15年以上前から、日本に暮らす移民・難民の支援や外国人収容問題にたずさわる織田朝日さん。出入国在留管理庁(入管)の収容施設への面会活動、裁判や当事者アクションのサポートなどを行っています。
入管の収容施設では、これまでに医療放置による死亡事故、自殺未遂などが起きており、期間の上限がない収容は長期化の傾向にあります。昨年11月に『となりの難民――日本が認めない99%の人たちのSOS』(旬報社)を上梓した織田さんにお話を伺いました。
※取材は3月上旬に行なったものです
「刑務所よりひどい」入管の長期収容
――全国には17もの入管の収容施設があり、900人以上(4月30日時点)の外国人が収容されています。本来は、母国送還までの準備としての収容であるはずですが、母国に帰れない人が数年にわたって収容され続けるケースが増えて問題になっています。
織田 在留資格(ビザ)のない非正規滞在の外国人は、退去強制の手続きとして入管の収容施設に収容されます。しかし、実際には母国に帰れない事情を抱えた人がたくさんいるんです。その理由はさまざまです。
たとえば、私はトルコ出身のクルド人の知り合いが多いのですが、トルコでの差別から逃れるために日本に来ています。女性たちからトルコにいたときの話を聞くと、普段はクルド語を話すのですが、市役所や子どもの小学校などで得意ではないトルコ語で話すと怒鳴られるのだそうです。最近では、友人のトルコにいる親戚が、何もしていないのにテロ容疑で急に捕まえられたという話も聞きました。
また、コロンビア出身の男性で、治安の悪い街で育ち、地域で起きた事件について軍人に通報していたことで、命を狙われてナイフで体中をめった刺しにされた経験を持つ人もいます。その人は日本に住む親戚をたよって来日。難民申請の制度を知らず、在留資格がないまま日本で生活を続けていたところ収容されました。また、韓国の人で、北朝鮮の知り合いと接触したことで、政府からスパイ容疑をかけられて亡命している人もいます。いまは2人とも収容を一時停止する「仮放免」が認められて難民申請中ですが、いつまた収容されるか分かりません。
それから難民ではないけれど、高度経済成長期の頃から何十年も日本で働いてきて、自分や子どもの生活基盤が日本にあり、いまから母国で一から生活を築き直すことが難しい人もいます。日本人の配偶者がいて日本で家庭をもっていても収容されることはあるんですよ。
――難民申請中であったり、日本に家族がいたりして逃げるような理由がなくても収容されるんですか……。
織田 そうなんです。しかも、日本は難民条約に加入していますが難民認定率がすごく低い。なかなか難民として認められません(※1)。日本では認められなくても、他国では認められるようなケースもあるんです。
収容を停止する仮放免の基準もはっきりしていなく、ここ数年は仮放免申請がなかなか認められず、母国にも帰れずに収容が長期化するケースが増えています。
仮放免が認められた場合でも、地域で生活はできますが就労はできません。健康保険の加入や住民票の登録といった権利も認められていませんし、他県に移動するには毎回入管への申請が必要です。それに、仮放免でも突然収容されてしまうことがあり、収容と仮放免を繰り返す人も少なくありません。
※1:2019年の日本での難民認定率は0.42%。
――織田さんは、「収容者友人有志一同(SYI)」というグループもつくり、そうした収容施設にいる外国人への面会活動などを行っていますね。
織田 私のところに連絡をくれるのは、主に東京都港区にある東京出入国在留管理局と、茨城県牛久市にある東日本入国管理センターに収容されている人たちです。
