国民投票法改正を放置する日本の国会
通常国会は6月17日、延長なく閉じてしまいましたが、国民投票法の改正問題が決着せず、さらに先送りになった事実を見過ごせません。先送りになったのは自民、公明、維新、希望の4党が2018年6月に提出した法案だけではなく(2016年公職選挙法改正に従い、有権者の投票環境を向上させる7項目の内容)、国民民主党が2019年5月に提出した法案も同様です(政党CM規制、運動費用規制、外国人寄附の禁止などの内容)。会期150日間のうちに各党間の合意形成がまったく進まず、前の自公維希案は6度目、後の国民民主案は4度目の「継続審議」となりました。
まさにこの状況は、「三流のプロレス」に喩えられるでしょう。場外乱闘をひたすら続けて、両者リングアウト(→引き分け)に持ち込むことしか頭にないからです。青コーナー、赤コーナーのレスラーは、対立構図の中で観客を煽ることには成功しているものの、制限時間内にリングの上で決着をつけられない点で「プロ失格」です。観ている客はチケットを買ってまで、場外乱闘に期待して来ているわけではありません。今更ですが、国民代表である議員のプロ意識の無さに、甚だ困惑、閉口するばかりです。次回総選挙が終わって議院が再構成されるまで、この稚拙な「興行」を見せつけられるのでしょうか。
日本の拙い状況はいったん置いて、今回はニュージーランド(NZ)で9月19日に行われる2件の国民投票について取り上げます。NZといえば昨今、新型コロナウイルスを迅速、確実に封じ込めたとの国際的評価が定着したようにうかがえます。NZ政府は6月8日、必要最低限の国境管理(検疫)のみを継続することとし、国内の経済活動等に対する規制をすべて撤廃しました。6月13日には国内のスーパーラグビーが再開し、同25日にはNZ航空のオークランド―成田線が復航を果たしています。
今回の国民投票は、代議院(一院制国会、定数120)議員の総選挙と同じ日に行われます。選挙との同日実施は、労働党、ニュージーランド・ファースト、緑の党による連立政権合意の内容であり、今回それが実行される形です。現在、投票日まで1カ月半ほどですが、ちょうど国民投票運動の期間に入っており、活発な運動が展開されているところです。そのルール(広告主の登録、費用支出の制限など)は後述のとおり、日本の国民投票法にとって相当参考になります。
NZ国民投票 案件の概要
まず、国民投票が何を対象に行われるのか説明します。
一件目は、大麻の合法化とその管理に関するものです。代議院に提出されている「大麻の合法化及び管理に関する法律案」(Cannabis Legalisation and Control Bill)に基づき、娯楽目的で大麻を使用することを合法化すべきかどうかなど、その内容の賛否が問われます。現在、娯楽目的での大麻の使用は違法ですが(医療用大麻は合法です)、その規制、取り締まりが不徹底なために、とりわけ10代以下の若年層の健康被害が長らく問題となっており、その解決のために管理のあり方とともに厳格な制度を構築することが法案の主な目的です。ただし、投票結果に法的拘束力は認められません。国民投票で賛成票が過半数を占めても、法案が代議院でそのまま可決される保証はありません。
法案は2つの柱からなります。まず、①大麻の自己使用の制限付き容認です。20歳以上の者は、(ア)許可を受けた店舗からのみ、一日当たり14グラムまでの乾燥大麻を購入すること、(イ)私的な場所または許可を得た場所で大麻を消費すること、(ウ)大麻を2草まで育成すること(一世帯当たり4草まで)、などが許されます。また、②大麻の生産及び供給の管理として、(ア)販売用大麻の市場流通の総量を制限すること、(イ)すべての大麻関係のビジネスを許可制にすること、(ウ)販売・消費のビジネスと生育・製品化のビジネスとを区分すること、などを内容とします。
