第515回:新型コロナウイルス感染拡大で蘇る「派遣村前夜」の空気。の巻(雨宮処凛)

 なんだか「派遣村前夜」のような空気になってきた――。

 そんな言葉を、生活相談や労働相談をしている支援者・活動家たちと交わすことが多くなった。このままでは、経済的困窮による自殺者、ホームレスが続出するのではないか――。多くの人が、「当たって欲しくない最悪の予想」としてそう口にする。

 新型コロナウイルス感染拡大の混乱による失業や生活困窮が今、すごい勢いで広がっているからだ。

 派遣村とは、2008年末から09年明けまで日比谷公園で開催された「年越し派遣村」のこと。08年9月に起きたリーマン・ショックによって全国に派遣切りの嵐が吹き荒れ、当時、15万人の非正規労働者が職を失うと言われていた。景気の悪化によって職を失うのは非正規だけではない。少なくない自営業者やフリーランス、正社員もその余波を受けて困窮に陥っていた。

 が、もっとも苦境に突き落とされたのは、やはり非正規の人々だろう。

 08年の年末を前に、多くの人が職と住む場所を同時に失う事態になっていた。当時は寮に住む製造業派遣の人々の首切りが続々と勢いで進んでいた頃。この年の12月4日、日比谷公園で開催された集会には解雇されたばかりの派遣労働者が登壇し、切々と訴えた。

 「僕たちにも2009年を迎えさせてください」

 「寮から追い出さないでください」。

 その中には、「どうかホームレスにしないでください」と言葉を詰まらせた男性もいた。自動車関連工場で契約途中に仕事を切られた50代の男性だった(『派遣村 国を動かした6日間』年越し派遣村実行委員会・編/毎日新聞社)。

 12月になってから年末での解雇を言い渡され、同時に住んでいる寮も出ていけと言われた人々が大勢いたのだ。帰る場所のない人にとって、それは正月を目前に「ホームレス化する」ことを意味していた。給料から寮費や光熱費などを差し引かれる製造業派遣ではなかなか貯金もできない。しかも働く人の多くが県外から愛知県などの工場に働きに来ている状態。地元に帰るお金があればいいが、それさえない人もいる。また、家族関係が複雑だったり「実家も貧困」などの事情から帰りたくても帰れない人もいた。

 年末年始を前に、相当数の人が寒空の下、路頭に迷うことが予想されたのだ。役所の閉まる年末年始、放置されれば餓死、凍死者が出る可能性もある。そのような事情から貧困問題に取り組む活動家や労働組合によって「年越し派遣村」が開催されたのである。

 12月31日から1月5日まで開催された派遣村には、住む場所も職も所持金も失った500人以上の人々が訪れ、寒空のテントでともに年を越した。その様子は連日メディアで報道され、正月を家族で過ごす日本中の人々はその光景に衝撃を受けた。この国の貧困が「可視化」された瞬間だった。派遣村には6日間で1600人を超えるボランティアが集まり、5500万円を超えるカンパが集まった。私も現場に何度も足を運んだが、そこはまるで野戦病院のようだった。

 体調が悪く、倒れこむようにして辿りついた人。自殺しようとしていて警察に保護されて派遣村に来た人。長らく車上生活を続けてきた人。建築の仕事をしていて給料を持ち逃げされた人。会社が潰れて給料未払いとなり路上生活になっていた人。ネットカフェ生活をしながらアルバイトを転々としていた若者。派遣村のニュースを見て何日もかけて歩いてきた人。

 また、私は直接会ってはいないが、08年6月に秋葉原で無差別殺人事件を起こした加藤智大の元同僚もいたという。リーマン・ショックの3ヶ月前、あの事件を起こしていなければ、加藤智大も派遣切りに遭って「若いホームレス」として派遣村に来ていたのかもしれないな、と思ったことを覚えている。青森に実家のあった彼も、静岡の関東自動車工業で寮生活をしながら働く派遣労働者の一人だった。

 「でも、もともと寮生活していたんだったら、寮に入る前に住んでたとこに帰ればいいじゃん」

 そんな素朴な疑問を口にする人もいるだろう。もちろん、派遣切りに遭い、寮を追い出された人の多くがそうしていた。が、前述したように、そうできない人は必ず一定数、いるのだ。現場で日々当事者と接していた人は、それは「だいたい4人に1人くらいではないか」と口にした。例えば、寮を追い出されても、4人に3人は実家に帰るか、友人宅に居候するなどしている。が、残り4分の1が、そういった「困った時に頼れる人間関係(家族も含む)」を失っているのだ。