収容施設には自分のスマホを持ち込めないので、連絡手段は郵便かKDDIの高いテレホンカードしか使えない公衆電話だけ。持病の薬さえ持ち込むことができず、通信や医療を受ける権利が制限されています。また、収容期間には上限がないので、一度収容されるといつ出られるのかまったく分からない。2年、3年と収容されている人もいます。そうしたなかで精神的にも身体的にも追い詰められていくんです。
収容中にストレスで病気になったり、自ら命を絶ったり……。みんな「ここは刑務所よりひどい」と言います。面会に行っても大したことはできないのですが、話を聞くことで少しでも気持ちが楽になればと思っています。
――強制送還の命令が出ると「送還可能な時まで」として実質的に無期限収容できることや、収容施設での自由や権利の厳しい制限については、国連機関からも度々指摘を受けています。織田さんは、面会で収容されている方から悩みや相談を聞くことも多いと思いますが……。
織田 「体調が悪いのに病院に行かせてもらえず、せまい部屋に閉じ込められた」とか「残された家族が困っているから、仮放免を認めてくれるように入管に伝えてほしい」など、いろいろなSOSがあります。待遇のことや仮放免の要望など、第三者である私から入管職員に言ってほしいことがあれば、窓口である総務課を通して伝えています。
本人が「顔も氏名も出していいから、このひどい状況を世の中に伝えてほしい」と言うのであれば、どんどん情報発信もしますが、そうじゃない場合のほうが多い。母国に顔や氏名がバレたら困るという人もいますし、入管職員からの仕返しを心配する人もいます。そうした事情も理解しなくてはいけません。でも、できることはしていきたいです。
医療放置、懲罰房……第三者機関の監視が必要
――収容施設のとくに大きな問題として、織田さんは「医療」や「懲罰房」、「食事」を挙げています。
織田 入管施設には非常勤のお医者さんがいるだけで、大きな設備があるわけではありませんし、きちんとした医療は受けられません。病気になって外の病院での治療を希望しても、2カ月以上も待たされるとか、なかには1年以上も連れていってもらえないという人もいます。その間に病気が悪化し、痛みに耐えきれず自殺を図る人もいました。そればかりか手遅れになり、医療放置で亡くなってしまった人もいます(※2)。
職員に抗議をしたり、自殺未遂をしたりすると、「懲罰房」と呼ばれる保護室に閉じ込められます。その際に、職員が大勢で収容者にとびかかり、強い力で押さえつけられると聞きます。私が面会に行ったときに、顔に大きなあざができている人もいました。
また、この10年くらいの間に、収容施設の食事が「すごくまずくて、冷たくて、とても食べられない」という話をいろいろな人から聞きました。日本に長く暮らしている人も多いので、日本の食事が合わないということではないんですよね。私が収容施設の食事を見たり、食べたりして確認することはできないので、第三者機関などによる抜き打ち検査なども検討してほしいと思います。
※2:2007年以降、出入国管理施設で死亡した被収容者は14人(病死・自殺含む)。東京弁護士会からは「入管収容施設で繰り返される被収容者の生命・健康の軽視や死亡事件に抗議し、適時適切な医療の提供及び仮放免の適切な運用を求める会長声明」(2019年4月18日)が出されている。
――昨年、難民申請者であるトルコ出身のクルド人・デニズさんが、牛久の収容施設で職員に取り押さえられる際に暴行を受けたとして国に損害賠償を求めた訴訟がありました。東京地裁に提出された映像(※3)が公開されましたが、「痛い、痛い」と叫ぶデニズさんを、5、6人の職員が取り囲み、腕をひねり、顔を押さえつけたりしている様子に驚きました。織田さんは入管職員と接する機会もあると思いますが、どういう印象を持っていますか?
