にとって必要な本を出し続けている。代表の大江正章さん自身が、岩波新書から『地域の力』などを出版している書き手でもある。小さいがぼくの大好きな出版社だ。
 そのコモンズからの本。とても時宜にかなった本だ。著者の谷口さんは、ずっと以前から注目していたスポーツ・ジャーナリストだ。うむ、これは間違いないだろう、と思って読み始めた。いい本だった!

オリンピックの変遷から見えるもの

 2020年東京オリンピックには、ぼくは当初から反対してきたし、いろんなところで発言もしてきた。この夏の殺人的な暑さは、とてもスポーツ(それも屋外での)をやれるような環境ではない。そんなことは、あの不気味な「お・も・て・な・し」招致のときから分かっていたことだし、福島原発事故についての安倍首相の「アンダーコントロール」発言のデタラメさは、今になってよけい明らかになってきた。
 悪口ついでに言ってしまえば、“おもてなしクリステル”と“ポエム進次郎”の官邸での“できちゃった婚”の記者会見は、政治を利用した最悪のショーとして、近来稀に見る醜悪さだったと思う。
 閑話休題(それはさておき)、この谷口さんの本は、ぼくの感情的・感覚的な東京五輪拒否に、理論的な根拠を与えてくれる内容だった。
 フランス貴族クーベルタン男爵の提唱による「近代オリンピック」発祥から説き起こし、崇高な理念を持ったはずのスポーツの祭典が、戦争にどう翻弄されていったか。東西冷戦という政治のはざまで揺れ、やがて“マネーファースト”の大騒ぎに堕していく。オリンピックの歴史を辿れば、世界の変遷そのものが浮き彫りにされてくる。
 また「復興オリンピック」を掲げた2020年東京オリンピックの真の狙いはどこにあるのかを、谷口さんは厳しく糾弾する。マスメディアの翼賛報道をも巻き込んで、変質していくオリンピックはまさに断末魔だ、という指摘が耳に痛い。
 さらに、人々があまり口に出すのは憚られる「パラリンピックへの疑問」もしっかり書き込まれている。批判を承知で言えば、“突然”テレビに溢れ出した“障害を持つけれど明るい選手”たちに、ぼくもなぜ急にテレビが? という薄気味悪さを感じて仕方ないのだ。普段からテレビが彼らをアスリートとして取り上げているのならまだしも、2020年が近づくにつれて急に露出し始めることの露骨な商業主義。
 結局、スポーツとはいったい誰のものか? ぼくは何度も頷きながら読んだのだ。

テレビと災害情報

 なぜ今回、この本を取り上げたか?
 むろんそれは、台風19号の凄まじいばかりの災禍を目の当たりにしたからだ。もし来年の東京オリンピックの期間中に、酷暑とともに、こんな台風や巨大地震が日本を襲ったら…?
 日本とは、こんなに脆弱な国だったのか……。
 それが、12日深夜までテレビの台風情報や災害速報にかじりついていたぼくの、偽らざる実感だった。関東地方から台風が遠ざかった13日の午後、ぼくは多摩川へ行ってみた。凄まじい濁流がまだ渦を巻いていた。実際に目の当たりにすると、恐怖感が湧く。

 実は、10月8日に我が家のテレビが突然ストライキに突入、まるで映らなくなってしまったのだ。
 購入した電気屋さんで調べたら、買ってからまだ2年しか経っていない。電気屋さん、すぐに飛んで来てくれたがお手上げ。メーカーのサービスセンターから修理の方が来てくれたのが翌9日。直ったかと思ったが、あれ? 液晶パネルを交換したがまだ不調。いろいろ調べてくれたが、別の基盤がダメらしいことが判明。で、それは11日にならないと届かない…。
 そんなわけで、超強力台風が接近中だということは知っていたが、テレビが喚いてくれないのだから、いまいち我が家は緊張感に欠けていた。11日午前になって、ようやくテレビ復活。それで、この台風が尋常じゃないことがようやく分かったのだ。
 でも、テレビがないと、生活は静かだなあ。
 食事時、好きなジャズをBGMにして、カミさんとふたり、ビールを飲みながらご飯を食べる。ああ、こんな暮らしもいいなあ、とは思ったが、楽しみにしていたラグビーW杯は、やっぱり見たいしなあ…。それに、寝る前の1本の映画も欠かせないし。

 まあそんな事情で、また同じ生活に復帰したわけだが、その復活したテレビに映し出される災害規模の異常さは、やはり気候温暖化の影響と考えなければ説明がつかない。
 本気のバカどもが、温暖化阻止を国連で訴えた少女グレタさんに、「異常気象ではなく異常性格」とか「左翼に踊らされているバカな少女」などと罵声を浴びせる。バカは日本だけじゃなく世界中にいるらしい。そんなバカどもをも巻き込んで、東日本ほぼ全域を襲った大洪水。国土が壊れていく。
 「国破れて山河あり」という。だが最近の自然災害を見ていると「山河破れて貧困政治あり」ではないかと思えてくる。
 わが亡き後に洪水よ来たれ…か。

