第509回:相模原裁判・初公判を傍聴して。の巻(雨宮処凛)

 傍聴席のすぐそこ、ほんの2メートルほどの場所にあの男はいた。

 2016年7月、相模原の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人を殺害した植松聖被告、29歳。障害者は不幸をつくることしかできないとし、犯行予告の手紙を衆院議長に送りつけ、そして本当に事件を起こした男。

 植松被告の入廷に私は間に合わなかったので、その顔や表情を見ることはできなかった。しかし、見た人は一様に「ものすごく緊張している様子だった」と印象を語った。証言台に立つ植松被告は、長い黒髪を後ろで結び、黒いスーツ姿だった。逮捕後も自身の起こした事件を正当化するような言い分ばかり並べ、重度障害者を「心失者」と勝手に名付け、日本の財政を救うために事件を起こしたのだとうそぶいていた植松被告は、法廷で裁判長に「ここまで理解できましたか」「事実と間違いありませんか」などと聞かれるたび、蚊の鳴くような弱々しい声で「はい」と答えた。黙秘権について裁判長が説明した際には、素直な子どものように何度もうんうんと頷きながら話を聞いていた。

 そこに、あの事件を正当化し続けた傲慢さは微塵もなかった。ただただ司法の中枢である裁判所の法廷で、小さくなってかしこまっている男がいた。その姿を見て、思った。

 そうだ。植松被告はおそらく、権威主義なのだ。事件を起こす際も、わざわざ衆院議長に手紙を出し、「役に立つ自分」をプレゼンするかのように、自分は障害者470人を抹殺できるなどと主張している。同時に、「是非、安倍晋三様のお耳に伝えて頂ければと思います」とも書いている。障害者を殺すことで国の役に立てる、ヒーローになれると思い込んでいた植松被告は、権力を持つ者に認められたいという思いが異様に強いのだろう。しかし、「自分より下」「弱い」とみなした者にはどこまでも強気で振る舞う。強い者にはひれ伏し、弱い者にはどこまでも強気で振る舞う。そんな植松被告が裁判の場でかしこまることは当然なのかもしれない。

 考えてみれば、植松被告の起こした事件こそが、身勝手極まる「忖度殺人」とでも言うべきものではないだろうか。不幸しか生み出さない。障害者に使う金を他に使えばいい。借金だらけの日本には、誰だって生かしておくような余裕などない――。植松被告の主張は、彼がこの国の権力が「おそらく望んでいるだろうこと」を勝手に先回りして実行したという、まさに「忖度」の果てに起きたことと言えるのではないか。実行すれば、きっと権力者たちは自分を認めてくれる。今、衆院議長に出した手紙を改めて読み返すと、そんな思いが透けて見える。

 「今こそ革命を行い、全人類の為に必要不可欠である辛い決断をする時だと考えます。日本国が大きな一歩を踏み出すのです」「私が人類のためにできることを真剣に考えた答えでございます」「日本国と世界平和の為に、何卒よろしくお願い致します」

 彼は「褒められる」「評価される」と期待していたのだろう。だからこそ、「逮捕後の監禁は最長で2年までとし、その後は自由な人生を送らせて下さい」と「心神喪失による無罪」を求め、それだけではなく、金銭的支援として5億円も求めている。

 一方、裁判を傍聴して思ったのは、事件前、想像以上に急激に植松被告の精神状態が悪化していたことだ。弁護側の主張によると、事件前年から世界の出来事を予言するというイルミナティカードにハマったり、「天のお告げがあった」「自分は選ばれた人間だ」と言ったりUFOを見たと主張したり、「世界中の女を守る」「世界を変える」と言ったり、ヤクザに尾行されている、発信機がつけられていると車を駐車場に止めてタクシーに乗り換えたりと異様な行動ばかりとっている。友人たちは次々と離れ、ある女性は別の友人に「さとくんもう手遅れ。頭おかしいのが度を超えてる」と連絡していた。そうして、事件を迎える。

 が、検察側の訴えを聞くと、植松被告の冷静さが浮かび上がる。特に犯行時の植松被告の動きには無駄もなければ迷いもない。まず結束バンドで職員を拘束してから次々と犯行に及んでいる。その結束バンドもあらかじめ購入していたものだ。そうして犯行の最中も、心臓を狙うと骨にあたって包丁が折れたり曲がったりすることに気づき、途中からは首を刺すというふうに変えている。半狂乱で喚きながら手当たり次第刺したわけではまったくなく、話せるかどうかを確認し、連続殺人の最中も包丁の曲がり具合や折れ具合を認識するほどの冷静さがあったわけである。

 これらの話は検察と弁護士の冒頭陳述で出たものなのだが、このようなことが話された午後の法廷に、植松被告の姿はなかった。報道されている通り、「暴れて休廷」となったからである。証言台でか弱い声で受け答えしていた植松被告は、弁護士に退席するよう促され、話したいというようなそぶりを見せた。そうして証言台に戻り、「みなさまにお詫び申し上げます」と頭を下げた。謝るんだ、と、少し驚いた。次の瞬間、彼の身体は右側に傾き、手を顔の方にやった。横にいた刑務官が静止するような仕草を見せると植松被告はそれに抵抗。そこから刑務官4人がかりで取り押さえられ、傍聴席の真ん前の床にうつぶせに引き倒され、後ろ手に手錠をかけられた。黒いジャケットが脱げかけ、白いワイシャツが見えた。

 「傍聴人は退席してください!」

 係員全員がそう叫び始め、傍聴人は全員外に出された。その間も、植松被告はうつぶせにされたまま身もだえていた。あの光景を、遺族はどんな思いで見たのだろう。法廷をめちゃくちゃにして冒涜するつもりだったのか。それとも発作的な自傷行為だったのか。パニックになってそんなことをしたのか。

 結局、制止のきっかけとなった行動は「右手の小指を噛み切ろうとした」のだとわかった。

 もう、今日は裁判ないかもね。法廷から出された傍聴人たちに諦めムードが漂った。しかし、午後は開廷となった。植松被告はこういう混乱を繰り返して、休廷させて裁判を長引かせ、延命するのが目的なのかと思った。しかし、なにがなんでも裁判を進めるという裁判所の強い意志を感じた。そうして翌々日、10日の裁判に植松被告は出廷した。両手はミトンのようなもので覆われていたという。

 判決が出るのは、3月なかば。植松被告は被告人質問で何を語るのか。この裁判を見守っていきたい。

雨宮処凛
あまみや・かりん:1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)、『自己責任社会の歩き方 生きるに値する世界のために』(七つ森書館)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。