第501回:障害があっても働きたい〜れいわ新選組、二人の議員の院内集会〜の巻(雨宮処凛)

 「介助者がいなければ、国会に登院できないという事実を記者会見で公表し、皆さんに重度障害者の実態が広まりました。その時の私は、国会議員になって少しでも障害者の皆さんのために活動したいと思っていました。が、いざなってみると、議員になったら介護制度が打ち切られて生活ができなくなるという恐怖でメディアに訴えました」

 10月10日、参議院議員会館・講堂に集まった超満員の人々を前に、木村英子議員は述べた。この日開催されたのは、「介助をつけての社会参加を実現するための院内集会〜障害者の完全参加と平等にむけて〜」。主催したのは、れいわ新選組の舩後靖彦議員と木村議員の二人だ。重度障害のある二人が呼びかけた集会には、全国から様々な障害者団体や当事者たちが押し寄せた。しかも、前方に準備された「議員席」には国会議員がずらりと並んでいる。その数、実に22人。活動歴13年の私だが、こんなに多くの議員が参加している院内集会は初めてだ。中には公明党の高木美智代議員の姿もある。与党でただ一人、参加していた。

 舩後議員、木村議員の冒頭挨拶のあと、来賓としてスピーチしたのは元参議院議員の堀利和氏。視覚障害がある掘氏は、「憲政史上初めて、視覚障害を持つ議員」として活躍してきた人である。

 堀氏は、1989年の当選を振り返りながらスピーチした。当時、議員会館前の歩道には点字ブロックがあったものの、敷地に一歩入ると何もなかったという。が、堀氏が当選したことにより、敷地の門から玄関、そこから続く7〜8段の階段、そしてエレベーターまで点字ブロックが敷かれた。また、エレベーターの中にも点字表示のシールが貼られ、議員会館のすべての部屋の前にも部屋番号と議員の名前の点字シールが貼られたそうだ。

 この夏、れいわ二人の議員の当選を受けて国会では急ピッチでバリアフリー化が進んだ。初の車椅子議員の八代英太氏も注目を浴びたものの、89年にはこうして視覚障害がある議員のため、やはり急ピッチで対応がなされていたのだ。

 そんな堀氏の挨拶のあとには、八代英太氏からの連帯メッセージが読み上げられた。

 そこから様々な障害者団体からの発言が続いたのだが、多くの人が言及したのがやはり「重度訪問介護」についてだった。

 重度訪問介護。重い障害がある人の生活になくてはならない制度だ。が、仕事中、通勤中には使えない。この「制度の穴」が広く知られたきっかけは、舩後議員、木村議員の当選である。

 「障害者は働くなってこと?」「障害者の社会参加を阻害している」。制度の穴に対し、世間からも批判の声が上がったが、この日の集会では「ずっと訴えてきたことがようやくこうしてクローズアップされた」と、やっと注目されたことを歓迎する声も聞かれた。

 そうして次々と、重度訪問介護の「制度の穴」が明らかにされていく。

 日本ALS協会からの参加者は、ALS患者が講演をする際、「講演料をもらえるなら経済活動になり、重度訪問介護は使えない」と言われたケースを紹介した。24時間介護が必要な人が多いALS患者が介護を受けられないとなると、それは即、命に直結する。

 高校時代に難病となり、大学生の頃から呼吸器をつけているという女性は、就活をしたくてもこの制度が壁となり、就活すらできず、働く権利を奪われたと訴えた。

 重度訪問介護は、通勤中だけでなく、通学中も使えない。「介護保障がなされないことは、学習権が保障されないことも意味します」と訴えたのは、選挙中、舩後議員、木村議員の応援に駆けつけてくれた筋ジストロフィーの梶山紘平さんだ。

 学習機会が奪われると、当然、就職にも不利になる。特に重度障害がある場合、肉体労働は選択肢から外れて頭脳労働一択になる。だからこそ専門学校に行くなど専門知識をつける学習が必要なのに、通学中に重度訪問介護は使えない。また、年金や手当だけで暮らしていると学費を捻出するのも難しい。梶山さんは「重度障害者向けの奨学金の充実が必要」と訴えた。初めて聞く要求に、目を開かされる思いだった。

 全国医療的ケア児者支援協議会の人も通学について訴えた。呼吸器をつけている子どもだと、通学に親の付き添いが求められる。それができない場合、代理で看護師が付き添うものの、そのための制度はないので費用は全額自己負担になる。これでは相当の富裕層しか通学させられないだろう。よって、泣く泣く通学を諦め、自宅で訪問授業を受けている子どもたちがたくさんいるのだという。

 また、筋ジストロフィーの男性は、「20歳になったら働くことが当たり前だと考えてきた」と述べた。そのため、在学中から一般就労を目指していたものの断念せざるを得ず、作業所に通うことになったという。が、週に5日、10時から17時まで働いても月給はなんと5000円。時給にするとわずか39円。最低賃金法には、「精神又は身体の障害により著しく労働能力の低い方」に関して減額の特例が認められているからだ。しかし、「著しく労働能力が低い」とはどういうことだろう?