政府系シンクタンクのNZ 経済調査研究所(NZIER)は本件に関連し、大麻が合法化された場合の課税率を25%とすると、年間4億9千万NZドルの歳入が見込まれると試算しています(NZヘラルド2020年5月26日付の記事)。日本の複雑なタバコ税制ほどではありませんが、大麻合法化は往々にして、国家財政上の事情も絡んでいます。この税収を財源に、麻薬患者の医療サービス、社会復帰のための様々な支援を充実させることができる、というのが賛成派の主張でもあります。
二件目は、終末期における介助死の選択に関するものです。代議院が2019年11月13日に可決した「終末期の選択に関する法律」(End of Life Choice Act)に従い、終末期の病状にある者に介助死を要求する選択権を与えることなど、その賛否が問われます。投票結果には法的拘束力が認められ(先の大麻国民投票と違います)、賛成票が過半数を占めた場合、その結果が確定した日から1年後に法律が施行されます。
法律は、①介助死の要件、②意思決定の条件、③意思決定が自由に行われたことの確認、④介助死の措置のプロセス、を定めています。①は具体的に、(ア)18歳以上であること、(イ)NZ国籍または永住権を有すること、(ウ)6か月以内に死に至ると見込まれる末期の疾患に苦しんでいること、(エ)身体機能が深刻かつ継続的に減衰していること、(オ)鎮痛が不可能な、耐え難い苦痛から逃れる目的であること、(カ)介助死に関して十分な説明を受けた上での意思決定がなされたこと、です。
今回の案件(法案の内容)は、該当患者の生命の短縮を伴うもので、「積極的安楽死」と呼ばれるものですが、「尊厳死」と混同している有権者が多く、安易な賛成投票に流れがちであると、反対派は頭を悩ませています。日本でも先月、現役の医師が京都市内のALS患者に薬物を投与して死に至らしめるという事件が発覚したばかりですが(嘱託殺人罪の容疑で逮捕されています)、多くの議論は安楽死と尊厳死を混同しているものでした(日本でも法制化の議論に着手しようとすれば、概念の整理から始めないといけないでしょう)。
いずれにせよ、どちらの案件もNZ国内で長くその賛否が議論されてきたものです。今回の国民投票により一定の法的、政治的決着が図られることになります。
支出規制と広告主登録制度
国民投票は、2019年12月3日に成立し、同7日に施行された国民投票枠組み法(Referendums Framework Act)に従って実施されます。日本にはないNZ国民投票制度の特長は、国民投票運動(広告)のための支出額に上限を定めるとともに、一定の支出を行う者に広告主としての登録を要求していることです。まずは表と概要をご覧ください(1NZドルは約70円です)。
(表)NZ法における広告費用(支出)規制
支出額(NZ㌦・税込) | 0 | 13,200 | 100,000 | 330,000 | ||
以下 | 超 | 以下 | 超 | 以下(上限) | ||
広告主登録 | 不要 | 必要 | ||||
支出報告書の提出 | 不要 | 必要 |
(筆者作成)
NZ国民投票法の概要は、以下1から7までのとおりです。
- 国民投票の広告に関して、その規制期間中、1万3,200NZドルを超える費用の支出を見込む者(個人、団体)は、広告主として政府の選挙委員会に登録を行う義務があります。登録義務を逃れるために二以上の運動体に分ける(分かれる)ことは、法律上禁止されています。
- 広告には、新聞、雑誌、ポスター、看板、リーフレット、テレビ・ラジオの放送、ウェブ広告が含まれます。規制期間は今回、投票日直前の3カ月間、すなわち6月19日から9月18日までの92日間です。そのうち、テレビ・ラジオのCMは、8月16日から9月18日までの間、許されます。
- 広告主の登録は無料で、オンラインで可能です。個人・法人を問わず、在外NZ人は登録することはできません。また、登録・非登録のいずれを問わず、すべての広告主は氏名(名称)、住所(所在地)を媒体上、明示しなければなりません。
- 規制期間中の費用支出の上限は、33万NZドルです(広告費用には企画、デザイン、制作、印刷、発送及び公開の各作業に対するスタッフ報酬が含まれます)。一日当たりの上限額は、約3,590NZドルとなります。
