昨年6月6日、衆議院本会議で、丸山穂高議員に対する「糾弾決議案」が全会一致で可決しました。「北方領土を取り戻すためには、ロシアに対して戦争を仕掛けるしかないのではないか?」という趣旨の発言が公になり、国内外で問題視されたことがきっかけです。当初、野党側では議員辞職勧告決議が検討されましたが、丸山氏は何らかの大罪を犯して逮捕・勾留されたわけでもなく、問題発言がなされたことだけをもって即、辞職相当とするのは厳罰にすぎ、先例もないことから、与党側との調整で「糾弾」という表現レベルに落ち着いたのです。
糾弾決議は、議員辞職勧告決議と同じく法的拘束力はありません。決議の趣旨に照らしてどう対処するか(対処しないか)は本人次第ということになります。丸山氏は当時所属していた日本維新の会を除名され、その後「N国」の副代表に就任していますが、今なお衆議院議員を辞職しているわけではありません。しかしそれでも、衆議院として所属議員の問題発言を見過ごすことなく、すべての会派が一致して糾弾という政治責任の追及を果たし得たことは、一つのけじめとして評価ができます。
河井容疑者夫妻との対応のバランス
直近の丸山議員への対応とのバランスも踏まえ、現在進行中である河井克行・案里容疑者夫妻に対する衆議院、参議院のけじめの問題を考えなければなりません。通常国会(第201回)は、会期の延長もなく6月17日に閉じましたが、翌18日に夫婦揃って逮捕され、その後、日本の選挙史上最悪というに疑いない大規模買収行為の全容が明らかになってきています。法相経験者の逮捕も、それ自体が異例です。いかんせん、国会が閉会中であるために衆参で本会議を開くことができないわけですが、けじめの問題は単に先送りされているだけです。
いまの状況では、とくに与党側が「政治家の出処進退は、自らが決めること」と言って突き放してしまっていることが問題です。二階俊博幹事長に至っては、「(二人は大物政治家ではないのだから)逮捕は政権運営、党運営に何の影響もない」というコメントを発し、超然たる態度を取っています。6月17日付で自民党を離党したので「もう、ウチとは関係がない」という考えもあるでしょうが、議院のけじめの問題が残っていることを忘れてしまっています。
政治責任の追及には「接見」が必要
さらに、刑事事件一般に通じて言えることですが、逮捕・勾留されている被疑者の供述が小出しになって、連日、○○地検特捜部の情報リークとして報じられています。例えば、克行氏が議員会館のパソコンで買収リストを作成したとか、手書きのメモが見つかって、そこには日付と金額がしっかり記入されていたとか、犯罪行為とその認識、責任を裏付ける事実が一方的に流れてくるのを、国会の側も一緒になって視聴する側に立ってしまっています。それでは、政治責任を追及するための必要な情報が入ってきません。
刑事責任を追及しても、政治責任を問うことはできません。刑事責任が結果としてゼロになっても、政治責任までゼロになるわけではありません。また、政治責任は、刑事責任を補充する関係に立つものでもありません。両者は一緒くたのようで、別物です。切り離して議論し、対応すべきものです。河井夫妻は現状、被疑者の立場にありますが(起訴されれば被告人に)、議員としての身分を失ってはいないので、政治責任をどう果たすかという問題は消えないのです。
近時は、数が多くなってきたので、ある意味「常態化」してしまったのかもしれませんが、現職の議員が逮捕され、その身柄を拘束されるというのは異常な事態であり、所属する議院にとっても大ごとであるはずです。奇抜な提案をするようですが、衆議院、参議院の議院運営委員会(議運)の委員長、与党・野党の筆頭理事は小菅の東京拘置所に出向いて、河井克行・案里両容疑者と接見し、状況を議運理事会に報告すべきです。議員辞職の有無はもちろん、起訴後に保釈された場合には、衆参の政治倫理審査会(政倫審)に出席し、弁明などができる可能性も出てくるので、その手はずを整える必要もあります。実際には、両者の弁護人が接見を続けており、その弁護人からすれば、被疑者に不利益になるおそれが大きいので議運のメンバーには会うなと助言するかもしれません。しかし、弁護人(弁護士)は議会制民主主義の帰趨に責任を負っているわけではないので、そういう懸念は横に置いて、議運としての主体的な判断、行動に徹するべき(そういう運用を確立すべき)です。
そして、私の提案は何も、逮捕されたのが自民党(与党)議員だからというわけではなく、万が一、野党議員が同じような事態に至っても、同様の対応を取るべきことを主張しています。要するに、刑事手続きに乗ったからという理由だけで政治責任を問うことを忘れてしまい、政治(家)不信を増幅、助長することはあってはならないということです。昨日(6月30日)、勾留中の河井夫妻にも期末手当(ボーナス)が満額支給されました。このコロナ禍の最中にあって、一体誰がこの状況を歓迎するでしょうか。究極の「逃げ得」です。議員には「休職」制度もなく、政治責任の追及の手を緩めることがあってはならないのです。
菅原・前経産相「不起訴」でも、対応はこれから
同じく、見逃せない事件があります。菅原一秀・前経産相が地元選挙区で、物品、金銭(香典等)の違法な贈与を繰り返して公選法違反の容疑で告発されていた件が、6月25日、不起訴処分(起訴猶予)となったことです。菅原氏は記者会見には応じていましたが、その様子は、刑事責任と同時に政治責任の追及も免れることができたという「安堵感」を醸し出していました。しかし、繰り返し述べている通り、刑事責任とは別異の政治責任を果たすために、政倫審に出席する等のけじめは必要です。本会議でも最低限、けん責(不正を咎めること)の決議などを改めて行うべきではないでしょうか。
ちなみに、冒頭で丸山議員に対する糾弾決議の例を紹介しましたが、当時、議運の与党筆頭理事として決議案を取りまとめ、その筆頭提出者となっていたのが菅原氏です。決議には「本院の権威と品位を著しく失墜させたと言わざるを得ず、院として国会議員の資格はないと断ぜざるを得ない」という一文がありますが、菅原氏自身の振る舞いは一体どうだったのか、この一文に当てはめてみてはどうかと、厳しく問われるべきです。
さらに、IR誘致に係る収賄罪で起訴された秋元司・元内閣府副大臣について言及しなければなりません。ことし2月12日に保釈され、その後は河井夫妻の陰に隠れてしまっていますが、今や、何食わぬ顔で議員活動を再開しています。身柄拘束が解けているので、誰が見ても政倫審への出席は可能です。事実上、逃げの時間を与えてしまっている与党、野党ともに責任があります。
2020年に入ってコロナ禍の不況に喘ぎ、不安に駆られている国民が多い中、なぜ国会議員にばかりは「特別待遇」が保障されるのかと、不満、怒りが増幅するばかりです。議員たりとて聖人君子ではないので、こうした不祥事は常に隣りあわせです。しかし、どこかで対応のバランスが崩れると、その後のアンバランスが、政治(家)に対する信用失墜となってそのまま跳ね返ってきます。議員のけじめと議院のけじめをワンセットで講じなければ、議会政治の退化は止まりません。