想田和弘さん×安田菜津紀さん(その2)広がる全体主義の危険性。それでも、希望は必ずある

『精神0』公開を前に広がった、新型コロナウイルス感染拡大の危機。それは、私たちの生活に大きな影響を及ぼしています。政府の施策は? ここから、世の中の空気はどうなっていくのか? そして、その中でももし、希望があるとしたら? 想田和弘監督、安田菜津紀さんのお2人による対談、後編です。→その1はこちら

政府の感覚は、あまりにも国民と乖離している

安田 前回、「仮設の映画館」のお話をお聞きしましたが、募金や署名サイトなど「ミニシアターを守れ」という動きが活発になってきた一方で、政府による休業補償の動きはほとんど見えてきませんね。先日、安倍首相がSNSに投稿した人気ミュージシャンの映像とのコラボ動画を見たときも、「音楽やカルチャーを支援もしないのに、利用だけはする気か」と、その点に一番怒りを覚えました。

想田 文化を育てる、支援するという発想が本当にない国だと思います。それは普段からそうだし、よく分かっていたことですけど、この危機的状況になって、「ここまで政治家の意識は私たちとかけ離れていたのか」ということを、さらに思い知らされている気がしますね。だって、政府自身が「感染を防ぐために閉めてください、自粛してください」と頼んでいるのに、それに対する補償をする気がないって、おかしいでしょう。
 象徴的だと思ったのは、政府がコロナ終息後に向けて「Go To Travel」「Go To Eat」と銘打った商品券の発行などを検討している、という報道です。多くの人たちが「明日の家賃が払えない」ことに苦しんでいるときに、コロナが終わった後の支援? と、びっくりしました。直近のことを十分に支援した上でそれもやるというならともかく、まったくそうではないわけで。もしかすると、自粛して仕事をやめたら明日から食べていけないという人が大勢いるということを、政府はまったく理解していないんじゃないかと感じました。

安田 和牛券だお魚券だという話も、自民党がどこを見て政治をしているのかが如実に表れていましたよね。だから政府内でも「マスク2枚配れば不安がぱっと消える」なんていう発想が生まれてしまうのでしょう。他国では生活保障のための現金給付も進んでいるときに、「日本では、この期に及んでマスク2枚か」と、逆に私たちの不安を増大させるということが、まったく肌感覚として伝わらないんだなと思いました。
 そうした一連の流れや、安倍首相のSNS動画を見ていて感じたのは、これまで、自民党や安倍政権は圧倒的な力を持って独裁的にものごとを進めているように見えたけれど、実はこういう緊急時になってもまともな人心掌握さえできないんだなということです。独裁者にさえなれない、中途半端な存在だったんだということが浮き彫りになった気がしています。

想田 生活に困った経験のない人、生活に困っている人に対する想像力を持てない人が政治をやっちゃダメだと強く思いますね。

安田 おっしゃるとおりです。国会議員の歳費を削減するという案も出ていますけど、困窮を肌感覚で経験したことのない人が、2割削減したところでその感覚に近づけるかといったら難しいのではないかと。むしろ、「俺たちだって身を切ってるんだから、国民は黙って従え」みたいな空気感が出てくることのほうが怖いな、と思いました。

想田 僕も、議員歳費は規定どおりもらえばいいと思います。歳費なんて削減しなくてもいいから、仕事を「自粛」することで収入が絶たれる人を助けてほしいということなんですよね。
 僕は自分が住んでいるアメリカを、弱者に非常に冷たい新自由主義の牙城みたいな国だと思っていたのですが、そのアメリカ以上に国民に対して何もしようとしないのが日本政府です。政府というもの、人間というものが大きな危機においてどのようにふるまい、そしてどこまで堕ちて行くのか、この機会にじっくり見届けてやろうという残酷な興味すら、僕には生まれてきています。

「恐怖」を前に、全体主義が広がり、排除が生まれる

安田 想田さんは、通常からSNSなどで政治に対する発言を積極的にされていますよね。最近は、「こんな緊急時に政府批判ばかりするな」という声も耳にしますが、どう思われますか。

