8月13日、ひとつの小さな命が亡くなった。
18歳のチワワのAちゃん。飼い主さんの膝の上で、その生涯を終えた。
この連載の第523回で書いた「昨日から私も犬も食べてません」とメールをくれた女性のチワワだ。
飼い主さんから「Aちゃんの心臓が突然止まった」と連絡があったのは、お盆に入った8月13日の夕方。連絡をくれた時点では、心臓マッサージをして息を吹き返し、呼吸はしているということだった。動物病院に連絡すると「すぐ連れてくるように」と言われたそうだが、「一人ではどうしていいのか、動かしていいのかもわからない」ということで、すぐに彼女のいるシェルターに向かったのだ。
駆けつけると、Aちゃんはぐったりとしていた。舌の色が白っぽい紫になっていて、かなり深刻な状況がうかがえた。でも、息はしていることに胸をなでおろした。慌てて車に乗せて動物病院へ向かったけれど、車中でAちゃんは息をしなくなった。
「Aちゃん、Aちゃん! 戻ってきて! 」
飼い主さんの声が車内に響く。心臓マッサージをする音。Aちゃんは何度か息を吹き返したものの、それも途切れ途切れになっていく。
病院に着いてすぐ、獣医さんが蘇生のために手を尽くしてくれた。だけどすでにAちゃんは息絶えていて、目を覚ますことはなかった。
わずか3ヶ月あまりの付き合いだった。
Aちゃんと出会ったのは今年の5月。コロナによる困窮者支援をする「新型コロナ災害緊急アクション」に、飼い主さんである女性がメールをくれたことがきっかけだった。メールには、コロナで仕事がなくなり、犬とともにアパートを追い出されたこと、お金も尽きて昨日から自分も犬も食べていないことが綴られていた。
すぐに反貧困ネット事務局長の瀬戸大作さんが駆けつけた。このような場合、緊急宿泊費や数日分の生活費を渡して、後日公的な支援に繋げることになるが、この時点でペット連れだと様々な壁が立ちはだかることに気づかされた。犬と一緒に泊まれるホテルはなかなかない。ネットカフェにも泊まれない。公的な困窮者向けの施設だって犬連れでは入れない。コロナ禍の中、ペットとともに住まいを失った人を救う仕組みが、公的にも民間にもほぼないという事実に愕然とした。せめて、その日路上ではなくベッドで眠ってもらうことが、ペットがいるという理由だけでできないのである。
結局、その日は野宿となったが、いろいろな人が探してくれてペットとともに泊まれるホテルを数日確保。その後、ペット連れでも入れる民間のシェルターをなんとか確保したのだが、落ち着いたと思った途端に今度は高齢チワワのAちゃんが激しく体調を崩し、病院通いの日々が始まった。
「病院通い」といっても、飼い主さんは困窮した状態。到底高い医療費など払えないので病院に同行した。いろいろと検査した結果、かなり深刻な状態であり、継続的な治療が必要だと判明。この時点で、「犬猫に特化した寄付金を集めなければならないだろうな」と思い始めた。なぜなら、それまでは「反貧困 緊急ささえあい基金」の寄付金を使っていたのだが、それはコロナで困窮した人のために寄せられた寄付金だ。それを動物の治療費に使うとなると「ペットなんて贅沢」という意見を言う人もいるだろう。この辺りで、「反貧困犬猫部」的なものを立ち上げ、Aちゃんの治療費はそれでまかなっていく方針がぼんやりと決まった。
動物病院通いの日々が始まったものの、Aちゃんは警戒心が強いのか、私を見ると唸ったり、撫でようとすると噛んでくることもあった(でも歯がないので全然痛くない)。しかし、連日のように病院通いに同行するうちに、急激に心を許してくれるようになり、ある日、体調が悪いにもかかわらず、動物病院の待合室で尻尾を振りながら私の膝によじ上ってきてくれた。私がAちゃんに「認められた」瞬間だった。
そうして6月12日、「新型コロナ災害緊急アクション」の活動報告をする院内集会で「反貧困犬猫部」の設立を発表。寄付金を募集し始めたところ、多くの人が寄付を寄せてくれた。「うちにも猫がいるので他人事には思えない」「どうか飼い主さんと幸せに暮らせますように」。寄付金とともに、優しいメッセージがたくさん届いた。