- 規制期間中、10万NZドルを超える支出をした者は、支出報告書を選挙委員会に提出しなければなりません。支出報告書の提出は、投票期日から70営業日以内がその期限です(今回は、2021年1月19日です)。50NZドル以上の支払に関しては、請求書及び領収書を添付しなければなりません。
- 収入に関しては、外国人から50NZドルを超える寄附を受け取ってはならないことが定められているのみで、事後の報告は要求されていません。
- 1から6までに関し、登録義務違反、支出上限違反、報告義務違反、虚偽記載などに対する罰則の定めがあります。
NZ国民投票法の広告費用規制は、「支出」に重きを置いていることがお分かりいただけるでしょうか。収入の報告が無ければ、活動の原資を透明化することは甚だ困難ですが、その点は割り切って、制限額内での使途公開を以て担保する簡潔な仕組みです。また、支出額にかかわらず、匿名広告を許さないことも特徴です。
他方、日本の国民投票法は、憲法改正案に対する賛成・反対の投票勧誘を内容とする広告その他の運動の資金に関して、規制を一切設けていません。NZの広告主登録に相当する制度は無く、誰でも自由に運動主体となることができます(⇔途中で止めるのも自由です)。匿名広告も可能です。選挙と異なり、運動費用の上限額も無ければ、いつ、いくらの収入を得て、支出したのかという報告も事後に要求されていません。その結果、資金力の多寡(多い・少ない)がそのまま広告の量に反映することになり、不特定多数の有権者が惑う事態が避けられません。結果として、国民投票の公正を害するおそれが生じてしまうのです。国民投票は「自由」と「公正」がキーワードですが、金銭の場合は、それが自由に使われるほど、公正を害するというトレードオフの関係に立ちます。出処が分からない多額の資金が特定の国民投票運動(広告)に使われたとしても、事後的にチェックする術さえないのが現行法の最大の弱点です。
私はここで、NZ国民投票法の概要をそのまま導入せよと主張したいのではありません。何の法的手当ても無ければ、仮に本番の国民投票が行われることになった場合に、現行法の弱点がもろに露呈してしまうことを強調したいのです。NZでの運用状況を観察しつつ、日本の国会で国民投票法改正の議論を進め、現段階で妥当といえる制度を組み込むことができないのが残念で仕方ありません。
登録広告主の顔ぶれ
参考までに、2件の国民投票に関して、どのような個人、団体が広告主として登録しているか、一覧で紹介します。各団体のウェブサイトなどを参考に作成しています(8月1日現在)。
〈大麻国民投票〉
登録日 | 団体の名称 | 団体の概要 | |
1 | 3月16日 | Make It Legal Aotearoa New Zealand Trust | 〔賛成派〕娯楽用大麻の普及を目指す有志(経済界の実力者など)によって新たに設立された団体 |
2 | 4月7日 | NZ Drug Foundation | 〔賛成派〕麻薬やアルコールに関連する害を減らすことを目的に、30年間運営されている慈善団体。“手錠によらない健康を”運動を支持。 |
3 | 6月5日 | Just Speak | 〔賛成派〕刑事司法改革を擁護する若者中心のグループ。“手錠によらない健康を”運動を支持。 |
4 | 6月11日 | Victoria University of Wellington Students’ Association | 〔賛成派〕ウェリントン大学ビクトリア校の学生団体 |
5 | 6月23日 | Action Station Aotearoa | 〔賛成派〕“手錠によらない健康を”運動を支持。 |
6 | 6月25日 | Family First New Zealand | 〔反対派〕家族を尊重する文化の促進を目的に活動する保守・キリスト教系の非営利団体。下記8のメンバー。 |
7 | 6月25日 | Brook Valley Community Group Unincorporated | 〔賛否不明〕*活動の詳細不明。 |