想田 非常に危ない傾向だと思います。
 特に、今回のような感染症による危機は、相互不信になりやすいんですよね。本来ならばこうした危機のときは、みんなで手をつないで乗り越えようということになるはずが、少なくとも物理的には手と手をつなぎにくい。むしろ病気をうつし、うつされるかもしれない存在として、人を遠ざけなければいけないという状況があるわけです。
 それが高じると、感染してしまった人をバッシングするようなことにもなる。重い病気になったのに、労ってもらうどころか「症状が出てるのに電車に乗ったなんて不注意だ」と叩かれる。これは本当にきついですよ。
 僕は、こういうときに全体主義の危険性が一番高まるんだと思っています。

安田 それがとても怖いです。同時に、その全体主義から排除される存在があるということも気にかかります。安倍首相は独裁者にすらなれないと言ったけれど、にもかかわらず過去の歴史が繰り返されてしまう可能性は十分にあるんじゃないかと。
 たとえば、ナチスドイツのホロコーストは、別に一人の独裁者だけが虐殺を起こしたわけではありません。街角のヘイトスピーチや相互不信が徐々に広がって、ジェノサイドにまでたどり着いてしまったという面があると思います。
 今の日本も、これだけ「人手不足」だからといって外国人を受け入れておきながら、「現金給付をするなら日本国籍の人だけに限るべきだ」なんて発言が、複数の国会議員から出てきてしまうという状況がある。全体主義がさらに広がったときに、誰が排斥されるのかということに、怖さを感じています。

想田 そうですね。今はどうしても「相互に監視したくなる」ような状況ですから、一番危ないんですよね。「あの人はマスクを付けてない」「自己隔離しなきゃいけないはずなのにスーパーに行っていた」と相互監視が進む中で、全体主義が強化され、「全体」に合わない人、従わない人が排斥されていく。
 お隣の韓国では、自己隔離のルールに違反した人にGPSの入ったバンドを装着しているらしいし、日本でも携帯のビッグデータを使って人の動きを分析するという話が出ていますよね。政治家がこういうことを言い出すのは分かりますが、国民のほうもあまりにもそれを無批判に受け入れすぎていると感じる。「感染拡大を防ぐためだからしょうがない」という言葉の下、進んで全体主義の管理社会に向かっていくということが、すでに起きつつあるんじゃないかと懸念しています。
 僕は最初、あれだけ個人の自由や権利が重視されていたはずのアメリカやヨーロッパで、そういう雰囲気が出てきたことに衝撃を受けたんですよ。外出を禁止する、商店を強制的に閉めるということになったときにも、ほとんど反対意見が出なかった。もちろん、最終的にそうせざるを得ないという結論に至るのは理解できますが、その過程であまりにも抵抗の声がなくて、それどころか僕が少し「そこまでやっていいのか」という疑問をSNSなどに書き込むと、たちまち「人が死んでもいいというのか」と責められるような状況だった。欧米でさえこうならば、日本はどうなってしまうんだろう、と思いました。

安田 もちろんビッグデータの利用なども、実態把握と感染拡大防止につながるという面は否定しません。ただ、そのデータはちゃんと適切に管理されるのか、第三者的なチェック機能があるのかというところが置き去りになったまま突っ走っている印象があります。
 緊急事態宣言にしても、本当に国会の承認はいらないのかという議論が十分になされないまま、むしろ市民の側も「早く出せ」という感じになって、メディアもその旗振り役を果たしてしまった。この状況はとても危ういと思うし、権力を持っている人間にとっては非常に利用しやすい空気があるといえるのではないでしょうか。

想田 自分や自分の愛する人が死ぬかもしれないという最大の恐怖を前にすると、人はあらゆることにすがりたくなってしまう。結果として、どれほど理不尽な政策であっても異論なく受け入れてしまうような土壌が、自然にできつつあると感じます。

安田 そうならないためには、やっぱり最低限の生活保障が必要だと思います。死の恐怖に加えて、明日生活できなくなるかもしれないという恐怖があると、どうしても「もっと強い薬」を求めて感覚が麻痺していく。生活の基盤が整えられて、最低限なんとか暮らしていけるという保証があれば、もう少し落ち着いて物事が見えるような気がするんですね。
 そこをまったくやろうとしない政府を見ていると、あえてそうしているのかと、怖くなります。

