第506回:あぶり出されるこの国の生きづらさ〜『「れいわ現象」の正体』を読んで。の巻(雨宮処凛)

 気がつけば今年もあとわずかで終わろうとしている。

 2019年を振り返る時、真っ先に浮かぶのが夏の参院選だ。「れいわ旋風」「れいわ現象」とも言える熱気に私もいつの間にか巻き込まれていて、重度障害を持つ議員が二人、誕生した。

 昨年の今頃、重い障害を持つ議員が二人も誕生するなんて、そのうち一人は全身麻痺で人工呼吸器を装着しているなんて、いったい誰が想像しただろう。国会がバリアフリー化されるなんて、国会の委員会質問をその場で文字盤で作成するなんて、その間、速記が止まるなんて、何もかもが前代未聞のことだらけで、「当事者」が国会に入るインパクトに改めて驚いている。

 そんな中、この数ヶ月は『GQ』や『ニューズウィーク』などの雑誌の表紙をれいわ代表の山本太郎氏が飾り、12月に入ってからは「れいわ本」の出版が続いている。私もライターをつとめた『#あなたを幸せにしたいんだ 山本太郎とれいわ新選組』(前回の原稿で書いています)は12月13日に集英社から出版。発売の翌日にすぐさま増刷がかかる売れ行きとなっている。また、12月9日には、朝日新聞記者である牧内昇平氏が書いた『「れいわ現象」の正体』(ポプラ新書)が出版されている。

 「いったい誰が、『れいわ新選組』を支持したのか?」

 帯にこう書かれたこの本をさっそく買い求め、ページをめくり始めてすぐ、涙が溢れたのには驚いた。

 著者は決して山本太郎の支持者ではない。むしろともともとは「『脱原発』ばかり言うタレント政治家」「『一人牛歩』など派手なパフォーマンスを好む」人物として「毛嫌いしていた」という。

 そんな牧内氏が妻から勧められて街頭演説の動画を観るところからイメージが変わり始める。それは神戸・三宮の繁華街の動画だ。

 「自信を奪われてるだけですよ。自分は生きてていいのかって……。生きててくれよ! 死にたくなるような世の中やめたいんですよ!」

 聴衆にそう語りかける山本太郎氏の動画に、牧内氏は「途中から目頭が熱くなった」という。山本太郎氏の話に胸を打たれた背景には、牧内氏が経済部所属で労働問題の記事を多く書いてきたこともあるだろう。過労死やパワハラ死の遺族に取材してきたのだ。命を奪われた人々、その家族と接してきた経験は、大きい。

 そうして牧内氏は、れいわ新選組の支持者たちの取材を始める。

 それはそのまま、底が抜けたようなこの国で喘ぐ人々への取材だった。

 ここ20年ずっと、アルバイトや契約社員、派遣社員として働いてきた50代の男性は、「あなたの生活が苦しいのをあなたのせいにされていませんかってことですよ」から始まる山本太郎氏の演説に「僕のことだ。この人は僕に話している」と涙が溢れたという。それまでは、山本太郎が大嫌いだった。が、「目に涙をためて叫んでいるのを聞いたとき、彼への見方が180度変わりました。僕と同じ目線で話してくれる政治家を、初めて見つけた気がしました」と語る。5万円の貯金から、1万円を寄付したという。

 母子家庭で、貧困とともに育ったという20代の女性は、「どうして若い人たちに借金させてまで学校で学ばせるの? 教育受けたいって若い人たちに、教育受けさせるようにするのが国の役目じゃないですか。将来給料いくらもらえるかわかんないっていう状態で、どうしてそんな人たちに300万も400万も500万も借りさせるような状況にできるんですか?」と山本太郎氏が目に涙をためながら語る姿を見て、「え、私たちのために泣いてくれてるの?」と信じられない思いだったという。

 現在は大学を休学して派遣社員として働く日々。もともと日本学生支援機構から月6万4000円の奨学金を借り、アルバイトをしながら大学生活をしていた。しかし、母が納期までに学費を払えず、退学となってしまったのだ。派遣社員として働き、復学に必要なお金を貯めるのに一年半。その間も月に1万5000円の奨学金返済がのしかかる。苦労してやっと大学に再入学したものの、半年後、また学費が払えないことが判明。休学扱いにしてもらい、学費のために派遣で働いている。

 「洋服はすべて古着。ひどい雨でもバスには乗らない。シャンプーは格安のものでがまんする」「毎日早朝に起きて昼食用の弁当をつくる。疲れた朝、『たまにはコンビニで買ってすませたい』と思うが、おにぎり2つとお茶で最低でも300円。その300円が出せない」

 そんな彼女だが、「れいわ祭」に参加し、千円札一枚を握りしめて寄付の列に並んだという。

 それ以外にも、様々な立場の支持者が登場する。付き合っている彼女の子どもが筋ジストロフィーを患っている男性。元ネトウヨで自民党支持だった共産党員。LGBTのエリート会社員女性。

 本書では多くの声が紹介されている。

 「毎月1千円ずつ、合計3千円寄付しました。10年以上前に個人で会社を立ち上げましたが、倒産するかもしれません。生活が苦しいので、本業とは別に、夜は食品仕分けのアルバイトをしています。生活に直結する消費増税がいちばんの問題です」(九州地方、50代男性)