 例えば舩後議員は、国会議員になる前、全身麻痺ながら訪問介護・訪問看護事業所の副社長として活躍してきたのだ。そしてALS患者にはそのような「社長モデル」と呼ばれる人が多くいる。わずかに動く指先や歯でパソコンを操り、頭脳で働いている人たちだ。テクノロジーによって今、「障害者は働けない」という言説は過去のものになりつつある。実際、この10月には、大手町のカフェで身体が不自由な人たちがカフェ店員として働いていた。遠隔操作できる分身ロボット「OriHime」で接客の仕事をしていたのだ。

 さて、集会では働いている間に使えない重度訪問介護の欠陥が問題となったのだが、その欠陥の中でも問題なのは、それでも働きたい場合、その間の介護費用は事業主か本人が負担するしかない現状があることだ。

 この日参加していた「だれもが安心して暮らせる大分県をつくる会」の人は、あるケースを紹介した。重度の障害がありながら月曜から金曜までNPOで働いているものの、通勤、勤務中の介護費用はすべてNPOが負担しているのだという。また、この日参加していた福島みずほ議員もあるケースを紹介した。脳性麻痺のある学校の先生のケースだが、通勤のためのタクシー代が10万円ほどかかってしまう。それが払えず、校長、教頭に送り迎えしてもらっているということだった。

 「だれもが安心して暮らせる大分県をつくる会」の人は、「障害者には働く資格がない」とでもいうようなこの制度について、「どうしてこんな馬鹿げたことが起きているのか」と述べ、集まった国会議員たちに怒りを込めて、言った。

 「先ほどから国会議員の先生たちの話を聞いてますが、こんな馬鹿なことを放置してきた国会の責任をもう少し考えてもらいたい。これを一過性のものにしないために、ただちに国会でこの告示を改めるための国会議員懇談会、議員連盟を作ってください。明日からこの告示を改めるための活動をやって、少なくとも半年以内にこうした制度を改めるようにして頂きたい」

 男性のこの発言には、会場から大きな拍手の音が響いた。

 この日、気づいたのは、「重度訪問介護」という制度について、「自分たちが勝ち取ったものだ」という意識を障害者の人々は強烈に共有していることだ。

 「私たちが、命がけで闘って勝ち取ってきたこの制度」

 この日の集会では、幾人もがそう口にした。欠陥はあれど、障害者の暮らしを守るため、命を守るため、障害者運動が勝ち取ってきたのが重度訪問介護なのだ。だからこそ、それをよりよいものにしていきたいという思いが迸っていた。

 自身の妻がALS歴34年だという男性は、山梨から「ふなご応援団」というプラカードを携えてやってきた。聴覚障害がある人は、昨年からやっと国会の本会議に生字幕がつくようになったものの、委員会ではまだついていないと訴えた。そんなこと、全く知らなかった。また、さいたま市では、全国に先駆けて在宅就労中は重度訪問介護を使えるように制度化されたことを話した人もいた。これも全く知らなかった。が、制度化を大変評価するとしつつも、「在宅就労」に限られているのことだった。集会には厚労省の職員も参加していて、最後に課長が挨拶した。このような展開も、二人が議員にならなければあり得ないものだっただろう。

 そうしてこの院内集会から5日後の10月15日、「重度障害者、就労中も支援へ」というニュースが飛び込んできた。

 厚労省は職場での時間や通勤中の介護も公的支援の対象とする制度改正を行う予定、という内容だ。

 当選から、3ヶ月。れいわ新選組の二人の議員は、長らく動かなかった現実を今、どんどん変えている。働きたい障害者が、どんどん活躍できる社会。それは必ずや社会全体を活気づけていくはずだ。

 この日、元参議院議員の堀氏が言った言葉がずっと残っている。

 「ある社会がその構成員のいくらかの人々を締め出すような場合、それはもろく弱い社会である」

 「生きる工夫」に満ちている障害者運動は、いつも私にいろんなことを教えてくれる。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。