第95回:「日本的システム」の崩壊(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

羽田空港ビルのメンテナンスがパニック

 羽田空港ターミナルビルで突然の断水。第2ターミナルビルは11月6日から8日まで丸3日間、まったく水が供給されなかった。レストランは営業停止に追い込まれ、トイレも使えない。すべてが近代的なシステムで動くハイテクビルのはずの羽田空港ターミナルビルが陥った突然のパニック。水道水が塩分過多で飲用には適さず、飛行機を洗うこともできず、洗機場までが使用不能になってしまったという。
 第1ターミナルビルは早めに異常なしとして断水は解消されたが、第2ターミナルビルでは断水が続いた。8日午後に、第2もようやく水が出るようになったが、塩分過多になった原因はまだ解明されていない。原因が分からなければ、また起きる可能性はある。なんとも脆弱なハイテクビルである。
 日本という国では、どうもあらゆる分野で「システム」が崩れ始めているようだ。この羽田空港ターミナルビルの断水も、その一例に過ぎない。

基本的インフラの崩壊

 今年9月9日に、台風15号に襲われた千葉県での広域大停電は記憶に新しい。長期間に及ぶ停電や断水が、どれほど住民を苦しめたか。しかもそこに、森田健作千葉県知事の“無能”という人災が重なった。
 千葉県では、送電線の鉄塔を支える地盤の軟弱性や、鉄塔までの道路事情を把握できなかったこと、そして携帯電話の不通により情報がほとんど途絶してしまったことなどが被害に拍車をかけた。
 ここにもシステムの崩壊が見える。本来なら、すべての情報を事前に把握して、地震や台風などへの対応を準備しておかなければならない。それを怠った東京電力の責任は免れない。

 もう少しさかのぼれば、昨年の9月6日の北海道胆振東部地方での地震によって引き起こされた北海道大停電もまた、システムの崩壊を示す出来事だった。北海道全域の大停電、すなわち管内全域での停電という「ブラックアウト」現象が日本で起きたのは、これが初めてである。
 地震による苫東厚真火力発電所の配管損傷に端を発した停電は、その後、他の発電所にも伝播し、北海道本州間連系線もパンク、ついにブラックアウトにまで発展したのだ。
 これに関して北海道電力も経産省も、あの福島原発(東京電力)事故のときと同じように「想定外」を繰り返すのみだった。停電は14日まで続くこととなった。結局、1週間以上も住民たちは電気のない生活を強いられたのだ。これがもし、真冬の北海道で起きていたなら、凍死者が続出しただろうとも言われている。
 なおこのとき、北海道電力泊原発では外部電源が途絶、非常用電源に切り替わった。実は、泊原発も危機一髪だったのである。
 あれほど福島第一原発事故では「全電源喪失」が原因だと指摘されたにもかかわらず、北海道電力はその教訓を学んでいなかったことになる。
 巨大なシステムが、日本という国では機能しなくなりつつある。つまり、日本という国の物理的な「インフラ」のシステムが、いたるところで綻び始めたということだ。

過疎化を招いた愚策

 「平成の大合併」というのがあった。
 これは1999年(平成11年)から政府主導で行われた「地方自治体合併」のことを言う。建前としては、自治体の広域合併によって、過疎化が進み弱体化した地方自治体の行財政の基盤を強化することにあった。そのため政府は「市町村合併特例法」を制定し、渋る自治体に例によってカネをちらつかせて合併を推し進めた。
 その結果、1999年に、全国に3232あった市町村が、「特例法」が期限を迎えた2010年(平成22年)には、1727市町村に激減した。中身をみると、自治体の広域化が透けて見える。〈1999年→2010年〉の推移は次のようになっている。

 市:670→780
 町:1994→757
 村:568→184

 簡単に言えば、広域合併により市が増え、町村が激減したのである。その結果、どんなことが起きたか。
 面積のみ広くなった自治体だが、過疎化はいっこうに改善されなかった。むしろ自治体の弱体化は進行したのだ。
 かつての町役場や村役場は、合併した市の「出張所」などに格下げされ、職員も大幅に減らされた。それが政府の言う「行財政の効率化」だったのだが、逆に職員減によって行政サービスは悪化し、交通手段はなくなり、店舗は潰れ郵便局も減って、生活の不便が住民を直撃した。そうなれば、住民は家を捨てるしかない。
 山地の集落などは住む人を失って空き家だらけになり、それこそ日本全国「ポツンと一軒家」状況が現出したのだ。人がいなくなれば、インフラ整備は後回しにされる。当然、道路は荒れ森林の手入れもおろそかになる。
 台風15号の恐るべき強風で倒木は散乱、道路はいたるところで通行不能に陥った。千葉県の大停電が長引いた原因のひとつが、倒壊した送電線の鉄塔の修理へ向かうための道路網の途絶だ。荒れた道路を倒木が遮断する。日頃のインフラ整備がおろそかにされた結果でもある。
 また、各地の中小河川が氾濫し、水害とは縁遠いと思われるような山地でも被害が出たのは、水害対策の問題でもあった。過疎化した集落への避難指示の伝達システムがうまく作動できなかった例もある。あるいは、閉めるべき水門が開けられ、開けてはならぬ水門が閉められたことによる洪水の発生もあったという。これもまた、職員削減という人的システムの崩壊による現象だったのだろう。
 自民党が推進しているコンクリート行政、つまり「国土強靭化」が進んでいなかったからだ、ということではない。もっとも大切な「人的インフラ」にまでシステム崩壊が及んでいるのだから、根は深いのだ。

政治システムの壊滅こそが最大の問題!