しかし、18歳のAちゃんの病状は余談を許さなかった。気管支も弱り、息をするのもやっとの状態だったため、獣医さんからは酸素室をレンタルするように言われた。シェルターに酸素室を導入してからは大分落ち着いてきたが、それでも病状は一進一退を繰り返し、高齢のためか他にも不調が見つかって薬の量は増えていった。いつ、何が起きてもおかしくないことを感じていた。が、飼い主さんはいつもAちゃんを手厚く看護し、今日はどれくらい食べた、薬をちゃんと飲めたなど報告してくれていた。そんな日々が、6月から続いていた。最近は調子がいいようだったので、私はすっかり安心していた。それなのに、Aちゃんは突然逝ってしまった。
それにしても、改めて、すごいチワワだと思う。
そもそもAちゃんとの出会いがなければ、「反貧困犬猫部」が立ち上げられることはなかったのだ。犬猫部ができたことによって、今、Aちゃんだけでなく、困窮した飼い主のもとのペットたちにフードを送るといった他の犬猫を支援する活動ができている。それだけではない。この夏、「つくろい東京ファンド」の稲葉剛さんは「ボブハウス」というシェルターを開設した。ペットとともに泊まれるシェルターを都内に2部屋確保したのだ。
「ボブハウス」の名前は、イギリスのビッグイシュー販売員の猫・ボブからとったものだ。『ボブという名のストリート・キャット』という書籍にもなり、映画化もされているので知っている人も多いだろう。路上生活をしていた飼い主を「救った」猫である。そんなボブハウスを、反貧困犬猫部は今後支援していくことにもなった。Aちゃんと出会ったからこそ痛感した「ペット連れの人が入れるシェルターがない」という問題が、こうしてボブハウスの開設にも繋がったのである。
そして一番すごいと思うのは、一時は飼い主さんとともに路上にまで出たAちゃんが、最期の約3ヶ月、「無数の人々の善意」によって生かされたということだ。犬猫部が立ち上げられ、寄付金が集まったからこそ治療を受けられた。ある意味、会ったこともない多くの人々の善意が、Aちゃんを生かし続けた。一方で、飼い主さんは私たちに出会う前、役所に生活保護の相談に行って「犬を処分しろ」と言われている。生活保護は犬がいても利用できるのにだ。そんな目に遭いながらも、Aちゃんは多くの善意に抱かれるようにして逝った。なんて強運な子なんだろうと思う。
もし、私たちと繋がっていなかったら。最悪、Aちゃんは路上で命を落としていたかもしれない。その時、飼い主さんはどれほどの心の傷を負うだろう。それを思っただけでも、この3ヶ月間があってよかったと思う。Aちゃんが亡くなったことは悲しいけれど、私の中には「できることはすべてやった」という少しの達成感もある。
こんなことを書いていると、「だけど、なんで見知らぬ人の犬まで助けるの?」と怪訝な顔をされることがある。私ももし、誰かがそんなことをしていると知ったらそう聞くだろう。理解できないと思うだろう。だけど、出会ってしまったら仕方ない、というだけの話だと思う。出会ってしまって、その犬が目の前で苦しんでいたら、誰だってたぶん見捨てることはできない。それだけだ。そして、それだけのシンプルなことがなぜか「自己責任」なんて言葉で阻まれる社会だからこそ、「ほっとけない」感覚を大切にしたい。だって、自分だっていつどうなるかわからない。住む場所を失い、猫とともに路頭に迷うかもしれない。その時、誰かが助けてくれる社会であってほしい。支援活動をする一番の動機は「自分のため」に他ならない。
「反貧困犬猫部」には、多くの寄付金が集まっている。人間の支援をする「反貧困ささえあい基金」にも多くの寄付金が集まっている。その事実を思うだけで、私は久々に「世の中、捨てたもんじゃない」という思いになる。そう思えることは、私をだいぶ生きやすくする。
一方で、お盆休みを通して、緊急のSOSはまた増えている。コロナで仕事が減る中、3月からなんとかギリギリ持ちこたえてきた人たちがお盆休みを受け、とうとう所持金が尽きるなどして路上に出る寸前になっているのだ。支援者たちはまた緊急出動に走り回っている。
そんなコロナ禍の夏、「世の中、捨てたもんじゃない」ことを証明してくれたチワワが逝った。
Aちゃんに、永遠の「反貧困犬猫部」名誉部長の称号を捧げたい。本当に、ありがとう。いろんなことを教えてくれたチワワだった。
小さな身体で最期まで頑張ったAちゃん