 そんな派遣村から、12年。コロナ禍の現在の状況は、製造業派遣が中心だったあの当時から職種を大幅に広げて人々の生活を脅かしている。当時と共通するのは、やはり非正規が大打撃を受けているということだ。

 たとえば3月7日と6日に開催された、「全国ユニオン」の「同一労働同一賃金ホットライン〜新型コロナウイルス対策の雇用形態間格差を是正しよう!〜」には、深刻な相談が寄せられた。その数、120件以上。相談の電話をかけてきたほとんどが正社員以外だ。以下、いくつかの声を紹介しよう。

 「離婚して昨年11月から働いている。やっと慣れてきたが、雇い止めを通告され、寮も出るよう言われ困っている」(派遣 女性 ホテル)

 「新型コロナの影響でツアーが相次いで中止。仕事がなくなり、生活ができない」(派遣 添乗)

 「仕事を減らされ、3月末で雇い止めと言われた」(契約社員 男性)

 「職場(派遣先)に濃厚接触者が出た。本人(相談者)は微熱が続いているので医師からは休むように言われている。派遣先からは37.5度以上でなければ出社しろと言っている。どうしたらいい?」(派遣 女性)

 「正社員はテレワークになったが、派遣は通常通りの出社しか認められない」(派遣 女性)

 「正社員は特別休暇で有給の休みにするが、パートはないと言われた。パートが説明を求めたら『それ以上説明することはない』と言われた。娘が2月28日から休校になっている。このまま無給が続くと生活が苦しい」(パート 女性 社会福祉施設)

 「3月2日から休みになった。補償がどうなるのか説明がない」(パート 女性 テーマパーク)

 「ある競技の警備をすることになっていたが、無観客になったので仕事もなくなった。賃金はどうしたらいいか」(経営者 男性 警備業)

 「新型コロナの影響で学校給食が中止になった。補償はあるのか」(公務非正規 女性 学校給食)

 「3月のスケジュールは決まっていたのに、新型コロナの影響で2日間しか出勤できていない。補償はされるのか」(アルバイト 男性 ホテル)

 どれもこれも、切実な悲鳴が聞こえてくるような相談だ。しかも派遣村の時と違って職種はあまりにも多岐に渡っている。ホテルや観光業が多いのも特徴だ。正社員は出社しないのに派遣だけが出社するよう言われる、などの雇用による差別も目立つ(詳しい結果は「全国ユニオン」のサイトで見られるのでぜひ)。

 これが自営業向けのホットラインだったら、飲食店やライヴハウス、カラオケ店、スポーツジムなどから「一体どうすればいいのか」という悲痛な声が聞こえているだろう。

 これらの相談を受け、全国ユニオンは19日、厚労省に対策を要請。雇い止めとなった人への支援体制を早急に整備することや、休業手当を払わない企業へ指導を徹底することなどを求めている。

 一方、3月15日に緊急生活保護ホットラインを開催した「ホームレス総合相談ネットワーク」は120件の電話相談を受けた。「観光バスの運転手の仕事を解雇された。所持金は2万円で、失業保険だけでは生活できない」「歩合制でサウナで体をほぐす仕事をしているがサウナが休業し、収入が途絶えた。5千円しかない」などの訴えがあったという(朝日新聞3月17日)。また、住宅ローンを払っている世帯からの切実な声も寄せられたという。それらの声を受け、「ホームレス総合相談ネットワーク」は、その翌日に安倍首相などに要望書を提出。生活資金がなくなった世帯に対し、生活保護法の「急迫した事由がある場合」に該当するものとして認め、すみやかに保護を開始すること、また銀行等に対して、住宅ローン、自動車ローン、カードローンの支払猶予を行うよう要請することなどを求めている。

 前回も書いたように、生活保護は、収入のあてがなく、貯金もなく、全財産がだいたい6万円以下だったら受けられると思ってもらえばいい。もちろん、働いていても受けられる。例えば月の収入が8万円など生活保護基準以下であれば、足りない分の給付を受けられるのだ。この場合、単身世帯であればだいたい5万円ほどが支給される。生活保護はそういう使い方もできるのだ。そうして収入が生活保護を上回れば、「卒業」すればいい。もちろん、自営業だろうがアーティストだろうが受けられる。年金をもらっていたとしても、国が定める最低生活費未満であれば足りない分が生活保護費として支給される。