 国会を見ていてボーゼンとする。安倍内閣の重要閣僚がたった1週間のうちにふたりもスキャンダルで辞任した。
 大学入試に民間の英語試験を使用するという文科省の計画は、萩生田光一文科相自身の大失言であっという間に崩壊した。「身の丈」という許せぬ失言(というより本音)の文科相を、安倍首相も菅官房長官も“適材適所“だと言ってはばからない。
 しかも、大親分であるはずの安倍首相自身が、国会審議の中でまことに下劣なヤジを飛ばし、予算委員長に注意されると口先だけの謝罪でごまかす。だが数日後に、またしても低劣最悪のヤジを飛ばしたところを見ると、安倍首相が率いる内閣という政治システムが、最初から汚臭漂うドブの中にあるとしか思えない。
 さらには、安倍首相主催「桜を見る会」がここにきて大問題に浮上した。なにしろ、公金(我々の税金)を使って自分の後援会の連中を招待していたというのだからタチが悪い。完全なる「選挙違反事案」だ。もう、やりたい放題と言っていい。
 「安倍一強政治は、野党がだらしないからだ」と知ったかぶりの論が横行する。だが、そう言う人に限ってきちんと国会の様子を見ていない。
 安倍首相を筆頭に閣僚たちは、野党議員がいくらデータや資料を基に厳しく追及しても、まるで正面から答えない。はぐらかした答弁や木で鼻をくくったような言い草で質問者をバカにする。安倍本人に至っては、質問時間の数倍に及ぶ無内容な答弁を延々と繰り返すだけ。それでも足りず、何度も低劣なヤジを投げつける始末だ。
 しかしそれが、NHKニュースなどでは巧みに編集されて、立派な答弁にすり替わる。「ああ、安倍サンはよく頑張っているな」。まさに視聴者への“刷り込み”である。
 国会という「政治の大元のシステム」がこの有り様なのだ。

日本は先進国であるという幻想

 「日本は先進国だ」と信じているおめでたい人が、まだかなりいるらしい。だがもはや、日本が先進国とは呼べない国に成り下がっていることを示すさまざまなデータがあるのだ。ざっと挙げる。

 労働生産性→ 先進国(G7)最下位、OECD(経済協力開発機構)18位(36ヵ国中)
 平均賃金→ 18位(同上)
 世界競争力ランキング→ 30位
 相対的貧困率→ 27位(38ヵ国中)
 教育への公的支出GDP比→ 40位(43ヵ国中)
 失業への公的支出GDP比→ 31位(34ヵ国中)

 ほかにも、悲しくなるようなデータはぞろぞろ出てくる。とくに相対的貧困率が高いのは、明らかに日本が格差社会であることを示している。いうまでもなく「国家システム」が足元から崩れている証左だろう。
 しかもそれに拍車をかけるのが、“安倍忖度”に走る官僚たちだ。安倍政権に都合の悪いデータは隠す、改竄する、捏造する、ごまかす。「政治は二流だが官僚システムは一流」といわれた昔日の硬骨官僚たちの面影は、もはや毛ほどもない。
 いや、官僚たちだけではない。
 財界でさえ“安倍忖度”の哀れさだ。政府の審議会で、経団連・中西宏明会長が政府に批判的な意見を述べたが、それが議事録から消されていた。ところがそこを問われた中西会長は、あっさりと自分の意見の消去を容認してしまった。安倍政権には逆らわぬということらしい。
 もはや、あらゆるシステムがメチャクチャなのだ、この国では!

「日本文化」のお粗末さ

 国家の基盤である教育が崩れていけば、教育が支えるはずの「文化」もまた崩壊する。
 最近の「展覧会」「映画祭」「講演会」などで、政府批判と勝手に判断された展示や人間が、公的な場から排除される例が続くのは、「文化」というシステムの崩壊現象ともいえる。「あいちトリエンナーレ」の例を挙げるまでもなく、「KAWASAKIしんゆり映画祭」「ウィーン芸術展」「三重・伊勢市展」など、同様の事例が頻発している。この国では、政府批判はすでに、公的な場ではタブーとされているのだ。なにが「クールジャパン」だよ!
 日本文化と言えば皇室か? 天皇即位の儀式で“天皇陛下バンザイ”を延々と繰り返す“素直な日本人”に、なにやら不気味さを感じるのは、ぼくだけなのだろうか?

 「インフラ(インフラストラクチャー)」とは、本来、下部構造という意味だが、現在では、住民の生活を支える具体的な建築物や交通網、水道や電気など公益的な設備等を指す言葉として使われている。
 むろん、物理的な設備や建築物は必要だが、それを支える人間がいなくてはインフラというシステムは維持できない。この国では、“忖度小役人”は横行しているが、本気で住民のことを考えようとする「本物の役人」は絶滅危惧種なのかもしれない。

 実はぼくはいま、この国の在り方に絶望しかけているのだ……。

それでも、季節は美しくめぐり……

イチョウも色付き始めました

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。