織田 うーん……なんだろう、普通の人ですよ。もう本当に普通の人。実際に、裁判所とかで知り合いの職員に会うと、にこやかで感じがいい人も多いです。でも、そういう普通の人たちが、いったん命令を受ければ「これは仕事だ」ってことで暴力も振るう。それが逆に怖いことなのかもしれません。
昨年末、懲罰房に入れられた女性収容者が、24時間ビデオカメラで監視されていて、職員が着替えやトイレの様子まで見ていたことが国会でも取り上げられて問題になりました。それで、「女子トイレとかのぞいて、ひどいじゃないですか!」と職員に言ったら、「あれは、たしかにひどい」と同意した職員もいました。でも、「言うことを聞かないのが悪い。必要なら仕方ない」って言う人もいる。そう、「必要なら仕方ない」って言うんですよね。
もちろん入管のやり方に違和感を持っている職員もいますが、耐えられない人は辞めてしまうそうです。一番の問題は、収容を決めるのも仮放免を認めるのも、すべて入管だけで完結している点だと思います。
※3:「入管収容者制圧の映像公開 『痛い』叫ぶクルド人」(2019年12月19日 共同通信社 映像)
――イギリスでは、収容を決定するのは入管ですが、収容からの保釈の決定は入管とは別の機関が決定し、そこには明確なガイドラインがあると聞きます。日本の場合は、収容も仮放免も入管が決め、その基準や目的が曖昧だと指摘されていますね。
織田 いまの体制だと、入管の好き放題にできてしまう。そこに大きな問題があると思います。
織田さんは入管での様子を4コマ漫画にして伝えている(作・画:織田朝日さん)
6歳から日本で育った女性、結婚直後の収容
――2017年にトルコ出身のクルド人女性メルバン・ドゥールスンさんが収容されたときには、メディアでも大きく取り上げられました(※4)。彼女は6歳から日本で育ち、何度も難民申請を却下されて仮放免措置で滞在してきましたが、日本に在留資格のある外国人男性と結婚した直後に収容されてしまいます。
織田 そうなんです。彼女のお父さんのトーマさんは、私が支援活動を始めた頃からの友人です。メルバンに初めて会ったのは、彼女がまだ小学2年生のとき。2006年にトーマさんが入管に収容されたとき、彼女が「お父さんを返せ!」と職員に抗議していたことをよく覚えています。そのメルバンが収容されたと聞いたときは本当にショックでした。
彼女は6歳から日本で育ち、その後も順風満帆だったわけではありませんが、日本でクルド人男性と結婚をして、やっと幸せになれるというところで急に収容されたのです。どうしてなのかは分かりません。
面会に行ったとき、彼女はかなり取り乱していました。前からパニック障害があるのに、収容施設では自分の薬を使わせてもらえなかったのです。入管にいる非常勤のお医者さんは、薬を出すどころか彼女にトルコに帰るよう促したと言います。メルバンは収容施設で度々発作を起こし、自傷行為もするようなっていきました。
※4:「入管施設の実態、『トイレも監視』強制収容の女性が証言」(2019年12月5日 TBSニュース 映像)
――織田さんが「彼女の解放を入管に訴えてください」とSNSに投稿したことがきっかけで、ネットニュースやTVのニュース番組などにも取り上げられました。多くの人が入管へ電話やFAXで抗議に参加して、署名キャンペーンも起きました。収容問題が知られるきっかけにもなったのではないでしょうか。
織田 メルバンの仮放免は2度不許可になりましたが、3度目でようやく許可されて外に出ることができました。収容から約4カ月経ったときです。入管がどういう判断をしたのかはわかりませんが、比較的早く仮放免が許可されたのは、やはり世論の影響があったのではないでしょうか。
なかなか状況は変わりませんが、あきらめずに抗議をしていくことは無駄じゃないと思っています。メルバンのときは私たちの活動へのカンパも増えましたし、以前よりもSNSなどで情報を拡散してくれる人は少しずつ増えていっています。でも、まだまだ「おかしい」という声は足りていません。
なぜハンストをしなくてはいけなかったのか
――2016年頃から、仮放免が認められにくくなり収容が長期化するなど、入管の対応が厳しくなってきたそうですね。母国に帰れない人などに法務大臣の裁量で在留資格を与える「在留特別許可」制度も、2008年からの10年間でみると認可率が8割も減っています(※5)。
織田 法務省はオリンピックを理由にしていますが、入管の対応は厳しくなりましたよね。それに対して、収容者のハンガーストライキによる抗議が一時期すごく広がりました。みんな、どんどん栄養がなくなり、最終的には拒食症のようになってしまう。面会に行くとガリガリにやせて、急に老人のようになっていることがあります。以前は仮放免されると数年は外で生活できていたのに、最近では仮放免されても2週間くらいで再収容されてしまう。「見せしめ」じゃないかと言う人もいます。