8 | 6月25日 | SAM(Smart Approaches to Marijuana) NZ Coalition | 〔反対派〕薬物反対の活動家、宗教関係など25以上のグループの集合体 |
9 | 7月3日 | Aotearoa Legalise Cannabis Party | 〔賛成派〕法制化を訴える唯一の政党として1996年総選挙から活動を続ける。 |
10 | 7月17日 | YES 2020 | 〔賛成派〕大麻禁止について建設的な議論を促す活動を進める学生団体 |
〈介助死国民投票〉
登録日 | 団体の名称 | 団体の概要 | |
1 | 6月11日 | Victoria University of Wellington Students’ Association | 大麻4と同じ。賛否不明。 |
2 | 6月17日 | Yes for Compassion | 〔賛成派〕終末期における介助死の合法化に取り組む非営利団体 |
3 | 6月25日 | Family First New Zealand | 〔反対派〕大麻6と同じ。 |
4 | 6月25日 | Brook Valley Community Group Unincorporated | 大麻7と同じ(賛否、活動実態不明)。 |
5 | 6月30日 | Voice for Life | 〔反対派〕1970年3月設立。国内に30の支部を持ち、4,500名の会員を有する。 |
6 | 7月14日 | Vote No to the End of Life Act | 〔反対派〕元政治家、学者、スポーツ選手などが主要メンバーの活動団体 |
7 | 7月16日 | Right to Life New Zealand Incorporated | 〔反対派〕受胎から自然死までの生命を保護することを目的に設立された法人 |
8 | 7月22日 | Safer Future Charitable Trust | 〔賛成派〕末期患者の財産管理のため、6月10日に設立された公益信託法人 |
(いずれも筆者作成)
現在、大麻国民投票で10、介助死国民投票で8、計18団体が登録しています(重複あり)。投票日までなお期間があることから、今後も増えることが予想されます。NZの人口は約495万人で(*外務省ホームページ)、福岡県人口約510万よりも小さいものですが(*福岡県ホームページ)、18団体の登録は多いと考えてよいと思います。大麻、介助死という個人の死生観、社会観、宗教観が反映されやすいテーマが対象となっており、関心の高さの表れといえます。
各団体はSNSを活用し、積極的なキャンペーンを張っています。団体メンバーによるライブ配信、PR動画の配信などが活発です。広告のために資金を最も多く費やしていると思われるのが、大麻国民投票・賛成派のMake It Legalです。同団体は6月28日、フェイスブック上に、北京五輪陸上金メダリストのウサイン・ボルト氏を登場させました(広告を見て驚いたユーザーのコメントが殺到しました)。他にも、連日のように国民的知名度の高い俳優、格闘家、元政治家などを広告塔としたPR記事を掲載しています。広告支出の上限は33万NZドルですが、本当にこの範囲で収まっているのだろうかと疑問に思います。今月16日からはテレビ・ラジオCMが解禁となりますが、どんなCMを流すのだろうかと変な期待も湧いてきます。
9月19日に行われる国民投票は、10月に入らないと結果が確定しません。私はどちらかといえば、結果そのものより、広告主登録をした団体の活動、支出報告書の内容の方に関心があります。資金力の多寡(多い・少ない)が広告量に反映し、投票結果に影響を及ぼすのではないか、収入報告が無くて本当に大丈夫か、という問題意識で今後の運用を注視していきます。
とくに国民民主党の法案は、NZの制度と親和性が高い内容です。NZの実践例を踏まえて議論を尽くし、国民投票法改正を次のステージに進めることが肝要です。先月31日、野党は正式に臨時国会の召集を要求しましたが、与党はどう対応するでしょうか。国会さえ開かないのであれば、問題がさらに先送りになるのは確実です。