 が、その生活保護には持ち家や車など、「資産」があると受けられない場合もある。生活保護を利用する前に、それらを売ってお金に変えて生活費にしてくださいと言われるのだ。こういうことを「資産の活用」というのだが、「ホームレス総合相談ネットワーク」の要望書の第1の1では、不動産や車を持っていても、貯金などすぐに活用できる資産がなく、手持ち現金が乏しい場合には「急迫した事由」があるものとして生活保護を開始すべき、と訴えているのである。ちなみに持ち家でも処分した場合の価値がそれほど高くなければそのまま住み続けて生活保護を利用することができるし、車は通勤や通院に必要と認められれば持つことができる。よく「持ち家や車があると生活保護を受けられない」と言われるが、一律ダメというわけでは決してない。

 特に今回のような緊急事態では、「家や車を売れ」と迫るのではなく、手持ちの現金がなければ生活保護を認めてしまうような運用が手っ取り早く救済につながるはずだ。数ヶ月の生活がしのげればなんとかなる、という世帯も少なくないはずだ。一律に「持ち家を売れ」「車を売れ」と迫り、それらを売った金が尽きてからでないと生活保護を利用できないとなると、生活再建が大変すぎる。とにかく柔軟な運用を、と呼びかけたい。

 年越し派遣村は、生活保護を集団申請することで住まいもない当事者の生活をまずは立て直した。住所がなければ職探しもできないし、所持金が尽きていては餓死してしまう。

 あれから、12年。当時より非正規で働く人は増え、当時より雇用が不安定化し、当時より家族福祉が脆弱化し、当時より貯蓄ゼロ世帯が増えたこの国で、新型コロナウイルスによる混乱が人々を追い詰めている。

 ちなみに、新型コロナウイルスに感染した人の中で、本業の仕事をしながらコンビニやファストフードで副業をしていた人がいたことを覚えている人は多いだろう。副業しないと食べていけない。そんな現実も、貧困がじわじわと深刻化した今を象徴しているようだ。しかし、副業していた60代会社員の男性は、それがばれることを恐れて保健所に隠していた。60代の会社員男性であってもこっそりアルバイトしなければならない現実は今、この国のあちこちにある。

 それを証明するのが、貯蓄ゼロ世帯の数字だ。18年の貯蓄ゼロ世帯は、20代単身で45.4%、30代単身で39.7%、40代単身で42・6%、50代単身で39.5%、60代単身で26.7%。すべて単身世帯の数字だが、平時であってもこれだけの貯蓄ゼロ世帯が、今、持ちこたえられるとはとても思えない。

 とにかく今生かすべきは、派遣村の時の教訓である。

 そんな思いからあの時の記憶を呼び起こすと、様々な光景が浮かぶ。

 例えば派遣村には、派遣切りで職を失った以外の困窮者も多くやって来た。身体障害、知的障害、精神障害の人も少なくない数、訪れた。施設から逃げてきたという若い人もいた。これほど多様な人々が困り果てて、年末の公園の吹きっさらしのテントで年を越すためにやって来るのか……。派遣村実行委員会が想定もしていなかった人々も続々と訪れることに、多くの「気づき」があった。表には出なかったが、中にはもちろん女性もいた。

 また、当時派遣切りされた中には愛知県などの工場で働く日系ブラジル人も多くいた。それたけではない。直接「派遣切り」と関係ない形でも、リーマン・ショックによる不況で全国で失業者や困窮者、ネットカフェ難民が激増した。

 今回のような形で経済が打撃を受けると、もともと「条件があまり良くない人」「手持ちのカードが少ない人」の生活から一気に崩れてしまう。コロナと関係あるようには見えなくても、多くの人が連鎖的に困窮する。もっとも弱い立場にいる人に皺寄せがいくようになってしまっているのだ。

 だからこそ、困ったら早めに役所に相談してほしい。特に生活困窮者支援団体「もやい」大西連さんの生活保護についての記事は頭の片隅にでもいいので置いておいてほしい。

 そして私も今、様々な団体と連携して、支援体制を作る準備にかかわっている。またこちらでお知らせしたい。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。