今年の4月頭まで牛久に収容されていたイラン人のサファリさんは、母国で迫害の恐れがある難民申請者なのに、3年以上にわたって収容されていました。昨年6月にハンストに参加して、すごく体調を崩したんです。一度仮放免されたのですが2週間でまた収容されて。面会に行ったら「自分が人間じゃないみたいに思えてしまう」と言っていて、無意識のうちに壁に頭を打ち付けたり、腕を切ったりなどの自傷行為が続いていてすごく心配でした。
でも、そんなにつらい思いをしていても、面会に行くとこちらのことを気遣ってくれる人が多いんです。この活動をしていて、何度も感動するくらい人柄の素晴らしい人に出会いました。もちろん性格がいいかどうかは、収容や人権の問題とは全然関係ないことですよ。でも、すごく真面目で温かい人たちが多いです。
※5:「『在留特別許可』10年で8割減、東京五輪が影響? 『平等、適正な判断を』」(弁護士ドットコム 2019円3月24日)
(作・画:織田朝日さん)
――聞いているだけでも胸が痛みます。昨年6月には、長崎県の大村入国管理センターでハンストを続けていたナイジェリア人が餓死する事件も起きました。
織田 入管が「医療を拒否したから仕方ない」という言い訳をしていたのも本当にひどいと思いました。そもそも、なぜ彼はハンストをしなくてはいけなかったのでしょうか。彼は3年7カ月もの間、ずっと収容されていました。餓死に至る前に改善策があったはずです。彼は死にたくなかったと思いますよ。
これまで収容施設で何人も亡くなっていますが、誰も責任をとりません。どこの組織だって、人が亡くなったら責任が問われますよね。でも、入管は平気で守られている。「ちゃんとやっていました」と言って終わりです。
先ほども触れた、女性のトイレや着替えを監視カメラで撮影して平気でいることに対しても、考える力を失っているんじゃないかと思います。世間一般からしたら異常行為ですが、異常だと思っていない。根底には「ビザのない外国人には何をしてもいい」という意識があるように感じます。
「何かあったらどうするの」という声
――収容施設の問題が少しずつニュースなどでも取り上げられるようになってきましたが、一般の人からの反応についてはどう感じていますか。
織田 まだ、どこか「自分には関係ない」という気持ちがあるんじゃないでしょうか。
以前、「私は子どもをもつ母親として、外国人を収容施設から出すのは反対です。子どもに何かあったらどうするんですか」というコメントが来てびっくりしたことがありました。でも、この「何かあったらどうするの」ってすごく共感を集めやすいんですよね。
「何かあったらどうするの」とか「自分たちの安全を守るために」という理由で、よく知ろうともしないで遠ざけよう、排除しようとする傾向が日本は強いように感じます。いや、日本だけじゃないのかな……。同じことが、難民や外国人の問題だけに限らず、ホームレス問題などでも言える気がします。でも、それでは全然解決になりません。無知でいることは、差別と同じだと思うんです。
――現在は、法務省が新型コロナウイルスの感染拡大防止のためのガイドラインをまとめ、収容施設からの仮放免を積極的に認める方針をとるとしています。しかし、事態が収束すれば、また元に戻ってしまう可能性が高い。根本的な解決が必要です。
織田 弱い立場にある人の人権こそ守っていかないと、「外国人の問題だから自分には関係ない」と放っていたら、いつか自分たちに返ってくる。収容施設のことは、もちろん入管に問題があるのだけれど、それを許してきたのは私たち。これは私たちの問題です。
何度も収容を繰り返されてきた人たちは、「自分の人生がない。生きているだけ」とよく言うんです。収容施設で長い時間を過ごして、このまま年をとって死んでいくのだとしたら、その人の人生はなんだったのだろう。そう思うと本当につらい。仮放免されたあとも、多くの人がPTSDで苦しみ続けています。
いまの収容のあり方は本当におかしい。一刻も早く変えていく必要があります。でも、それを変えていくには市民の声が必要です。結局は世論だと思います。「これはおかしい」という声がもっと大きくなれば、変えていけるはずです。
(作・画:織田朝日さん)
(構成/中村未絵 写真/マガジン9編集部)
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おだ・あさひ
2004年に、日本で暮らすクルド人家族の難民認定を求める国連大学前での座り込みアクションに参加。以来、日本の難民・移民、収容問題にたずさわる。主に東京入国管理局を中心にした面会活動、裁判・当事者アクションをサポート。外国人支援団体「編む夢企画」を主宰し、クルド人の子どもたちによる演劇公演も行う。「収容者友人一同(SYI)」メンバー。著書に『となりの難民――日本が認めない99%の人たちのSOS』(旬報社)。Twitter:@freeasahi