 この言葉に象徴されるように、4月から7月の投票日までの間に4億円集まった寄付金は、少額の寄付が積み上がったものだった。数千円、数百円という寄付金で4億円集まる政党などれいわ新選組だけだろう。

 そして本書には、「れいわ新選組」が選挙期間中、メディアでほとんど取り上げられなかった舞台裏が記されている。

 「原稿が載らない!」のだ。せっかく取材しても、支持者にどんなに話を聞いても掲載されない。特定の党の支持者の動きだけを紹介するのはどうか、というような批判をされてしまうのだ。しかもこの時点でのれいわ新選組は、議員は山本太郎氏一人だけで政党要件も満たしていない。記事が載らないことに苛立っていた牧内氏は、「れいわ祭2」の森達也氏のスピーチに、痛いところを突かれたと思ったという。以下、森氏のスピーチだ。

 「メディア、テレビ各局来てます。おそらく新聞も各紙来てると思います。これ、いつ放送するんですか? いつ掲載するんですか? 選挙終わってから? 何のために? 選挙終わってから記事を読んで、あるいはニュースを見て、悔しい思いをさせたいから? 人々に。だから今報道しないんですか? 意味が分からない」

 「勘弁してくれ」という気分になった牧内氏は、「れいわ祭2」もそこそこに新橋をあとにしたという。「これ以上この場にいることができなかった」から。正直な人である。

 連日メディアが多くいるのにちっとも報道されない。支持者たちも時に苛立っていたあの現場には、「報じたい」と忸怩たる思いを抱えていた記者もいたのだ。そのことが知れただけでも、嬉しい。

 さて、本書はそんな「れいわ現象」を描写しながらも、この国の「生きづらさ」に照準が当てられている。牧内氏は、まえがきで以下のように書いている。

 「わたしは『れいわ現象』の背後にあるものを正確に言い切る自信がある。それは、現代社会を覆う『生きづらさ』である」

 また終章では、以下のように書く。

 「政治家に『生きててくれよ!』と叫んでもらう必要があるほど、いまの世の中は生きづらくなっている、ということだ」

 考えてみれば、「どんな人だって生きていていい」とか「誰にだって価値がある」だとか「死にたくなるような社会は嫌だ」とかって、ものすごく普通のことだ。普通のことだったはずなのに、私はここ数年を振り返っても、日常でその手の言葉を聞いた記憶がない。逆にメディアから、人々の会話から耳にするのは「役に立たないと生きている価値などない」「生きていたくないんだったら無差別殺人事件など起こさずに勝手に一人で死ね」「国に迷惑をかけるな」「迷惑かけるくらいなら死んでくれ」というような言葉だ。

 少し前、数年ぶりに会った「勝ち組ロスジェネ」の知人は、「ダメな人間は一生ダメ」「世の中には必要な人間と必要じゃない人間がいる」なんてことばかり話していて、聞いているだけで胸が苦しくなってきた。その人自身が、そういう言葉が当たり前の世界で生きているのだろう。それはどれほど、生きづらい日々だろう。弱みなんて決して見せられない世界。そんな関係性。

 この本では、山本太郎氏の言葉が生きづらい人々の心にどう響いたかが丁寧に描かれている。が、牧内氏は先に書いたように支持者ではないし、れいわ新選組を手放しで絶賛しているわけではまったくない。「山本太郎氏への疑問」についても書いている。

 「山本氏を盲信せず、必要があれば議論によって軌道修正を求め、場合によっては見限るのも、支持者たちに課された仕事だろう」。これには多くの人が共感するだろう。

 ちなみに、最近の山本太郎氏をめぐる出来事として、馬淵澄夫議員と共催する消費税減税研究会の勉強会講師に高橋洋一氏を呼ぶという一件があった。これに対しては私も「なんで?」と激しい衝撃を受けたが、当然、意見させて頂いた。この方向は違うのでは。そう思ったら、まずは伝えればいいと思うのだ。それが自分にできることで、山本太郎氏は「人の話を聞く」人物だと思っている。もし今後、山本太郎氏が「聞く耳」を持たなくなったら、その時こそが応援をやめる時だとも思う。が、そう書きながらもなんとなく違和感がある。

 「応援をやめる」とか「支持をやめる」とか、なんだか他人事のようで上から目線に思えるからだ。「山本太郎をどう評価するか」なんてこと以前に、自分が何をすべきか、何ができるかが大事なのだ。

 「お任せ民主主義」では何も解決しない。ヒーローなんて絶対に現れないし、完璧な人間なんていない。誰かに期待してすべてを託すほど自分が無力だとも思っていない。そして山本太郎氏は「完璧さからはほど遠く、いろいろ前のめりすぎて時に間違える人間」だということは、国会議員になる以前から見ている人にとっては深く頷くところだろう。しかし、そのたびいろんな人がいろんな意見を言い、変わってきたのも事実である。

 ということで、「れいわ現象」からこの国を掘り下げた一冊に、改めてこの国の「生きづらさ」が浮かび上がったのだった。

雨宮処凛
あまみや・かりん:1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)、『自己責任社会の歩き方 生きるに値する世界のために』(七つ森書館)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。