平時から「取り残されている」人たちに思いを馳せよう

想田 ここまで話してきたように、このコロナウイルスによる危機というのは、もちろんとても恐ろしい事態なのですが……先日、シリア難民の人たちの写真やインタビューを収めた安田さんのルポ『君とまた、あの場所へ』を読み返していて、思ったことがあります。
 僕たちは今、自由に外出できないし仕事もできない、外に出ると生命の危機に陥りかねない、こうしている間にも自分の愛する人が死んでしまうかもしれないという状況に置かれて、「前代未聞の事態だ」といって慌てています。でも、実はシリア難民の人たちにしてみれば、そういう状況──むしろ、もっと根源的な危機──が、何年も前から続いているわけなんですよね。
 以前に読んだときは、「大変だなあ」とは思っても、十分に自分に引きつけて考えることができていなかったと思うのですが、今回はもっと「当事者」として読むことができました。特に、「すぐにシリアに帰れると思っていたから、貯金も下ろさずに来てしまった」と話す難民の方の話は印象的でした。僕も今回日本に来るにあたって、当然ニューヨークにすぐに戻れるつもりで出てきたのが、下手したらずっと帰れないんじゃないか、という状況になってきているので……。

安田 これも取材で訪れた場所なのですが、パレスチナのガザなどもまさにそうですね。小さな土地が高い壁でぐるっと囲まれていて、それを勝手に越えようとしたらイスラエル兵に撃たれるし、海から逃げようとしてもすぐに捕まってしまう。治安状況によっては買い物さえ自由に行けなくてものがなかなか手に入らない……。それがガザの日常なんですよね。
 実は、想田さんと同じような感想を、最近になっていくつかいただいています。今はこれだけ大変な状況だからこそ、そうした「普段から取り残されがちな人たち」の存在に気づいて、物理的には無理でも、心と心でつながれる機会にできるはずだと思うんですね。私も、そのための発信をしていかなきゃいけないと考えています。

想田 もし、このひどい事態にどこか光があるとしたら、そういうところにしかないと思います。シリアの人たち、あるいはガザの人たちのような、コロナのことがなくても大変な状況に置かれている人たちに思いを馳せる、そして共感できるようにするための能力を鍛えていく。そういう能力って、実は開発しないとなかなか身に付かないと思うので、そのためのいい機会にできれば、と思います。
 あと最後にもう一つ、安田さんの本を読んで感じたことを。岩手県陸前高田市の港町に取材した『それでも、海へ』を読ませていただいたんです。東日本大震災のときの津波で大きな被害を出した町で、一度は海に出るのをやめた漁師の男性が、孫の言葉をきっかけに再び漁を再開する……。どれだけ大変なことが起きても、人間はいつか立ち直れるし、またスタートを切れる。すべては変化していくから、ずっと今の状態が続くわけじゃないんだということをすごく感じて、希望を見たような気がしました。

安田 ありがとうございます。実際に、想像を絶するような困難の中から立ち上がってきた人たちが大勢いるんですよね。ただ単に中身のない希望を謳うようなことはしたくないけれど、今こそそういう人たちから学ぶべきときなんじゃないかと考えています。

(構成/仲藤里美)

 

『精神0』2020年/日本=米

〔仮設の映画館〕にて5/2(土)より全国一斉配信、ほか全国の映画館で順次公開

公式ウェブサイト https://www.seishin0.com/

そうだ・かずひろ1970年栃木県足利市生まれ。東京大学文学部卒。スクール・オブ・ビジュアル・アーツ卒。93年からニューヨーク在住。映画作家。台本やナレーション、BGM等を排した、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの方法を提唱・実践。監督作品に『選挙』(07)、『精神』(08)、『Peace』(10)、『演劇 1』(12)、『演劇 2』(12)、『選挙 2』(13)、『牡蠣工場』(15)、『港町』(18)、『ザ・ビッグハウス』(18)。国際映画祭などでの受賞多数。著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波ブックレット)、『熱狂なきファシズム』(河出書房新社)、『観察する男』(ミシマ社)など。

やすだ・なつき1987年神奈川県生まれ。NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)所属フォトジャーナリスト。同団体の副代表。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『写真で伝える仕事 -世界の子どもたちと向き合って-』(日本写真企画)、他。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。

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