災害急迫時に首相は何をしていたか…

 政府は相変わらずの後手後手の対応である。
 安倍首相は12日、台風直撃と分かっているのに朝日新聞の「首相動静」では「終日公邸」とあるのみ。
 大災害の様相が露わになり始めた13日の「首相動静」では、時事ドットコムによれば、午前中に内閣危機管理監らから20分ほどの報告を受けてはいるが、首相出席の非常災害対策本部会議は、午後4時44分から同5時5分まで、たったの21分間。
 その後、5時19分には公邸を出て、5時34分にはすでに富ヶ谷の私邸に帰着してしまい、来客もなし。
 つまり、午前と午後に計数十分の災害関連の会議らしきものには出たが、あとは私邸で「ラグビー観戦」ということだったらしい。事実、日本がスコットランドに勝ったすぐ後に、安倍はこんなツイートをしている。

 勝利を諦めないラグビー日本代表の皆さんの雄姿は台風で大きな被害を受けた被災者の皆さんにとっても元気と勇気を与えてくれるものだと思います。

 下手くそな文章だということはさておいて、実際に大災害に呻吟している人々への、これが首相の言葉か! そんなことを誰が聞きたい?
 政府はこんな対策をしている、
 ここへはこれだけの救援部隊を送る、
 ライフライン確保にはこんな対策をした、
 いまいちばん必要なものは何かを専用回線で連絡してほしい、
 危険地域に新たな避難所を設けた、
 携帯電話の利用はこうすればいい、…などなど。

 詳しい情報を各省庁から聴取し、その連絡中枢メンバーを招集し、具体的な指示を出し、それにふさわしい人材の確保など、政権の最高責任者として、やらなければならないことは山のようにあったはずだ。それを、午後5時半には自宅に帰り、後は野となれ山となれ! ふざけるにもほどがある。

オリンピック開催時に大災害が起きたら?

 もし、来年の東京オリンピック時に同様の災害が起きたら、日本は世界に「この国は終わった!」と知らしめることになるだろう。それほど、安倍内閣の災害対応はひどすぎたのだ。
 そこへ輪をかけたのが、老害としか言いようのない二階自民党幹事長の次のような発言だ。朝日新聞(14日付)にこうある。

 自民党の二階俊博幹事長は13日、台風19号の被害を受けて開いた党の緊急役員会のあいさつで、「予測されて色々言われていたことから比べると、まずまずで収まったという感じだ」と語った。(略)
 二階氏は会合後、記者団に「日本が引っくり返されるような災害、そういうことに比べれば、という意味だ。1人亡くなったって大変なことだ」と釈明した。(略)

 今回の大災害は「まずまず」らしい。いやはや、党の最高幹部がこれだから、政権の責任者も右に同じ、というわけだ。真面目に住民のことを心配してくれているとはとても思えない。
 この政権、ほんとうに日本を潰しかねない。

 ラグビーは、とても毎日できるようなスポーツじゃない。だから、日にちを空けてスケジュールを組む。したがって、今回のワールドカップへの災害の影響も限定的で済んだのだが、もしこれがオリンピック期間中だったらどうなっただろうか。
 スケジュールも会場整備もメチャクチャになり、大会ボランティアたちは避難先も確保できずに放り出される。大会続行そのものが覚束なくなるだろう。東京オリンピックは、その意味からも再検討すべきではないか。
 台風15号の千葉県を中心とする大被害への対応をあれだけ批判されたというのに、その教訓からまったく何も学んでいない政府というのも、思いっきり珍しい。

作家の恐るべき想像力

 前出の『オリンピックの終わりの始まり』という本の〈あとがき〉に、面白いことが書いてあった。作家の安部公房のエッセイ&インタビュー集『死に急ぐ鯨たち』からの引用だが、「オリンピック阻止同盟」という組織がオリンピック競技場に進撃するという話である
 あれ、この本、ぼくも持っていたような…。
 本棚を探してみたら、出てきた。懐かしい。少しカビが生えていた。なにしろ1986年9月10日発行の本だもの。でも、この古本のカビ臭さ、ぼくは嫌いじゃないな。
 谷口さんにならって、安部公房の言葉を引用して、今回のコラムを終えよう(谷口さんの引用部分とは違いますが)。

 たとえばこの『方舟さくら丸』の主人公は、特別肥満体であるため、スポーツは苦手です。それである日、夢を見る。オリンピック反対同盟のデモ隊がオリンピック会場に乱入して、大会を大混乱におとしいれてしまう夢です。この夢は小さなエピソードにすぎませんが、しかし小説の基本テーマに深くかかわりあってきます。つまりオリンピックの実体が、けっして純粋な競技ではなく、筋肉の力を介してナショナリズムを誇示し展示するための醜悪な会場にすぎないという認識……いったん力で象徴されるナショナリズムの不可侵性を認めてしまえば、いずれは核時代という悪夢にたどりつかざるを得ないでしょう。核兵器は偶然の産物ではありません。国家主権に超越的自衛権を認めた瞬間、兵器は自動的に究極化への道を辿らざるを得ないのです。

 作家の想像力は恐ろしいほどの予見性を秘めている。「力で象徴されるナショナリズムの不可侵性」は、いまや世界中を覆っている。「国家主権に超越的自衛権を認めた…」は安倍政権そのものである。
 トランプ不大統領の力の鼓舞と、それに追随するだけの安倍外交が、「自国ファースト」なるナショナリズムの不可侵性と超越的自衛権を振りかざす現代において、オリンピックがどんなことに利用されるのか…。

 2冊の本にインスパイアされた、今回のコラムです。
 

新しい本と古い本…

13日午後、多摩川の激流です

鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。